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ことばの宇宙に載っていた
おりがみのフレデリックを作ってみました。
今日のメンバーは新2年生2人と3歳。
おりがみも一苦労^^;
「あー、トラブル発生!!」
「こっちも、トラブル発生!!!」
「なんか、ブタになってしもうた。」
「空気入れすぎやん(笑)」
とトラブル続出でしたが何とか完成!
がんばって作ったので愛着がわいたのでしょう。
「今日はこれでやりたい!」
さっそく山で拾ったどんぐりと、
うさぎのまるちゃんの干草をちょっと分けていただいて
部屋にばらまきました。
「かくれがはテーブルの下な。」
「そこは雰囲気でぇへん、階段の下やろ。」
「ちゃんと口から草入るで!」
ちょこちょことのねずみを走らせながら
たのしそうに遊んでいました。
これくらいの子どもにとって
自分がのねずみになるよりも、実感が湧くのでしょうね。
とってもスムーズにおはなしが進みました。
フレデリックはみんなが気に入ってもう2ヶ月め。
お休みが入ったりで抜けたりもしましたが
飽きずによく遊んでいます。
そのなかで、だんだんとこどもたちの様子が変わってきました。
ほかののねずみ役の子たちは最初、
「もう、フレデリックもはたらきよ!」
とフレデリックに冷たかったのですが
今日は何にもしないフレデリックに
「フレデリックもひとつどうぞ」と
うさちゃんがどんぐりを持っていってあげていました。
ストーリーがまるごと受け入れられたということでしょうか。
現実世界でも、フレデリックのように
一見何にもしていないように見える子に対して
「この子もフレデリックみたいにすごいものをもってるのかな?」
なんていう見方をできるようになっているといいな。
それって大人の欲目でしょうか^^;
パーティ終了後は、岩屋谷公園でお花見をしました。
うさちゃんのお母さん、妹も合流です。
ちょっと肌寒かったけど、こどもたちはそんなの関係ねぇ、ですね。
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GTS-1『ひとつしかない地球』のDISC3
トラック4に収録されている"Today"。
わたしはこの曲がとっても好きで、聴くとこころが
とってもやさしくなれるのです。
誰の曲なのかなぁと、調べてみたら
ジョン・デンバー(John Denver)という方が
歌っていらっしゃったそうです。
が、1997年に自ら操縦する自家用小型飛行機の墜落事故で
既に他界されているとのことでした。
"TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS(故郷へ帰りたい)"
は、きっとみなさんよくご存知だと思いますが
彼の代表作でもあります。
先日、何気なく見ていたテレビでジョン・デンバーさんに出会いました。
島田紳介さんの司会で「深イイ話」を紹介する番組だったと思うのですが
(まちがっていたらごめんなさい)
当時人気があった頃に、ジョン・デンバーそっくりコンテストが
各地で行われていて、面白そうだからと本人が
「そっくりさん」として出演したんだそうです。
結果は3位だったかな^^;
「本人より華がない」とか「もっと練習したら」って
審査員にアドバイスされたそうです。
そんなおちゃめなところを垣間見て、
ますます好きになってしまいました^^
今日、こどもたちとひさびさにレンタル屋に行ったので
ジョン・デンバーのCDを探してみました。
ベスト盤がひとつだけありました!
残念ながら"Today"は収録されていませんでしたが
どの曲もここちよい、あたたかみのある歌声ばかりです。
他に聴いたことがあったのは"MR. BOJANGLES"。
どこで聴いたのかなぁ・・・
目を閉じて聴いていると、
どこまでもまっすぐで、どこまでいっても景色の変わらない
アメリカのハイウェイを車でただただ走り続けている、
そんな情景が浮かんできます。
"Today"が好きな方、ぜひ他の曲も聴いてみてはいかがでしょう。
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昨日1日間違えた姫路テューターのみなさんとのミーティング。
主人が急に休みが取れたとのことで、こどもたちを預けて
身軽に行ってまいりました。
わたしのような若輩テューターの意見も、
きちんと受け取ってくださる先輩テューターの方々。
いつもありがとうございます。
そこで出たのは「五人寄れば文殊の知恵」ということば!
