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瀬戸内中年感傷旅団 その2 漱石とPrivacy 02月23日 (水)
どうご そうせき
 本当は、昨夜に更新しようと思ったが、会食が楽しく
帰宅が遅くなったので今日にした。
 会食の相手は二人。一人は特別参加で
この「ひろば」にもベージをもっている事務局OBアスペルさん。
もう一名は、1970年代後半に関西支部で活躍、
現在は東京農工大学で准教授をされているラボっ子OBの中條氏。
※元槌賀Pでニックネームは「ノーちゃん」。
 最近はじめたfacebookのおかげで、なつかしいOB・OGと
どんどんつながっておもしろい。
エジプトの革命のスピードにはおよばぬが、毎日のように
「おぼえてますか」となつかしい顔からリクエストがくる。
 会食の場所はアスペルさんご用達の吉祥寺のイタリアン。
気のおけない店で、味はすばらしかった。
それぞれの居場所が東小金井、吉祥寺、中野なので
まあ中間点というわけだ。
 18時というはやい時間のスタートだったが、
34年ぶり(三名は1977年に関西支部にいた)の集まりだったが、
ラボおそるべし、あっという間に時の川をこえてしまった。
とくに、ラボの初期の「なにかがそこにはある」と信じて
「すべて手探りで」ひた走っていた時代を共有できたことは
本当に幸せなことだと思った。
 ところで、吉祥寺といえば10日ほど前、池上氏の番組で
やはり著名人OBである藻谷浩介氏
(日本政策投資銀行参事役・地域エコノミスト)。
が、「元気のある街」として紹介していたなあ。
若田さんといい、OB。OGが活躍しているのはうれしいのお。

 前回は平山郁夫美術館をたずねた生口島の報告。写真上はその前日に
撮影した「道後温泉本館」。
 道後温泉の歴史はめちゃくちゃ古く、3000年以上昔に遡る。
事実、付近の山からは縄文式土器も発掘されている。
足を痛めた白鷺が、岩の間から流れる水で傷をいやしたのを見た村人Aが
「ありゃ、これはお湯だ」という話が伝承されている。
また、「伊予国風土記」には
オオクニヌシとスクナヒコが伊予へ旅をしているとき
スクナヒコがバテてしまったので、
オオクニヌシが海の底に管を通して大分から
湯を導いたという逸話がのっている。
神様も温泉が好きだったのだなあ。
厩戸皇子が入ったという記録もある。
伊予の国という名も「湯の国」が変化したものという説もあるらしい。
名称の由来の真偽はともかく、
道後温泉は有馬温泉、白浜温泉とならんで
日本三古湯のひとつである。

 写真の「道後温泉本館」は、共同浴場番付でも西の横綱にランクされる。
建てられたのは1894年。老朽化していた昔からの建物を
いわゆる「近代和風建築」として明治時代にリニューアルしたものだ。
※1994年に国の重要文化財に指定。
 現在でも、もちろん入湯可能(宿泊施設はなし)。
入浴料は400円で、プラス800円~1100円で広間や個室の
休憩室が利用できる。
 なんて、観光案内になってしまったが、
わざわざ紹介するのは、ここが夏目漱石の「坊ちゃん」に登場する
温泉であるためだ。
 そもそも、今回の松山行きは漱石と子規をたずねる旅だった。
松山といえば、四国最大の街(人口約51万人)。
みかん(ポンジュースのホームだ!)、松山城、
最近では、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』がテレビドラマ化され
秋山兄弟が話題にもなった。

