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支部の高学年活動発表会の担当として実行委員会に出席しました。
何がすごいって、アイデアを捨てるところ。
どうしたいか?という問いに対して、みんなから、いろいろなアイデアが出るので、その中から話し合っていいものを選べる。
意見ならいろいろいえても、アイデアってそんなにたくさん出せるものではないだけに、すごい活性化された実行委員会だと思いました。
大学生が二人入っているのですが、威圧感がないどころか、うまく誘導やフォローしてくれて、ますますいい感じでした。
この子達は、仕事するようになったら、きっといい働きします。
雇った会社は得かもしれません。
発表会当日の実行委員のパフォーマンス、楽しみにしていてください。見逃したら損です!
発表はもちろんお見逃しなく!
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今年、国際交流参加予定のK君。
ウィンターキャンプにいって、生野菜に遭遇。小一で連れて行ったとき、また、合宿等で見ると、彼は生野菜を嫌いで食べない。
リーダーがタイムテーブルに「キャンプ参加報告」をいれてくれて、
そのときのK君の感想。
「友達が~、生野菜はほかのおかずに混ぜると食べれるって教えてくれたので、やってみたら、なんとか食べられた!」
ほんと、口数の少ない彼が、そのほかにも10分近く感想を話すわ、生野菜は食べるわ、国際交流に行こうと思うことが、こんなにも中一男子を変えるとは!!!
国際交流ノートにも、しっかり「生野菜を食べた。」ことが書かれていたので、たぶん本人的にもかなり気になっていたのでしょうね。
そして、食べられたことが、よそのご家庭におじゃまするときの自信になったのでしょう。よかった、よかった。
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お母さんの作ってくれるお菓子って、ほんと 温かいですよね。
マックスのお母さんが、部屋においてくれた夜食も、どんな味だったんだろう?
ゆきちゃんの誕生日にお母さんが持たせてくれたアイスは、どんな味だったのかな?
ラボのお話には、いろいろ食べ物が出てきます。
どうせなら、お子さんたちと一緒に食べてみたい。
今度のプレイルームで、ティムのお母さんが作ってくれるお菓子を再現してみたいなと思いつきました。
でも、パンケーキがなんで、curlyなんだろう?と疑問になりました。
もしかすると、ホットケーキミックスで作れるようなものではないのでは?
お料理の本で調べていたら、なんだかクレープのようなものらしいです。イーストを使うこともあるらしい。
できるかなあ・・・。
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英語を話すこと 言語の種類に関係なく人とコミュニケーションをとること。
この二つは、どちらもある意味難しく、でも、どちらも出来ると本当に嬉しいし、人生楽しくなる。
きょうは、パーティの1歳から16歳までの合同パーティ。
みんなが楽しそうで、見ている私も、なぜか顔面前回笑顔状態。
何がこんなに嬉しいのかな?
「年齢をこえてコミュニケーションをとっている子どもたちの姿と心の暖かさと柔らかさ」が嬉しいのです。
なぜって、これが、間違いなく、パーティ合同発表会などのときの、英語力の底上げにもつながっていくから。
大きい子たちが、すごい力で小さい子をひっぱり、そして、小さい子達もついていく。
そのための基礎が、こんな日にも養われていきます。
きょうのトピックス。
K君。 今年、いよいよホームステイ。でも、まだまだ、いまどきの中学生らしく、自己表現が苦手・・・だったのに、きょうのお話たどり担当のうまかったこと。
すごく明るく大きな声で、小さい子まで引き込む寸劇形式で、楽しかった。成長に心の中で涙。
T君。PRのJ君が、「もっと走るゲーム、ぼくもやりたかった。!」と機嫌をそこねて、静かにすねてしまった。
私が、誰かなぐさめてあげてというと、T君がずっと背中をとんとんとさすってあげていた。
J君もそのうち、気持ちもおさまったのかニコニコ。
お母さんが「あんな優しい気持ちを真似してくれれば・・・。」とつぶやかれたのを聞いて、昔のことを思い出しました。
以前、T君ママは、パーティのTやKの優しさにふれ、「あんな子になってくれたら。」とつぶやいておられましたが、今度は言われる立場になっているんですね。ほんと、感動。
M子ちゃん。妹のK子ちゃんの面倒もよくみますが、きょうは、PRの子も抱っこしてあげていました。
その姿が様になってるんですよね。小さいころから、ミニ育児のようなことをして育つラボの子たちは、絶対、子育てのとき参考になってると思います。
人が人と交流すること、それは楽しくも、現代では難しくなってきている。でも、ラボにいると、たくさんの交流する姿を見つけられるし、受け継がれている優しさ、思いやりに触れることが出来る。
そして、それが、間違いなく、英語でコミュニケーンすることにもつながっていきます。
根っこは、同じなのですから。
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とにかく怖くて、その後、「耳なし芳一」とつぶやくだけで、ひやーっとしたのを今でも覚えています。
何がそんなに怖かったのかな?
