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流れる雲を追いかけるこどもたちの遠い瞳が好きだ。ぼくたちは! 04月30日 (木)
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写真は東京青山の根津美術館の庭園

三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。

たいへん残念なお知らせがある。

もう1年の3分の1年が終わってしまった。

ホットとしたり笑ったり「けっ」とかいった人よ。
月日の過ぎ去るはやさはたいへんなものなのだよ。
まさに「百代の過客」(はくたいのかかきゃく)、
次つぎ通り過ぎて帰ってこない旅人なのだから。

昨日はオフだったので、
夕方、例によってフライイングでラボ・カレンダーをめくった。
それが掛けてあるのは事務所の壁で
机にすわると背中側。

晩春の夕まぐれ。
あかりをつけた瞬間。
鮮やかな黄色がとびこんできた。
『長ぐつをはいたネコ』Puss in Bootsに題材を求めた作品。
作者は 添田春佳(小1/川崎市・川上P)さんである。
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原作の物語はシャルル・ペローCharles Perraultによる
たいへん有名な童話であるが、
ラボ・カレンダーの応募作品としてはきわめてめずらしい。

その理由はこのラボ・ライブラリーSK13を所持している人なら
「そうだよな」とすぐわかる。
ラボの絵本テキストの絵は
中西夏之先生の緊張感と自由さが同居する
曲線を中心とした抽象画だからだ。
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中西先生のことは後ほど書くとして
この添田さんの作品をよく見てみよう。

まずおどろかされるのはネコの大胆なイエローである。
それでふと思ったのだが、
ラボの絵本の原画が抽象画である以上
その模写ではないことはたしかだ。

また、なにか別の絵本を参考にしたのだろうかと
推測もしてみたが
これだけまぶしい黄色のネコを
登場させている絵本も動画もたぶんない。
また、多くの、というよりほとんどの作品が
ダルタニアン風のつば広の帽子をかぶり、
衣服を身につけさせているが
添田さんのネコは長靴だけだ(それも両手両足?)。

さらに、背景のピンクやオレンジと水色のドット、
また城のような建物や草花の
デフォルメの仕方も考えると

おそらく添田さんの想像によって構成された作品だと
いわざるを得ない。
最大限にきびしくいっても
ネコやネズミのフォルムを
なにかから参考にしたかもしれないが
この作品のオリジナリティに影響することではない。

場面は物語のクライマックスで、
なんにでも変身できると豪語するオーガ(大男)に
小さなネズミは無理だろうと挑発し
まんまとそれにのったオーガを
ネコが食べてしまうシーンであろう。

躍動感にあふれ、まさにネコ科の動物が
獲物にとびかかるときの動きがビビッドだ。
添田さんはネコを飼っているのだろうか。

この物語のネコは粉屋の息子に相続されてから、
突然擬人化する。
しかし、このネズミを食べてしまうシーンでは
一瞬に「げだものの本性」をあらわにする。

よく考えるとおそろしくも生々しいか゛
添田さんの作品では
「ごっつぁんでーす」というネコの笑顔と
「あーれー」とパニックするネズミの表情が
生死の境のストレスをふっとばしている。

余談だが
民話、伝承話は近代以降の価値観からみて残酷である場合と
「桃太郎」などのように
「鬼全殺し」(のこらず鬼をうちはたし)
のような残虐的なストーリーでありながら
具体的描写がないために
血の匂いや生理的残忍さが感じられない場合がある。
りせのりせ
さて絵にもどる。
注目すべき点はいくつもあって順番がむつしかしいね。

