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2人の3歳児PRクラスに、入会予定のゲストを迎えて、3組でてぶくろをやる。
きょう、うれしく思ったのは、子ども達がWho are you?
やMouse,Rabbitなどのセリフの部分をいえたことと、お母さんが私以上に
役としての出番が多かったこと。
きょうのPRのお母さんたちも、優しくて柔らかい暖かい印象のママたちで、まだ私からみると、娘さんのような奥ゆかしさがある。そんなママに、
かえる、そしておおかみだの熊だのをさせてしまう子ども達のパワー。
○○をやって!とママに依頼し、自身も“Who are you?”“Mouse!”など英語もいいながら、お話をつきすすんでいく。
テューターとしては、足りない役は、お母様にやっていただきたいなという
思いがある。
でも、大人であるお母様に、○○ごっこのようなことを、強制するのは
ためらいがある。
いくらテューターである私が、床をはって犬の真似ができるからといって
精神的に大人になっている方たちに、ごっこ遊びは、こちらからは
強要していいものでも、もちろん強制するものでもないと感じる。
もちろん中には、そういうことが好きで、出来る方もいらっしゃる。そういう方には、どんどん、個性を出した役をやっていただきたいし、やっていただけると嬉しい。
(私自身は、子どもの頃は、人前で歌も歌えないほどの恥ずかしがり屋で、
いまだってテューター研修のテーマ活動、すごく不器用にしかできない・・・。)
きょう、お母様が私以上に、役になってくださったのは、○ちゃんのままがやって!という子どもから熱い視線とリクエストの言葉があったから。はじめ、ねずみは、私がやろうかと動くと、役決めなどしていなくても「Aちゃんやる!」と布にちょこんとAちゃんが座る。 やりながら、「かえる、frogがいないね、どうしようか?」と
たずねると、Tくんが「まま!」という。
うさぎは、Tくん自身が「ぼく」といってはじめて、私が「足が速いんだよ」というと、すごい勢いで走る。ママ達みんな微笑む。
お話どおりにやることに一生懸命である姿に接していると、かわいくて
「おしゃれぎつねがいないよ」との私の声に、子ども達の視線がいっせいにAKちゃんののママにいくと、ママも、もう断れない。
子ども達の勢いが、ママを自然と動かす。
「おおかみ grey wolfは?」
残っているのは、Aちゃんママ。「ママがやって。」とAちゃんも。
ママといっても、まだ可愛らしい雰囲気のあるAちゃんママには似あわないなと思いつつ、「きょうは、grey着てるからぴったりね。」といっておく。 次、いのしし。私がやる。 ゲストのAKちゃんは、ままと一緒におしゃれぎつねなので、くまが不足。お母さんに、2回役をやらせては気の毒だから、私がやろうかと立ち上がろうとすると、子ども達から、Aちゃんママやっての声。
「私?!」という軽い驚きとともに、二役をママがやってくださる。セリフは、私が「くまは、わしもいれてくれーっていうよ。」と英語のときにでもいうと、それを聞いて言ってくださる。 CDどおりでなくても、日本語のセリフだけでも、子ども達にとってはお母さんがその場で、その役になってくれているだけで満足そう。
他の世界へ、自分をつれていく楽しさ。それがここにはある。
空想の世界だからこそ、楽しくなれる。3歳児だって、現実だけじゃいやなんだ。
昨年の春、2歳8ヶ月でラボをはじめたTくん。はじめてのお話は「はるかぜとぷう」。
どうすれば、とぷうを身近に感じてもらえるかなと、木からとぷうを糸でつるしておいた。
それから、すこしづつ。そして、途中、お母さんが二人目を妊娠なさって、今までのようには、彼の思い通りにいかないこともでてくる。
SBをやろうとしても、「何もかもいや。」という、どうにもならない感情を抱えているように見えたときがあった。でも、そんなときも、ティムラビットやろうと誘いかけると、
驚くほど見事に気持ちを切り替えて、犬の役を、元気にとびはねてやりはじめた。
