幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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学べることの幸せ、表現できることのへの感謝、それを人生の喜びにできる力を!  02月01日 ()
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↑国際基督教大学協会
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↑同大学ロータリー
一月はじめ麻布高校のフットボール部を招いてリクルートもかねて練習試合をした。
ご父母も参加され、みな広いグラウンドとキャンパスに関心していので
ぜひ来年はICUを受験していっしょにフットボールをしようと勧誘。
でも、ほとんどがまずは国立ねらうんだろうな。
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写真上は武蔵学園のなか流れる「濯川」(すすきがわ)。
先日の雪の日に撮影した。
いやあ、大学を出てラボにつとめてからは
学校に関わるとは考えてもみなかったし
ましてや受験などはまったく無縁だろうと思っていた。
しかし、縁は異なものとはよくいつた。
1月はセンター試験ら対応し
2月は一般入試にも対応するはめになった。
詳しくは書けぬが、センター試験なんか
リハーサルをするのだよ。
また、試験中の病人発生などの対応も
とっても細かいマニュアネがあるのにびっくり。
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さて、
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
睦月が終わり如月となった。
如月の語源は諸説あるが
衣服を重ねる「着更着」が有力な一説で
立春前の寒明けの今頃が最も寒い。
今朝は放射冷気で一層の冷え込みだったが
それ以上に寒い情報で、魂を凍結され打ち砕かれた。
「人間の所業にあらず」と外務大臣はコメントしたが
そんなことばで思考停止しては何も前進しない。
また「テロには屈しない。必ず罪をつぐなわさせる」
という首相の発言は、情として理解を得られても
その根拠と道筋に具体性はなく、
むしろこのことを契機に
自衛隊による邦人の武力による救出へといった
「いつか来た道へ」の布石と勘ぐらざるを得ない。
そうやって戦が始まることは
歴史が証明している。
また、こうしたトップの発言は
当然にもテロリストたちにもチェックされているから、
それがどういう影響を与えるかも
冷静に想像して発信されねばならないと思う。
こんなやりきれない朝。
先月に書いたように、子どもの絵のことを
のんびりと褒めている場合ではないのではという
脅迫観念に襲われている。
しかしかし、最後に理由を書くが
大げさかも知れないが血を吐くおもいで
今月の絵についてふれたい。
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作品はロシアの大絵本作家ラチョフの名作
"The Mitten"に題材を求めたものだ。
描いてくれたのは石川美羽さん(小1/岡山市・西原P)。
第一印象は
透明感あふれるきもちのいい絵だ。
透明感。Transparency 好きなことばだ。
ロジャー・パルバース氏と
『雪渡り』の英語テキストを打ち合わせをしたとき。
この物語で最もたいせつにしていキイワードを
ふたりで模索していたとき、
ほぼ同時にでたのがこのTransparencyだった。
「それですよ!」とパルバース氏がいい、ぼくが”This is IT!”といいい
ふたりで手をたたいたのを思い出す。
かくして『雪渡り』の絵も音楽も透明感に満ちている。
まさに賢治のいう「みずみずしい果実」だ。
話をもどそう。
その透明感もさることながら
色味もフォルムも、原作絵本にほとんどとらわれず
自由闊達に描いているのがすがすがしい。
原作は暗い冬の森を背景に
全体に抑制した暗色が使われているが
美羽さんは、逆にスカッと抜けた
明るめの色を大胆に用いている。
このあたりの精神ののびやかさはすごい。
ある程度以上の年齢になったら、
物語の舞台が北国ウクライナの暗い厳冬というイメージから
脱出することがなかなかできないからだ。
美羽さんは暖色も寒色も使用しているが、
どれも澄んでいるので、
ていねいに筆を洗っているのだろう。
だから、これだけの透明感ができたにちがいない。
しかも、雪の大地もてぶくろも、
もちろん動物たちも
ただ塗り絵したのでなく微妙な濃淡をつけている。
とくに、かなりの面積を占めている雪の地面は
美羽さんくらいの年齢なら
太い筆でさあーっと塗って終わりに
してしまいがちである。
でも、彼女はじつにていねいな仕事をしている。
さらに、いちばん奥に描かれている森は
まさに「銀に燃えていて」
「アナ雪」のCGもぶっとぶすばらしい奥行きをつくりだしている。
絵でも写真でも、この奥行き感はけっこう大事なファクターだ。
でも、そうした技術的なことよりもぼくが好きなのは
いちばん最後にあらわれた左端のクマをはじめとして
動物たちが厳寒の冬の森で
無条件に楽しそうにしているノリのよさだ。
強いものも弱いものも、大きいものも小さいものも
そのちがいをまったく気にせず
小さなてぶくろをわかちあい
ばかでかいクマでさえ「ほんのすみっこ」にいれて
共存する姿には、諍い続ける人間として恥ずかしい。
この「わかちあう動物たち」に最大の祝福を
美羽さんはあたえたのだろう。
命あるものたちに、惜しみなく、
わけへだてなく注ぐ愛情がこの絵の本質だ。
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原作者のエウゲニー・ラチョフは、
徹底した観察をもとにした
動物たちの精密なデッサンによる擬人化が
高い評価を得ているが
それよりも登場する動物たちに
すぺからく 暖かい愛情が注がれている点が
ラチョフの魅力である。
その点においては、美羽さんは
ラチョ フに共通するといっていい。
やはり物語の種子は時と空間を
かるがると飛び越えて
世界の子どもたちの心に芽吹くのだ。
このカレンダーの絵を
もし「なんか、淡くて迫力ないなあ」と感じた人は
以上のようなことを見逃しているのかもしれない。
人間が世界と地球に対してなし得る「よきこと」には
その規模、時間、効果などでいくつかの種類にわかれる。
というより無限に近いやり方があると思う。
それを、とてもざっくりとふたつにわけてしまう。
するとひとつは『たろうのおでかけ』のように
「アイスクリームがとけちゃうんだ」という
緊急を要すること。
いま、このとき、今日、警鐘をならしふれまわらなければ
多くの命が危険にさらさられる
あるいは失われてしまうんだということへの直接的行動。
そうした緊急性をもつ事態は、残念ながら現在も
世界のあちこちで進行している。
その実態を知らしめ、喚起する仕事、
すなわちその史実を映像やテキストで予断や偏見なく伝える
仕事は、まさに「たろう」だ。
すなわち報道である。
また、だれも気づいていない危険をいちはやく察知し
それがたとえ、短期的には経済的にマイナスであっても
世界に公平に知らしめていく
すなわち、科学者の仕事。
これについて、旧ソ連の物理学者で
ソ連水爆の父とよばれながら
後に良心にもとづいてソ連の改革、ペレストロイカに尽力し
ノーベル平和賞を受賞したアンドレイ・サハロフはこういっている。
「科学者はムラサキツユクサにならねばならない。
この花はいちはやく放射線に反応し
色の変化でその期限を教えてくれる。
科学者はその才能によって
市民や政府が気づかぬ科学的危機を発見し
広くしらせねばならない」
そして、もうひとつは
どんな時間がかかっても、まわり道でも
美羽さんのてぶくろのように
わかちあえる世界の構築をめざし
世界のあらゆることに関心をもち
考え、学び、そして小さくても表現していくこと。
そしてそれが人生の目的であり喜びであること。
そのなかから、自分にできることを見つける能力を育むこと。
それもまた、世界と地球に対してなし得る「よき事」のひとつだ。
だから、だから
ラボの子どもたちよ。
いや日本の子どもたちよ
物語をたのしむことができる幸せに感謝してほしい。
絵を描ける時間をもてる幸福をたいせつにしてほしい。
学べることをうれしがってほしい。
そして表現することにほこりとよろこびをもってほしい。
表現することが、自分を成長させ、
いつか世界をよりよくかえていく力になる。
美羽さん、次はなにを書きますか!