まず、亡霊が怖かった。ただの幽霊じゃなく悪意を持つ霊がやってくること。
子どものころ見る夢で、おばけとかが自分の家に侵入してくると、よく私は透明になって逃れる~的なパターンがあった。
そこで、自分の耳だけ見えちゃってたらどんだけ怖いか!
そんなことを考えてた気がする。
今になって、CDで聞いてみると、
お経の力を、子どもなりに信じていたんだなということに気づく。
お経が書いてあれば、自分を守ってくれる。
このお寺の宗旨は、何だったのでしょうね。
般若心経が書いてあれば守られるって、すごい力があるということで、子どもでなくても、こんなお話を聞けば、何か書くときには、もらさず耳まで般若心経を書こうと思うかも。
それに、安徳天皇のお墓の前で、芳一がびしょぬれになっているところも、大人になると気になります。
お墓参りにいくと、水をかけますが、そのシーンにかぶります。
耳を持ち去られた後の芳一を想像しようとすると、これも大人になったからこそですが、ゴッホの自画像とかぶります。
お正月というのに?、時間があるので、いつもより長いCDを聞きつつそんなことを思いました。
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昨年末から、西遊記を火曜日のクラスでは遊んでいます。
小学3年の男の子がお話を全部読んだとかで、詳しい!
私も、上巻は全部読んでいたので、話があいました。
でも、岩波少年文庫の中、下を、このお正月に読むことを目標にしていました。
記憶に残りづらい面白さ!
それにしても、八戒と行者(孫悟空)は、相性がよくないんですね。
いっつも八戒が「孫悟空のいってることは嘘ですよ~。」という種類の適当なこといって、三蔵を惑わす。
また、三蔵も、それに惑わされてしまって、ますます孫悟空の行く手を困難なものにしちゃうんです。
なんというのでしょう、桃太郎みたいな、日本人にしっくりくるパターンではなく、幾重にも策略をめぐらし、それがまたユーモアにあふれておもしろい。
私の今までに知りえない策略パターンと、思考回路なので、一回読んだだけではストーリーテリングしづらいというか。
今の男の子たちは、西遊記に出てくる多種多様の武器や、いろいろな動物が妖怪化して、実にさまざまな悪さをしかけてくるこの話、誰かがおもしろくストーリーテリングして導入してあげれば、はまるんじゃないでしょうか?
CDだけしか聞かないのはもったいない深い妖怪と術ぶりが本の中にあります。
山神、土地神がいて、菩薩、天帝もいて、竜神や、その土地の動物などが妖怪になっていて、想像力で複雑に構成されている世界観が、読んでいるうちに本当にあるような気がしてきます。
以前、取り組んだ「鏡の精」に出てくる毒竜、西遊記を読んだ後なら、もっと納得できる存在となっていたかなと思います。
それにしても、物語のない現実的な現代の世界観は、なんとさびしいことでしょう。
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職場で、北上に出張していた上司がおみやげに買ってきてくれた、現地で買えるお菓子。南部せんべいのはみでた耳のまた端?なのかな、そこだけを集めて売っている。職場のみんながおいしいというので、全員に一袋ずつ買ってきてくれました。
年末に、帰省した弟が「美味い!」といって、ビールとぽりぽり食べてたので、注文したところ、なんとお正月中に届きました(笑)
10袋も注文してしまいました(笑)
地区で取り組んでいる「耳なし芳一」にちなんで?!今度の高学年活動にもって行きます!
