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再掲載 目覚めと入眠のセレナーデ 12月31日 (木)
※12月1日の日記再掲載について
なぜか突然、写真が表示されなくなり、他にも幾つか不具合が発生しました。
したがって、写真なしでテキストのみ再掲します。
なお、2016年の日記し日付が変わる頃にアップいたします。
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三澤制作所のラボ・カレンダー12月をめくる。
とうとう師走である。

2012年5月8日、センダックが84歳で亡くなったときの
NY TIMESに掲載されたものだ。
そのときの見出しは
Maurice Sendak, Author of Splendid Nightmares, Dies at 83
記事の冒頭は「20世紀で最も重要な子どもの本のArtistとして
広く認識されているモーリス・センダック」ではじまり、
それに長い関係節が続いている。
絵本作家とはいわず子どもの本のArtistと表現しているところに
NY TIMESのセンダックへの高い評価がうかがいしれる。

さて今年最後の絵は、モーリス・センダックの絵本
IN THE NIGHT KITCHEN『まよなかのだいどころ』に
題材をもとめたものだ。
描いてくれたのは石村紗弥乃さん(小5/世田谷区・高山P)。

めくった瞬間、月並みないいかただが、
年末にふさわしい色合いが目にとびこんできた。
そして、そのまま主人公ミッキーの寝室にすいこまれ、
それからニューヨークの夜空につれさられた。

見よ! このどしゃぶりの星たちを。
このあざやかなフルムーンを。
ぼくのすきな曲にクリストファー・クロスの
「ニューヨークシティ・セレナーデ」があるが、
そのサビのを思い出した。
When you get caught between the Moon and New York City 
きみがニューヨークシティと月のあいだでつかまったら
The best that you can do is fall in love.
きみができるのは恋に落ちること

ちなみにクリストファー・クロスは
声は透明でハイキイですてきだけど
ヴィジュアルはほとんどこの絵本にでてくるパン屋さんだ。

話をもどそう。
センダックはブルックリンの生まれだから、
彼の本質である
あたたかくするどい子どもへのまなざしとは別に
都会的な華やかさと洗練、その裏の孤独が画風にもあらわれる。
世田谷でくらす紗弥乃さんも
そんなセンダックの都会性が自然にフィットしているような気がする。

作品の構図や色みは、ほとんど原作絵本の通りだ。
だけど、ぼくはこれは模写だとは思わない。
「うつし」や「まね」だったらこうはならない。
というのは、原作にくらべて紗弥乃さんは
かなり建物などを省略して描いている。
またパープルの濃淡のチェックの色合いや面積は
ずいぶん自由にかえている。
また、3人のパン屋もスマートだ。
そして、なにより星のふりかたは大迫力だ。

たぶん紗弥乃さんは絵本を見ながらではあるが
自由に自分のイメージでこの物語を再表現したのだと思う。

それで、ここからはかなり大胆な想像である。
もし、まったくちがっていたら土下座するしかない。
そんなリスクをおかしても感じたことを書くのだ。

紗弥乃さんは、もしかすると、
ふだんそんなに絵を描かないのではないだろうか。
幼いときはきっとたくさん描いただろうと思う。
誤解してはいけないが、絵を描かない=絵がきらい、
ということではない。
好きこそものの上手なれということばがあるが、
逆にへたの横好きということばもあるからね。

そんな直感がする。
だって、絵を描くって時間がかかることだし
準備するだけでもけっこうたいへんだ。
それよりも楽しいこと、やりたいことがあれば
また小5の人生はけっこういそがしいから
絵が好きであっても、一時期描画から遠ざかることはある。
というより、小5、すなわち10歳後半から11歳くらいでは
日常から描画がなくなるのは残念ながら
現在の学校教育ではごく自然なのかもしれない。

では、なんでそんなことをわざわざ書くかといえば、
紗弥乃さんとこの物語の関係を思うからだ。
これもすごい想像なのだが、
紗弥乃さんくらいの年齢で、
絵を毎日のように描いている子どもなら
おそらく、こうした大胆な省略とかせずに
センダックの原画の通りに建物や飲み物を描くだろうし
あぶないパン屋もずんぐり2頭身に描くだろう。