追悼 陳舜臣先生
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作家の陳舜臣先生が亡くなられた。享年90歳、老衰とのことだ。
ラボ・ライブラリー関連でいえば『西遊記』の日本語を担当していただいた。
この作品のときは、ぼくは組織担当者だったので
先生との直接の面識はない。
発刊記念の講演会で遠くからにお目にかかったくらいだ。
先生は神戸のご出身だが、本籍は台湾台北市である。
その後、1973年に中華人民共和国の国籍を取得された。
しかし、1989年の天安門事件に抗議して
先生は中国籍を離れ日本に帰化される。
偉ぶらず温厚で控えめな先生の
強い精神のあらわれだったのだろう。
陳先生は『西遊記』に関して
「実在の玄奘は長身でたくましく、
体力、知力、気力ともずばぬけた人だったでしょう。
たいへん魅力があり、
出会ったとたんにだれもが好きになったようです。
しかしインドへの取経の旅は過酷そのもので
4000メートルの高地から動物もすめない砂漠、
海抜マイナス200メートルの灼熱の盆地など
幾多の自然の要害とのたたかいでした。
そんななかで、玄奘は高山病にもかかったでしょうし、
疲労のあまり幻影におそわれたりもしたでしょう。
後年、玄奘の旅が寺院の説話から
縁日の講談などになっていったとき、
そうした自然の驚異がさまざまな妖怪変化となったことは
自然な流れだったと思います。
また、玄奘の強烈なキャラクターは
その情熱や闘争心が孫悟空として、
生身の人間としての欲や煩悩が猪八戒に
といったように異形の弟子たちに分裂したのだと思います。
だから残った玄奘三蔵は無心で
無垢のただピュアな僧侶として描かれています。
じつは、こうしたキャラクターは
中国の人が大好きです。
自身は特別の力はないけれど、ただ心が純粋なために
多くの英雄や豪傑が慕って集まってくる。
『三国志』でいえば劉備でしょうか」
とおっしゃっている。