 しかし、ぼくにとっては、やはり子規と漱石である。
なかでも、漱石は、ぼくが全作品を読んでいる唯一の作家なので
思い入れが強い。
 出会いは小学生のとき。
講談社の少年少女世界文学全集の日本編で『坊っちゃん』を
読んだのが最初である。
そのおもしろさと文章のうまさに陶然とした。
しかし、あのような活版2段組みの上製本、ケースの入りの全集、
しかも子どもむけなんてのは、現代ではまず出版企画はおこらないだろう。
写植やプリンターではなく、活字で印刷された本は
字が起立していてきもちがいい。
書籍のあるべき姿のような気がする。
 続いて河手書房の「世界文学全集」そして、岩波の漱石全集にすすんだ。
これは、同級生の家が近くで本屋をやっており、そこのお父さんが
すすめてくれた。
 このお父さんは、おもしろい人で三島も小6のぼくに教えてくれた。
ある日、店先で本を選んでいたら
「『仮面の告白』なんていいよ」というので手にとろうとしたら
おかみさんが、「子どもによろめき小説教えてどうすんのよ」
と笑いながら叱ったのを思い出す。
 『坊っちゃん』に感動していたぼくは、親にたのみこんで
出たばかりの漱石全集を買ってもらった。
恵まれていたなと思う。
 月に一冊ずつとどけられるのがほんとうに楽しみだった。
 
 その後、たくさんの物語と出会うことができたのは、
とにかく最初の講談社の全集のおかげだと信じている。
 たぶん、ライブラリーもそうだと思うが、
ひとつ「わあ、おもしろいなあ」と心から思える作品に出会うと、
「もしかすると、これは、それからあれは」と
どんどん他の作品にもふれてみたくなるのだ。

 だから、なるべく多く、すぐれた作品を用意するのは
マジでたいせつなことだといまさらのように思う。
 『十五少年漂流記』『ロビンソン・クルーソー』『スイスのロビンソン』
『ガリバー旅行記』『にんじん』『オズのまほうつかい』
 もう、あげたらきりがないが、
日本編では『坊ちゃん』『路傍の石』『春の城』『永訣の朝』
『蠅』などが強烈に心にのこった。
 とくに横光利一の『蠅』は、小品だが内容は鮮烈である。
ふつう小学生にあたえようとは思わないみの物語を
少年少女世界文学全集のなかにチョイスした編集者のセンスには
ただ感服するのみだ。
 このとき(たぶん小5)、『蠅』を読んでいなければ
横光利一をその後読むことはなかったろう。
 利一は菊池寛門下、川端康成などともに新感覚派とよばる作家・俳人だ。
 近年は、太宰は生誕100年ということもあり映画にもなったりして
あらためて読まれるようになっている。
 小林多喜二も『蟹工船』がちょっとしたブームになった。
 坂口安吾もあいかわらず人気がある。
 しかし、横光利一はなせが再注目されない。もったいないなあ・
梶井基次郎もそうだ。『檸檬』なんか、青春時代に読んで当然という
作品なんだけどなあ。
 紀伊国屋書店にレモンを爆弾に見立てて置く。なんてイメージは
じつに鮮やかなんだけど。
 
 こここでその横光利一の『蠅』の冒頭を引用しておこう。
「馬は一条の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背の老いた馭者
の姿を捜している。馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、将棋
を三番さして負け通した」
 この後にすぐ、一匹の象徴的に蠅が登場し、
続いていろいろな人物がさまざまな理由で馬車に乗ろうと
この宿場にやってくる。
 そして…。
 まあ、ラストは衝撃的で、そこでも蠅は重要なメタファーとなる。
ぜひ読んでほしいなあ。

 ライブラリー制作の仕事をしていると、どうしても読書は
制作している作品の関連図書や、次期候補作品についての
文献が多くなる。
 その中身もライブラリーの性格上、
ほんとはそうであってはいけないのだが、
いきおい児童文学、絵本、ファンタジーといった作品にどうしても
かたよる傾向がある。
支部の研究でもそのtendencyはあったと思う。
だから、意識して、自分にもライブラリー委員にも
日本の近代文学や世界の「いわゆるおとなむけの文学」も
読むべきだと、しつこくいい続けた。

