3歳児だって現実だけじゃいやなんだ |
02月27日 (金) |
|
2人の3歳児PRクラスに、入会予定のゲストを迎えて、3組でてぶくろをやる。
きょう、うれしく思ったのは、子ども達がWho are you?
やMouse,Rabbitなどのセリフの部分をいえたことと、お母さんが私以上に
役としての出番が多かったこと。
きょうのPRのお母さんたちも、優しくて柔らかい暖かい印象のママたちで、まだ私からみると、娘さんのような奥ゆかしさがある。そんなママに、
かえる、そしておおかみだの熊だのをさせてしまう子ども達のパワー。
○○をやって!とママに依頼し、自身も“Who are you?”“Mouse!”など英語もいいながら、お話をつきすすんでいく。
テューターとしては、足りない役は、お母様にやっていただきたいなという
思いがある。
でも、大人であるお母様に、○○ごっこのようなことを、強制するのは
ためらいがある。
いくらテューターである私が、床をはって犬の真似ができるからといって
精神的に大人になっている方たちに、ごっこ遊びは、こちらからは
強要していいものでも、もちろん強制するものでもないと感じる。
もちろん中には、そういうことが好きで、出来る方もいらっしゃる。そういう方には、どんどん、個性を出した役をやっていただきたいし、やっていただけると嬉しい。
(私自身は、子どもの頃は、人前で歌も歌えないほどの恥ずかしがり屋で、
いまだってテューター研修のテーマ活動、すごく不器用にしかできない・・・。)
きょう、お母様が私以上に、役になってくださったのは、○ちゃんのままがやって!という子どもから熱い視線とリクエストの言葉があったから。はじめ、ねずみは、私がやろうかと動くと、役決めなどしていなくても「Aちゃんやる!」と布にちょこんとAちゃんが座る。 やりながら、「かえる、frogがいないね、どうしようか?」と
たずねると、Tくんが「まま!」という。
うさぎは、Tくん自身が「ぼく」といってはじめて、私が「足が速いんだよ」というと、すごい勢いで走る。ママ達みんな微笑む。
お話どおりにやることに一生懸命である姿に接していると、かわいくて
「おしゃれぎつねがいないよ」との私の声に、子ども達の視線がいっせいにAKちゃんののママにいくと、ママも、もう断れない。
子ども達の勢いが、ママを自然と動かす。
「おおかみ grey wolfは?」
残っているのは、Aちゃんママ。「ママがやって。」とAちゃんも。
ママといっても、まだ可愛らしい雰囲気のあるAちゃんママには似あわないなと思いつつ、「きょうは、grey着てるからぴったりね。」といっておく。 次、いのしし。私がやる。 ゲストのAKちゃんは、ままと一緒におしゃれぎつねなので、くまが不足。お母さんに、2回役をやらせては気の毒だから、私がやろうかと立ち上がろうとすると、子ども達から、Aちゃんママやっての声。
「私?!」という軽い驚きとともに、二役をママがやってくださる。セリフは、私が「くまは、わしもいれてくれーっていうよ。」と英語のときにでもいうと、それを聞いて言ってくださる。 CDどおりでなくても、日本語のセリフだけでも、子ども達にとってはお母さんがその場で、その役になってくれているだけで満足そう。
他の世界へ、自分をつれていく楽しさ。それがここにはある。
空想の世界だからこそ、楽しくなれる。3歳児だって、現実だけじゃいやなんだ。
昨年の春、2歳8ヶ月でラボをはじめたTくん。はじめてのお話は「はるかぜとぷう」。
どうすれば、とぷうを身近に感じてもらえるかなと、木からとぷうを糸でつるしておいた。
それから、すこしづつ。そして、途中、お母さんが二人目を妊娠なさって、今までのようには、彼の思い通りにいかないこともでてくる。
SBをやろうとしても、「何もかもいや。」という、どうにもならない感情を抱えているように見えたときがあった。でも、そんなときも、ティムラビットやろうと誘いかけると、
驚くほど見事に気持ちを切り替えて、犬の役を、元気にとびはねてやりはじめた。
今、ここにいる自分の現実は思い通りにはならないけれど、なにかになっているときの気持ちは晴れやかで楽しい。こんな幼い子だからこそ、現実の思い通りにいかないことを理屈では処理できない。大人になれば、「また、時がすぎれば楽しいこともあるさ。」ってわかるし、「これが終われば他の楽しいこともある。」と今、わきおこってくる感情を薄めてしまうこともできる。
でも、幼いからこそ、それが出来なくて、苦しいんだ。そんなときに、こころをお話の世界に遊びに出してやることができると、ほっとするんだろうな。