そして『西遊記』の絵本の絵を担当された
李庚さんを紹介してくださったのも陳先生である。
李庚さんの父上、李可染氏は当時中国芸術家協会副主席で
その書は国外持ち出し禁止といわれた大家であった。
李庚さんは、その息子といわれ続けたことが
大きなプレッシャーとなったていたそうだが、
『西遊記』以降、独自の世界をきりひらき、
ドイツを中心にヨーロッパで高い評価を得て
一躍国際的アーティストになった。
それほど中国に太いパイプをもち、
その歴史や文化を愛した先生が
中国籍を離脱されたのは、たいへんなご心労だったと思う。

陳先生は、江戸川乱歩賞、直木賞など
多数の文学賞を受賞されているが
1991年に『諸葛亮孔明』で吉川英治文学賞を受賞された。
そのときラボの出版を通じて注文したら、
なんと宛名入りの署名本をいただいた。
これはいまでも宝物だ。

陳先生のご冥福を祈念する。

ところで、ラボ・ライブラリーの制作には、
さまざまな分野の専門家が参加するが,
おたがいが顔をあわすということはあまりない。
もちろん,ラボ側とはそれぞれ綿密な打ち合わせをするが
専門家どうしが分野をこえて会うということは少ない。
多忙なメンバーだからスケジュールをあわせるのが
きわめて困難ということもあるが、
あくまでも作品をとおしての協力であるので、
人格的な影響をうけないほうがストレートに
作品と向き合えるという思いも多少はあるかもしれない。
しかし結果としてできあがってくる作品は、
打ち合わせをしたとしか思われないほどシンクロしたものになることが多い。

これにもいくつか理由がある。
それぞれが一流のプロだから
提示された作品のコンセプトをつかまえる理解力と、
それを展開する表現力にすぐれているわけで、
ひとつのテキストをベースに仕事をすれば、
当然にも結果としての表現に通底するものが生まれてくるということだろう。

そしてもうひとつ忘れてはならないのは、
時代の気分というか同時代の精神だろう。
これは偉大 な建築思想家である
ギーディオンが名著『時間 空間 建築』(東京大学出版会 太田実 訳)
のなかでいっていることであるが
「空間の認識、捉え方などは同時代に生きる建築家、
画家、音楽家、数学者、文学者などの
あらゆる分野の専門家共通のものがある」ということだ。
政治・経済といった力学的な時代精神だけでなく、
空間認識こそがイメージの展開において意味をもつとギーディオンはつづける。
彼は20世紀初頭のビカソのキュービズムへの発展を例にとり、
この美術界に衝撃をあたえた画法が
ラバチェフスキーやリーマンなどの
非ユークリッド幾何学の発展に見られる「空間認識変化とひろがり」
という同時代的空間認識と関係すると述べている。
さらに、その非ユークリッド幾何学の概念は、
アインシュタインにも通じるとも。
また、さかのぼって1889年のパリ万国博覧会のエッフェル塔をとりあげ、
塔の内側を移動するエレベーターから見た空間の視覚的変化は
まさにピカソへとつづく空間認識の革新であり、
そうした同時代精神は19世紀末からゆるやかにひろがっていったと指摘する。

以下は『ギルガメシュ王ものがたり』のときの制作メモだが
――ラボ・ラ イブラリーもまた、
世紀末の抑圧から新世紀への期待、
そして落胆という時代の流れと無縁ではないだろう。
その象徴ともいうべきアメリカのイラクへの攻撃は
皮肉にもギルガメシュ叙事詩の舞台への攻撃となった。
今回のラボ・ライブラリーには、音楽家も画家も作家も
「いさかうことをやめぬ人間への怒りと哀しみ」を
その作品にメッセージをこめていることはたしかだろう。
だがそれは表面的な主題であり、
子どもたちに送るテーマの本質はパルバース氏のいう
「虹はかかるか」、すなわち
「人類の救済の可能性はあるのだ」という希望に他ならない。

暗い話、こむずかしい話が続いたので
最後につぶやき。
研究はざっくり大胆に分けて2種類あると思う。
ひとつは、絶対存在するはずだと仮説をたてたものの発見、
あるいは存在を証明する道。
もうひとつは、そこに何があるかわからないけれど、
誰も知らないところだから、とにかく行ってみて、
誰も入ったことのない場所だから、
とにかくがさごそ探して、見つけたものを考える道。
どちらもたいへんだが、どちらも魅力的だ。
理論物理学や分子生物学などは前者であり、
宇宙探査や海底調査などは後者といえるだろう。

そんなことをぼんやり考えていたら、
じゃあテーマ活動を研究という側面で見たらと悩みはじめた。
そして直感的にたぶん宇宙探査に近いんじゃないかと思うに至った。
もちろん、仮説見たいな言語的目標を立てて、
それを目指すテーマ活動もアリだろうれど、
やはり「この物語の先になにがあるかわからないけど、
きっと誰も知らないすてきなものがあるだろうから、
いけるだけいこう」というのがいいね。
そりゃそうだ。ことばの宇宙の旅だからね。
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