 以前にも書いたが、ライブラリーが題材をもとめる作品は
「時代性」「社会性」「テーマ性」「物語性」「組織性」などの
多元的な要素から選ばれねばならない。
であるならば、その選択する範囲は広いほうがよい。
「ライブラリーにしやすさ」とか「テーマ活動のしやすさ」
みたいな結果を、あまり考えすぎると、だいじなものを見失う。
 とくに「テーマ活動」のしやすさということばは麻薬である。
「テーマ活動」は、いうまでもなく演劇とは異なる。
あくまでも教育プログラムだ。
 母語と外国語による物語を聴き、再表現し、考え、
さらに表現を深化させていく。
 いわば濃密な言語体験・言語実験のくり返すことで
物語と睦みあっていく。
 だから、テーマ活動に取り組むと、必ずといっていいほど
その物語が好きになる。
 ただ、その言語体験、物語へのアプローチのしかたが
身体と音声による表現活動であるために
多分に演劇的要素をもっている、ということだと思う。
 だから「うまいテーマ活動」などは誰も求めない。
セリフや語りが「いえる」ことは素敵なことだが、
それよりも、その子どみがどのように聴き、どのように物語に近づこうと
したかが問われるのだろう。
 だから、ライブラリーを制作する側からいえば
「劇的表現がしやすく」みたいな小技を用意しようとすると、
子どもからそっぽをむかれる。
むしろ、「どうやって表現するんだ」という煩悶するところに
物語とテーマ活動の緊張したいい関係があるのだ、なんて断言してしまう。

 ずいぶんと力んでしまったが、要するに、
絵本作品や児童文学やファンタジーもいいけれど、
たとえば日本の近代文学がひとつもライブラリーにないのは
ちとさみしいのお。
 芥川でも一葉゛ても、仕立てかたによっては
感動的なライブラリーになるはず。
※あくまで個人の感想だからね。

 話はもどって、この講談社の文学全集以前に、最初に
物語への興味をもたせてくれたのはケストナーの
「エーミールと探偵たち」だ。岩波の大版である。
母の妹、すなわち叔母がプレゼントしてくれた。
次が『ドゥリトル先生航海記』だ。
 この物語のスタビンズのように、いつか遠くにって
まだ知らない、夜と昼を見たいと思っていたぼくは、
ドゥリトル先生と友人になったスタビンズに嫉妬した。
 なにより、ドゥリトル先生がスタビンズを子どもあつかいせず
「スタビンズくん」として対等に接することに憧れた。
 そんなこともあり、文学全集でも外国作品を先に
どんどん読みすすんでいった。
 というより、日本の文学にそんなおもしろい作品があることを
よくわかっていなかっただけである。
 そんななかで、最初に出会った心ひかれる日本文学が
『坊っちゃん』だったのだ。

 漱石が松山の旧制松山中学に教師として赴任したのは
写真の道後温泉本館が建てられた翌年の1895年である。
ご承知のように、『坊っちゃん』は、そのときの体験がもとになっている。
 作品で主人公の坊っちゃんこと、「おれ」が毎日のように
通った「住田の温泉」がこの本館である。
※2枚目の写真は松山市内の「子規庵」に展示されている。
『坊っちゃん』の書き出しの原稿だ。構成の朱がはいっていて
リアルである。

 一般的に、『坊っちゃん』は痛快青春小説のように読まれる。
確かに、ガキのぼくでもすいすい読める筆力と展開のおもしろさ
小気味よさは、さすがに文豪漱石である。
だが、何度か読むと、かなり鈍なぼくにもこの作品のが見えてくる。
 くり返し聴いたり、読んだりすることはじつに重要である。
物語でも音楽でも,山とか谷がある。
一度くらいふれただけだど、山頂だけ、海でいえば
氷山の頭しか認識できない。
だが、くりかえし味わうことで、だんだんでこぼこや入江や
谷底や川や森が見える位置まで降りていくこどができる。
そうして、やがて全体が見え、同時により細かい部分も鮮やかになる。

