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Super Monday スタジオという場所(改) 02月07日 (月)
しんぶん
 先日の予告の通り、本日のJAPAN TIMESの5面に、
翻訳家・通訳の鈴木小百合さんのインタヴュー記事が掲載された。
そのまま接写して日記にアップするのは、パクリといわれるので
(記事の引用というかたちで脚注をつければ、まあ0K)
立春の日に81歳になった母親(夕食をともにしたので)に
読んでいるふりをしてもらって撮影した。
ちなみに、母が眺めている(読めないので)のはムバラク氏に関する記事。
 この撮影の直前、鈴木さんと電話で話したが、ご本人も
こんなに大きな記事(ほぼ半面)になるとは思わなかったそうな。
インタヴューはJAPAN TIMES社で3時間かけて行なわれ、
インタヴューアーして記事を書いてくれたとのは石原さんという女性で、
ぐうぜんにも、わしらの大学の後輩だという。
 事前にとってもよく勉強していて、
主な著作や略歴、そしてラボのことまで基礎情報を頭にいれていたとのこと。
聴き手としては当然のことだが、テレビでゼロからインタヴューする
アホなアナウンサー(けっこう多いので誰とはいわぬが)は、
爪のあかを煎じて一気飲みするように。
 また、鈴木さんは「週間ST」というJAPAN TIMESの
週間誌に連載をもっている。
だからてっきり、そちらに掲載されると当初は思っていたとのこと。
それが本紙ということで、びっくり! だそうである。
 お読みになられた方は、わかると思うが、
記事はたいへんよくまとまっていて、ごきげんなできである。
「通訳の仕事より、翻訳の仕事の比重を多く紹介してくれてうれしい」
 鈴木さんにとって、もちろんスターや監督の通訳もたいせつな仕事
だが、軸足は好きな戯曲の翻訳、上演においている。
※翻訳では湯浅芳子賞を受賞されている。
※一度、通訳の仕事でだれが一番すばらしかったか、ミーハーな
質問をしたことがある。ここでクイズ。それは誰でしょう(こたえはラストに)。
そのあたりのブレのなさは、ほんとうに強いと思う。
 掲載された写真の小さいほうは、ジョニー・デップと
ティム・バートン監督の記者会見でのようす。
大きいほうは、新刊の『ももたろう』『かさじぞう』
を手にもっている。
 そして、なによりうれしいのは、
「絵本の仕事にも翻訳の領域をひろげている」と、
ラボのこともきちんと、しかもたいせつな仕事として紹介してくれていること。
 先日もメールでは「ラボと新刊のこともバッチリ宣伝したわよ」と
いっていたが、
「あそこまできっちり書いてくれるとは思わなかった」
 1992年の『おどりトラ』が最初だから、もう19年になるのだなあ。
 ラボのことは記事の後半にでてくる。
「ラボとの出会いで、あなたのことしゃべったわよ。
名前はいってないけど」
 へんな想像をしないように。読めばわかるけど。
※各支部に記事のコピーは配布されると思う。
少し大きめの画用紙に貼って、簡単な要約をつけ
クリアファイルにいれるかパウチすれば、父母会用に便利。

 さて、タイトルにSuper Mondayと書いたが、これは本来は
Super Sundayである。2月のさいしょの日曜日は、
プロフットボールの全米No.1を決定するSuper Bowlが行なわれるからだ。
日本ではどうしても月曜の朝。
 ラボに勤務していたころは、この月曜日に
生中継を見るためにどうやって休みをとるかに腐心したものだ。
 しかし、今年はゆうゆうとコーヒーを入れて試合開始10分前から
スタンバイである。
 野球はBall Gameだが、フットボールはBowlだ。
スタジアムが料理のボウルのようになっているからね。
 本日の会場はダラス、
Pittsburgh Steelersと、Green Bay Packersの対戦だ。
観客は約104000名! 
 ベンシルヴァニアとウィスコンシンの勝負である。
Pittsburghは鉄鋼の街、だからSteelersである。
その協力な守備陣は「鉄のカーテン」(もともとはチャーチルが
冷戦をあらわすことばで使ったのは有名)とよばれた。
 対してGreen Bayは
冬はめちゃくちゃ寒い(旭川より北)ミシガン湖のほとりの小さな港町。
1919年の設立だが、最初のスポンサーが缶詰会社だったので
こんなティーム名になってしまった。
 さらに、Green Bayは、NFLで唯一の市民ティームである。
市民が「おらがティーム」として株をもっている。
ホームゲームのシーズンディケットは、
常に売り切れで、Waiting Listには80000名以上の名前がならんでいる。
今から申し込んでも手に入るのは数十年後。
 試合はGreen Bayが制したが、じつはゲーム前に
あるハプニングがあった。