子供達が、ほっとする瞬間、今の自分からお話の登場人物になるとき、それはストーリー仕立てにしたSBのなかの動物園のライオンのときもあったけれど、それをお母様たちと、嬉しい視線で会話しながら見守ることが出来たのは、幸せな時間。
この子達が、こんなにも真剣に、想像してお話を楽しむ理由はその辺にあるのではないかな。
英語のセリフだって、さらっといえるのは、そのセリフの気持ちに同調できてるから?いわされてる感じでなく、聞こえてくるCDの言葉を役になってる自分がいうのは、「自然なこと、必要なこと、うれしいこと」ととらえているように見える。
なぜお母様にやっていただきたいのか?それが私の中でもはっきりとわかった。
想像の世界で遊ぶこと、自分以外のものになること、自分以外のものの気持ちになれること、それはこの子達にとって、とても貴重な体験。そういう貴重な体験をするお手伝いをしているんだという意味があるから。お母様には、そうやってお子さんと関われることをちょっと誇りに思って参加していただければと思う。
そして、ふとした瞬間に、何かになって相手とすっくと向かい合ってみると、今までの自分とその人の間にあると思っていた関係が、
ゆらゆらと変化してくるおもしろさを、大人として体験していただければ、
それは、人生のもう一つの楽しみが増えたこと。願わくば、そんな副産物を、ラボから差し上げられればいいなと、思っているのです。
今までも、お母様とこのグループの子供達のごっこ遊びのときのさりげない関わりをいいなと思っていたのですが、Tくんママが里帰り出産でしばらくお休みになる前に、ちょっと整理して考えてみました。
|
|
|
Re:3歳児だって現実だけじゃいやなんだ(02月27日)
|
|
|
まんぎょどんさん (2004年02月27日 19時41分)
プレイルームでラボっ子とおかあさまがた、そしてつばめ号さんがたのしんで
いらしゃる様子が目にうかびます。昨日の講演会で松本さんがおっしゃってい
たのですが、「一緒にあそび、一緒に暮らしていることで、母語を習得してい
くのだ」とありました。私たちの場合母語は日本語になりますが、プレイルー
ムで一緒に遊んでいる時間は、英語も母語として積み重ねていることになりま
すね。いっしょにあそんで、心が穏やかなことがとても大事なんだそうです。
きっと、すてきなラボっ子になることでしょう。
|
|
|
Re:3歳児だって現実だけじゃいやなんだ(02月27日)
|
|
|
ハニーさん (2004年02月27日 20時32分)
ちょうど今日、プレイルームでお母さんたちにどこまでテーマ活動に参加して
もらったらいいだろうと考えていたので、まさにひとつの回答を得た、という
気がしました。ありがとう。そうなのか、そうだそうよねえ、と納得して読み
ました。
それにしてもつばめ号さんは考えをまとめるのがうまい。う~ん、脱帽。こ
れ、そのままプレイルームのママ達にプリントして配りたいんだけどだめ?
|
|
|
27日のまんぎょどんさんの日記、拝見しました
|
|
|
ツバメ号さん (2004年02月28日 21時07分)
まんぎょどんさんへ
今、日記を拝見してきました!内容の濃い講演会だったのですね。
ラボと出会っている方にはもちろん、出会っていない方に、ぜひ
聞いていただきたいですよね。教育講演会という場を、設けられた
企画力、行動力に感服します。
「PRで一緒に遊んでいる時間は、英語も母語として積み重ねている」とは
意識していなかったので、はっとしました。
そうやって遊ぶ時間、そのものにも意味、積み重ねというものが
あるのですね。そうか・・・・。また、新しい視点で、ものを見られそうで
す。ありがとうございます。
|
|
|
プレイルームへのママ達の関わり
|
|
|
ツバメ号さん (2004年02月28日 21時22分)
ハニーさんへ
ハニーさんも、テーマ活動へのお母さんたちの参加について、考えて
いらしたんですね。
なにも、子供達をのせるべく、まるでテューターのように一生懸命に
関わろうとなさらなくても、ほんの少し、そっと、その場を共有して
いてくださるだけで、「お母さん」である方が楽々やってのけていることって
すごくあるんだと思います。
ある意味で「お母さん」という存在そのものが、神様から
幼い自分の子どもに対しては使える、魔法の力をもらっているようなもの。
お役に立てるなら、プリントでも何でも!でも、段落などが、どうも
うまくできないので、適当に直して、もし誤字脱字などがあると恥ずかしいの
で、チェックしてくださいね~。
|
|
|