幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ジャックぼうずは教えてくれた 「空だけは自由」ってね。最年長世代の役割/成長の物語たち 03月01日 (水)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる

弥生。
今日もまだ気温は低いが春だ。
3月は祖父も祖母も
母親も妹もぼくの長男も長女も、
そしてぼくも誕生月なので特別な思いがある。
また、出会いと別れ、旅立ちなどの
人生の場面転換とその決断の時期でもある。
foggy
今朝は5時に目が覚めて、
なんとなく寝足りない頭でシャワーを浴びて
のそのそと服を着てから、
寝室のカレンダーをめくった。
東側のカーテンの隙間から
朝日が糸のように差し込むと同時に
ジャックが「おはよう。どうした」と語りかけて着た。

ジョセフ・ジェイコブズのイギリス昔話から
制作されたラボ・ライブラリー
『ジャックと豆の木』に題材をもとめた絵だ。
描いてくれたのは
菱戸理那さん(小4/小金井市・沖野P)。
ありがとう! ぱきっと眠気がとんで
昨日までの心のそこにあった小石が溶けていった。

そして、朝食をとりながらずっと眺めていたら、
じわじわと色々なことが見えてきた。
何から書こうかな。
ちょっと見はごく普通に物語の一場面、
おそらくは空高く豆の木を登って
大男の城を望むところにいるジャックだろう。
あるいは頭上の鳥は金の卵を産むめんどりか。
だとすれば帰り道?

ジャックは画面のどまんなかで、
ものすごいバランスで平然と立っている
ように最初は見えた。
じつにピュアでとらわれのない顔つきだ
でも、いたずらっぽくも見える。
そして何より
「この先には何があるんだ」という好奇心にあふれている。
真っ赤な口とこちらを直視した目、
拳を握った両手は好奇心が勝っているにぢがいない。

とにかくこちらにさまざまな想像をさせてくれるのは、
それだけで楽しい絵である。
これはひと月じゅうぶん楽しめるな。

それでふと思ったのは、
このジャックの好奇心も、
さまざまに想像を喚起するたたずまいも
理那さんの心映え、
理那さんの物語への思いそのままなのではないか
ということ。
この物語とどんな体験をしたのだろうか。
木になる。いや気になる。

もう少し細かく見よう。
なんといっても画面を左上から右下に
ズンと伸びている太い豆のツルが、
この絵の大きなポイントだ。
おそらく左上から一気に描き、
後から濃淡や小枝という小さいツルを描いて
仕上げたのだと想像するが、
(違うかな)
迷いのない線の力強さには脱帽である。
なにやら書家の線のごとき気合いと清々しさがある。
理那さんの体格はわからないが、
何かスポーツをやっているか、
あるいは書道を習っているのだろうか。
これはまったくの想像だけど、
割と小柄だけど体幹がしっかりしているのではないかしら。

このツルが画面を分断しているようだが、
右下は断ち切りで左上は雲の上の城に繋がっている。
なので、世界は区切られておらず。
むしろ奥行きと高度、さらに
「まだツルが成長しているんじゃないか」と思わせる
速度感が出ている。
ツルの弾力もある。
それに気づいたときに、
びっくりして味噌汁にむせそうになった。
baby
ともあれ、こうした点はじっくり見ないと
立ちあらわれてこない。
ぼくみたいな凡人はなおさらだ。

色のことを描こう。
濁りがなき「抜けた色」が気持ちいい。
もちろん濁りがあっていい感じになる場合もあるが、
この物語、この場面には
空の透き通った感がすてきだ。
色数は少ないようだが、よく数えるとかなり多い。

空やツルにグラデーションがあり、。
しかも細かい。
だから雲が流れている。
それでいてさっき書いたように濁りがないから
毎回、ていねいに筆を洗い、
根本もちゃんと拭いているき気がする。

ジャックのぼうしり朱色、scarletも
かっこいいし、ブラウンの上下に
ツルの色に合わせたベルトもおしゃれだ。
イエローオーカーの靴も軽そうでよい。
そして肌色もスカッと抜けている。