今、ここにいる自分の現実は思い通りにはならないけれど、なにかになっているときの気持ちは晴れやかで楽しい。こんな幼い子だからこそ、現実の思い通りにいかないことを理屈では処理できない。大人になれば、「また、時がすぎれば楽しいこともあるさ。」ってわかるし、「これが終われば他の楽しいこともある。」と今、わきおこってくる感情を薄めてしまうこともできる。
でも、幼いからこそ、それが出来なくて、苦しいんだ。そんなときに、こころをお話の世界に遊びに出してやることができると、ほっとするんだろうな。
子供達が、ほっとする瞬間、今の自分からお話の登場人物になるとき、それはストーリー仕立てにしたSBのなかの動物園のライオンのときもあったけれど、それをお母様たちと、嬉しい視線で会話しながら見守ることが出来たのは、幸せな時間。
この子達が、こんなにも真剣に、想像してお話を楽しむ理由はその辺にあるのではないかな。
英語のセリフだって、さらっといえるのは、そのセリフの気持ちに同調できてるから?いわされてる感じでなく、聞こえてくるCDの言葉を役になってる自分がいうのは、「自然なこと、必要なこと、うれしいこと」ととらえているように見える。
なぜお母様にやっていただきたいのか?それが私の中でもはっきりとわかった。
想像の世界で遊ぶこと、自分以外のものになること、自分以外のものの気持ちになれること、それはこの子達にとって、とても貴重な体験。そういう貴重な体験をするお手伝いをしているんだという意味があるから。お母様には、そうやってお子さんと関われることをちょっと誇りに思って参加していただければと思う。
そして、ふとした瞬間に、何かになって相手とすっくと向かい合ってみると、今までの自分とその人の間にあると思っていた関係が、
ゆらゆらと変化してくるおもしろさを、大人として体験していただければ、
それは、人生のもう一つの楽しみが増えたこと。願わくば、そんな副産物を、ラボから差し上げられればいいなと、思っているのです。
今までも、お母様とこのグループの子供達のごっこ遊びのときのさりげない関わりをいいなと思っていたのですが、Tくんママが里帰り出産でしばらくお休みになる前に、ちょっと整理して考えてみました。
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KくんHちゃんのおじいちゃまは娘のかかりつけのお医者様。
娘をつれていき、インフルエンザの検査結果待ちの数十分に
Kくんのいいところを、私の視点で語ってしまいました。
こちらからラボの話題をすると、先生が
「Kは、思い込みが強くて、理解してくれる学校の先生に、これから
出会えればいいんですけどね。」と心配なさるので、
「大丈夫です。Kくんは自分の感じたことを信じているんです。
それにしたがって行動できているんです。それに、とても愛嬌があるし
かわいげというのがあるお子さんですから、きっと理解されますよ。」と
お話しました。
前は、立派なお医者様で、ユーモアのセンスも抜群の
パーフェクトな先生の前では、自分がお孫さんをお預かりしていることを
話すのも気がひけて、お薬をいただいて帰ってくるのみだったのですが…。
ここのところ高学年活動で接する、育っているラボっ子の姿に、勇気をもらって、話すことができました。
あの子達だって、私達大人と話すのは、気が引けるときもあるかもしれない、でも、臆せず、伝えたいこと、親しく思うこと、共通の話題については
話してくれるじゃない!私だって、がんばってみよう!と素直に思えたのです。
ラボっ子から、大人の私が勇気もらいました。
午後のパーティにも、出張のお母さんの変わりに、会津から留守番にいらして、お孫さんを送りがてら見学なさったおばあ様に、ラボってどう思われるのかな?と心配しつつ話し掛けてみました。
「いかがですか?いつもこんな感じでやっているんですよ。
○ちゃんは、小さい頃からやっているので、CDを聴いてのリピートも
うまいし、とにかく発言がいいんです。考えていいこと言うんですよ。
きょうも、そうでしたよね」と同意を求めてしまいました。
すると、おばあちゃま。
「楽しそうですね。感心しました。」とおっしゃってくださったのです。
そして、「この子がラボだけは、どうしても休まないというので、腰が
痛いのですが連れてきました。」と、納得してくださった様子で
話してくださったのです。
ちょうど、「てぶくろ」のお話で、雪の寒さについての質問に
