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2003/08/19の日記 08月19日 (火)
北京あれこれ(タクシー編)

北京のタクシーは、今はほとんどセダン型で
初乗りが10元。(1元は約15円)
市内のほとんどのところに20元~30元で
行くことが出来ます。
昔は面的(メンディー)と言って、食パン型の
バンが走っていましたが、安定性が悪いということで
なくなったようです。

6年前は、車と言えば、タクシーと大使館ナンバーの車、
黒ナンバーの外国者用の車、ほんの一握りの中国人の車しか
走っていませんでしたが、今や自家用車がグーんと増えました。
ベンツやBMなど高級外国車もあちこちで見かけます。

話しは、変わりますが北京では「右折車」は
赤信号でも曲がることができます。
割り込みも始終で手なんぞ上げたりはしません。
歩行者は、特に外国人は決死の思いで通りを
横切らなければなりません。

さて、タクシーの運転手さんは話し好きで
外国人と見ると「なに人だ?」と聞きたがりました。
私はよく、韓国人に間違われました。
ちなみに我が家のパパは、モンゴル人、フランス人などに
まちがわれ、決して「日本人」と言われることはありません。

今回は、運転手さんがとても口数が少ないのに驚きました。
乗車拒否をすることもありませんでした。
どの道順でいくかを客に尋ねてくる人もいました。
以前は、「俺にまかしとけ。」という風でお客は口を
出すことが出来ませんでした。
なんとなくみんな、優等生になってしましました。
会社からの指導かもしれません。

車窓の風景と同じく、スマートに変身していました。
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Re:2003/08/19の日記(08月19日) >>返事を書く
とんかつ姫さん (2003年08月20日 00時30分)

お帰りなさい。

北京にしろ、西安にしろ、中国ってドイツ車が多いと思いません!

滞在中「日本車がんばれ~!」って思ってました。
Re:2003/08/19の日記(08月19日) >>返事を書く
なおチュ~さん (2003年08月20日 13時22分)

10年前、タクシーは止まってくれませんでした。(泣)
走っている車の8割が黄色いタクシーなのに、乗れなかった
悲しい想い出が・・・・。

当時、友人5人で北京に行き、うち一人だけ2回目でした。
到着翌日の初観光で紫禁城に行きましたが、案内してくれた
2回目の友人は「私はほかに行きたいから、出口のところの
地安門で待っててね。」と言って別れていきました。
紫禁城を見終わって出口のところの門がそれだと思い
門の名前を見ると違う名前。
4人で「ここじゃないみたいだね。」とその先を見ると
かなり向こうに大きな門が見える。「あれかな?」と
2キロ以上さきにある門を目指して歩き、たどり着いてみるも
やはり違う名前。「地安門はどこ~」と泣きそうな気もちで道を戻り
途中の大きな交差点でふと看板を見ると「地安門」と書いてある。
「どうやらここが地安門らしい。」と思うけどあたりを見回しても
門はない。中国語学科の子がたどたどしい中国語で人に聞いても
「そんなものはない。」と言う答え。どうやらかつてそのあたりに
あったらしいが今はない。
そこでようやく「あいつは出口の門を地安門と間違えたんだ!」と
気がついたが、そこから紫禁城の出口に戻る気力もなく、タクシーに乗って
ホテルに帰ろうと思ったのに、全然タクシーが止まってくれなくて…。
たまたまその交差点がバスの路線が集中しているところで、
バス停の行き先をひとつひとつ確認して、ホテル近くのバス停に行く
バスをようやく発見し、なんとか帰り着くことが出来たけど・・・・。
みなさん、天安門があるから地安門もあるって訳じゃないんですよ~。

ちなみに地安門を間違えた友人は、ちゃっかり先にホテルに戻ってました。
「間違えた事に気が付いたけど、どうにもしようがないし、
なんとか帰ってくると思って先に戻ってた。」んだって。
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