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子供にとっての英語とTにとっての多言語 |
06月07日 (木) |
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「ウチナーグチの発表が終わって、今度はスペイン語のチュチュだよ~。」
と落ち込む?私に、即答で「がんばれ!」と娘が声をかけてきました。
英語とスペイン語で聞いていると、スペイン語の特徴がよくわからない感じがしたので
スペイン語のみで聞いていると、またまた「英語と一緒に聞かなきゃだめじゃない?」と娘。
「意味のわかる日本語のあとに、英語がどんな響きでくるかなと思って小さいときはきいてたよ。」という主旨のことをいっていました。
ウチナーグチを聞いているときにも、「ラボっ子と同じ体験をしようと思ってやってるんだ。」という
私に、「私達は、小さい頃から英語の歌とか聞いてきてるんだから、それとは違うと思うよ。」と
ちょっと心強い発言。
彼女的には、英語の長いナレーションやセリフを聞きつづけてきたこどもの頃からの日々は、
決して「何をいっているかわからない音声。」ではなかったようなのです。
そういえば、最近の幼児がはじめて取り組み始めた「そらいろのたね」のナレーションを覚える作業。どうも、知っている言葉をその中に見つけると嬉しいらしく、表情が輝くんですね。
そう考えると、歌などでたくさん英語に触れさせることの大切さを再認識。
でも、間違いないのは、物語が楽しいからこそ、英語のナレーションだって覚えるし、耳には入っていっているということ。物語の楽しさの前には、くっついている英語なんて、しゃれたアクセサリーのようなもの?まあ、その辺はよくわかりませんが。
いかに物語を、みんなで楽しんで遊べるか、そこにさえこころをくだいていれば、今回の私の鮫どんとキジムナーがそうであったように、日本語じゃないなんてことは(あれは日本語ですね)、あまり意識しなくなるのかなあ。
日本語以上に、状況をぴったりあらわせる、気持ちをぴったりあらわせる音声として、気持ちと一体化していくなんてこともありえるのかも。
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