○ちゃんは、おばあちゃまのいる会津の雪ことを、元気に話してくれたし
経験していることが、お話をするときに役立つということも
見ていただけたかな。
以前の私では、目上の人に向かって語るなんて、とても出来なかったのですが、ラボっ子に力をもらい、ちょっとづつ進歩してるような気がします。
でも、MSで語るのは、まだまだ。
どんな言葉を使えば、外部の人に理解してもらえるのか、悩みます。
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PRの3歳の子が、にわとりになり、お母さんと3人でガンピーさんをやりました。
今回が3回目。はじめから、Tくんは「ぼく、にわとり」と言っていて、
私が、chickenというと、「chickenってにわとり?」とお母さんに
確認してから、自分も「chicken」というようになりました。
先週、2回目のとき、舟から川に落ちたシーンで、岸に泳ぎ着いた時点で
私が「びしょぬれだね soaking wet お日様にあたって乾かそう」などといっていると、他の2人は、乾かすのに、Tくんは、
「chickenはぬれないんだよ」というので、絵本を見直すと
確かに、ぬれてません。お母さんに、「よく、絵本を見てますね。
彼は、きっと、ぬれてないのはchickenだと思って、この役にしたんですね。」と話しました。
3回目の今日。そんなTくんとやるのですから、こちらも、真剣さが
増します。ガンピーさんは私。Tくんがchickenは2人いるから、
ママがやってといいママもにわとり。他の動物は全部、以前のPRのお母さんで、絵の上手な方が描いてくださったのがあるので、それを、岸辺にみたてた緑の布やら部屋のあちこちに置いておきました。
動物をのせるときにも、「一応、猫をのせるときはうさぎから
離れたところにのせよう」とか
犬をのせたあとは、うちの柴犬まりにするときのように、あごの下を
なぜてあげたり、
ひつじは、羊毛をつかんでは痛いかな、いったいどこをつかんで、舟にのせようと考えたり、
こうしのときは、みんなをつめて場所をあけさせてから、のせたり。
それを全部、満足そうに見守っているT君がいるのですから、こちらも相当本気になります。
真剣に取り組むTくんを微笑んでみているお母さんに「かわいいなーと思って見てらっしゃるとおもいますが、これは、すごい能力なんですよ。舟の上で、ちょうどいいタイミングで
羽をパタパタやりだしてましたよね。これは、そこまで、話の内容を理解して、想像できてるということです。自分の身にひきつけて、お話を感じる
能力、ストーリー(ことば)を表面(こころのうわべだけ)でなく、喜怒哀楽を感じるこころの部分にまで持ち込んでいける能力、自分以外のものになることを想像する内面の力は、育てないと、大きくなっても、身につかないものなんですよ。
話のあらすじはわかったけど、それで?という無味乾燥な子になってしまうんです。
今、彼が持っている能力は、大きくなって本を読むときなどにもすごい力を
発揮しますよ。」というようなことを、思わず力をこめてお話してしまいました。
お茶の場面では、フェルト製のかわいいケーキにすっかり心をうばわれた
Tくん。これは、「またいつかのりにおいでよ。」のCDを流しても
遊びつづけるかなと思ったのですが、なんと、流したとたん、
さっと腰をあげ、紙製のほかの動物もひきつれて、手を振って
空想のドアから出て行ったのです。
そして、CDが終わるとひとこと、お母さんにむかって「楽しかったね」と
いっていました。これは、にわとりとしていったのか、Tくんとしていったのか……。お母さんもにわとりなだけに、その辺があいまい…。
高学年活動発表会の後、5年生に自立心の芽が、あっちこっちに芽生えてきているのが、きょうのパーティでの姿に見られて、
それもとてもおもしろく、日記にかいておこうと思ったのですが、Tくんのことをかいていたら、なんと、「明日」になってしまっていました。
これは、12日の日記だったのになー。
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わらじを焼いてしまったきつねに、どうして、めんどりをやらなきゃいけないんだろう?