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「生きるとは、自分の物語をつくること」河合隼雄 小川洋子 新潮社を読みました。
その中に、「黙っていられるかどうか」という章があります。
これには、うたれました。ラボっ子と話していても、まてずに、呼び水を与えてしまったり、こちらが先まわりして「こうなんじゃないの?」とその子の物語を作ってしまう。
反省の日々。
一昨年お亡くなりになった河合さんのカウンセリングはすごいです。
たずねても一言も中高生が答えられないのは、自分の内面の葛藤をあらわせるぴったりの言葉をつむぎ出せないからであり、そこに寄り添おうとする。
寄り添うとは、決して呼び水を与えてしまって、大人側の勝手な物語を作ってしまうことではなく(そんなことをしたら、ますます黙るらしい)、心を決してその子から話さず、じっと一緒にそこにいること。
は~。そうですよね。
わが子が、小さいとき、どんなときでも「ねえ、ママ。」といってきたら、手を休めて聞け!という教えを守ろうとしつつ、難しかったけど、今は、じっと黙る子に寄り添うことですね。(ちなみに娘は良く語るタイプ。)
黙りながら、「お昼ごはん、何にしようかな?」とか考えては絶対だめだそうです。(笑)
何にも話してくれず、かつ、河合先生も、じっとその子に寄り添っていて、でも、また来るとはいわないだろうと思ったら、家に帰ってその高校生は、「高校生の気持ちをあそこまで理解している人はいない」と母にいったそうです。
そんなものかもしれない。そして、そんなことを大事にしたい。
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職場でお借りしたCDを聞いてみました。
昔、娘がおなかにいるとき大江千里のコンサート行きました。
朗読や読み聞かせのプロの上司が、読み方が自然でいいよ、と勧めてくれたので期待大で聞きました。
すごく良かったです。いつか、ラボライブラリーの朗読とピアノ作曲、してくれないかなあ。
ぐりとぐらって、性格が違うのかもって、このCDを聞いてはじめて気づきました。
考えたら、青いコートのぐり 赤いコートのぐら、正反対の色を好んで着るんだから、性格も好みも違うかもしれませんねえ。
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きのうの日記の続き。
「子どもの脳と仮想世界」より
ミラーニューロンの発見が教育と子育てにもたらす重大な結論の一つは「子どもは物語を通しても心を学べるのだ」という強い生物学的根拠かもしれません。と本文にあります。
「昔話やおとぎ話、そして数々のメルヘンがなぜ子どもたちに愛されるのか。その深い理由は人間の『心のひな形』がこれらの物語の中にシンプルで純粋な形で埋め込まれ、彼らの『春の鏡』に移りやすいようにうまくアレンジされているせいなのかもしれません。」
※春の鏡 の 春とは、子ども時代を人生の春にたとえた表現
本文に、子どもたちは「スーホの白い馬」を読み、馬をなくした少年の悔しさに涙をするのではなく、この物語のなかに悲しさをみるのだ、悔しさを体験するのだ、とあります。
「自ら動作化したり、劇化したりすることによって物語にこめられた心や感情が子どもの脳の『春の鏡』に映りやすくなっていくのです。言い換えると、ミラーニューロンという『鏡』によって、子どもたちはたとえ仮想世界の体験であろうとも、あたかも現実世界の直接体験と同じようにリアルに感じとれる心のしくみを与えられているということです。」
こういうことを英語と日本語の中でやる。
子どもの持つ脳の働きの自然な要求があるので、プレイルーム、幼児年代でも、物語で遊ぶことが楽しい。
きっかけを作って、こうやって物語の中で遊ぶのって、楽しいんだよと伝えてあげれば、あとはいくらでも自分たちから提案しはじめる。
そして、作者のいう「夏」思春期になっても、よりいっそう人の心を知ること、他者の存在を知る過程でテーマ活動は大切になり、子どもたちも、高学年活動などに強制されずとも自ら取り組むようになるのでしょう。
英語でも、深く深く疑似体験をしている。そんな環境を40年前に発明した人は、えらかったと思います。
そして、今、受けつぐ私たちが、いっそう物語りと子どもを結びつけ、自ら学びはじめるのを見守る「仕事」に一生懸命にならなければと思います。
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