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ラボは私にとって永遠のネバーランド |
11月02日 (日) |
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2025.9.26 千葉ラボ・テューターの会
幹事会会報「ECHO 皆の声が行きかうように!!」~No.104~より
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★鍋島パーティ55周年 おめでとうございます!★
鍋島パーティは2025年3月20日、55周年記念発表会を開催され、千葉ラボ・テューターの会より心を込めてお祝いのお花を贈らせていただきました。
鍋島テューターには、55年を迎えられて、今、私たちテューターに伝えたいこと、来年、45周年を迎える「千葉ラボテューターの会」の設立当時のことを振り返って寄稿していただきました。
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以下、鍋島陽子寄稿文~
『 ラボは私にとって永遠のネバーランド 』
中央千葉地区 鍋島 陽子
1970年は、ラボにとってテーマ活動元年。つまり理想はあるけど未知の活動。
テューター同志知恵を寄せ合って取り組んだので本当に仲良くなった。
年に4,5回ラボランドに集められて、谷川さんの講話を聞き、興奮して家に帰って考えてラボッ子と格闘する。
そうこうする内にライブラリーを聴く事の深さ広さがラボッ子の地下水となって、テーマ活動があること。
表面的な言語習得ではなく人間の歴史や文化、生きる知恵等をライブラリーから学び、それを自分の豊かな言語体験につなげることができ、学びあい、育ち合うテーマ活動の深さに思い至った。
長年のテューター人生のピンチは三郎さん(夫)の心筋梗塞。
私も病院に泊まり、帰って来た時に家の前に待っている母子が居て、ラボに入りたいと言う。
その時つくづく「ラボはやめるな」と言われている気がした。
国際交流のホームステイを経験したラボッ子達は、キャンプ経験も踏まえて、大きく成長している。
ラボへの感謝の心があるからパーティ合宿には大勢のOB・OGが応援に駆けつける。
短い時間では出ない答えをちゃんと出している。
~~45周年を迎える「千葉ラボ・テューターの会」について~~
1980年組織混乱に伴って事務局とテューターの意見の対立もあり、テューターの会ができた。
テューター通信もラボ全体の情報共有のイメージから、テューターの立場に立った情報共有という事で、
私自身1980年から二年間、全国のテューターの為のテューター通信編集委員として頑張った。
息子一歳を背負い新宿までの道のりは楽ではなかったが、やらずにはいられなかった。
この頃、テューター達はうんと成長していて、育ったラボッ子達の姿が後押しして、100人パーティもどんどん誕生していた。
テューターが力をつけていた。
千葉もいち早くテューターの会を誕生させ、全国のテューターの会の先駆けとなった。
ラボ活動が世の中に認められたという自負があった。
つまり、そんなこんなの55年。
長かったけど未だ終わりではない。
もうちょっとが何年かはわからないけど、50名以上のラボッ子との日常がネバーランドなのです。
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