小学生クラス(1,2年生)でみんなで考えました。
T「あなただったら、めんどりをやる?」
K「……」
S 「やらない。」
答えにつまるか、単純な答えしか出てこないので、切り口をかえて
あなたのお母さんだったら、やると思う?なんていうかな?と聞いてみると
次々と答えが出てくるのです。
「うちのお母さんなら、断ると思う。」などとはっきりと。自分がどうするかはわからなくても、お母さんならと思うと、わかるのもおもしろかった。
今までのお話は、そらいろのたね、きつねはどこで拾ったのかなというと、子ども達の想像力は抜群で、こちらがうなるような答えばかり。
「あなたたちってすごい!」の連続でした。
でも、ちょっと、経験に照らし合わせて考えるような物語のテーマだと
子ども達の中には、言葉につまってしまうことも。
例えていえば、舟に乗ったことのない子に、舟にのった気分を聞いているようなもの。
「わらじをひろったきつね」でいえば、お百姓さんは、がちょうを
きつねに、喜んであげたの?それとも、いやだなーと思いながらあげたの?
という問いに、Tくん、どうしても「うーん。わからない。」とうめいてしまって答えられない。いっつも、いろんな問いに答えられる子で、お話のなかでの気づきもすごくある子なのに。
きっと、こんな体験をしたことがなくて、感情も味わったことがないのでしょう。深くきいてなかったのもあるかな。
これはいい機会と思い、「じゃあ、どんな気持ちがするか、お百姓さん役をやってみてね。」とすすめました。
二番目のお百姓さんをやると、彼はしぶしぶ上げている様子になりました。
「がちょう、あげるのどう?」と聞くと「嫌だ。」と答えました。こういうのを擬似体験できたっていうんでしょうか。
結局、みんなの中で、わがままで自分勝手で、おしゃれしてるあねさまぎつねに親切にしないと、他の村に行って、自分の悪口をいいふらされたりしそうだから、いやだけど、泊めてあげて、いやだけど、(いいがかりをつけられたら)めんどりやがちょうもあげた、ということになりました。
あねさまぎつね対策は、「やりすごす。」でした。
このお話について話していて「悪いことをすると、ばちがあたるということだ」といった子、
「自分が本当にやってみると、こうなるとわかるんだということ」、といった子がいました。
二番目のことをいった子達も鋭いですけれども、つい
「本当にあねさまぎつねのようなこと、SちゃんKちゃんがしたら、ひきさかれちゃって困るでしょう?それからわかっても遅いから、今、お話で
体験しておいてよかったね。たくさんお話、読むといいことあるよね~。」と
なんだか、最後は、教訓っぽくまとめてしまいました。
でも、子ども達は、なるほどって聞いてくれて、ほっ。
犬の入った袋をもっていると思っているKaちゃん、本当は狐はそのことを知らないはずなのに、もう、こわがってしまって、犬役の子に「袋が近い!」って抗議してました。1,2年生は、自分の身に近づけて考えられることについては、すごくリアルに想像して、逆に、経験したことのない感情については、
理解できないという時期なのですね。
何事も、あっさりと、「ストーリーはわかった。」になってしまう高学年に入る前に、感情を耕すような刺激をたくさんあげられるよう、こちらも研究しなければ。
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小5の男の子。今度の高学年発表会の自分の担当ナレーション部分を
CDにあわせていえるし、CDなしでも、同じようにいえるようになりました。
姿勢もすっと伸びてきて、声も普段、自分が何か話すときとは、
また違った感じの、すっとした勢いがあります。