大胆な黄色のネコ(かなりの面積だ)にまけないように
背景にも鮮やかな色彩が
これでもかと使用されている。
しかもどれも「原色に近い」明るい色だ。

ふつうこれだけ明い色をならべると
にぎやかなだけになってしまいがちだが、
なんといっても黄色のネコがパワフルなので
バランスがとれているのだと思う。

建物や旗の色もとってもデザイン的で
かっこよくてオシャレである。
建物のラインも縦系、横系、さらにL字と自在なのもいい。

そして、旗を天の中央に置き、
建物をその左側にまとめたのはすばらしい感覚だ。
逆にネコのおなかの下、すなわち画面の右下の空間に
花をもってきたのもすごい。

これらによって、動きのなかにバランスがつくりだされている。
だから空間構成にまったくムダがないのだね。

しかしもっと感動するのはネコの背景のピンクの帯である。
これがまた天地、つまり縦の空間をおもしろくしている。
空の面積がちょうどよくなっただけでなく
絵全体に奥行きをだしているのだ。

また細かいことだが
食べられてしまうネズミまグレーがピンクに対する
見事な「さし色」になっていて、
思わず明日はピンクのシャツにシルバーグレーのタイを
着ようと思ってしまった。
そしてそして、飛び散らせたドットが
ステキの極みだ。
発想そのものがオシャレ過ぎる。

でももっとも「えらいなうあ」と思うのは
いつものことだが
これだけ描き込んだ体力と気力である。

そうした力は添田さんと物語の関係の深さから生まれたものであり、
いいかえれば
この描き込みのすごさは
添田さんが物語とどれだけ睦みあったかの
心の力学メーターでもある。

さらにいい過ぎれば
物語を聴き込み、テーマ活動をするといった
言語体験のくりくえしのあらわれだと信じる。

画材はクレパスと不透明水彩だから
これだけ描き込むには時間も体力も
かなり消費したはずだ。

でも、細部まで抜けたところがない。
というより、ひとつひとつを
たとえば雲にしても、
とても意識して描いているのが伝わってくる。

それは「うまく描こう」という気合でもなく
ましてや「うまいでしょ」といった
show off、見せびらかしでもない。
「わたしはこの物語がすき」「あなたはどう?」と
心を全力でてらいもなく開いてみせただけなのだ。

自慢やかっこつけがなく、
でも「この一枚」と全力で表現した作品は
多くの人を自然に心地よく添田さんの世界に
招きいれてくれる。

おおげさかもしれないが
茶の湯の精神に近い「もてなし」「馳走」を感じる。

4月の終わりは楽しいこともあったが、
かなり多忙でいささかばて気味だったが
この絵一枚で癒された。

原作となった物語はフランスの民間伝承をもとに
ペローが韻文、すなわち詩のかたちにしてまとめたものだ。
彼は児童が読むことを意識して
かなり伝承に手をいれている。

その意味では民間伝承の一次資料としての価値については
意見がわかれるが
なにせ最も古い童話であり、最初の児童文学でもあり
文体も美しいので
いろいろな研究者にとってはいまも魅力的だ。

ラボ・ライブラリーの絵を担当された
中西夏之先生は、御歳80の現在も
精力的に創作を続けられている。
若き日に「ハイ・レッド・センター」(高・赤・中)という
前衛芸術の徒党を組んだ高松次郎先生も赤瀬川源平先生も
すでにこの他界されたが
(SK13はこの3名の巨匠が描いている。あり得へん!)
中西先生にはまだまだ現役を続けていただきたい。

日常への懐疑という鋭いナイフと
自由奔放でありながら
ゆるぎない造形の力で
ぼくたちを覚醒させ続けていただきたい。
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青山の根津美術館はぼくが勤務する
武蔵学園の創立者、根津嘉一朗の私邸を
彼の没後に美術館にして
その絵画、書、陶磁器などのコレクションを
公開したのがはじまりだ。
現在の理事長は3代目の根津公一氏で
学園の理事長でもある。
スカイツリーと東武鉄道の
東武グループは弟の香澄氏が率いている。
そうした関係から
展示が新しくなるたびに
美術館からはポスターやパンフが
たくさん送られてくるが
美術教育は基礎教養のたいせつな部分だから
ぼくは積極的に中学生、高校生に
美術館に行こう! とアピールしている。
もちろんぼくも月一で行っている。

今は5月17日までの予定で
「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」
と題して尾形光琳展をやっている。