多ければ多いほど、いろんな意見が出ます。
多くなりすぎると収集がつかないこともありますが^^;
ラボでは、テューターも育ちあいなんだと感じます。
相生駅には、電車が1時間に2本しか通りません。
電車に乗るときはたいてい本を一冊、カバンに忍ばせます。
長い電車の待ち時間も「ちょっとラッキー」と感じます。
今回お供をしてくれたのが
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』。
これは『沈黙の春』と合わせて、
前々から読んでみたいなぁと思っていた本です。
出会うべき本とは出会うようになっているようで
ラビーの仲介をしてくださった方から
いぬのしつけ本といっしょに「よかったからこれも読んで」と
貸してくださったのです。
その本に掲載されている写真を撮られたのが、
その方の高校の恩師なんだそうです。
レイチェル・カーソンさんが甥のロジャー
(実際は姪の息子だそうです。)と
自然の中で過ごした日々のことを書き綴っておられます。
その描写はとても繊細で、その風景や色、音、空気の温度、匂いまで
感じられるほどです。まるでフレデリックですよね。
駅にいることを忘れて、帰りの電車に乗り損ねるところでした。
訳者あとがきも含めて60ページの本ですので
ぜひ一度お読みになられるといいと思います。
わたしのこころに染みた一部を抜粋します。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に
話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、
生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」
を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの
「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを
子どもといっしょに再発見し感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
(中略)
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか
頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと
固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものに触れたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情が
ひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについて
もっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、
事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を
切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
「センス・オブ・ワンダー」
レイチェル・カーソン
上遠恵子訳
新潮社
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3日に予定していた姫路のテューターとの集まり。
春休みボケでしょうか、1日間違えてしまいました。
駅について某テューターに「着きましたメール」を送ったら
「明日ですよ」とのお返事!
そこまで気づかないとは・・・^^;
こどもたちには「もう、おかあさん!」と呆れられるし。
せっかくなので姫路で遊ぼうかということに。
予定では集まりの後、姫路城か動物園に行こうかと
こどもたちと話していたのですが、
あまりにも時間がありすぎるので・・・。
前からはっちゃんが見たがっていたドラえもんの映画を見ることに。
『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』
あぁ、予定外の出費(T_T)
こんなつもりではなかったので、
小学校でもらっていた映画の割引券も家に置いてきてしまったし。
最初は渋々だったのですが・・・
これがとってもいい映画でした^^
今回、ドラえもんはほとんど道具を使っていません。
それだけ、伝えたいメッセージが強かったからかも。
小さな子どもたちにこのメッセージはちゃんと伝わったかな。
いや、でもこれは大人たちへのメッセージなのかも。
一緒にこの映画を楽しんだ、大事なこどもたちのために
この地球を守っていかないとね。
小さなこどもがいないとなかなか見る機会もないかもしれませんが
大人のみなさんも、もうドラえもんは卒業というこどもたちも、
ぜひご覧になってくださいね。
そうそう、映画のクライマックスでわたしも泣いたのですが
