幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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活動の締めは揺れる映像/神話は思い出アルバム 08月01日 (月)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
「活動の締めには揺れる映像が
必要なのだ!」

八月葉月。August。
今年の大暑は7月23日だが、
そこから8月8日の立秋までの期間も
大暑と呼ばれる。
夏真っ盛りである。
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夏は全ての方向に輝いていて
心と身体も伸びしろの大きい
子どもたちにとってはとくに重要な季節だ。
色でいえば五行では夏は朱色。
火のイメージだ。

人生の時期にも
時期にも青春、朱夏、白秋、玄冬があるが
(注・玄人のクロね)
そろそろ白秋の身であるのに
「ずっと青春じゃ」と力んでいるのも
さすがに気持ち悪いと自覚するようになった。

久しぶりにラボ・ライブラリー以外に
題材を求めた作品の登場だ。
「ラボ・カレンダーの絵」の応募規定は
用紙のサイズと方向(横使用限定)以外は
「ラボ教育活動に関した題材」だけである。
過去を振り返れば、圧倒的に物語の絵が多いが
それでも何点かはラボ・キャンプや
ラボ国際交流をテーマにした作品が入選している。

描いてくれたのは川瀬依真さん(小1/千葉市・園田P)。
おそらくは昨年のラボランドでの
サマーキャンプに参加し(きっと初参加だろう!)、
帰宅してからその感動のままに
勢いで描きあげたのだと思う。

その感動がストレートに伝わってきて
カレンダーの前に立ったまま
ボロボロ泣いてしまった。
やはりぼくのラボ起点がキャンプであるだけに
どうしようもないのだ。

先日も書いたが、ライブラリー制作の夢は
ほとんど見なくなったが、
(でも年に一度くらい「テープ止めろ!」と叫んで
飛び起きることがある)
キャンプやラボランドの夢は
夏になるとよく見てしまう。
やりきったとは決して思わないが、
やり残したというのも傲慢だ。
仕事は「できたこと」と「できなかったこと」
が人生を引きうける。

さて、自分のことより依真さんの絵に戻ろう。
タイトルは「楽しかったラボ・サマーキャンプ」だが、
描かれているのは明らかにキャンプファイアーだ。
画面のどまんなかで、まさに「天まで焦がす」ごとく
燃えさかる炎が圧巻だ。
タッチが力強く、動きに満ちていて
熱量も伝わってくる。
依真さんも、
多分この絵を描き終わって相当疲れたはずた。

さらに炎の先端が火の粉のようになって
夜空に散り散りになっているのも
とってもlyricだ。

その夜空も暗めの藍系の上に
少し明るい青をかぶせているので
より「夜の深さと優しさ」が出た。
後で書くけど「アメリカの夜」
La Nuit américaine,のようだ。

そして、周囲に迫る森も炎に照らされて
明るく描かれていて気持ちがいい。
しかも枝もら ライトブラウンで複雑に描き、
葉もライトグリーンとライトイエローを
使い分けているのもおしゃれである。

キャンプファイアをモティーフにした
過去の作品の多くは
濃紺のバックに真紅の炎という色味である。
しかし依真さんの場合は、炎も夜空も枝やはも
ライトめの色を重ねていることで
新鮮かつ深みと奥行きのある絵になった。

特に茶色の面積が多いと
全体が暗くなって
なかなかうまくいかないことか多いのだが、
依真さんはファイアの枠組みや枝なども
地面とは色を変えた茶系にしたことで
すてきな色味になったといえる。

炎の周りには8名のキャンバーが描かれているが
やや鳥瞰気味に描いて奥行きを出しているのは
とってもすごいことだ。
(ファイアの枠組みにもパースが効いている!)
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しかも、キャンバー一人ひとりの表情や
手の動きは全て異なる。
服の色も、靴まで描き分けているではないか!
依真さんのなかでは、「おおぜいの仲間」ではなく
一人ひとりに固有名詞があるのだと思う。
依真さんのキャンパーそれぞれの「個性」への
リスペクトがかいま見えるのだ。
そうでなければ、こんな面倒くさい描きこみは
この年齢ではなかなかできない。
依真さんはとんでもない成長をしたのだ。
「キャンパー三日会わざれば、刮目して見よ」だ。

