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SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 241件~250件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
サイレント・ボブ 2 1 09月01日 (水)
 8月なのに、空はもうずいぶんと高くなり絹積雲がつらなっていた。その雲の群れを追うように、シーラの運転するシエビィはインターステイト5を南にむかう。
 シータックの愛称をもつシアトル・タコマ国際空港から、今夜の宿のあるフェデラルウェイまではわずか20分だ。
  8月15日、太平洋夏時間午前11時。空は秋の気配でも車内にさしこむ日差しはまだまだ強力。
 「飛行機のなかでは眠れたの」
 シーラがありきたりのいいかたできく。「どうせ一睡もしてないでしょう」というみすかした目がサングラスの奥で同情している。
 「"I feel I've been herebefore."ここには前にきたことがある」
 と、ぼくがいかにも既視感、デ・ジャ・ヴにとらわれたかのようにいうと、シーラは
 「それはいいジョークね」とからから笑った。
 デ・ジャ・ブのはずがない。ぼくはつい2週間前の7月28日、このハイウェイをシーラの車でシアトルのダウンタウンにむけて走っていたのだ。
 その日、ワシントン・ワールドファミリイの会員家族と、かれらの家にステイするラボっ子たち10名との対面式をみとどけたぼくは、その翌日に一旦帰国するためシアトルのダウンタウンにむかった。
 ワシントン・ワールドファミリィは、シーラが主催する青少年交流を目的としてシアトルを中心に展開するNPOだ。シーラは長年、ラボと4-Hの交流に携わり、引退した後に自らの地元でNPOをたちあげた。ふつうなら3人の孫にかこまれて、のんびのとくらしてもいい年代の女性だ(だれだ、さっきからへんな想像をしていたのは)。
 ぼくは、このワシントン・ワールドファミリイに参加するラボっ子の引率を急遽ひきうけることになり、7月25日に日本を出発したというわけだ。到着後、シアトル郊外のホテルで3泊し、その間に1日はラボっ子たちとともにシーラが教師をつとめる小学校の夏活動に参加、日本の遊びをおしえたり「ひとつしかない地球」をうたったり、おおあばれした。もう1日はその小学校の生徒たちとともにタコマの動物園を訪問もラボっ子2名とアメリカの小学生4人でグループをつくり、自由にみてまわるという体験をしたが、これらはとてもよいホームステイの準備になった。
 ラボっ子たちのホームステイはシアトル近郊。したがって、安全管理や連絡はシアトルのラボ・アメリカ事務所が直接行なえるという便利さがある。となれば、ぼくは日本にかえってほかの仕事をして、またもどってくればいい。
 というわけで、ぼくは7月29日にひとりシアトルをたって帰国。今度はラボっ子とともに6泊のキャンプに参加するためにまたシアトルにまいもどったのだ。
 この物語は、そのキャンプでであったサイレント・ボブとよばれるひとりの男につついて語られるのだ。

 つづく
サイレント・ボブ 1 1 08月31日 (火)
 おひさしぶりです。8/24にシアトルからもどってきました。
会議や夏の整理などで、なかなか書き込みができませんでしたが
きょうからすこしずつ復活です。一部のごくかぎられた読者のみなさん
またよろしく。
 この秋から、またひとつラボのなかでの責任が重くなったので、
緊張はしていますが、そうは急になかみはかわらないので……。
 さて、しばらくはシアトル郊外のキャンプ場でのことを小説ふうにかいていきます。
日本はあついのだ 08月09日 (月)
この日記の
一部の数少ない
コアな読者のみなさま、ごぶさたしております。
7/24にワシントンワールドファミリィにステイするラボっ子10名を
つれてシアトルへ。むこうでは4泊。ラボっ子とは3泊でそのあいだオリエンテイションをかねて、小学校のサマースクールを訪問しました。
 ラボっ子10名にたいし先方も10名くらい、しかも低学年と中学年なので
ラボっ子が友だちになるにはちょうどいい練習相手(失礼!)です。
 1日めは学校でともにヨガをやったり、日本からもちこんだ
けん玉や折り紙、さらには習字用具などをつかつて、日本文化紹介。
アメリカの子はみんな自分の名前をカタカナでかいて大満足。
 「ひとつしかない地球」もみんなで歌ったのです。