3歳ののんちゃんも声をあげて泣いていました。
物言えぬ頃からラボで物語の中へ入り込むことを続けてきたのんちゃん。
見ていて気の毒なほど、どんなものにでも感情移入してしまうようです。
ラボで育つ感受性をあらためて実感しましたよ^^
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今日の牧師の説教は
今まさにわたしが必要としていることばだったかもしれません。
忘れないうちに記録しておきます。
牧師は、あるおばあさんからこんな質問をうけたそうです。
「先生、神様は本当にいるのでしょうか」
「わたしにもわかりません。わたしも見たことがありませんから。」
と牧師は答えました。
そしてそこにあった湯のみを差し出して
「ここに、湯のみがありますか、ありませんか?」
と逆におばあさんに質問されました。
おばあさんは、くすっと笑われたそうです。
「変な質問ですよね。
目の前にあるんだから、それはあるとしか言いようがない。
目の前に見えているものは『信じる』という対象にはなりません。
あるかどうかわからないから『信じる』のです。
『見えないから信じられない』というのは
実は『信じたい』という気持ちを含んでいるものなのです。
天気がよくなる、と信じるのと
天気がわるくなる、と信じるのと
どちらがこころが安らかでしょうか。
聖書にも
『信じない者にならないで、信じる者になりなさい』とあります。」
・・・というお話でした。
ラボで身につく力(英語力・社会力)は、神様の存在のように
そこにあるかないか、目には見えにくいものです。
だからといってそれは『信じられないもの』でしょうか。
目に見えないからこそ、信じる価値があるのではないでしょうか。
『ことばの宇宙』2008年春号で
田島信元先生がおっしゃっています。
「ラボの体験を途中でやめてしまうことは
将来の宝物をドブに捨てるようなものだといっていいでしょう!」
信じて続けていれば、きっと自分の中に宝物が見つかる。
そういうことですよね。
わたしも、子どもたちと一緒に、そんな宝探しの旅に
もう出発しているのだな~と思うと、なんだかワクワクします。
ひとりでも多くのこどもがラボと出会い
少しでも多くの時間をラボで過ごしてくれるように。
そんなラボとの出会いのチャンスを作っていくこと。
それがいまのわたしに与えられた仕事なのだと思います。
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たまがわのヨッシーさんこと
神奈川の西岡テューターから
姫路の実家に帰りますよとご連絡をいただき
これは、めったにないチャンス!と
こどもたちを連れて姫路まで会いに行ってきました。
電車とバスを乗りついで
のどかな田園に降り立つと
そこには笑顔の西岡テューターが
待ってくださっていました。
西岡テューターのあたたかくてどこか懐かしいお人柄に
こどもたちもすぐに打ち解け
バス停で初めて会ってご挨拶をしたばかりなのに
当たり前のように手をつないで歩いていました。
お茶を頂きながら、
写真を見せていただいたり、
西岡パーティのこどもたちのお話、
ご自身のお子様のお話など
ラボとともにあった15年をお話くださいました。
やっぱり試行錯誤だったわよ、
でもソングをやってテーマ活動で遊んでという
それだけはずっと変わりなかった。
そのことばがずっしりときました。
同じことを信じてずっとやり続けるということは
並大抵の覚悟ではできません。
それを貫いてこられて、いま確かに見えるものがある。
西岡テューターは何かをわたしに教えよう、訴えよう
とはされませんでしたが
たくさんのことを教わった気がします。
わたしもまた自分のパーティと向き合って
1日1日、一瞬一瞬をたいせつに
わたしのラボの時間を刻んでいきたい。
そう思いました。
のんちゃんは、西岡テューターのお膝に座ったり
絵を褒めていただいて、とってもうれしそうでした。
はっちゃんは、築180年のお宅のリフォーム現場を覗けて大満足。
大工になりたいという夢を、またさらに強くしたようです。
西岡テューターのお父様にも
子育てとは、という貴重なお話を聞かせていただいたうえ
帰りは駅まで送っていただきました。
「こどもに人格などない!甘やかしたらあかん」という一見厳しいご意見も
今の時代もう一度よく考えてみる必要があるかも、と思いました。
そのお父様に育てられたのが西岡テューターですから^^
帰り際、こどもたちに手を振られて
ちょっとはずかしそうに、すこし寂しそうに
車に乗り込まれたお父様の姿が脳裏に焼きついています。
西岡テューターに、そしてお父様にも
またお会いできる日が来るのを楽しみに
これからもがんばっていこう!と思います。
西岡テューター、お忙しい中、お時間をつくってくださって
本当にありがとうございました。
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相生市次世代育成支援対策推進協議会委員。
はぁ、なんとも長ったらしい名前!