 試合前のセレモニーは、毎年、いろいろなに演出がなされる。
大統領がコイントス(先攻決め)をしたり、
宇宙船からメッセージがきたり、スカイダイビングがあったりと
まあ、アメリカらしい。
 しかし、もっとも重要かつもりあがるのは「アメリカ国歌」斉唱である。
フットボールのみならず、あらゆるスポーツの試合前には
国歌が流れる。そして、とくに大きな試合では、有名な歌手が登場する。
その際、いつも感心するのは、どの歌手も「おなじ歌」である国歌を
それぞれ、完全に自分の歌にして、独自の歌い方で披露することだ。
ゴスペルであったり、アカペラであったり、アリア調であったり、
じつにおもしろい。
 アメリカ国歌は、けっこう長い。
ぎゃくに、「君が代」は短い。
ところで、ぼくは「君が代」を国歌とするのは反対であったが
最近、少し考えが変わった。
 「君が代」は、もともとは天皇を讃える歌ではなく、
たいせつな「君」が末永く幸せにあるように、
自分の愛する親や配偶者などへの歌だったということを知ったからだ。
 しかし、かつて自分たちの歌をうばわれ、
この歌を強制的に歌わされたことで傷ついた人びとがいることは
変わらない。
 したがって、歌の本意はそうであっても、やっぱり
「ソンクバード」をプロデュースした身としては、
そうしたSensitivityを忘れてはいけないと思う。
 だから、もろてあげて「君が代」賛成。
国歌なのだと、いいきる気にもならない。微妙。

 さて、今朝のSuper Bowlでは今、大人気の女性歌手
クリスティーナ・アギレラがギター奏者とともに登壇。
すばらしい歌唱力で圧倒した。観客は大もりあがり。
 しかし、あれ? と、途中で思った。歌詞が変なのだ。
ごていもねいに録画もしていたので、ハーフタイムに
再生してみた。すると…。
O'er the ramparts we watched
ところを、その前の
What so proudly we hailed
とごっちゃになったのか、
What so proudly we watched
と歌っているようん気がしてならない。
 しかし、アギレラともあろう歌手が国歌をまちがえるはずかない。
「とうとう、わしの耳もこわれたか。やはり引退して当然」と
かなりへこんだ。
 実際、テレビも試合場も、なにごともなかったかのよう。
観客は万雷の拍手である。
 ところか、夕刻のネットニュースで、やっばり! まちがえていた。
ツィッターでおおさわぎになったそうである。
 
 ここで、今はなき友人バーナード・レーベンスピール氏
(元財団職員、アメリカ事務所員)のことを思い出した。
長身、フィドルの名手、日本堪能。
誠実、正確でていねいなに仕事。
4-Hクラブをはじめ、交流相手の担当者からの信頼は厚かった。
おだやかで、皮肉屋、でもあたたかい男。
 今、北米交流があるのは、彼の力が大きい、
というよりバーニー(愛称)なくして語れない。
しかし、バーニーは腎臓に病を得た。
さまざまに苦しい治療をうけ、移植も行なったが、
6年前の7月、40代の若さで世を去った。
信じがたいことに、死の前日まで、国際交流の仕事を続け、
ホームステイに関する手配をほとんど終わらせていた。
それで安心したのだろうか、と思わざるを得なかった。
 そのバーニーが日本にいるとき、アメリカ国歌についてこういった。
「国歌は学校なとで教わるけど、ちゃんとぜんぶ歌える人は
あんまりいないよ。ぼくも歌えない」

 あんまりあっさりというので、ぼくはポカンとしたとのを覚えている。
頭の回転速度が、ぼくの3倍くらいはやく、
また思考の深さにいたっては、ぼくと比較するのも失礼なほどの彼なので
それが、ほんとうなのかどうかはわからなかったし、いまもわからない。
あらゆる権威、そしてナショナリズムを忌避したバーニーだから…。