とにかく全体に迷いがなく
すっと描いているように見える。
だが、楽しみながら描いていながら
じつは相当体力も気力も消費しただろう。

今年は5年生。
このまま描き続けて欲しいと心から思う。
fg g
この物語の原作者は
イギリス人のジョセフ・ジェイコブズ
Joseph Jacobs 1854 - 1916だ。
1900年から刊行された
「イギリス昔話集」「ケルト昔話集」は
重要な仕事だ。
田舎道の日向の砂ぼこりのような
「土臭い」 感じは
グリムの北ドイツの深い森の物語とは大きく異なる。
また、金持ちも権力者も
ときには自分自身も突き放して笑う
ヒューモアもその根底にあり、
地方語もいかしたリズムのよい語り口は
英語のマザーランドの物語の面目躍如だ。

ナムーサリー・ライム、
シェイクスピアとともに
イギリス昔話は英語にちかづくための
必須の宝物だ。

ジェイコプズはイギリス人で
ケンブリッジ大学で学んだが
生まれはオーストラリアのシドニーだ。

彼は座談の名手で
人を飽きさせることがなかった。
それで多くの著名人が
ジェイコブズと食事をしたがったという。

ここからは「わかものフェスティバル」の感想です。
「わかものフェスティバル」に思う。
最年長世代の役割/成長の物語たち
注 暴力的に長いです。
新江古田から大江戸線。
青一で乗り換え半蔵門線で三軒茶屋へ。
ここから二両の東急世田谷線。
全線で10駅5キロ。
都電荒川線とともに東京に残る路面電車だ。
住宅の間を縫うように走ったかと思えば
いきなり環状七号線を横切る。
そして7分も乗れば松陰神社前だ。
松陰神社は安政の大獄で処刑された
吉田寅次郎松陰を高杉晋作らが
改装してここに祀った。
「わかものフェスティバル」が開催される
世田谷区民会館はこの駅から徒歩で6分ほど。
松陰のアカデミックパワーが届くだろうか。
もっとも松陰はradicalな
アクティヴィストでもあったから、
その行動力にもあやかりたい。
などと思いながら若い人たちや
子どもたちの流れとともに会場へ。
風弱く、快晴。
はずかしいのでサングラスをかけていたが
ずくにバレる。SNSおそろし。
世田谷区民会館は建築界の巨匠、
前川國男の設計でコンクリート打ちっぱなしの
力感あふれるおしゃれな建物だが
竣工された1959年には斬新であっても
さすがに設備や機能面ではそろそろ限界か。
世田谷区ご一考願いたい。
「わかものフェスティバル」は
通称「大学生年代」すなわち
大学生、専門学校などに通う、
あるいは働いている概ね18歳以上の
ラボ・パーティ会員たちによる
「支部ごとの有志による年間の表現活動」の
報告、発表会である。
40年前、18歳以上の会員が少なかった頃は
大学生活動と一般的に表記していたが
高校卒業後の進路が大学進学率上昇の一方で
専門学校などに多様化していくなかで、
「大学生だけじゃない」ということから
「大学生年代」という表記が使われるようになった。
しかし、冷静に考えると、
「大学生年代」という表現も「大学生ありき」的で、
大学生に価値を付加している印象がある。
気にしすぎか。
そもそも彼らの年代に特化したプログラムが
生まれたのはキャンプにおける
「大学生コーチ」が最初である。
1980年のことだ。
高校生以上によるシニアメイト活動は
すでに存在したが、
ラボ活動の柱のひとつである
キャンプの教育力をテーマに
年間で研究活動を行ない、
その実践として
キャンプ本部に事務局とともに入村し、
運営、安全管理に関わり、シニアメイトの支援も行う
「教育プログラム」としてスタートした。
この教育プログラムというところが
大事な点で事務局の助っ人や下働きではない。
とはいえ、今やキャンプの運営は
彼ら抜きでは考えられない。
この「大学生コーチ」もスタート当初から
順調だったわけではない。
それまではロッジでワイワイやっていたのだが、
そこから出て「本部」という
管理する側に回ることは、
同じラボっ子のなかに
Hierarchieが生まれた印象を作った。
ややこしいことに
シニアメイトには大学生もいたからなおさらである。
しかし物語による連帯、子どもたちへの眼差しという
ブレないベクトルは強い。
さらにCamp must go on,という姿勢が
そういった課題を陶冶していき、
現在まで受け継がれている。
その次に誕生した大学生年代の活動は
カレッジメイトである。