実は昨年の12月に、この委員の
子育て中の保護者代表として選ばれました。
広報に公募の案内があったので送ってみたら
手を挙げたのはわたしだけだった^^;ということなんですが。
12月に第1回があり、今日は2回目でした。
1回目は子供を連れて行かざるをえない状況になってしまい
嫌な顔をされるかと思ったら、あたたかく迎え入れてくださいました。
今回はお友だちのお母さんが2人を預かってくださったので
身軽に行って参りました。感謝感謝です。
委員の方々はさまざまな方面から。
大学准教授、小児科医師、幼稚園園長、小学校校長会代表、
連合自治会会長、まちの子育てひろばコーディネーター、
主任児童委員、母親委員代表、保育所所長、育児支援グループ会長、
教育委員会の方、福祉課の方・・・
そのなかにぽつんとわたし、一般人^^;
今行われている次世代育成支援行動計画の実施状況の説明を受けて
疑問に思うこと、改善したほうがよいと思うことなどを
討議する場のようです。
この委員で話し合われたことは、後期計画(平成22年度~)の
策定に意見として取り入れられるそうなので
言っときたいことは言っておかないと損ですし、
保護者代表として行っているんだから、子育ての現場の意見は
しっかり主張しておかなければなりません。
とは言え、他の方はほとんど発言されませんので
手を挙げるのはわたしばかり・・・
いちばん暢気に意見を言いやすい立場ではありますが。
ここであげた議題がどれだけ後期計画に生かされるのか
う~ん・・・ってとこはありますけど
やっぱり言うべきことは言っておかないと、ね。
議長の大学准教授の方とは、ずいぶん考え方が近く、
まずお母さんが元気じゃないとね、という話になりました。
子どもの支援も大事ですが、その子どもをいちばん支えている
お母さんにもっと手厚い待遇を希望しますと、
今日はそこを強調してきました。
こういうお堅い会議でも自分の意見を言えるようになったのは
ラボに関わったおかげ(関わったせい!?)かなと思います。
ちょっと前までのわたしなら、きっと応募することもなかったでしょう。
いろんなところに顔を出すのも、勉強になりますね。
次回、また会議がありましたらご報告します。
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昨日、国立療養所邑久光明園(ハンセン病療養所)にある
光明園家族教会に、牧師夫妻とこどもたちとお邪魔しました。
前回の訪問は、去年の夏休みでした。
前回の日記を読まれていない方はこちらから↓
https://www.labo-party.jp/hiroba/top.php?PAGE=miyagi&MENU=DIARYDETAIL&DIARY_ID=40098
(リンクが貼れません、コピー&ペーストしてください。)
相変わらずみなさん明るくてお元気で
あたたかく迎え入れてくださいました。
こどもたちも「こどもさんびか」から2曲、
さんびかをプレゼントしました。
家族教会で長年牧師をされていた津島先生が
本を出されたそうです。
といっても、先生は視力を失っておられますので
口述筆記をされたそうです。
とても厚い本で、これを出版されるのに
相当の時間と労力、そして精神力も必要だったと思います。
先生のお祈りは、フレデリックの詩のように
あたたかいお日様の光であふれています。
読んでみたいと思い、帰ってからオンライン書店で
取り寄せてもらうよう注文をしました。
どの書店もすぐの取り扱いはないようですが
ぜひ取り寄せていただき、一人でも多くの方に
ハンセン病について、それに苦しめられてきた人たちのことを
知っていただきたいと思います。
「悩みの日にわたしを呼べ」
津島久雄 著
新教出版社
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日曜日のイースター礼拝の後、クルマで3時間かけて
大阪府阪南市にある主人の実家へ。
その日のうちにじいさん・ばあさんを乗せて相生に帰ってきました。
ラビーがいますから、泊まれません。
「ラビーを見せてびっくりさせたい」というこどもたちの希望で
帰ってくるまで内緒でした。
じいさん・ばあさんはびっくり。
じいさんの一服場所だったデッキがラビーの小屋になったので
じいさんはちょっと悲しかったかしら・・・
そして今日、はっちゃんの修了式が終わり、
お昼を食べて少し休んでから、家の裏にある岩屋谷公園から
登山道を上がって天下台山山頂まで
親子3代、6人で上がってきました。
下から見上げるとそんなにピークっていう感じではありませんでしたが
登ってみてびっくり!
