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避難日記 その1 03月25日 (金)
震災数日後、津波を被った主人の実家で「何から手をつければいいのだろう」と立ちつくした日と同じく、今、何から書けばいいかわからない。頭がいっぱいいっぱいです。

でも、まずはお礼から。掲示板にたくさんのメッセージを、ありがとうございました!たくさんの励ましの言葉、本当に嬉しいです。やっぱりことばって人を元気にするんですね。改めて実感しています。 

さて、大変ご無沙汰しておりました、19日~昨日まで仙台に避難していました。「仙台に避難!?」となぜ被災地に行くかと思われると思います。たしかに仙台も被災地でした。用事で通った道が、海砂でざらついていた。いわきの沿岸部と同じだ。そこが津波の被害をうけた場所であることがすぐに判った。仙台港に近い七北田川の河川敷には、流されて来た自動車、ひっくりがえったボート、台風の増水のときよりも強力な水圧があったことがわかる様子でした。

けれども、その日のその川の流れはごく自然で、まるで津波なんかなかったかのように何食わぬ顔で流れているのです。数日前は、人の命さえ奪ったというのに。

話戻って、なぜ仙台かというと、私の故郷ということもあり、地震が起きた日からずっと両親と実家が気になっていたこともあります。幸い大きな被害がなかったので行けることになったのがひとつ。

もうひとつは、福島第一原発の万が一を考えました。

発電所から我が家までは43㎞、屋内待避の圏外でもあるし、
放射線量も低いことから私は避難を考えていませんでした。
ただでさえ風評被害(あんまり使いたくない言葉だけど…)を受けているの土地なのに自分もここを出て、「やっぱりいわきは危ない」と思われるのもいやだった。けれど、主人がリスクの分散を、と考えて、親戚や私の父に相談して、主人の父母と娘2人そして私の避難先を確保していた。

自分なりの考えがあったから避難はしたくなかったけれど、そこまで考えてくれているのならと思い、そして子供たちのことを考えて、義父母を送り出し、ラボっ子たちの無事を確認して、私たちも出ることにした。
移動は車でガソリンが許す限り行って、車はどこかに置いて、そこからは父に迎えに来てもらうようにと言われたが、それだけは拒んだ。車だけは主人に残していきたかった。北東北が主な仕事場の父だって近々仕事が始まる、ガソリンを使わせたくなかった。

幸い19日には長距離バスが出ることがわかったのでそれを利用することにした。朝一番のバス、福島空港行きはさほどの混雑はなかったけれど、東京行きのバスには物凄い長蛇の列ができていた。

いつもは一本で行ける いわき-仙台を、この日はその便はなかった。福島空港・郡山・福島でバスを乗り換えて仙台に行った。中継地はどこも避難をする人でごったがえし。バスを待つ列では、そばにいる老夫婦や若い女の子と会話をした。それぞれの震災のときのことを話し合う。親戚も大変な目に遭っている。自分自身も大変な目にあっている。だけどどうにもならない運命、受け止めて、とにかく今は行くところに行く、そんな感じだ。
ちょっとの間の、縦長交流。こんなときの交流は、身を寄せ合い体を温め合うように、お互いを思いやり心を温め合う。


さて、省エネもあるので今日はここまで。
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