その姿を見ると、ほんと、よくここまでたどりついたな~と。
3歳からラボをはじめて、昨年の6月ごろまでは、CDをつけながらの後追いは出来るのだけれどCDなしで、1人ではスムーズにいえないという状況が続きました。発表会で音楽CDになると、とたんに声も小さく、しょぼんとして。
他の子は、それなりにいえるので、彼は練習不足?いえない原因はなんだろうと探っていました。苦しい時期でした。
いえるようになった今、いえなかった原因というのはわかりません。
でも、いえるようになったきっかけの一つは、冬の発表のための聴き取りレッスンで、どうしても聞き取れないところに、カナをふることでした。
耳の中に残った音を、自分で書き取ってみること。カナ書きさせるということに、私のなかでは抵抗はありましたが、書き取ったものと、聞いたものに違いがあると思ったら、すぐ直してねと念を押して進めました。結果、小5の段階では、書き取ったものも、英語らしい音をひろっていて、読むと、「あなたには、ここがこう聞こえるのね~。」と感心するようなものもあり、「読んだ英語」になってしまうことはありませんでした。
耳はとてもよく、今聞こえた音は、何かという判断は、とても早い子だったので、本人は、書き取ることに苦痛がなかったことも幸いしました。
「ナレーションが出ない」という、外から見える状況だけで、子どもの今を判断するのはいけないと思います。今、内面は、どんな様子なのか、それをはかりとってあげなければ。
でも、いえるようになった彼をみていると、単に暗記したナレーション、セリフを言っているというよりは、何か晴れ晴れとしたもの、自分の中にあるものを、気持ちよく外にむかって出している、それがとても心地よいという風にみえます。
彼の心の中には、単にいえるようになったという以上の、大人の私にはわからない、何か晴れ晴れとした世界が広がっているのではないでしょうか。
姿勢までよくなり、遠くまで声を届けようとしている姿を見ると、そう思えるのです。
まだ、自分の自我にひきつけて、深く体に染み込ませてのことばというには
時間と、他の刺激が必要になると思われます。
しっかり見守り、この半年、高学年活動やパーティ内で小さい子とナレーションペアを組んで責任感が芽生えたことなど、直接、英語と関係がないように見える「出会い」が成長につながったことを、心に深くとめて、わがパーティ未踏の世界へぐんぐんわけいっていきたいと思います。
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こども図書館発行の雑誌のバックナンバーのなかに、そんなおもしろいタイトルの講演録をみつけ、あれこれ考えるきっかけになりました。
昔話を読んでも、「ああ、よかったじゃん。」でさらっと終わってしまう現代っ子があらわれている?ライブラリーを、1,2回きいて、「聞いた。話は
わかった。」とすませる子と同質のものかもしれない。
昔の人が、自分の子孫に知恵として伝えようとした奥深さを秘めた昔話も
まるで、CMで途切れながら見るTV視聴後の感想のように言ってすませてしまう。
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ゆっくりと空想する時間を持たないことは、話を自分にひきつけて考える時間をもてないということ。
現代は、生活がひどくせわしなくなっているので、お話しを聞いても、自分のイメージを生き生きと描いて、あれこれ考える、思いめぐらすということがない。そのための時間がない。
自我は外的刺激を受け止めるだけで精一杯。自分で、刺激と刺激を組み合わせて、自分のイメージをつくりあげていくことができない。空想を豊かにしていくことができない。