2日めは、バスで小学生たちとともに、タコマの動物園へ。
てなわけで三日目はホストファリィとの対面式。
それが7/28のお昼前。そこから、シアトルのダウンタウンにでて、予約
していたホテルにチェックイン。
 ダウンタウンをしばらく散歩。この日はホストファミリィにあいさつするのでスーツをきていたがちっともあつくありません。なにせシアトルは20度ですから。ついた日などは18度しかなくて、ラボっ子たちはさむいさむい。
 そのあと、キャピタルヒル(シアトルは坂だらけ)にあるラボのアメリカ事務所を訪問。平野所長に昨年なくなられたバー二ーがすんでいた家、すなわち旧ラボ・アメリカなどを案内していただきました。
 夕方はマリーナのチヌーク(たぶんイヌイットのことばでサケ)というレストランでシーフード。翌日の昼のUAで帰国したっす。
 帰国後もけっこうばたばた。8/4は両国のシアターX(カイ)で
三輪えり花さんの『ジュリアス・シーザー』の初日をみにいきました。
この劇場はそうおおきくないけど、客席が可動式でなかなかおもしろい。
パルバース氏の芝居を二度ほどここでみています。
もとタカラジェンヌがなんにんかキャスティングされているのと、
マチネーすなわち昼席というこもあり、客席のほとんどは
ヅカファンの淑女のみなさまだらけ。男性は約5名。
でも、そのうちのひとりは、小田島雄志先生。
 安易な好評はしないけど、いい点、きになる点いろいろありました。
でも、そういう、でこぼこに感じる芝居は勉強になることはたしかです。
 さて、8/14からはふたたびシアトルへ。ラボっ子とアメリカのこどもたちとキャンプです。そして無事に帰国させるのがお仕事。
 まだまだ残暑きびしきおり、みなさまよい夏のおわりを。
夏はかけあしなのだ 2 07月23日 (金)
数少ない、この日記の読者のみなさん。
小生は7/24~7/31
の予定でシアトルにいきます。(仕事だぞ!)
さらに8/14~8/24にもまたシアトルにいきます。
したがってその間はこの日記はおやすみ。
去年はwith PCでアメリカにいったけど
ことしはもってかないことにした。
日本にいるのは8/1~8/13
その間にやまほど勉強しなくちゃ

あー、夏はかけあし
あせるのだ。
ではまた
夏なのだ! オバQなのだ。 4 07月14日 (水)
 いよいよ夏なのだ。うーん,しだばたしても夏なのだ。夏といえば怪談,怪談といえばオバケ,それならオバQだ。(ごーいんだなあ)
 いうまでもなく藤子不二雄氏の傑作漫画だ。でも、なんでラボで漫画なんだという人もいるんじゃないかしら。
 ぼくは、漫画はべつにわるいと思っていない。それどころか、日本の漫画はすごい文化だと思う。「火の鳥」なんか、まじめにラボ・ライブラリーにしようと考えて、手塚プロと交渉したことがある。むこうものり気で、時期がくれば手塚アニメがラボ・ライブラリーに登場することも夢ではない。
 ストーリィテラーとしての手塚氏はたしかにすごい。絵師としてもすごいのだが、ただうまい絵をかくだけなら、あとからざわざわでてきた作家たちのなかにおおぜいいる。
 藤子氏も手塚氏を神とあおいだ第一世代の漫画家だ。安孫子氏と藤本氏というふたり組の作家でこれほど長くコンビが成立したのは希有の例だろう。
 ラボ・ライブラリーでオバQに注目したのはいくつかのポイントがある。
 まずひとつは「アメリカン・コミック」のスピード感だ。このラボ・ライブラリーはあのコミックテキスト?をみながら聴かないと、その魅力は半減してしまう。ちなみに日本の漫画のえらいところは、ほぼ全部の漫画がふきだしの台詞を縦書きにしていることだ。日本語は縦に書くもの。そのことを
つらぬいている漫画はえらい。よく詩をかいたから見てくれという若いやつらがいるが、ほとんどが横書きである。横に書くと、じつはあまえた文、ことばになってしまう。ごまかしもきく。だから、きびしい文章修行をしたければ、まず縦に書くことだぜ。(ラボ・ライブラリーのテキストは英・日だからやむなく横書き)
 したがって、ラボ・ライブラリーのオバQも結局のところ、英語用に全部かきおろしていただいたのだ。なんてったって、動きの方向がすべて逆になるもんね。
 もうひと、というより、それが最大の魅力といっていいと思うが、藤子氏の日本語がじつに自然で美しいことだ。しかも、子どもらしいのびやかな会話で「よそゆき」「優等生」の気分はない。もちろん、けんかやあらそいの場面も子どもみだからあるのだが、「雑なことば」「きたないことば」はいっさいない。それはえらいことだよ。藤子氏はブラックユーモアの作品も書いており、なかな毒のある作家だが、こういう子どもに対することばの配慮はかんたんにできることではない。