キャンプと並んでラボ活動の柱である
国際交流プログラムをテーマにしたプログラム。
そしてその実践の場が、
ラボっ子たちの国際交流の出発や帰国の対応、
事前活動のサボート、「国際交流村」などの
独自のプログラム、また海外から来日する
青少年受け入れ対応などである。
そうなると、ラボの最も大きな柱である
物語をテーマに据えた大学生年代の活動があっても
いいのではないかとなる。
じつは1970年代には「むさし学堂」という
在京中心の大学生有志による
大胆なプログラムがあり、
専門家も交えたかなり突っ込んだ表現活動があった。
しかし、残念ながら、
創始者であり求心力を持ったトップ2名の
教育論の相違と経営者としての問題から
おこった後にいう「組織混乱」の
まきぞえを食う形で「むさし学堂」は終焉する。
大学生コーチ誕生の数年前である。
そのあたりの経緯はいずれ細かく書く時期がくるだろうし、
極めて単純なことと複雑な背景が同居するのだが、
いずれは誰かがしっかり総括して解題すべきだと思う。
その後、1983年くらいから、
やはり大学生年代の表現活動が
したいという声が高まり
本部主催で「あずま学堂」としてスタートし。
1年かけて『ふしぎの国のアリス』
(ラボ・ライブラリーはまだないので
自分たちでスクリプトを作り、音楽も作った)
そして翌年は『オズの魔法つかい』に取り組んだ。
どちらもぼくが担当したのでよく覚えている。
(この時は北関東信越支部の組織担当者だった)
話はややそれるのだが、
ぼくは大学生コーチに
キャンプ委員として対応したし、
カレッジメイトも第1期、2期と担当した。
「学堂」にしろ、コーチにしろ、
カレッジメイトにしろ、
日常活動の基本は原則として
パーティのない月曜日の夜がほとんどだった。
(どの活動もフランチャイズであるパーティ活動を
きちんとすることが前提で、今もそれは変わらないはず)
活動の後で食事をしたりすると帰宅は遅くなる。
それら全てに付き合うにはなかなかたいへんだ。
しかし、大学生たちの自主性を尊重するという
いいかえで「放置」はできない。
ラボの看板で行うプログラムである以上、
対応するおとなには活動内容と
メンバーの行動への責任がある。
大学生年代であっても、
また仮にフェローシップのような
成人の活動であっても、
ぼくは「見つめるまなざし」が大切だと確信している。
それは指導とか、善導とかいったきもち悪い
外側からの力ではない。
彼らの全力に応えうる、commitしうる
感性と教養と熱意と視野の広さを
総動員したおとなとしての向き合い方だ。
彼らはそうした事務局やテューターの関わりを
求めていることは今も変わらないと思う。
ただ単なる年長者としての圧力や
半端な口出しはただの迷惑だ。
今、かつてそうした大学生年代の活動をされた
40代、50代のOB・OGとFBを通じて再結合し、
情報交換をしたり、食事をしたりする機会が増えている。
それが時を超えて成立するのは、
やはり全人的に向き合った青き日々が根底にあり、
しかもその源泉が物語と交流にあったからである。
なかなかフェスティバルにいかないので
申し訳ないが、
この機会に大学生年代の活動を振り返っている。
「わかもの」というラボでのtermはかなりふるい。
ラボ・ライブラリーや「ことばの宇宙」
の文法と表記では、概念に引っ張られやすい
漢字は動詞も名詞も、
意味を限定して使うというルール、慣行があり、
「ことば」と「こども」はひらがなと、
最初に定村さんや谷川氏から教わった。
言葉より「ことば」のほうがラボらしい。
言の葉ではない。もっと広く深いもの。
ひらがなにすることで想像力が求められる。
12年ほど前に議論の末
一般の文書では「子ども」を用いるようになったが、
ぼくは今でも「子・ども」ではなく「こども」であると
思っている。ましてや子供ではない。
「ことばがこどもの未来をつくる」のだ。
「わかもの」もそうした文化から生まれたと思う。
「若者」という熟語に押し込められない
青少年の柔らかさと強さを表現し得ていると思う。
さらにいえば
「わかもの合宿」がまず先に発生し、
その後、支部ごとに大学生年代の会員が増えてきて
それぞれで表現活動のグループが成立するようになってから、
その活動報告の場として、
「わかものフェティバル」が誕生し
合宿とセットとなり
ラボ最年長世代会員のビッグプログラムになった。
開催する支部は立候補とそれを受けた討議で決まるが、