 漱石は、もともとは造詣が深かった漢詩の世界のような
悠々とした世界に遊びたい人物である。
急速に近代化、というより西洋化する日本を少なくとも手放し
ではよろこんでいなかったと思う。
 帝国大学を出て高等師範の英語教師になった漱石は、
同時に日本人英文学を学ぶ違和感に苦しみ、
神経衰弱と強迫観念に悩まされる。
 そして、逃げるように赴任したのが松山である。
 
 その後、漱石は国から英国留学を命じられる。
1901年、20世紀のしばまりの年である。
ここでも漱石はロンドンの湿った気候と、
日本にはないたくさんの窓のがならぶ街の構造におびえ
いつもだれかに窃視されているという幻想に苦しんだ。

 西周をはじめとする明治の知識人だちは、外国語に
多くの漢語による訳をあたえた。
「哲学」しかり、「数学」しかり。
ちなみに「野球」は漱石と信仰のあった子規が名付けた。
子規は野球好きで「打者」「投手」「捕手」などの
ほとんどの野球関連語の訳をつくった。
 その功績で、子規は野球のHall of Fame すなわち殿堂入りしている。

 しかし、当時の日本人の概念になかったことば
たとえばPrivacyなどには、ついぞ訳をあたえられなかった。
Privacyは、辞書をひくと「私的自由」が一番目の意味として
あげられているが、どうもピンとこない。
 やはり日本の伝統文化にはないことばなのだ。
 漱石の時代の平均的一戸建ての家屋は、
平屋で縁側があり小さくとも庭があった。
垣根はあったが、せいぜい腰の高さであり、
道行く人と縁側で新聞を広げる漱石はあいさつができた。
垣根は単にオカルティックないわば結界にずきなかった。
 ロンドンの小さな窓がたちならぶ閉ざされた空間に
居住することは、漱石には耐えがたいことだったろう。

 2年ほどで漱石は半強制的に帰国させられ、帝大で教壇に立つ。
それに押し出されるように小泉八雲が帝大を去ったのは
有名な話である。
 漱石が『吾輩は猫である』を発表したのは1905年。
日露戦争終結の年である。
 このかなり無謀な戦争は、日本もロシまアも金がなくなり
へろへろになったところで、アメリカの仲裁で終戦する。
日本は勝つには勝ったが、賠償金などはいっさいなく、
ただ無駄遣いだけがのこった。

 日本国民はこの勝利にいたるまで、つかのま、
国家との一体感を味わう。
だが、すぐにポーツマス条約の後、
国家との乖離を身にしみることになる。
いわゆる「近代的疎外」というやつである。
 国家と個人の乖離にもとづく疎外、これは大衆のみならず
漱石をはじめとする知識人たちもまたもっていた時代の病である。
 この後、日本は大逆事件を象徴とする、
言論統制と閉塞の時代にむかっていく。

 漱石も鴎外(帝国軍医監という権力の側にあったが)、啄木も
その閉塞への危惧を抱いていたことは作品からも知れる。

 『猫』で評価を得た漱石は、翌年、『ホトトギス』に
『坊っちゃん』を発表する。
そして、1907年、朝日新聞と契約しプロの小説家となる。

 『坊っちゃん』の主人公「おれ」は、西洋化にひた走る以前の
おだやかな日本への強いあこがれを持つ漱石の分身である。
その象徴は「おれ」を溺愛するばあやの「清」だろう。
 ご存じのように「おれ」は、山嵐とともに赤シャツと
腰巾着の野だいこをボコボコにし、ただちに教師を辞職して
東京に帰ってしまう。
 
