人格形成における空想の意味 |
01月31日 (土) |
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こども図書館発行の雑誌のバックナンバーのなかに、そんなおもしろいタイトルの講演録をみつけ、あれこれ考えるきっかけになりました。
昔話を読んでも、「ああ、よかったじゃん。」でさらっと終わってしまう現代っ子があらわれている?ライブラリーを、1,2回きいて、「聞いた。話は
わかった。」とすませる子と同質のものかもしれない。
昔の人が、自分の子孫に知恵として伝えようとした奥深さを秘めた昔話も
まるで、CMで途切れながら見るTV視聴後の感想のように言ってすませてしまう。
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ゆっくりと空想する時間を持たないことは、話を自分にひきつけて考える時間をもてないということ。
現代は、生活がひどくせわしなくなっているので、お話しを聞いても、自分のイメージを生き生きと描いて、あれこれ考える、思いめぐらすということがない。そのための時間がない。
自我は外的刺激を受け止めるだけで精一杯。自分で、刺激と刺激を組み合わせて、自分のイメージをつくりあげていくことができない。空想を豊かにしていくことができない。
たとえイメージが浮かんでも、散発的で、分散、拡散しているままでは、自我に統合していない。
語られた話のモチーフを自分でイメージにして、それに肉付けしていくこと、そのイメージをより生き生きした、自分にとって意味のあるものに仕立てていくことが、イマジネーション。
人の話や物語を聞いて受け取ったものを、自分の中に深く引き入れて、自分の内的な世界と対話させて、自分に身近なものとして感じること。それが豊かな内面を持つということ。たとえば空想のなかで、恐ろしいものに何回も直面して、克服すること。おそろしいものも自分の世界にとりいれることができ、そして恐れないような人格構造ができる。その過程が大事なのに、今の人にはなかなかそれができない。内面が育たない。
ユングいわく、「現代人の心は外へ外へと向かっている。」目に見える世界、さわれる世界だけを信用しがち。
そうして、世の中があまりにも外向きになると、多くの人が、自分の内面に対して非常に弱くなってしまっている。内面をコントロールできずに、すぐにキレルのも、その現れ。
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以上のような内容に、確かに・・・と思いつつ、ラボっ子は、テーマ活動するときに、「自分の中に深く引き入れて」という作業をしてるなーと、思いました。
ラボっ子も、いえ、いろいろなことに積極的に取り組めるラボっ子だからこそ、忙しい。でも、立ち止まって、昔話をはじめとして、先人が生きる智恵として与えてくれた物語を、自分の自我にひきつけて考えることは、テーマ活動を通して出来ている!ではないか。感動。
冬の発表会で、ホッレおばさんのマルガレーテをやった小2の子のことを思い出しました。「マルガレーテそのもの!」との誉め言葉をいただいたのですが、彼女が、聞き込むに連れて、私に、いろいろな話をしてくれました。
「私、この前、何のお祝いでもないのに、おいしいケーキを家族で食べたんだ。そのときね、なんだか、マルガレーテのこと、思い出しちゃった。
マルガレーテは、こんな風にケーキを、なんでもないときに食べたり
絶対できないんだろうなって。」そんなエピソードをいろいろと話してくれて
、自分に十分にひきつけて、内面を豊かにしてのぞんだマルガレーテ役だったから、見ている人にも伝わるものが多くあったのですね。
でも、ただ「ライブラリーを聴いて来てね。」というだけでは、やっぱり、その子のその時の状況によっては、全然、内面にひきつけて聞いてこれない。
そんなときは、テューターの投げかけ、発信、導入が、その子が物語から何かを受け止め始めるきっかけになるために、一役買えるようにしたいものです。
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講演録(A4 5枚分)は、私の日記より、ずっとわかりやすく、また他の内容もあります。
もし、お読みになりたい方がいらしたら、FAXしますので、ご連絡ください。
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Re:人格形成における空想の意味(01月31日)
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ぼっくりさん (2004年02月09日 22時53分)
つばめ号さま
今のこの感動を、どんな言葉で表したら良いかわかりません!!
唐突に、失礼いたしました・・・まずは、講演録が今日の午後届きまし
た。
本当にありがとうございました!!