360度のパノラマって、聞いてはいたけどこれほど爽快とは!
しんどかったけど登った甲斐がありました。
2回目のはっちゃんもさらに自信がついたようだし、
途中ちょっとぐずったのんちゃんもほとんど自分の足で登り
3歳なのにすごい!とみんなから絶賛されてうれしそうでした。
日頃水泳で鍛えているばあさんは大丈夫そうでしたが
じいさんは下りでひざが辛そうでした。
でも「苦労した価値があった」と言ってくださり
無事降りてこられたのでよかったです。
このメンバーで往復3時間半ですから、普通はもう少し早いでしょう。
お近くの方、ぜひぜひ一度登りに来られたらいかがでしょうか?
これは、ホントに価値ありますよ~。
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教会学校でイースター早天礼拝をしました。
あさ8時、公園の芝生広場に集まり礼拝をもちました。
のんちゃんは起きられずだったので
お父さんにお任せし、はっちゃんと2人での参加です。
イースターって何だかわかりますか?
タマゴ探しのゲームをする日だと思っているこどもたちも多いでしょう。
神の子イエス・キリストが人間によって十字架にかけられて殺されてから
3日目によみがえって復活したことを祝う日なんですよ。
十字架にかけられることも、3日目によみがえることも
すべて神様の計画にそって行われたものでした。
神様との約束を守らず、勝手に生きて自ら苦しい思いをしている人間たち。
そんな人間たちを救うために神様はそのひとり子であるイエスを
人間の世界に送りました。
病人を治したり、奇跡を起こしたりしたイエスですが
人間たちは神の子と認めようとはしません。
それどころか、自分たちの邪魔になることを恐れて、
人間はイエスを十字架にかけて殺すことにしました。
それまで慕っていた弟子達も、自分たちも巻き込まれるのではないかと
逃げてしまいます。
十字架にかけられ、息をひきとったイエスは布に巻かれ墓に入れられました。
翌朝、イエスを慕っていた女性たちがイエスの体をきれいにしようと墓に行くと
イエスの遺体はなく、白い服を着た人がいました。
その人は「イエスは復活されました」と告げます。
このことを女性たちも、弟子達もたいへんよろこびました。
わたしたちが神様と向き合って生きていくことができれば
肉体が死んでも、あたらしい命を与えてくださる。
イエスはそのことを命をかけて証明してくださったのだと。
そして大事なひとり子であるイエスを殺すことによって
人間をそれほどまでに愛していると、神様は証明されたのだと。
その復活を祝う「復活祭」が「イースター」なのです。
イースター・エッグ(たまご)は、殻を割ってひよこが出てくる姿が「復活」をイメージさせるのでしょう。
イースター・バニー(うさぎ)もたくさん子どもを産むということでその象徴となっています。
教会ではイースターの46日前から受難節に入ります。
イースターはクリスチャンにとっては、クリスマス以上に重要な日なのです。
あなたをこの世に送ってくださった神様は、
いまのあなたが抱えている問題、苦しみを思って
神様自身も辛い思いをされているかもしれません。
あなたが笑顔で元気に楽しい人生を歩まれることを願っている神様がいらっしゃる、
ということを年に一度思い出してみるのもいいことかもしれませんね。
以上、「イースター」のマメ知識でした。
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