単純に持ち回りにすると
支部にもつごうがあるので、
あくまで立候補というモティヴェィションをだいじにする。
今もたぶんそうだろう。違ってたらごめん。
今年は東京がホスト支部。
2012年に開催して以来の5年ぶりである。
このときもフェスティバル会場は
この世田谷区民会館だった。
さて、まずもって開催に尽力された実行委員、
ならびに発表された各支部のメンバーに
心よりお礼をいいたい。
自分の同年代の思考や行動を振り返ると
ただリスペクトしかない。
情報量も多く、多忙な大学生活であるのに、
ラボ・パーティ活動、
さらにはこの大学生年代の活動に
時間と体力と経済を費やしている
その意思の強さと持続性、
そして活動への信念には喝采しつつ頭を垂れたい。
その前提のうえで、少しくこのフェステイバルで学んだことを
書いていきたい。
「わかもの」の諸君には耳が痛いこともあるやもしれぬが、
まあ「海を知っている古い水夫」のぼやきと思ってほしい。
はっきりしているのは、
いくら古い水夫が潮や浅瀬を
わかっていても未来への助けにはならないこと。
新しい海を見つけるのは、常に新しい水夫だ。
いただいたパンフレットには
「伝える。応える」がテーマだとある。
そしてごあいさつの文には
合宿の分科会のお題のひとつが
「テーマ活動は教育か芸術か」であると
力の入ったことばが掲げられている。
狭いスペースの限られた字数のなかでは
比較的よく書けていると思った。
というか正確にいうと、
なんとなくいいたいことは斟酌できる。
もっと書けるだろう! といいたいが、
きびしくいえば「それだけの理解と思考だから」
それ以上には書けないということだ。
何かのっけから苦言で恐縮だが、
「もったいない」と思うからだ。
これだけの中身のあるテーマ活動という
極めて知的で、全人的で、コミュニカティヴで
何よりクリエイティヴな活動をアピールしてほしいからだ。
「わかものフェステイバル」を内輪の祝祭で
終わってはもったいないからだ。
準備はたいへんだろうが、
メディアに取材要請をし、記者会見をするくらいの
外への力が欲しい。
発表テーマに関係した専門家の先生や
教育現場に関わる人たちを来賓として招くこともできたろう。
その橋渡しを事務局に依頼すれば、
喜んで協力してくれただろう。
もったいない。
「見せる」「伝えたい」と書かれているが、
その相手をラボの外側に想像していれば
あいさつ文はもっと緊張したものになつたろう。
(固い柔らかいという意味でなく)
とはいえ!
このあいさつ文も、SNSを使っての事前発信などの表現も
前述した今付き合っている40代、50代のOB・OGの
現役時代に比べたら数倍進んでいる。
(彼らもそう思うだろう)
今、彼らは色々なフィールドで
すばらしい仕事をして、
すばらしい文も書いているが。
その原点はラボでの体験だとみないっている。
そう考えると、
十分今の若者はすばらしい。
そのうえで、もったいないというわけだ。
というのも、
ラボの年長世代としての
社会的責任も自覚してほしいからだ。
これまでなんども書いたが、
ぼくは今、私学ではあるが学校という
公教育の場にいる。
ふしぎなことだが、ラボから離れるほどに
ラボのような学校外教育のたいせつさが
はっきりとわかる。
ラボは単なる仲良しグループでも
英語サークルでもない。
社会的責任を持った教育組織だ。
だから、最年長世代の「わかもの」が�これまでラボ活動で得てきたものを、
どうやってラボや社会に還元していくのか。
それを考え、行動できるようになることも
「わかもの」のラボ教育活動の
ひとつの山頂ではないか。�そうした還元の貴重かつ重要な一例が、
「わかものフェスティバル」ではないかと思う。
合宿のお題の答えではないが、
テーマ活動は教育プログラムだと
常々書いている。
これを否定したら「ラボ教育センター」は成立しない。
またラボ・ライブラリーを長く制作してきた者として
いえば、
「芸術作品」を作ったつもりはない。
もちろん教材でもない。
ラボ・ライブラリーは
「英語と日本語音声と音楽による物語と絵本」であり、
一人で聴いても楽しく、仲間と活動すれば
よりすばらしい言語体験、表現体験ができるものだ。
だが、その制作にあたっては
言語、音声、音楽、絵、構成などにおいて
高い芸術性と創造性、想像力喚起力などが
求められている。
そういう関係だと思う。