そして、子供も寝て家事を済ませ、ゆっくりと読ませていただいたとこ
ろです。
「絵本を読む事によって欲求不満を解消できればいいというような考え
かた」や「内面の静けさ」という部分がすごく心に残りました。
「肉声で話をすることの意味」は、去年ラボの児童文学講座でお聞きし
た松居直さんも共通する事をおっしゃっていたと思い出しました。
また、ファンタジーとイマジネーションの違いが、見事にわかりやすく
文になっていて、感動しました。
”英語が出た”小5の男の子も、’表面的に、外見的に、すぐ反応が出
たりする’でなく、’すぐ目に見える効果の出ないものの方が、すさま
じい効果がある’・・・という事につながっているのではないかと感じ
ました。内面で色々な事が起こっているのですね・・・
私は元来、空を眺めてぼーーーっと何時間でもしていたりするのが好き
で(別に何を考えているという訳でなく)、育児に追われる様になって
からは、そういうひとりの時間がなくなり、時々むしょうにぼーーーっ
としたい!と思っても、そんな事は客観的に見れば、’無駄’な時間よ
ね・・・と諦めモードでした。しかしながら、’無駄’でもないんだ、
むしろ’歓迎すべき’事じゃないの、となんだか改めて嬉しくなり、自
分自身の考え方も、その点について新たにしよう!と思えました。
マイPのお母さま達にも、講演録をぜひ紹介します。
本当に本当に、ありがとうございました。
それから、おすすめ新着に登録させて下さいませ。
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Re:Re:人格形成における空想の意味(01月31日)
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ツバメ号さん (2004年02月10日 23時19分)
ぼっくりさんへ
講演録、喜んでいただけて嬉しいです。同じ文章から、何かを感じ取ってく
れる人が、どこかにいると知るのは、幸せな気持ちになります。
「ほんとうの意味の落ち着いた感性」、「ものを素朴に感じ取る内面の静け
さ」いい言葉ですよね。私なども、最近は、ふとしたときに自分の、そして子
どもの、内面の静けさというものついて、考えます。
ラボでテーマ活動中に、こどもの言葉をひろって、そこから何かを知ろうと
するのも、その子の内面のどこに、この場面が、言葉が触れたのだろうと考え
るからのような気がします。
>「肉声で話をすることの意味」は、去年ラボの児童文学講座でお聞きし
た松居直さんも共通する事をおっしゃっていたと思い出しました。
肉声で、反省として思い当たることが一つあります。
「かいじゅうたちのいるところ」や「がらがらどん」をすごく怖がって、パー
ティでやっても、お母さんにしがみついているお子さんというのが、プレイル
ームで時々いるのです。
それこそ、自分の身にひきつけて、自我とかかわるところで感じているので
こわがるのだと思うのです。
でも、そこを自分のなかに受け入れなければ、おそろしいものに耐える力を
自分の中につくりあげることができませんよね。人格を発達させるためにも、
昔話等でこわさを味わうのはこころの成長につながる大切なことなのに。
こわがりそうなお話しは、きっと、ライブラリーで先に聞かせてはだめなん
です。お母様にお話して、先に、肉声で読んであげてくださいと伝えないと。
自分のお母さんの声で聞けば、どんなこわいトロルが出てくる話でも
怖さは薄まります。「親しい人から声という身体感覚を通して聞く」からこそ
こわい話に耐えられるんですよ!
その後、お友達とパーティで遊び、またライブラリーを聞きということをす
れば、いいのではないかと。
そのためには、こわがりそうなお話しを、英語絵本ではなく、おむすびころ
ころなどがそうであるように、英日絵本で、お母さんにお貸ししたいなと
思いつきました。
長くなってしまってごめんなさい。
小5の男の子について、書いてくれたことも、ぼーっとしている時間が無駄で
はないと気づいて嬉しくなったというところも、こちらまで嬉しくなりまし
た。そうですよね。歓迎すべきことですよ!
今の子ども達は、暇な時間に、前に読んだり聴いたりしたお話について、
ぼんやりと考えるというゆとりもなくなってきてますよね。(テレビばかりか
ビデオなんてものもあって、見たいものが多すぎるし、ゲーム、携帯等、即効
性の刺激になれて)
テューターとして、「子どもが自分の身にひきつけて考えたくなる」よう
な、お話への投げかけ、質問ができれば、ゆっくりとじわっとしみる刺激の根
っこになるように思うのです。なんてことを考えて、また、びっくり箱に
つめています。
おすすめ新着にいれていただいて、光栄です。こちらこそ、いろいろ
ありがとうございました。
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