幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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かにどん、かにどん 11月19日 (金)
もみじ
 冬眠している間、時間だけはたっぷりとあったので、
とにかく読む、見る、聴くに徹した。
 音楽会、舞台、美術館とやりたい放題。
 とくに本については、これまでほとんど手にしなかった
経済関係や福祉、医学、植物など、
砂漠でオアシスを見つけた隊商のごとくがぼがぼ。
そんな乱読の果てに思ったのは、
人の心に深く入ってきて、なにか真実のようなものを
語りかけてくれるのはやっぱり「物語」なのだなあ。
 さて、昨日も書いたが、ラボ・ライブラリーをめぐるあれこれを、
とくに「資料集」などの公的刊行物に記載されてないこと、
また、あっても遠い過去の機関紙誌のどこかに眠っていることなどを
メモがわりに少しずつ書いてみようと思う。
 それが後の日に、すぐれた事務局編集者の手でまとめ
られることでもあれば望外の幸せである。
 したがって(くどいようだが)、
あくまでも1OB(アウトオブバウンズ?)の私見であることをご了解
いただきたい。それと、昔の日記と一部重複しても許してね。
 とはいえ、なにから書こうかと思ったら、
あまりに書くぺき料が多すぎるのに今更ながら気づいた。
テーマ的なことを書くだけでも1作品について相当長くなるし、
重要な英語、日本語、訳の対応などのことばについても
ふれていけば、これはさらにたいへんだ。
 そこで、順不同で、誰かと最近話したこととか、
質問されたこととかをひろげるかたちでスタートする。
SK1からなんて、はじめなくてよかった。
 で、例によって前置きが長いが今日は『かにむかし』のこと。
先日、ある人が「『かにどん』は"Mr. Club"と男性で表現されているのに
なんでこがにが生まれるのか」という。
 これは、発刊後もよく寄せられた質問で
1986年11月号の『ことばの宇宙』の質問コーナーで
回答したことを記憶している。
 そもそも、昔話にあまり科学的合理主義をもちこむとおもしろくない。
「石から猿が生まれるはずはないだろう」、といったら孫悟空も
否定されてしまうし、『ポアンホワンけのくもたち』で、
きょうだいたちが虹やツルなどに出会うのに、
ほかの雲にいっさい出会わないのもふしぎといえばふしぎ。
 しかし、常に真実を知りたい「どうして魔人」のこどもが納得しないとき、
そんなことをいっても無意味。
「頭で考えるな、心で感じろ」とは昔よくいわれたが(誰に?)、
こどもに考えるな、論理を放棄しろというのもこれまた暴力装置的発言。
 それで、ちょっと整理してみる。
まず「かにどん」の「どん」だが、これは「殿」が
変化したもの。愛称といってもいい。好例は「西郷どん」だ。
この「どん」は、九州だけでなくわりと広い地域で使われていた(る)。
そうきくと「どん」=男性のようだが、「おたけどん、おつかいにいっておいで」などのように、女性に対しても用いられる呼称だ。
さらにいうと蔑称となる場合もある。
 さて、英語のMr. Clubだが、日本語にどんという
呼称がついているかぎり、なにかでうけざるを得ない。
日本語の「かにどん」は中性的に表現可能だが、英語では中性的呼称は
ほぼない(最近はchairmanとはいわずchairpersonなどとERA=Equal Rights
All Women and Manを意識した表現が多くなったが、それでも姓名の前に直接つける呼称、尊称には性別がある)。なにかあるかなあ。
 ともあれ。ここで生まれる英日の差はいかんともしがたい。
これこそ言語文化の差。
 ただ、それでも英語はスペイン語などと比較すると性の区別はまだゆるい。
言語学の先生にうかがうと、「時制にきびしい言語ほど性の区別にきびしい」
とのことだった。確かにスペイン語は冠詞にも性別があるし過去形も複雑だ。
 後年、宮沢賢治の仕事をしたとき、『かにむかし』の英語を担当した
パルバース氏とこの話題にふれたことがある。
すると氏は「たしかにその差は気になるかもしれない。
でも、英語版だけでいえば、こうした昔話の場合は特に
Mr. Clubが男性であることは意識しない。古いイギリス昔話でも、
いつのまにか主人公の動物の性別が入れ替わったりしている」
※この話は、神宮輝夫先生が『トム・ティット・トット』の
日本語を担当されたときも、同様のことをおっしゃられていた。
 ここまで、読んだ方は「なんだ、これではとてもこどもに説明できん」
と思われたであろう。しかし、またれよ。
 当時、そんな皮相的な言語学もどきの説明をこどもに伝えるのは
とっても無理とぼくも思った。
 そこで窮余の一策。多摩動物公園で飼育課長をされていた矢島稔先生に
直接電話した。無礼千万だが、じつはその数か月前に「ラボの世界」のインタビューでラボっ子とともに先生にお会いしていたのだ。
先生の蝶について書かれた文がとても美しく、
それに感動して会いにいったのだか、
自ら園内を案内してくださりながら、飼育について熱く語られ
るそのお姿から、動物にかける愛情の深さが感じられた。
※先生が手がけられていた昆虫館では、世界の蝶が見の前で飛ぶのを見られる。
 矢島先生は、おどろくべきことに木下作品もかなり読んでおられて
もちろん『かにむかし』(1976 岩波)もご存じだった。
 そして、夜分にもかかわらず先生はやさしく教えてくださった。
「あの汐くみにいくカニはおそらくサワガニのなかまでしょう。
うみべで産卵するなかまもいます。しかも、オスが、メスが生んだ
卵を孵化するまでお腹の下に抱えている種類もいます。
かれらは岸辺で波の寄せ返しにあわせて孵化した赤ちゃんがにを
放出するんですね。その動作も汐くみに見えるかもしれません。
ですから、オスのカニがこがにを生んだように見えても
なんのふしぎもないです」
 ぼくが最後に非礼をわびると、矢島先生は
「いえいえ、お役に立ててなにより。でも、昔話にあんまり
科学の理屈をもちこむとつまんないよね。ハッハッハ」
と豪快にわらわれた。

 次回は『なかぐつをはいたねこ』の絵について書く予定
 
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