そして、さらに嬉しいのは
これほどそれぞれの個性を描きながら
全員がグリーンハットをかぶっていることだ。
ラボ・キャンプだから当然といえば当然なのだが、
依真さんにとってはルールではなく
仲間としてアイデンティティであり
目で確認できる絆のiconになのだ。

炎、夜空、森、そしてキャンパーたち。

キャンプ最終日の夜のメインイヴェント。
時間にすれば30分そこそこだが、
全員が3日間を再確認するつどいだ。
キャンプ学的にいえばこのように
みんなで歌ったり踊ったりして楽しむのは
Bon Fireと呼ばれる。
(単にCamp Fireというと一切口をきかない
儀式的な性格のつどいが一般的)
炎に照らされた仲間の顔に
夏の3日間が浮かんでは消える。
歌声は火の粉とともに夜空に消え、
そして別れの時間は容赦なくやってくる。
そうした詩情がウエットにではなく
すがすがしく伝わってくる絵だ。

と、ここまで書いたら、
ぼくが泣いてしまったわけがわかるだう。
加齢で涙腺がゆるいせいもあるが、
このキャンプに関わった者で
この気持ちがわからんやつとは絶交じゃ!

さらにさらに、依真さんの絵からは
声も炎の熱も夏の夜の深さなどが
五感に伝わってくる。
皮膚や耳で感じられる絵はすてきだ。
これも依真さんの体験のリアリティだろう。

さて、先ほどこの色味は
「アメリカの夜」La Nuit américaine
のようだと書いた。

これは1973年公開のフランス映画のタイトルで、
監督は『大人はわかってくれない』
『突然の炎のごとく』『華氏451』
などの名画が残し52歳で早生した
フランソワ・ロラン・トリュフォー
François Roland Truffautだ。

この映画は『映画に愛を込めて』
という副題が日本では付けられたが、
映画作りの苦悩と喜び、葛藤を
映画の撮影の進行を縦軸にして描いている。
タイトルになった
「アメリカの夜」La Nuit américaineとは
レンズに暖色光をカットするフィルターかけ、
夜のシーンを昼間に撮る「なんちゃって夜景」の技術だ。
Hollywoodで生まれた撮影法なのでこう呼ばれた。
英語では "day for night" という。

この映画にトリュフォー自身も
フェランという映画監督役で出演しているが、
そのなかでこんなセリフがある。
「原始、人びとは陽が落ちると洞穴や
森のなかで焚き火を見つめた。
今は、テレビを観る。
1日の終わり、夕食後のひとときには
揺れる映像が必要なのだ」

締めには焚き火ね。

さて、7月中旬、
相模原の三井パーティ30周年に
縁あっておじゃました。
最近はフリーなOBということで
周年文集に寄稿したり、
発表会に招かれてスケジュールが合えば
のこのこ出かけている。

いつもいうことだが、
発表会は「観る側が何を学ぶかか重要」である。
今回も色々と学ぶこと多かったので
三井パーティに送ったお礼というか感想を紹介する。
すでに三井パーティの了解を得てフェイスブックにも
upしているものなので
既読の方はとばしてください。