 さらにいえば、時代をきりとる目のするどさと人間へのやさしさだ。
わかりやすい例をもうひとつあげると「ドラエモン」だ。
 オバQは日本が高度経済成長しているときにつくられた。だから、日本人は自身をようやくもって、「大きいことはいいことだ」ではないが、便利で大きくてはやいものに価値を見いだしていたときの作品だ。だから、オバQは超能力はもっていても、犬によわかつたり、長距離をとぶとつかれたり、なさけないキャラである。相方の正太はふつうの少年だがオバQよりはるかに世間値があり、人間社会からこぼれそうなQちゃんをフォローする。それによってQちゃんも能力をだせる。まさに強い日本人がいたころの物語。
 ところが、ドラエモンはオイルショックをはじめ世界の経済からおとなとみなされ、さまざまにゆさぶられ日本人が自信を失いはじめたときに生まれた。ドラエモンは未来のロボットだが、じつは欠陥品で本来はリコールものである。しかし、それが「20世紀」の日本では実にスーパーな活躍をする。
相方の「のび太」は、正太とはおおちがいのなさけない少年で、ドラエモンにたすけられてなんとか存在している。まさにそれぞれ時代を反映したキャラクターだ。
 ちなみに、ぼくのすきな漫画わあげておこう。順不同だ。
『陽だまりの樹』『白いパイロット』『アドルフに告ぐ』『鉄腕アトム』手塚治虫 『11人いる』『トーマの心臓』『精霊狩り』萩尾望都
『摩利と真吾』えーと木原だれだっけ 『ランプの下』『裸のお百』一の関圭 うーんきりがない。
 ところで、7/25から急遽アメリカへいくことになった。7/30に帰国してふたたび8/14に渡米、24日に帰る。ゆつくりこの夏は便器用しようという計画はどうなった! でも7/17には銀座で英語の落語をきき、8/4は『ジユリアス・シーザー』をみる。いきたいコンサートもいっぱい。読みたい本は約30冊。うーん、きづく手帳はまっくろじや!
マックスばんざい その2 07月06日 (火)
 センダックの『かいじゅうたちのいるところ』で書き出しの
The nightというところが、すでに天才的だということを昨日書いた。
 まあ、だから神宮先生も翻訳するとき苦労されたんだろうなあ。
 この場合のThe はたしかに「例の、その夜」なんだけど、まさか「その夜」とはできない。いきなりの指示代名詞では、いかにも日本語としては不自然なのだ。このへんが翻訳のむずかしさだよなあ。でも、Wild Thingsわらかいじゅうたちと訳したのはすんばらしい。そういえば、「メジャー・リーグ」というくだらない映画があったけど、すごいボールをなげる近視の投手役でチャーリー・シーンがでていたが、彼の役上のニックネームがWild Thingだった。
 さて、センダックの天才性はあの緻密な絵にもある。もちろん、すげえうまいのだが(彼の絵も一時はずいぶんと批判されことがある)、なにより驚くのは、その構成だ。絵本をひらくとすぐわかるのだが、冒頭の絵はずいぶんと小さい、まわりの余白のほうが大きいくらいだ。しかし、物語がすすむにつれて、余白の面積と絵の面積の関係は次第に逆転していく。つまり、絵の大きさは、マックスの想像世界の大きさと広がりに比例している。
 物語の新興につれて、その想像の面積はどんどん広がり、ついには「かいじゅうおどり」でクライマックスとなり、余白はまったくなくなる。これぞ、マックスのたたかいだぜ。それから、また絵はすこしずつ小さくなり、はらべこで子ども部屋に帰ってくる。それでマックスはすっきりしてご帰還。ちゃんとリハビリもかねている。
 なんかむずかしくなってきたが、むずかしくなりついでに書く。
 センダックは、とても気むずかしい人で合うこともなかなか困難だといわれる。故郷のニューヨークに家はあるが、ほとんどはコネティカットの小さな村でくらしている。センダックの作品はきわめて音楽的だ。それは彼自身も述べていることだ。「音楽はある意味、言語習得以前の言語。つまり乳児の喃語のようなものだ。かつてはわれわれも理解していたはずのね」
 音楽的な絵をかく画家はけして少なくないが、センダックの作品はまさに長調と短調にみごとに色わけされるような気がする。
 そしてセンダックの作品には、ある種の脅迫観念がモティーフとして流れていることも興味ぶかい。
 なんか、だんだん自分でもつまんなくなってきたので話題をかえる。
