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番外☆祈るということ 08月08日 (水)
ちょっとさかのぼりますが、1日に光明園というところに
行ってきました。
教会の牧師夫妻と、教会員の方数名といっしょに、
夏休みということで教会学校のこどもたちも同伴することに
なりました。

正式には、国立療養所邑久光明園といいます。
全国に13ある国立ハンセン病療養所のうちのひとつで、
岡山市の東南35Kmの瀬戸内海に浮かぶ、長島という
とても美しい島にあります。
ここにある光明園家族教会というところに、牧師が月1回訪問して
ともに祈祷会を行っています。

「ハンセン病」や「らい予防法」ということばは、
ニュースで何度か聞いたことがありましたが
それまで詳しいことは何一つ知りませんでした。

こどもを連れて行くということもあり、こどもたちにも
きちんと説明してやりたかったので、光明園のHPやその他の
ハンセン病に関する記事を読んだりしました。

すべてのことは書ききれませんので、ぜひご自分で一度
お調べになってください。ひとりでも多くの方に知っていただくことが
必要だと思います。

光明園のHPより一部抜粋します。

ハンセン病については、簡単に述べますと、
らい菌によって引き起こされる慢性の感染症です。
この菌は神経組織との親和性が高く、
末梢神経がおかされることによって生ずる神経障害が
もっとも重要な症状です。
現在では、抗生剤を中心とする治療法が確立されており、
完治する疾病です。しかし、1943年までは有効な治療法が
なかったため、現在当園に入所しておられる方々の大部分は、
重複した障害を後遺症として残してしまいました。
早期診断と早期治療が重要で、最近診断される新しい患者さんの
ほとんどは、障害を残さずに治癒しておられます。

この病気は、顔や手、足など目に付きやすいところに障害が出ます。
また視力にも影響が出ます。ニュースなどで過去に感染された方を
見たことがある人もいると思います。
ですから、他の病気よりもひどく恐れられたのだと思います。
感染が認められた人は半ば強制的に療養所に連れてこられたようです。
農作業中に、拉致同然に連れてこられた方もいたそうです。
こういった強制隔離は「らい予防法」で定められたものでした。
この「らい予防法」が廃止となったのが1996年(平成8年)4月1日。
つい最近のことでした。
法律的には療養所の人は自由に出られることとなったのですが
入所者の平均年齢が74歳、そして重複する障害のために、そのまま
療養所に残る人がほとんどだったそうです。

こどもたちには、病気のために家族と引き離されて
そのまま家族と会えなくなってしまった人たちなんだと説明しました。
愛するこどもと離れて暮らさなければならなかった人も
たくさんいるので、はっちゃんやのんちゃんがいっしょに
行ってくれるときっとみんな喜ぶからね、と言うと
すんなり「行きたい」と言ってくれました。

でも、そういうわたしがいちばん不安だったかもしれません。
こどもたちが怖がってしまったらどうしよう。
わたしの不安な気持ちが伝わってしまったらどうしよう。
行きの車の中でも、ずっと行っていいのだろうかという不安で
いっぱいでした。

光明園家族教会は、一見、ふつうのお家のようでした。
屋根に十字架があったので、かろうじて教会だとわかりました。
中には8名ほどの教会員の方がいらっしゃいました。
「おはようございます」と入っていくと
とっても元気なハリのある声で「よくおいでくださいました」と
迎えてくださいました。

祈祷会が始まり、賛美歌を歌ったり、聖書を読んでその箇所の
おはなしが牧師からあり、その後、参加者の祈りの時間が
もたれました。

祈り、というとわたしたち日本人は
「○○になりますように」というようなお願いを想像しがちですが
教会ではまず、神様に感謝することと、
そしていま起こっている問題を神様にゆだねる、
ということが多いようです。
わたしもまだ新米クリスチャンなので祈りには慣れていません。

光明園家族教会の方も次々と祈られます。
目をつぶり、頭を垂れて聞いていると、目が熱くなってくるのを
感じました。

たくさんの感謝。一瞬一瞬の喜びを「ありがとうございます」と
語られます。それを聞いている人たちも、そのたびに
「アーメン(真実です)」とつぶやかれます。

そして、自分自身のことは何一つ祈られず
自分より辛い状況に置かれている「病友」のために祈り、
牧師のために祈り、わたしたちのために祈り、
戦争で被害を受けた人たちのために祈り、
世界が平和でありますようにと祈られました。

わたしは、自分がとても恥ずかしく思えました。

こんなにたくさんのものが与えられているのに
いつも不満でいっぱいで、よくため息をついたりします。
感謝することより、感謝されたいと思うことが多かったりします。
自分のことで精一杯で、見たこともない人のために
心底から祈ったことがあっただろうか、と思います。

祈祷会が終わり、みんなでお茶をしました。
みなさん、とても気持ちのよいお声で笑われます。
中学生の子がピアノを披露し、はっちゃんも右手だけの
きらきらぼしを披露しました。

最後にはこどもたちと握手をしてくださり
またおいで、と言ってくださいました。

帰りに、その方たちが住んでいる住宅地のなかを通りました。
長屋のような細長い平屋に、びっくりするぐらい近い間隔で
ドアがついています。たぶん、ちいさな一部屋くらいしか
ないのだと思います。
とても暑い日でしたので、そとを歩いている人もいません。
時間が止まっているような感覚がしました。

本土へと続く邑久長島大橋にさしかかったときに
「1988年(昭和63年)竣工」という文字が見えました。
わたしが16歳のときまで、
この島は本土と切り離されていたことになります。
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