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オーウェルのボールペン 05月20日 (火)
 先週の火曜日、すなわち13日の夕刻。ロジャー・パルバース氏がラボ・センターにあらわれた。仙台での講演とWSを終えて新幹線にのり,その足でやってきのだ。
 この夜は,画家の堀越氏と会う予定になっていた。この二人は,『ノアのはこぶね』の絵の打ち合わせをした夜,はじめて顔をあわせたのだが,なぜかはげしく意気投合し,仕事がおわったころ,もういちど会おうという約束をかわしていた。
 ラボ・ライブラリーの制作には,さまざまな分野の専門家が参加するが,おたがいが顔をあわすということはあまりない。もちろん,ラボ側とはそれぞれ綿密な打ち合わせをするが,専門家どうしが分野をこえて会うということは少ない。
 その最大の理由は,なにより多忙なメンバーだからスケジュールをあわせるのがきわめて困難ということだ。また,あくまでも作品をとおしての協力であるので,人格的な影響をうけないほうが,ビュアに作品と向き合えるという思いも多少はあるかもしれない。しかし,結果としてできあがってくる作品は,打ち合わせをしたとしか思われないほどシンクロしたものになることが多い。
 これにもいくつか理由がある。まず,それぞれが一流のプロだから,提示された作品のコンセプトをつかまえる理解力と,それを展開する表現力にすぐれているわけで,ひとつのテキストをベースに仕事をすれば,当然にも結果としての表現に通底するもの生まれてくるということだろう。
 そして,もうひとつ忘れてはならないのは,時代の気分というか同時代の精神だろう。これは,偉大な建築思想家であるギーディオンが,名著『時間 空間 建築』(東京大学出版会 太田実 訳)のなかでいっていることであるが,「空間の認識,捉え方などは,同時代に生きる建築家,画家,音楽家,数学者,文学者などのあらゆる分野の専門家共通のものがある」ということだ。政治・経済といった力学的な時代精神だけでなく,空間認識こそが,イメージの展開において意味をもつとギーディオンはつづける。彼は,20世紀初頭のビカソのキュービズムへの発展を例にとり,この美術界に衝撃をあたえた画法が,ラバチェフスキーやリーマンなどの非ユークリッド幾何学の発展に見られる「空間認識変化とひろがり」という同時代的空間認識であると述べている。さらには1989年のパリ万国博覧会のエッフェル塔をとりあげ,塔の内側を移動するエレベーターから見た空間の視覚的変化は,まさにピカソへとつづく空間認識の確信であり,そうした同時代精神は19世紀末からゆるやかにひろがっていったと指摘する。
 今回のラボ・ライブラリーもまた,世紀末の抑圧から新世紀への期待,そして落胆という時代の流れと無縁ではないだろう。その象徴ともいうべきアメリカのイラクへの攻撃は,皮肉にもギルガメシュ叙事詩の舞台への攻撃となった。今回のラボ・ライブラリーには,音楽家も画家も作家も,「いさかうことをやめぬ人間への怒りと哀しみ」をその作品にメッセージとしてころていることはたしかだろう。だが,それは表面的な主題であり,その本質は,パルバース氏のいう「虹はかかるか」,すなわち「人類の救済の可能性はあるか」にある。 
 話はでかくなってしまったが,ともあれめずらしくも,画家と作家は出会うこととなった。それもまたたのし。
 ラボ・センターの応接室で堀越氏をまつあいだ,パルバース氏ととりとめなき会話。講演のあとなので,こみいった話もいやだろう。
 「ことばの宇宙」のワードプロフェッショナル烈伝で紹介したトンバ文字(雲南省にすむナシ族の象形文字)のジョセフ・ロックの話に氏はいたく関心をしめす。
それからやっぱり,『ノアのはこぶね』『バベルの塔』のはなしになって(やっぱり気になるんだなあ),「ジョージ・オーウェルよりおもしろいかも」と
ややヨイショすると,氏は「さっき,ジョセフ・ロツクの話をきかせてくれたから,オーウェルのおもしろす話をおしえましょう」と,つぎのような話をはじめた。
??ジョージ・オーウェルは,イギリスの作家で『動物農場』や大作『1984』(1948の下二桁をひっくりかえした)が有名だが,若いときはあまり売れず,晩年にこれらの作品を書いて死んでしまった。オーウェル(このときは著名になっていた)が病をえて,ペンをインクつぼにつけるという細かい作業ができなくなった。そのことわきいたフランスのヴィックという人が,オーウェルにインクつぼにひたさなくても,書きつづけられるペンをつくって贈った。これが,世界最初のBallpoint pen,すなわちボールペンである。ヴィック・ボールペンの誕生である??
 ヴィック氏は,これで大金持ちになったそうな。
Re:オーウェルのボールペン(05月20日)
ざわざわさん (2003年09月09日 21時13分)

大人のラボをやっています。ナーサリーライム に取
り組んだところ、ジョージ・オーウェルの『1984年』を読まれた方がいら
して、大変感動されていました。

それでわたしも今までご縁のなかったオーウェルについて知る事が出来まし
た。ですからこのエピソードも知っていればこそのおもしろさですね。
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