 子どもは寝るまえになんで、あんなに絵本ほよんでとかおはなしをきかせてというのだろう。これに太子、河合隼雄氏は「子どもにとって睡眠とは、死、あるいは死への逆行を予感させる不安な行為なのだ。だから、いちばん安心できる存在にそのきもちをまぎらわせてほしいのだ」という。
 そんなメカニズムをセンダックはとうぜん見抜いていたんだろう。
 てなことを意識して、ライブラリーづくりわするのはけっこうしんどい。でも、そういったことを考えて録音プランをたてなければ、こうした作品にとりくむ意味がない。深いところで勝負しなけりゃね。
 さて、最後に本を1冊紹介しよう。ちょっと高い(本体3500円)けれど。
『子どもの本の8人』――夜明け笛吹きたち ジョナサン・コット
 鈴木晶訳 晶文社
 ジョナサン・コットはアメリカの有名なロック雑誌「ローリング・ストーン」の創刊以来の編集長である。彼が、センダックや『長靴下のピッピ』のリンドグレーン,『メアリー・ポピンズ』のトラヴァース,さらにはナーサリー・ライムの大家、オーピー夫妻など8人の子どもの本のに関わる人びとにインタヴューしたのがこの本だ。コットはいわゆる児童文学者でもなく、児童心理学者でもなく、ましてや絵本評論家ではない。しかしは、たいへんな読書家であり、あらゆる美術、芸術、そしていつ学に造詣が深い。そしてすぐれた編集者としてのバランスのとれたセンスをもっている。そのコットがじつに、すばらしき子どもの本のつくり手たちの本質にせまる。
 いわゆる「子どもの専門家」にありがちな、「子どものために」的においがほとんどないために、じつにきもちよく読める。鈴木氏の訳もたいへんよい。おすすめである。
 原題は PIPERS AT THE GATES OF DAWAN 日本題の副題である。こっちのほうがよいのにね。ちなみに、サブの現題は
Wisdoms of Children's Litreture
ライブラリーのキャラクター マツクスばんざい 07月05日 (月)
 きょうは『かいじゅうたちのいるところ』のマックスだ。
Where the Wild Things Areは、20世紀アメリカの生んだ天才(といっていいだろう)絵本作家,モーリス・センダックの最高傑作(といっていいだろう)だ。
 彼の天才性は,この物語の冒頭ですでにあきらかになる。
The night というかきだしだ。ふつう物語のでだしは,One night とかA nightとか夜を特定できないわけだから、不定冠詞をつかう。つまり、物語のはじまりの設定が夜であることが第一で、それはいつの夜でもいいというのが(昔話的には)常套手段というわけだ。
 しかし、センダックはThe nightで定冠詞だ。つまり「だれにでも、察しのつく、例の、その、あの」夜なのだ。だから、いつの夜でもよくないのだ。
この夜の昼間、きっとマックスにはどうしようもないことが、しかも彼にとってはのっぴきならないことがあったのだ。だから、夜になってマックスはぷっつんして、おおかみのぬいぐるみわきて、大暴走することになっのだ。ぐうぜん、「ある夜」に虫のいどころが悪くなったなんていう、あいまいな設定ではないのだ。
 じつは、この物語は出版当時はいろいろな批判にされされた。有名なベッテルハイム(『昔話の魔力』という有名な本をかいた心理学者だ)からも、「マックスが夢想のなかで、爪をむきだしにしたかいじゅうにむかっていくのは、子どもがこわがる」あるいは「マックスがおとなの権威にさからうのは心理的に害がある」などといれた。また『育児ジャーナル』では(これがいちばんおもしろい批判だが)「この本を、感受性の強い子どもが夕暮れどきに見つけて読みふけるようなところには、置いてはいけない」というものだ。これらの批判に対して1964年にコールデコット賞をかっさらつたさいのスピーチでセンダックは,「子どもたちが自分の直面する恐ろしい厳然たる事実と戦うためには、やつつけるための標的が必要で、それを呪文をとなえてよびださねばならない。子どもたちは、恐れ、怒り、悲しみ、不満、つまり日常生活の大きな部分をしめている危険な力に太子てとても無防備だという事実とたたかわねばならない。これらに打ち勝つために子どもたちは空想にすくいをもとめる……」といって反論しているのだ。
 さて、おもしろくなってきたのだが、本日はここまで。
 
 
ラボランドのひみつ――GTS-1楽しんでるかい 1 06月30日 (水)
 とつぜんだが、季節がらキャンプのことをかくのだ。