「神話は思い出アルバム」
三井麻美テューター、ならびに三井パーティのラボっ子、
ご父母、OBOGのみなさん、
30周年おめでとうございます。
16日はたのしい時間をいただきました。
また、たくさんのことを学ぶことができました。
そして自分が歩いてきた道が
まちがっていなかったことを確認できました。
ありがとうございます。
ラボには芸歴ではなくラボ歴という
用語がありますが、
ぼくは1976年から2010年まで
ラボ教育センターで仕事をしたので
ラボ歴34年です。
三井パーティのスタートは1986年ですから、
10年先輩ではありますが、
ラボ歴ではもう数年で追い越されてしまいますね。
この春にもお話しましたし、
ラボ50周年メッセージにもかきましたが、
テーマ活動は教育プログラムです。
そしてもちろん、発表会も教育プログラムです。
さらにテーマ活動を見ることも
教育プログラムだと思っています。
ラボ・ライブラリーを聴くのと同じくらいに
いやときにはそれ以上に、
テーマ活動をする、あるいは発表をするラボっ子を見ることは
きわめてたいせつなinputだといいきりたいです。
だから発表会は、
それを見る者にとっては、
そこでくりひげられる活動、
子どもたちの表情や心や身体の動きから
なにを学ぶのかがたいせつだと信じています。
発表会は
発表する側にとっては
その日までの道のりで
多様な言語体験を繰り返してきたことが
喜びと緊張のなかで提示される祝祭、
お祭りのひとつなのだと思います。
しかし、それはあくまでも
その時点、すなわち今回なら
2016年7月16日の物語であって、
これから先、また三井バーティのなかで、
一人ひとりのラボっ子のなかで
変化していくはずです。
それが物語の力なのです。
これもぼくはずっといい続けてきたことですが、
発表会は子どもたちの能力のデモンストレイションや
見せびらかしではありません。
三井パーティの
たとえば『国生み』がなにをどう表現できていたかも
たいせつなことではありますが
『国生み』に取り組んだ三井パーティのなかで
なにが起きていたのか、
どのようにこの物語と睦みあい、
そしてこの物語を愛し、そして愛されたのかが
もっと大切だと思います。
そして、一人ひとりのラボっ子のなかで
なにが起きていたのか、
どのようにこの物語と睦みあい、
そしてこの物語を愛し、そして愛されたのかが
やはりもっと大切だと思います。
そのことぼくたちは「成長」と
胸を張っていいましょう!
一つの物語との出会いのなかで
また発表において、
ラボっ子の歩みはそれぞれ違います
その歩幅、strideも
足の回転、pitchも
一人ひとり違います。
また物語の感じ方も一人ひとり異なります。
それをぼくたちは「個性」「自分らしさ」と
堂々と呼びましょう。
そして「自分らしさ」をたいせつにすることは
三井テューターが最後におっしゃったように
「他の人の『その人らしさ』を認めること」
にほかなりません。
ぼくは発表会に行くときは
できるかぎり、
発表される物語を前夜か当日の朝に
一回は聴いておくようにしています。
それが見る側の最低限のマナーだと思っているからです。
もちろん今回のように自分がプロデュースしたり
制作に参加した(『きょうはんなでクマがりだ』
『王さまの耳はロバの耳』『プロメテウスの火』)
でも、ちゃんと聴いていきます。
けっこう細かいところを忘れていたりしますからね。
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しかし、OBOGのみなさんによる
『まよなかのだいどころ』だけはサプライズだったので
聴いていきませんでした。
で、やられた!というのが実感です。
この物語はモーリス・センダックというアメリカの
いや20世紀最高のといってもいい絵本作家の作品に
題材を求めたラボ・ライブラリーです。
『かいじゅうたちのいるところ』と同様に
世界じゅうの子どもたちから
圧倒的に支持されている作品ですが
『かいじゅうたちのいるところ』と同様に
出版された直後は頭の固いおとなたちに
めちゃくちゃに批判された作品です。
(今はそんな人はいませんが)
で、告白しますが、
ぼくはこの『まよなかのだいどころ』を
発表として見たのは今回がはじめてです。
これは2007年の刊行ですが、
このころはとっても忙しくて
なかなか発表会に行く時間が取れませんでした。
でも、OBOGのみなさんの発表を見ることができて
とても幸せでした。
自分でプロデュースしておきながら
「この物語って、こんなにおもしろかったんだ!」
と、あらためて感動してしまいました。
ラボ・ライブラリーは、
リリースされてしまえば聴き手のものです。
制作者の想いなんか関係ありません。
もちろん、少しでも子どもたちの心に
余韻を残す本物を届けたいという気持ちでは作りますが
それも傲慢な話です。
だけど、こうして7月真夏の土曜日の町田という場所で
しかもOBOGのみなさんたちによって
すばらしい物語に育てられた姿を見て、
それだけで涙が出ました。
「ああ作ってよかったんだ!」と報われました。
また、この物語の日本語の語りは西沢利明さんという
こわそうな写真の俳優が担当しています。
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西沢さんは舞台から映画、テレビと幅広く活躍された方で
存在感のある悪役、殺し屋、悪代官が多かったのですが、
とてもダンディでやさしく、若手の育成にも熱心でした。
ぼくはこの不思議な物語の語りは
若い人ではなく、人生の経験者がいいと思っていました。
でも、老いた感じではなく、洒脱で垢抜けていてほしい。
そんな思いから西沢さんにオファーを出しました。
すると西沢さんは
「子どもたちにきちんとした日本語を届ける仕事なら」と
すぐに快諾してくださいました。
残念ながら、西澤利明さんは2013年の4月に
77歳でお亡くなりになりましたが、
(この作品は71歳のとき!)
きっと喜んでくれていると思います。
多分、あの発表は
高いところにいる西沢さんのところまで
届いたはずです。