しかし、紗弥乃さんが絵がきらいで、
またこの物語があまり好きでなく、
つきあいで描いたとしたら、
ここまで全面を描ききることはまずできないし、
これほどの星は降らないし、
第一、鈍感なぼくでさえニューョークの夜空に連れ去る
力をもった作品ににはならないはずだ。

センダックが紗弥乃さんに憑依して、というとこわいが
そのくらいのスーパーナチュラルといってもいい力に
このラボ・ライブラリーとの出会いでインスパイアされて
「ものにとりつかれたように」
紗弥乃さんはひたすらむちゅうで描きあげたのではないだろうか。
その背景にある活動を知りたいものだ。

まったく的はずれだったらお笑いなんだけど。
気になる。

「ものにとりつかれた」の「もの」は
「ものがたり」のものであり、「もののけ」のものであり
「ものさみしい」のものである。
かつて中国から鬼いう字を学んだとき、
日本人はこれに「かみ」とか「もの」の音をつけた。
超自然の不可視の力をものとよんだのだ。

※蛇足だが古代中国て鬼は帰に通じ、
死者がもどってきたもの。すなわちゾンビだ。

だから、「ものがたり」は、そうしたふしぎな力が
語り手にのりうつって語らせているわけで、
それゆえに聴き手は遠くにつれさられてしまう。
だから
物語の力が紗弥乃さんをして筆を走らせたのだとしか
説明しようのないものを
ぼくはこの絵から感じるのだ。
だからこの絵を見て、
なんか絵本のまねをして、でもちょっとちがうじゃんという
寝言はとてもいえないのだ。

そして、この作品も
細部の描き込みのしつこさがすばらしい。
また、全体のスピード感とミッキーの浮遊感、
夜の奥行きもいい感じだ。

センダックは
子どもの心はおとなが思うようなシンプルなものではなく、
怒りとか恐怖、ジェラシーとか
あきれるほどたいくつな時間の長さといった
シヴィアな感情がどろどろしていることを絵本で表現した
最初の作家だと思う。
そして、
子ども身体の感覚、皮膚の触感や、臭い、味覚などの
生の生理を通過していない
きれいごとのファンタジー作品をぶったぎった人でもある。

この『まよなかのだいどころ』も、
まさに身体感覚がキイであることはだれしも感じるだろう。
ミッドナイトのキッチンの作業の触感は
子どもたちには泥遊びのような快感だろう。

ぼくは若いときから、そして今も
どんなに忙しくても、仕事や遊びから帰って
風呂に入って着替えて即睡眠ということがいやだ。
なにかしらプライベイトなことを5分でもしないと気がすまない。
仕事モード、遊びモードのまま寝るのではなく、
なにか本を読むとか映像を見るとか、
自分へのインプットをして自分自身に戻らないとダメなのだ。
だから、ベッドサイドに本を積み上げる。
しかし、疲れているときは数ページで寝てしまう。
アホだと思うが、わずかでも自分だけのための時間をとることで
リセットできるのだ。

眠いけれど、寝たくない。あのせつない感じ。
子どもの頃、ぼくは小6まで20時に寝るように親にいわれていた。
だけどおとなたちは、楽しそうなことをしているにちがいないという妄想。
いいなあと思いつつやっぱりひとりで眠りに落ちていく。
目醒めと入眠のあいだのセレナーデだ。

センダックは「絵や物語の能力などないが、幼少期の記憶は明確にある」
と述べているが、
紗弥乃さんもまた、幼い日のセレナーデがまだ聞こえているにちがいない。

話はここまでだが、この『まよなかのだいどころ』は
1970年の刊行当時、アメリカで主人公のミッキーが
全裸の場面があることが問題になったことがある。
今なら滑稽な話のようだが、今年ヨーロッパの一部で
クマのプーさんが裸であることが咎められて図書館から
排除されるという事件があったが、
この絵本もポルノではないかと指摘する評論家もいるからおそろしい。
確かに、ピューリタニズムの裸に対する忌避感はノアのエピソードに
遡るほどに根深いし
幼児、児童の性的被害が世界的な問題となっている状況を考えると
笑えない話ではある。
しかし、もっと怖いのは、そうした風潮から
表現の自粛や規制が進行していくことだと思う。