 その前にGTS-1の感想はひきつづき書き込んでください。
 いよいよキャンプが近づいた。わたし自身もキャンプはだいすきで
シニアメイトからはじめて、コーチそして大統領とさまざまな役割を体験した。一口にキャンプといってもいろいろあるが(少人数でテントひとつで生活するのもキャンプだし、プロ野球チームの春合宿もキャンプだし、あんまりよくない例だけど、軍隊の駐屯地もキャンプ○○だ。ようするに、日常をはなれて集団でなにかを目的に生活するのをキャンプというようだ)ラボのキャンプは大規模な組織キャンプであること、異年齢集団で活動すること、そして高度に知的かつ創造的な活動であるテーマ活動がプログラムの中心として位置づけられているといった点が特徴だろう。
 まあ、むずかしい話はキャンプっぽくないので、本日はラボっ子のこころのふるさと、ラボの聖地、ラボランドについてすこし書いてみるのだ。
☆ロッジのなまえ
 ラボランドができたころ、もう32年も前だが、クマザサに覆われた斜面をきりひらいて30棟のロッジがつくられた。ロッジは5棟ずつ6つのブロックにわけられ、現在でも残っているアンデス,ロッキー、トンチン、ナイル、ヒマラヤ、バイカルという世界の有名な山や川や湖の名前がつけられた。
 これにはいくつかの意味がある。ラボランド=Labo Landという頭韻をふんだネーミングもシンプルかつ凝っているのだが、このロッジの名付けと配列も技があった。まず、ラボランドという国なのだから、とうぜん世界を代表する大自然の名がつかわれた。そして英語で書いたときA R T N H B というぐわいにすべてイニシャルが異なるよにした。こうすればどの国の人でもそのちがいがすぐわかるというとだ。さらにロッジの配列であるが、ぐるんば城前ひろばにロケットの発射台があり、そこから宇宙旅行にでかけるとしよう。ロケットは出力全開でぐんぐんと上昇、あっというまに黒姫山がにぎりこぶしの大きさになる。そして宇宙の闇がせまるころ、地球をみおろすと、おお、右手下の南アメリカ大陸には、コンドル舞うアンデス山脈がそびえるではないか、その上方の北アメリカには雄大なロッキーがそびえている。さらに太平洋をまたいでアジアに目を転じれば、中国にはトンチンフー(洞庭湖・とうていこ=この湖の「べきらの淵」という深みに大詩人の屈原が身を投げたことで有名)が青青と水をたたえ、厳寒のロシアではバイカルの透明な姿が美しい。そして左手下にはアフリカ大陸を青、白、ふたつのナイルがとうとう流れているではないか。というような、まさに世界地図の配置になっていたのだ。現在のラボランドのロッジはたてかえられて、その配置はやや昔とことなるが、栄光の名前はきっちりひきついでいるのだ。
☆ぐるんば城
 ぐるんば城も昨年、大改修がおこなわれ近代的な建物に生まれかわった。
しかし、みんなでわいわいと食缶をとりにいく楽しさは、いまも昔もかわらない。いうまでもなく、この厨房ビルはラボ・ライブラリー『ぐるんばのようちえん』からつけられた。はじる、ひとりぼっちのさみしいぐるんばは、いろいろな仕事に挑戦するが、そのサイズにゆえになかなかうまくいかない。それが、12人きようだいとその母親と出会い、安住の地を得る。さしてさいごは公園の中心となって子どもたちにいつまでも愛される。
 ぼくは、キャンプの開営式で、おもな施設をラボっ子に紹介するとき、いつもこういう「はい、みなさんのうしろを見てください。大きなたてものがありますね。みなさんの、ごはんの用意をしてくれる『ぐるんば城』です。大きいから『ぐるんば城』。わかりましたね」
 じつに子どもたちは、よく納得してしまう。
 なお、ぐるんばの作者(たろうのおでかけもそうだ)である堀内誠一さんは、日本のグラフィックデザイナーの草分け的な方であった。ファッション誌「アンアン」のタイトルならびに全体のデザインは彼の手による。ぐるんばもたろうも、じつに洗練された色づかいとフォルムで、いつまでも色あせない。
 堀内さんは、「ことばの宇宙」にもイラストをよせていただいたことかあるが、おしむらくは40台の若さで亡くなられてしまった。
☆たろう丸
 タロー丸と書いたりもするが、正しくはたろう丸。もちろん、たろうは例のガールフレンドのゆきちゃんにアイスクリームをとどける暴走少年の名前からとった。『たろうのおでかけ』を、まさか交通安全指導物語ととらえている人はいないだろう。この物語の肝は、たろうという男の子の緊急性、すなわち「だって、アイスクリームがとけちゃうんだ」=この一点にすべてが凝縮されている。そこにおいては、交通ルールも社会のきまりもぶっとばす。男はそうでなくちゃ。この地球には緊急性、警鐘をならさねばならないことがらで常に満ちている。その警鐘をならすべきときは、いつも「今」だ。さらに、気付いた人間が警鐘をならさねばならない。たろうはきっといまもいそいでいる。すでに日し高い。ゆきちゃんのまつ草原は、まだ遠い。