たとえイメージが浮かんでも、散発的で、分散、拡散しているままでは、自我に統合していない。
語られた話のモチーフを自分でイメージにして、それに肉付けしていくこと、そのイメージをより生き生きした、自分にとって意味のあるものに仕立てていくことが、イマジネーション。
人の話や物語を聞いて受け取ったものを、自分の中に深く引き入れて、自分の内的な世界と対話させて、自分に身近なものとして感じること。それが豊かな内面を持つということ。たとえば空想のなかで、恐ろしいものに何回も直面して、克服すること。おそろしいものも自分の世界にとりいれることができ、そして恐れないような人格構造ができる。その過程が大事なのに、今の人にはなかなかそれができない。内面が育たない。
ユングいわく、「現代人の心は外へ外へと向かっている。」目に見える世界、さわれる世界だけを信用しがち。
そうして、世の中があまりにも外向きになると、多くの人が、自分の内面に対して非常に弱くなってしまっている。内面をコントロールできずに、すぐにキレルのも、その現れ。
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以上のような内容に、確かに・・・と思いつつ、ラボっ子は、テーマ活動するときに、「自分の中に深く引き入れて」という作業をしてるなーと、思いました。
ラボっ子も、いえ、いろいろなことに積極的に取り組めるラボっ子だからこそ、忙しい。でも、立ち止まって、昔話をはじめとして、先人が生きる智恵として与えてくれた物語を、自分の自我にひきつけて考えることは、テーマ活動を通して出来ている!ではないか。感動。
冬の発表会で、ホッレおばさんのマルガレーテをやった小2の子のことを思い出しました。「マルガレーテそのもの!」との誉め言葉をいただいたのですが、彼女が、聞き込むに連れて、私に、いろいろな話をしてくれました。
「私、この前、何のお祝いでもないのに、おいしいケーキを家族で食べたんだ。そのときね、なんだか、マルガレーテのこと、思い出しちゃった。
マルガレーテは、こんな風にケーキを、なんでもないときに食べたり
絶対できないんだろうなって。」そんなエピソードをいろいろと話してくれて
、自分に十分にひきつけて、内面を豊かにしてのぞんだマルガレーテ役だったから、見ている人にも伝わるものが多くあったのですね。
でも、ただ「ライブラリーを聴いて来てね。」というだけでは、やっぱり、その子のその時の状況によっては、全然、内面にひきつけて聞いてこれない。
そんなときは、テューターの投げかけ、発信、導入が、その子が物語から何かを受け止め始めるきっかけになるために、一役買えるようにしたいものです。
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講演録(A4 5枚分)は、私の日記より、ずっとわかりやすく、また他の内容もあります。
もし、お読みになりたい方がいらしたら、FAXしますので、ご連絡ください。
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2歳児のPRから11歳の小学生クラス 4クラスを一日ですませると
まるでタイムトラベルをした後のような感じが味わえます。
2歳さんとは、「なぜか、動物を舟にのっけるのって楽しいよね~。」というところの感覚を研ぎ澄まして、ガンピーさんをやりました。
3歳さんとは、ワフの3話。私が、普段、「ちゃんとドアから出なきゃ。」とごっこ遊びの壁を突き破らないようにしているのを見ていて、
きょうは、3歳の2人から、「ドアから出なきゃ。」と指摘されました。
そんな注意なら、何回されても、嬉しいし素直に聞けます!