 「おれ」のたたかいは、結局はテロである。
そして、「おれ」も山嵐も勝利することはできなかった。
 武士の時代は遠く去り、役所や会社などの新たな組織のなかに
新たな職制というヒエラルヒーが生まれ、
官僚や教頭のようなパワーエリートが台頭しはじめていたとき、
「おれ」すにわち『坊っちゃん』は、周回遅れのランナーであり
時代に逆行するやんちゃ坊主に過ぎなかった。
 だから、「おれ」は老いた清をひきとって生涯めんどうを見る。
清こそ、漱石が帰りたかった「おてだやかな日だまり」の古き日本である。

 この『坊っちゃん』で漱石はプロの小説家として生き抜く決意をする。
国からの文学博士の授与も辞退し、
官の世話にはならない志をつらぬいた。
朝日新聞とも細かい契約を結び、金の亡者との陰口もささやかれたが
それはプロの作家としての矜持にほかならない。
 
 『坊っちゃん』の構想をねっているとき、門人たちが
漱石にその概要をたずねた。
 漱石が「松山時代の教師の話を書くつもりだ」とこたえると、
門人たちは口ぐちに
「先生、それはリアリスムですか、自然主義ですか」「実話小説ですか」
などとと問いただした。
 すると漱石は、
「ばかいっちゃいかん、小説なんて体験がなければなにも書けん。
問題は、それにウソの枝葉をいかに広げるかだ。
その枝葉は大きいほど豊な話になる」
といったという。

 日露戦争はアメリカの仲介でポーツマスで講和条約を結ぶ。
その中心的役割を果たしたのは、
テディの愛称で知られ、ぬいぐるみのクマの名称の由来にもなった
セオドア・ルーズヘルト大統領である。
Re:瀬戸内中年感傷旅団 その2 漱石とPrivacy(02月23日)
ラボやすながパーティさん (2011年02月24日 10時05分)

1977年関西支部・・・の3名~の響き・・・が、
とても懐かしく!(^^)!
私がラボに出会った年・・・(母がテューターになった年・・・)1977年!!

そして・・・今、パーティで「ひとうちななつ」を発表会に向けてやっ
ています~確か78年発刊ですよね~
ラボランドたかはしで、赤い紐をたすきにして「わんぱく大将」にな
り、ひとうちななつをとっても楽しんだのを鮮明に覚えています~
まだ、小学生だった・・・

あの頃の「熱さ」を持って、今のラボを楽しみたいなあ~

瀬戸内・・・の方も縁があるんですよ~、
私の夫の実家は愛媛・・夫は高校時代、坊っちゃんの町を自転車で走り
回り、部活で松山城まで走った・・・思い出の松山・・・

そして、「道後温泉」~結婚のご挨拶をかねて宝塚から家族全員でいき
ましたよ~なつかしい・・・・

(といっても、今年のお正月も道後温泉にいましたが~)

なんだか、「昔は良かった」みたいになってきましたが・・・

今年も、今年は?・・・ラボ、がんばります~!(^^)!の気分です~
Re:瀬戸内中年感傷旅団 その2 漱石とPrivacy(02月23日)
SENCHOさん (2011年02月24日 16時03分)

書きかけの日記にコメントありがとうございます。
新年爆笑大会なんてなつかしいですね。
Re:瀬戸内中年感傷旅団 その2 漱石とPrivacy(02月23日) ・
リジータさん (2011年03月02日 01時03分)

大変な手術をなさったのですね。
(Facebookには、なかなか書けず・・・)
体調も回復され本当に良かったですね。
アスベルさんもご一緒の松山の旅、さぞかし豊かな時間をお過ごしでし
ょう。

ところで、SENCHOさんの思いのこもったライブラリー『ロージーちゃん
のひみつ』は、ラボっ子達が大好きライブラリーのひとつです。
昨年の6月に始めたanother party。
ラボっ子達の初めてのテーマ活動発表は、『まよなかのだいどころ』で
した。
音楽とことばに誘われるように、ラボっ子達もin the night kitchen!で
した!
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