 ところで、わが愚息が5歳のとき、この物語をかけながら、ずうつとぐるぐると円を描いて走りまわったていたことがある。物語が終わるとふらふらである。どうしたんだときくと、こたえは「だってアイスクリームがとけちゃうんだ」とはあはあ。これをテーマ活動といえるだろうか。というより、テーマ活動ではないという論理をぼくは見つけられなかった。彼は、この物語の核心をつかんでみごとに表現しているのだ。だから「こっこ遊び」なんていうものは、おそらくみんなテーマ活動なのだ。
 まあ、たろうの話はここまでにして、問題はたろう丸の「丸」だ。丸がつくものをあげてみると、第一日の出丸、氷川丸(古いわ)、日本丸などといった船の名前、それからお城の本丸、二の丸、なんてものもある。さらに刀の名前にもつく、日吉丸のように子どもの名前にもある。ようするに、日本人は建物とか子どもとか、お城とか刀とか、将来、なにかの中心、リーダーとしてりっぱに育っていってほしいものに「丸」といものをつけたのだ。だから、たろうというラボ・ライブラリーならびに日本の男の子を代表する名前に丸をつけてキャンプ本部としたのだ。
☆集雲堂
 これもその名の由来はラボ・ライブラリーだ。もちろん『ポアンホワンけのくもたち』。物語の最後に雲の家族が再集合することからとられた。さらに、全国から集まってくるまさに青雲の志をいだいたラボつ子たちを雲に見立ててもいるのだ。
 ところで、青雲とか青春とか青嵐とか、青がつく熟語なにやらわかわかしいのだが、青山だけはちとちがう。ラボ・ライブラリーのSB2に「青山土手から」という歌があるが、青山(「あおやま」もしくは「せいざん」)とは墓所のことである。青山墓地というのが渋谷にあるがまさに青山という名のつく地名はほとんどお墓と関係がある。「人間いたるとこるに青山あり」ということばがあるが、よくこれは青山が活躍する場所と誤解されて「人はどこへいっても活動する場所がある」という意味だといわれる。じつは正しくは「人間(じんかん)いたるところに青山(せいざん)あり」と読んで、人と人の間、つまり社会にはどこでも骨をうずめるべき場所がある」という意味なのだ。大筋の意味でほとんどあっているためにあまり問題にならない例。

 
 
 
GTS-1楽しんでますかand例のその10 1 06月28日 (月)
 新版GTS-1リリースされてから2週間近くがたちました。もう、かなりの方がお聴きになられと思うッス。この広場の日記でも。「聴いた!」とか「泣けた!」などの書き込みがちらほらみられます。
 まあ、ラボ・ライブラリーは生まれてしまえば、すでに勝手にあるく力をもっている(人間とは大違い)ので、あとはおまかせなのだ。
 とはいえ、歌のCDはひさしぶりなので、いろいろと気になることはたしか。ラボっ子やテューターのみなさんや、ご父母の感想をぜひかきこんでください。質問もある程度(可能なかぎりこえます)歓迎です。

 それではトム・ソーヤの続続続続編。
都会と自然、野性と文明、そういった相反する価値にふりまわされて混乱していたトゥエインは、1876年、ノスタルジーにかられて『トム・ソーヤの冒険』を書いた。前にも記したが、トゥエインきこのおはなしを子どもむけというより、おとなの郷愁にうったえようと思って書いた。しかし、当時のたいへん有名な文芸評論家で、トゥエインの親友でもあったハウエルの助言で子どもが読んでもおもしろいように手なおししたるそれがヒットの要因となったのだ。
 トムはいわゆる模範少年ではない。しかし、それがどいう子どもかということをよく知っており、とにかくそういう連中がきらいだという表現が現作にはある。トムは村の社会的秩序や上品な伝統に反抗し、そこから逃げて自由になりたいと思っている。ちょっと見には牧歌的なセント。ピーターズバーグだけど、その内側にはおとな社会のいやな面もいろいろある。
 おとなたちは集団心理にかられた軽薄な動きをするし、見せびらかし
すなわちshow off(これはアメリカ文化を考えるときにとてもたいせつな言語)の状況がいっぱいでてくる。現作にでてくる学校の教師はその典型で、トゥエインは作品のなかでめためたにたたいている。