幼児クラスは、アリス1話。私の予想を裏切って、女の子3人もアリスより
白うさぎがやりたいと言い出して、仕方なく(嬉しく?)私がアリスになり
ました。
途中、場面によってめまぐるしいほど、女の子たちの役が変わりました。
このクラスの特徴は、ちょっと怖い場面、ちょっとかわいそうなところが
あると、さっと違う役になると言い出す敏感さ。
来週は「さんびきのやぎ、やりたーい!」というのを聞くと、でも
あなたたち、トロルをすっごく怖がってたのに、成長したね~と思いました。
小学生クラスは、トムソーヤ。カンテラとダウンライトなど、夜を
つくって9人で、にぎやかに。唯一の男の子が休みで、全部、女の子で
やりました。でも、トムとハックに見えてくるから不思議。
このクラスは、一人一人の個性がくっきりして、みんなきらきらしてます。
来週からは、進行は全部、リーダーさんにまかせることにすると伝えたら
「願ったりかなったり!」って感じの反応でした。
一日4クラス。その子ども達の年齢にあわせた感覚で物を見ようと
無意識のうちにしているらしく、次のクラスに入る前に、
ぐっと力をいれて集中して、タイムトラベルしています。
こういうこと言うと、娘に「ママは魔女だから、変なこと言って。」と
言われるのですが、自分がその年齢の頃に使っていたコップとかが
突然、思い出されてくるのですよ、ホントに。
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きょうは図書館の幼児対象のお話し会がありました。
お話し会が終わり部屋から出てきた子ども達に、司書さんが「いちご」福音館の本を手に持って
「この本借りたい人!」というと、4~5人の子ども達が、真剣なまなざしで
ぱっと手をあげました。
読み聞かせしたのは、ベテラン司書の男性。
この方は、「読書で遊ぼうアニマシオン」という本の巻末にアニマシオンの
ための参考図書リストを書いた方で、学ぶことのとても多い方です。
「いちご」は定番良書ではあるけれど、いつもは取り合うほどの大人気という本ではないのです。
それが、このベテラン司書の読み聞かせの腕にかかると、
会が終わって、大人気の本に変身していました。
どんな読み聞かせをしたのか、部屋には入れなかったのでわかりません。
でも、図書館にあった「いちご」の本5冊は、全部貸し出されました。
手にした子達は、みんな、本というより、ほんもののいちごを
もらったような気分だったのでしょうか。
読んでもらったときに、口の中に、いちごの味がいっぱいにひろがっていたのでしょう。
私も、こどもたちにとって、そんな風に、本やお話を魅力的にみせて
あげられる大人でいたいと強く感じた一日でした。
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きょうは、めずらしく小学生とぐるんぱの幼稚園をやりました。
いつもは、プレイ、幼児と楽しむお話しを小学生とやってみて
また違う楽しさがありました。
その一つが、
Sちゃん「なんでぐるんぱって名前なの?」
テューター「しらないなー。何でなんだろうね。」
Kちゃん「鼻をぐるぐるまわすからじゃない?」
一同「ふーん。」
みんなの頭の中は、しばし鼻をふりまわすぐるんぱの姿でいっぱいに。
それでよかったのでしょうか。
もう一つは
12人のお母さん役のテューターに、なんと、子供役の子達が次々と
靴下をぬいで、渡してきた。
おー、一日、しっかりはいて汚くなった靴下を、全員、私に!
さらに、感激したことには、途中から、靴下粗いをやめて、他の子の役に
なったテューターに代わって、Kちゃんが、みんなの靴下を洗い始めたのです。
お迎えにいらしたお母さんに、Kちゃんの姿の可愛かったことを伝えていると、横からKちゃんが、
「あのね、あの靴下、KIちゃんのまでしか、洗えてなかったんだ。そこで
お話しが終わっちゃったの。」と報告していました。
ほんと、楽しい小学生とのぐるんぱでした。
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HPを、やっと作ることにしました。なぜか、こわかったのです。でも、勇気をもって、すすんでみようと思います。
「おすすめの本」というページを作りました。私は、本関係の場所(ヒミツ)にも嘱託員として勤務しているので、本に出会う機会が多いです。そこで、出会って感激したもの、力をもらえた本を紹介してみたいと思います。
ほかにも、「わらべ歌」の本がプレイのおちびちゃんたちと接するのにヒントをくれたこと、「絵本で育つ子供のことば」「えほんで楽しむ英語の世界」などなど、いろいろ力をくれる本のこと、つたない文ですが、紹介するつもりです。よろしくお願いします!
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