センダックの『かいじゅうたちのいるところ』も、
子どもに悪夢をもたらすと
刊行時はめちゃくちゃに叩かれた。
しかし、この絵本は世界で2000万部売れた。
子どもは選別する能力をちゃんと持っているのだ。

うわべや権威や、あまい菓子やそのばしのぎの理屈や、
なれなれしさといった、子どもが見抜くおとなの手練に常に抵抗しつつ
子どもの心の深いところに寄り添っていたアーティスト。
であるがゆえに、自身は深い孤独を内包していた表現者。
センダックに続く絵本作家はまだ現れていないと思う。
sgrv
ラボ・ライブラリー『まよなかのだいどころ』の日本語の語りは
俳優の西沢利明さんである。
文学座から劇団雲へ。雲の解散後は昴で1997年まで活躍した。
その後はテレビや映画に進出して知的な悪役は絶品だった。
憎まれ役が多かったが、素顔はとてもダンディで
真摯でやわらかな物腰の方だった。
この作品の声には、知性と凄みと夜が必要だったから
僕はどうしても西澤さんにやってもらいたくてオファーを出したが
すぐに出演を快諾してくださり、
ラボのコンセプトもしっかり受けとめてくださった。
残念ながら一昨年、77歳で他界された。
今や貴重な録音である。

12月になると思い出すのはC・W・ニコルさんのことだ。
2005年の夏に、ぼくはじめて「アファンの森」をニコルさんに案内していただき森のオーラというか迫力に圧倒されていた。
アファンの森は基本的にはよく整備された森である。
「手つかず」とか「ほったらかし」では里山はだめになる。
だから道もきちんとあり安全なのだが
「生きている森」のもつパワーにぼくは足がすくんだのを覚えている。
そのときに、かねてから話をすすめていたこと、
すなわちひさしぶりにラボの40周年のために
物語を書き下ろしていただくことがぼ決まった。
作品は2編、サケの物語詩とウェールズの昔話に題材をもとめた再話だ。
そしてもう1編は彼の既刊作品である
『はだかのダルシン』を再話することが確認された。

そのプロジェクトが具体的に動き出して半年が過ぎたころ
六本木のANAホテルでニコルさんと打ち合わせすることになった。
クリスマスイブからはじまる新刊の録音と、
それにつづく1月4日からウェールズの首都カーディフで行なわれる
英語の録音を前になんとか時間をとっていただいたのだ。
ニコルさんは前日に黒姫からでてこられたばかり。
この年の秋から冬にかけては自宅にいられる日数は10日もないという。
その日も東大で講演をすませ、
そのあとは日本放送でラジオの収録を1本かたづけてからの打ち合わせ。

16時の六本木はすでに冬ざれてうすぐらい。
けれど街はイルミネイションの洪水。
自分が特別な人間だと勘違いするには十分な状況だ。
ロビーのカスケイドカフェに席をとる。
16時5分、ニコルさんの大きなからだがみえた。
スケジュールをマネージする森田さんといっしょだ。
出版関係のエージェントも到着して話がはじまった。
テキストのこと、絵のこと、音楽のこと。
書き下ろし2編の絵はウェールズの作家と
カナダ在住のCanadian First Nation(カナダ先住民)
の画家が担当することになった。

さらにニコルさん自身もナレイションをで参加することになり、
そのお相手の日本語をだれにお願いするかでまた話がはずんだ
(後日、劇団四季の日下武史氏になった)。
また音楽もサケの話についてはバンクーパーで
4月に録音することになり、
どうやら予想以上にたいへんなことになりそうだった。