これはいかねばなるまいと
5月24日の午後、仕事を午前で切り上げて
いそいそとでかけた。
するとその日の朝、天皇皇后両陛下がご覧になり、
それをワイドショーが伝えたとのことで
平日なのにすごい観覧者数だった。
なにしろティケットを購入する行列ができていたくらいだ。

さすが尾形光琳。
国宝ダブル、燕子花図屏風、紅白梅図屏風は圧巻だった。
燕子花は昨年も観たが、紅白梅の実物ははじめてだ。
所蔵しているMOA美術館でも常設展示していないから、
ハイビジョン映像で観ただけだ。
いやしかし、光琳はすごいなあ。
ぶっとんでるしオシャレだし、繊細だし大胆だし、
リズムとメロディがあるし。
フェノロサが世界最大の装飾画家と讃え、
実弟の尾形乾山をして、
兄はなにを描いてもそれが模様になるといわしめたように、
極めてデザイン的でありながら、
生々しい季節の光と香りが伝わってくる。

特に夏草図屏風などは、
ガラス越しに夏草の息れと
まぶしい光を感じて身震いがした。
光琳は大呉服商だった父の遺産を放蕩のあげくにつかいはたし、
やむなく本腰を入れて絵を描くようになった
とんでもないでもない遊び人であった。
しかし、アーティストとしてのプライドは終生高かった。

平明で奥深く、鮮烈でありながら温かい。いやはやすごい。
尾形乾山との合作や光琳が影響を受けた
俵屋宗達、本阿弥光悦も展示されている。
光琳はsophisticateされていて官能的でもある。
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同行者は北原テューターと
ご友人でやはりもとラボっ子の佐藤裕子さん。
両手に燕子花と紅白梅の贅沢。
庭に降りると下の池にまだ僅かだが燕子花の紫が鮮やかだった。
前述したように根津美術館は
根津嘉一郎の私邸を改築したものだが、
わざわざ傾斜地を選んだ趣味の良さは、
本阿弥光悦の自邸だった光悦寺や
石川丈山の山荘だった詩仙堂にも通じる。
庭のカフェNEZUに数分まちで座れ、
ほどなく空いてきてゆっくりと紅茶を楽しんだ。
その後は、かねてからご案内すると約束していた
トスカーナ料理にお連れした。
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実は北原テューターとはふしぎな縁がある。
大学生のときラボと出会ったのも、
彼女の母上である故末テューターと
親戚同様にお付き合いしていた
河原林さんというICUの1年先輩の女性の紹介だ。
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この方に大学の階段で、ラボって知ってる? と声をかけられ、
目の治療で参加できないウインターキャンプに
シニアメイトとして行ってくれないかというのがそもそもだ。
河原林さんは、ぼくがその夏に参加した
ICUの野尻湖でのキャンプの先輩で
やたら目立ってバカをやっていたぼくに目をつけたのだが
美人に弱いぼくはほいほい引き受けたというわけ。

その縁で末テューターにはいろいろとお世話になった。
豪放磊落で面倒見がよく、
一方でアーティスト的でもある懐深い方だった。
ぼくはシニアメイト仲間とよく末パーティに遊びにいき、
まだ幼かった恵美さんをよくおんぶした。

その後、恵美さんは長じて航空会社に勤務されたが、
その時代の同期で親友の女性が、
なんと武蔵の同期で現在理事をしている植村くんの
奥様であることが昨年わかった。
恵美さんはご結婚後、ラボ・テューターになられた。
大宮で開設され、転勤で関西で再開設。
さらにまた大宮で再々開設された努力家だ。

詳しくは書かぬが個人的にも
悲しいできごとをのりこえてこられた。
その恵美さんには、先代への恩返しも含めて
なんとか激励をしたいと願っていた。

末テューターとの出会いがなければ、
今のぼくはないし、
口幅ったいが賢治や十五少年のライブラリーも生まれていない。

人の人生を大きく変えるラボ、おそるべし。
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