津波のあとで |
03月27日 (日) |
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今日は津波のあと片付けをした。
主人の実家のある、いわき市の豊間(とよま)は、津波で壊滅的な被害を受けた。
実家で暮らしている義父母は近くの山に避難して無事だった。
家屋こそは流されなかったけれど、波の力でガラスは打ち破られ、
家の中は入り込んだ海水に物が動かされ、泥や砂が大量に入り込んだ。
地震の3日後に行った時には道路が流れてきた家で塞がれていが、今日見ると、それらは片付けられており、道路脇に処分された家財道具や材木が積み上がっていた。 人影まばらな中、たくさんの自衛隊員の方々が仕事をしていた。原発で緊張感が高まる日々でも、自衛隊員の方々はずっと作業をしてくれていたんだ、と思うと、感謝の気持ちがこみ上がってきた。
原発のことがあったので、片付けに来たのはその日以来だった。
今日は、主人とその両親、姉夫婦、千葉から来た兄、それと私で、ひたすら波で濡れてもうだめなものを処分した。家は残っている。だから片付けて、どうするかはそれから考える。
お昼のおにぎりを食べたあと、近所を歩いた。その光景は…まちが丸裸になってしまった、という感じだ。
たくさんの家が無くなった。
海岸への道を歩かなくても、家がなくなったから斜めに突っ切って海岸に行ける。 長女が少しの間通っていた保育所は、なんと、体育館の壁がなくなっていた。
園児達はみんな無事だったか? きっと保護者がすぐ迎えに来て避難して無事だ、と自分に言い聞かせている。
通園で通る道に、かまぼこ工場があった。
そのかまぼこ工場が、そこにあったはずのかまぼこ工場が、
あったのが…なかったんだ、、、たぬき4話のあの台詞、実感。
ほかに目にしたものは、1階一部屋がえぐり取られたように破壊した家、
横転した家、土台だけになり全壊した家、木にぶら下がっているプロパンガス、田んぼに家の屋根だけが見える。
実家にも、どこの家の誰のものなのか、色々なものが流れてきた。
誰かの結婚式の写真、ふとんとベッドのマット、どこかの家の外壁のかけら、瓦、長靴、ホースを巻くやつ、あけていないジュースやビール、箪笥など。
実は、衝撃的なものもあった。数日前のことで、私が見つけたのではなく、主人が見た…近所の方の亡きがらだった。
これが現実か、これが津波の脅威か、むごすぎる。
丸裸になったまちを見たあと、主人の実家に戻ってきた。
ここには家屋がちゃんとある。
「ここがまともに見える。…まともじゃないのにね」
と私が言うと、義母も
「まともじゃないのにね」
と言った。
まともじゃないけど、家族みんなで片付けた家の中は、大分すっきりした。主人の両親には、しばらく我が家にいてもらうことにしている。兄も我が家に滞在して実家の片付けをする。断水中の姉家族もうちに洗濯や風呂に来る。明日は仙台から娘たちも帰ってくる。
みんな元気でいる。それだけで有難い。
津波のあと片付けは、まだまだしばらくかかりそうだ。
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Re:津波のあとで(03月27日)
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カトリーヌさん (2011年03月27日 23時08分)
ことばがありません。どうかお身体おたいせつに。
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よっちゃんさん (2011年03月28日 11時02分)
今日の山形は青空です。この空の向こう、被災された方達が大勢で復興
に向けがんばっているんだなと思います。
ご実家の被害心よりお見舞い申し上げます。思い出の詰まった場所の片
づけは、本当に辛い仕事だと思います。ホームページからは、現実を受
け入れ前にすすもうとしている様子が伝わります。それにしても、車か
らガソリンをぬいたり、カメラを盗んだり・・・精神的な限界を超える
日々の暮らしに心も疲弊しているのですね。残念なことです。
何のお手伝いもできないまま半月が経ってしまいましたが、yuki君
の話には感激しました。教えてくださりありがとうございました。
遠くで応援しています。
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Re:津波のあとで(03月27日)
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マーシャ嬢さん (2011年03月29日 00時07分)
ミッキーさん、書き込みありがとうございました。
ミッキーさんが受けた津波の被害、恐ろしさは計り知れないものだった
と思います。ご実家の被害の様子も読んでいて涙がでそうになりまし
た。地震だけでも恐怖だったのに、津波が来る時の恐怖はどんなものだ
ったのかと。でも、ミッキーさんもご家族やご両親、ラボっ子たちもみ
んなみんな無事で本当によかったです。
そちらは原発の心配もあり大変かと思います。
でも、お互い復興を信じて頑張りましょうね。
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