話が終るとニコルさんは満足した笑顔になった。
ウルトラ多忙なニコルさんだが今日はもうスケジュールがないという。
だからニコニコしてるんだ。
時計は17時30分をまわった。もう外はまっくら。
ニコルさんが、「もういい?」と子どものような顔をする。
「このあと、ごはん食べない。ごちそうするよ」とニコルさん。
全員をさそうが、つごうがつくのは、ぼくを含めて2名のラボスタッフだけ。
「だいじょうぶ。無理じゃない?」。
とにかくよく全体をみて、気をくばる。
サービス精神のかたまりなのだ。

「きどらないフランス料理の店。ここからすぐ」とニコルさんがずんずん歩く。
迫力だ。レスリングと空手できたえた身体は64歳(当時)とは思えない。
よほどお気に入りのレストランなのだろう。
店の人が「まいど」という顔で席をつくってくれる。
「きょうは鳩はあるの?」
「鳩はありませんが、雉のいいのがあります。ちょっとお時間をいただきますが」
「じゃ、それを。赤ワインもね」。
その前々日、すこし体調がわるかったぼくは
雉の油がハードそうなので、あんこうのポワレをたのむ。
さてさてワインも上等。サラダも新鮮。
ところが雉がこない。なんと2時間。
おどろくべきことに羽と毛をむしるところからやっていたのだ。
ニコルさんは4回、泣きそうな顔でウエイトレスに「まだなの」とたずねた。
ついには5回めに「もしかしていま雉をうちにいっているの」。
これには一同大笑い。
というのは、アウトドア好きな方ならご存じだろうが、
「キジうち」とはそのしゃがみこんだスタイルが酷似していることから
野外での用足しのことでもあるのだ。
なお、女性登山家は「お花摘み」という。
そしてなんと、その意味をウェイトレスさんも知っていた。
それでまた爆笑。でもその2時間のおかけでいろいろな話ができた。

ラボの昔のはなし。森の話。本の話。日本人になったときの話……。
でも、なにより心にひびいたのは
「ぼくは、いろいろあったけど、
またラボで仕事ができるのがほんとうにうれしい」と
なんどもなんどもおっしゃってくれたことだ。
ぼくの手の上に自分の大きな手を重ねてだ。

そのときも、すでにたくさんの人がラボ・ライブラリーのために動きはじめていた。
その人びとのきもち、
すなわち「みんな、子どもたちの未来のために、
ほんものをとどけようと力をだしたいと思っている。
だからラボっ子もテューターも事務局のがんばりなさい」
というメッセージを
ニコルさんが代表してぼくたちに伝えようとしているような気がした。

たしかに、ラボは多くの人に愛されている。
理解してくれない人もまだいっぱいいるけれど、
おどろくほど多くの人に愛され、
期待されているそのことを忘れてはいけないと思った。
自信をもたねばいけない。
愛してくれる人たちにこたえていかねばならないと思った。

でも、なんで、けっこうなさけないこともあるぼくたちを愛してくれるのだろう。
それはおそらく、ウソをついたり見栄ををはったりはしてこなかった。
「こうやったら、英語がぺらぺらに」なんてけしていわなかっけれど、
40年以上、ひたすら子どもたちとともにあるきながら、
子どもたちがみつけた真実だけを伝えてきたからだと思う。
ニコルさんはきれいに雉をたいらげ、
グラッパとエスプレッソで舌をしめると立ち上がった。
となりのオーストラリアからきたすてきなご夫婦に会釈して外へ。
もう、めちゃくちゃ寒い。黒姫もひさしぶりの大雪だという。 
「寒いから、もうここで」といっても、ニコルさんは外までおくるといってきかない。
ワインで赤みをましたひげづらはサンタのようだ。
「新年にカーディフで」。大きな手と握手した。
新刊は翌年、多くの人の協力で無事にリリースした。
一昨年、刈谷で『はだかのダルシン』のテーマ活動をひさしぶりに観たが、
あの森での衝撃、ANAホテルでの食事、
その後の録音のいろいろまでが一気によみがえってくらくらしてしまった。
物語は確実にうけつがれていくのだ。

いや、うけつがれてこそ物語だ。
※写真はウェールズのカーディフとキャフェリーの間の峠で。
もう一枚はその峠にあるすばらしくうまいレストラン。
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