『プロメテウスの火』でプロメテウスの声を担当した
有川博さんも、忘れられない俳優さんです。
きまじめなハンサムということばがビッタリの
有川さんもすばらしい役者でした。
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彼も2011年に70歳で他界されましたが、
若き日に同じ劇団(演劇集団「円」)に所属していた
渡辺謙さんは、有川さんの告別式で
「ぼくはあなたの舞台を見て、役者を志しました」と
弔辞を読みました。
ぼくにとってこの作品は
ライブラリー制作に関わりだしたばかりの頃のもので
スタジオでは緊張して胃が痛くなっていました。
有川さん(当時46歳)
のブロメテウスは、スタッフも
他の役者さんたちも感動する迫力で、
特に「正義よ輝け!」のクダリでは、
あまりに声を張りすぎて、レペルメーターの張りが
振り切れて、録音不能になったほどです。
エンジニアが
「有川さん、すみません。
もうちょっと抑えめにお願いできますか」というと
周りの役者さんたちは皆
「有川さんらしい」とわらいましたが
有川さんはおおまじめに
「しかし、ここはこれくらいでないと
伝わらないでしょう」と、
少し怒ったような声で返されたのが懐かしいです。
あれからもう30年、『ブロメテウスの火』は
三井パーティと同じラボ歴になりました。
人はいなくなっても
物語は受け継がれ、よみがえり、
そしてまた新しい命を持った物語になっていく。
これも物語の力です。
すごいことです。
よみがえり、「黄泉がえり」といえば
最後の『国生み』からも色々と学ばせてもらいました。
この物語の発表は何度も見ていますが、また新たな発見がありました。
そのことは、最後に書きますね。
ぼくは今、東京の私立の学校で仕事をしていますが
今回もラボ教育活動の社会的意義、重要性を確認できました。
教育のゴールは
「いい学校、いい会社に入ること」ではありません。
社会に出てから少しずつその成果があらわれるのです。
そのことをOBOGのみなさんたぢか証明してくれました。
みんないい顔をしていました。
そして「ラボを続けてください」」とみんないいました!
三井テューターもその一言で報われたのではないでしょうか。
三井テューターと出会ったラボっ子は幸せですが
ラボっ子と出会えた三井テューターも幸せだと思います。
最後に、
発表会のプログラムに「神話の世界へようこそ」とありました。
そして発表された物語のほとんどは
「神話・伝承」に題材を求めた物語でした。
アメリカ先住民ブエブロの神話から
ギリシア神話から
そして日本の『古事記』『日本書紀』から。
神話は世界じゅうにあり、
それそれに個性的であったり
また共通していることもあったりします。
そして神話を持たない民族はないといっていいかもしれません。
神話は、それぞれの民族が赤ちゃんから
少年少女、そして若者になるときに
思い出のように残していくアルバムのような気がします。
それは見方によれば古ぼけているかも知りませんが
皆さんたちのように
瑞々しい感性で向き合えば
その民族の若々しい姿をたどることができるのです。
そこから学ぶもののなんと多いことでしょうか。
そして、今回の発表が後30年くらいたっとき、
神話のように皆さんの心に再び輝くことを信じています。
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