 トムはそれらがいやで、とにかく逃げたい。そしてサーカスのクラウンか軍人、はたまたもつと派手なものになりたい。それでジョー・ハーパーやハックをさそってミシシシッピーの島で海賊になったりする。そういうトムののびのびとして自由な姿を「少年」のみずみずしさ、あやうさ、といった原型、プロトタイプとして普遍的に描いたところがすばらしいのだ、。ということは前にも書いた。
 しかし、もうひとつだいじなことを見落としてはまずい。それとの反抗や脱出は、いつも「帰ってくる」ことを前提としているのだ。
 最後の文豪とよばれた高見順は「帰れるから旅は楽しい」といい、ボードレールは「真の旅人は、風船のように、ただ旅立つためだけに旅にでる」といった。ハーンの旅などはまさにそうである。
 そこみへいくきとトムの旅はいつも帰る場所がある。そして、海賊のときもトム自身が想像したように、いきようようとひきあげることで、とくいになる。つまり「見せびらかし=Show off」の精神がトムにもあるのだ。
 結局、社会というどっしりとした大木によりかかり、その足先で社会をごしごしこすってやる。そんな反抗がトムの自由なのだ。だから、トムの冒険は不安がない。おとなも子どもも安心して読めるのだ。
 ところが、それにつづくハックは完全な自由人だ。トムもひいてしまうほどの天然記念物的野生児・自由人だ。トゥエインは『ハックルベリー・フィンの冒険』の執筆には9年をついやす。
 ご存じのようにトムのそれとは異なるスケールある大冒険だ。ハックは因習ののこる南部に自由をもとめる。しかし、そこでおおあばれするも、彼のもめる自由はそこになく、またハックは旅たってゆく。
 バーナード・シヨウやヘミングウェイがトゥエインの重要制を指摘したわけは、くりかえすが、このトムとハックという異なる冒険物語にある。
それは、 機械文明が発達し、自然がうしなわれ、人びとが機械に支配されはじめたちとき、人間はどのように自然さ、自由を勝ちとっていくのか、という20世紀アメリカ文学の最重要テーマに、トウェインがこのふつの物語で先駆的にとりくんだということの意味深さということでもあるのだ。
 自然をもとめ、文明をもとめる矛盾した願望はアメリカの人びとのなかに多かれ少なかれあるけれど、トウェインはそうした心をすいとり、西部ややのラフな人日とだけのためだけでなく、また東部の上品な階級のためだけでなく、その両方の価値観を追求したという点で、アメリカを代表する国民的作家といえるのだ。
 アメリカは依然として総代な実験国家であるわけで、それゆえマイケルムーアみたいな監督も存在できる自由さと再生力があるるしかし、その反面、ブッ○○のようにア○なリーダーがあらわれると大混乱してしまう。
 トウェインはそんなアメリカの希望や問題、あこがれや矛盾などをすべてひっくるめて、しんけんに作家として表現しようとしたやっぱりすごい人なのだなあ。
ライブラリーのキヤラクター その9 06月25日 (金)
続続続 トム・ソーヤ
 1865年に南北戦争が終わる。この戦争は奴隷制度をめぐる正義のたたかいで,北軍は自由の解放軍というイメージがあるが、はっきしいってそれはきれいごとで、大ざっぱにいえば北部の産業地帯が、南部農業地帯をうちたおした戦さなのだ。ようするに、いまも昔もどこの国でも正義の戦争なんては存在しない。
 ともあれこの戦争以後、アメリカの産業・経済はがんがんと発展する。新興成金がたくさん生まれ、金銭万能の時代となったのだ。そうなると、衣食たりて礼節を知るではないが(わしら日本人は、衣食たりてなお礼節を知らんがね)、彼らは自分たちが粗野なまんまで、文化のかおりというか精神というか、ようするに心の貧しさに気づいてしまった。
 そこで、ヨーロッパの文化・芸術を輸入し、模倣する。なんてったってアメリカ独自の美の基準なんてなかったからね。それは独立当時からそうで、たとえば首都DCの建築物などは全部ヨーロッパ的価値観のよせあつめだ。連邦議会(市民からデザインを公募したけど、へんなものしかあつまらず。結局フランス人のプロにたのんだ)や最高裁判所、ホワイトハウスなどはギリシア建築だし(ほら、イオニア式とかコリント式とかドーリア氏期とかにならったでしょう)、ワシントン・モニュメントはどうみてもオベリスクだ。この塔とリンカーン・モニュメントの間にひろがるリフレクターとよばれる長方形の池は、どみてもエリゼー宮だ。