芸術の定義は難しいが、
ぼくは芸も術も使ったつもりはない。
多分、ラボ・ライブラリーに関わる専門家の
先生方もご自身を「芸術家」とはくくっていないだろう。
ところで、
あいさつにあった「伝える・応える」は、
とても気に入ったことばになった。
テーマ活動が教育プログラムであることと、
「わかもの」がテーマ活動で「伝えたい」と思うことは
まったく矛盾しない。
「伝えること」とは何かを学ぶプログラムになっているからだ。
また、ぼくはいわゆる「ラボの発表会」は、
発表の仕上がりより、
観る側が何を学ぶかがたいせつと確信し、
観ることも教育プログラムと断言しているので
大いに共感できた!
発表10編を1日で観るのは修行、荒行に近いが、
うまく休憩も入っていたので完走できた。
第一部は前から3列目のかぶりつきで観て、
表情などもよくわかった。
ランチのあとはMCの開始時間を信じて戻ったら
もう『太陽へとぶ矢』がはじまっていたので
最後列で観たが、
それも全体を俯瞰するおもしろさがあった。
大学生年代の「伝える」ことをテーマにした
しかも参加費ありの発表なので、
テーマ活動についての感想も少し書こう。
これはうれしいことだが、
全体にラボ・ライブラリーをよく聴いている
印象が強かった。
もちろん、支部、個人ごとに濃淡はあるが
「作った感」「なぞった感」が少なく気持ちよかった。
1年かけたインプット、
物語との睦みあいが感じられた。
これは観ていた後輩たちにとって
すばらしい贈り物、お手本、メッセージだ。
子どもたちは敏感に感じているはず。
英語のみ、英日、どちらも
「ことば」が安定していたので
表現も自然にできていたとと思う。
こんなことは中高生までの発表なら
書かないけど。
今回の物語をよくよく観ると
「明るい、元気一杯」の物語より
圧倒的にヘヴィなテーマが並んだ。
『ギルガメシュ王ものがたり』『幸福な王子』
『ヘンゼルとグレーテル』『太陽へとぶ矢』
『ドリームタイム』自分のドリームタイム
『マクベス』『ハムレット 悟り』
『注文の多い料理店』『はだかのダルシン ケルトイの掟』
『ドリームタイム』最後のレッスン
いやいやすごい。
で、思ったのは、意図してか偶然か
これらの物語の縦糸は「主人公の成長」であること。
『注文の多い料理店』は果たしてそういえるかは
微妙だが、
(暗色のレストランのホール員を思わせる
コステュームはいい感じ! 紳士二人のキャラの違いも
出ていて驚いた。よく聴いているなあ)
それ以外は
困難と助言者、気づき、
そして克服による成長がある。
このパターンは昔話、伝説、ファンタジーの
定番、定石ではあるが、
そのことがクリアに伝わってきたのは、
発表者自身が成長しているからに他ならないのだろう。
これらの物語のうち、
ぼくが直接制作に携わったのは
『ギルガメシュ王ものがたり』
『注文の多い料理店』
『はだかのダルシン ケルトイの掟』の3編だ。
やはりドキドキする。
もっともリリースされてしまえば
ライブラリーも小説も映画も音楽も
受け手のものになり、解釈も味わい方も自由だ。
でもいつも感じるのは、
自分が世に出した物語が
ラボっ子たちによって「さらに成長している」喜びだ。
今回もそうだ。
「えっ、こんなにおもしろかったし
深かったんだ」と再発見して感動した。
上記の3編ともそうだ。
これは物語にとっても作り手にとってもうれしい。
だからこそ、前述したように
ひとりでも制作に携わった先生に
観てもらいたいなと思った。
でも、そのほかの物語も、
1年という月日をかけて
物語を愛してきた心が伝わったし、
彼らひとりひとりが、
物語から愛されていることが感じられた。
あえて書くと、
個人的にインパクトを強く受けたのは
『ギルガメシュ王ものがたり』と『マクベス』だ。
それぞれ目から鱗なところがあった。
『ギルガメシュ王ものがたり』も『マクベス』も
はげしさのなかにソフィスティケイトされた表現が
ちょっと、おっ! ときた。
でも、ラボラトリーは実験室。
贅沢をいえば
ラボの最年長世代ならではの
もっとブッとんだ、
「こいつら何考えてるんだ」という
限界突破、テーマ活動の常識をひっくり返すような
挑戦が一つ二つあってもいい気がする。
ことばの宇宙の果てまでは100万光年。
50年は旅のはじめなのだから。
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