 さらに地図でみると、最高裁判所とワシントン・モニュメントとリンカーン・モニュメント(マーチン・キング・ジュニア牧師が有名なI have a dream の演説をした場所)は1本の線分上にあり、ホワイトハウとジエファーソン・モニュメントほ結ぶ線と、ワシントン・モニュメントでみこどに直角に交差する。つまり、上空からみるとDCには重要建造物で十字架を描いているのだ。前回も書いたが、アメリカはやっぱしごった煮的な田舎趣味なのだ。だからギリシアのような人類全体の遺産的な価値にたいしてはめっぽう弱い
というわけだ。ラボ国際交流センターの評議員でもあり、日本を代表する比較神話学の吉田敦彦先生(学習院大学教授)は、30代ですでにアメリカの大学でギリシア神話の講義をしていたすごい人だが、アメリカの教授連は「なんで日本人がギリシアの講義にきているんだ」と納得いかぬようすだったらしい。で、数学や物理の教授たちが「ギリシアは基礎教養。おれらのがよく知ってるぜ」と、休み時間の教授ロビーなどでよじた先生にいろいろと質問をぶつけてきたそうだ。吉田先生は、それらをことごとく論破してしまったという。 
 話をもどすが、独立直後はアメリカもボンビーだったから、そうしたヨーロッパの輸入にたいして金をかけることはできなかった。しかし、前述のように南北戦争以後、産業が発達して金まわりがよくなると、美術品をはじめとしてとにかく「ヨーロッパ」を買い集めた。NYのメトロポリタンやDCのMuseum of National Artには名作、名画がごろごろしているが、これらはみんな19世紀のこの時期に買い集めたものだ。おもしろいことに、その多くが個人コレクションによるものだ。だから、○○氏コレクションといえかたちでまとめられて紹介される場合が多い。コレクターがスポンサーとなって才能を育てる風土は日本にはあまりなかったし、これからもなさそう。100万円くらいなら、その場で小切手をきれる金持ちは日本にもけっこういて、「まあ、このガレの花器が100万円なの。おやすいわ。いただいていこうかしら」ということは多々あるが、おなじ金額をぱっと若い才能に投資するという文化はあんまりないよなあ。
 とにかく、南北戦争以後のアメリカは一種のバブルで、ヨーロッパとの交流も盛んで豪華客船による欧州ツアーなども行なわれた。トウェインも旅行記作家として同乗してルポをかいて、それがストセラーになったりもした。ラフカディオ・ハーンもそうした旅行作家でデビューしたひとりだ。この時代、海外旅行はやはり上流階級の人間にのみゆるされた娯楽で、庶民がそうしたまだ見ぬ外国の情報を知るには本がいちばんだった。
 トゥエインは利代子雨期のなかで、西部の田舎育ちのラフな精神で、東部のお上品にかしこまった連中、そして古いヨーロッパの文化であればなんでもあこがれてしまう彼らを痛烈に皮肉りました。これがあたりにあたった。
 トウェインは、そうした取材の航海で知り合ったある青年の姉に求婚する。たいへんな東部の名家のご令嬢だ。トウェインは酒もたばこもたしなみすぎていたが、そんな人は紳士しゃないと、令嬢にいわれ、すごい努力をして結婚する。はじめ、記者というかフリーライターなんていうあやしげな商売の男など信用ならんという態度だった令嬢の父親もさいごはおれて。トゥェインに事業の経営権をあたえたりしている。 
 1873年にトウェインは初の長編小説をかく。その名も「金メッキ時代」、中身は真鍮のくせに外だけぬりたくったまさに時代を皮肉った作品だ。とくに政治と産業がむすびつき。賄賂がはやりまくつた時代でもあつたので、そのことをトゥエインは徹底的にあざけった。でも、トウェイン自身はお金もすきで、「そうはいっても金っていいよな」という態度だったので、皮肉の先に新しい提案をしめすというようなことはしていない。要するにその程度の作品だ。それはまさに結婚したトゥエインが混乱していることのあらわれだった。つまり、トゥエインはふたつの価値のあいだをゆれ動いていた。それは妻との価値感のちがいを克服しようとする苦しみに起因することはいうまでもない(ここ、ドニファン調で)。自由もいいが、秩序もだいじ、野性もすてがたいが文明も重要、田舎も美しいが都会も魅力的といったぐあいだ。この振れ幅の大きさがじつはトウェインの魅力なのだが……。
 わけがわからなくなったトゥェインが、なつかしく思ったのはあのハンニバルののどがで「ハチがブーンといっている」ようなくらしだった。それでね彼は1876年、ついにトム・ソーヤをかくのである。
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