 でも、アギレラでもまちがえちゃうんだからなあ。

 ところで、録音スタジオには窓がない。
したがって、地下にある場合がけっこう多い。
音楽スタジオも、セリフのスタジオでもおなじ。
長い間、太陽光にあたらないから、
時間の間隔がおかしくなる。
しかし、録音は、セリフどりなら役者さんもいるし、
音楽なら演奏家もいる。
出る順番も場合によっては、売れっ子の演奏家などは
おしりの時間がきまっているから(いわゆるケツカッチン)、
まだ、時間の進行には気をつかう。
スタジオの確保時間は、かなりゆとりをもってとっているが、
無限というわけではない。
 だが、編集となるとそうはいかない。
とくに英日をつくるときなどは、終わるまで終わらない。
あたりまえのようだが、たいへんなことだ。
ラボ・ライブラリーのもっとも妥協できない点である。
もちろん、録音も妥協はできないが、編集は時間のかかりかたがちがう。
役者も演奏家も人間だから、無限に録音はできない、
疲労してくれば声も演奏もおちてくる。
いい状態のときに、どれだけうまく録音できるかが勝負。
といっても、ラボの場合、念を入れて、いろいろなパターンを録音
してもらうことがけっこうある。
録音時は、その表現でいいと感じても、後で英日あわせると
微妙にむずがゆいときがある。
そこで、ニュアンスをあわせるために
ここは難しいなあという部分は、
念のためにいくつかのバージョンを録音しおくのだ。
泰斗目なんかは10こ以上、「いただいて」おく。
 
 たが、編集の時間のかけかたは、はっきりいって異常。
たいていの技術者はあきれる。
そして、とことんやりましょうということになる。

 『ジョン・ギルピン』の英日編集のときのことだ。
この作品は三輪えり花さんの、ラボ初演出である。
たしか、13時スタートだったと思う。
初日が終わったのは、27時(日付がかわると伝票が2日にまたがるので
こういう。要するに朝の3時)である。
 「ここまでにしましょう。おつかれさま」
 「いま何時ですか」(三輪)
 「朝の3時」(わし)
 「えーっ、わたしどうやって帰ったらいいの」
一同の心の声(この人は時間忘れてたのか)

 そんなもんである。
 太陽光のない部屋で、もくもくと、まるで炭坑の仕事。
でも、演出家、演奏家、作曲家などという
芸術の山師たちは、
スタジオという金鉱で、まだだれも見つけたことのない
美しい音や表現の鉱脈をさがしつづける。

 そんななかで、すごいなあと思うのは、
スタジオ・ミュージシャンのみなさんである。
 語りもすごいのだが、こちとらも一応はことばのプロであるから
いろいろ注文つけたりもする。
 しかし、演奏はへたの横好きのレベルだ。

 原則ラボの音楽は、アコースティックである。
生の楽器の表現力は、音の厚みからしてちがう。
ぺらぺらの打ち込み音楽は賞味期限がなさすぎる。
そこらで売ってる英語の歌はたいていそうだ。

 だから、作曲家はフルスコアで書いてくる。
それを写譜屋さん(ハッスル・コピーなんて有名な会社がある)
がベース、ピアノ、バイオリンなどの楽器別のパート譜に書き写す。
 スタジオに入った演奏家は、その日にパート譜をわたされる。
初見で演奏できなければ、スタジオ演奏家としては成立しないのだ。
 一回テスト。これは、長さを計るとともにニュアンスを調整するためだ。
楽譜はテンポがきまれば、演奏時間は計算で得られる。
したがって、セリフの長さにぴったりあった演奏が録音できる。
演奏のテンポは「ドンカマ」とよばれるリズムマシーン
がヘッドフォンから聴こえるようになっている。
 二回目が本番。
 これが理想のバターンだが、写譜がまちがっていたりすると
(これは、急いでやっているのでママある)、修正。
すごいのは、作曲家はすべての音を聞き分けているということ。
 「フルート、15小節目の2拍目のウラは、なんですか」
 「Cです」
 「それは写譜まちがいです。
  Cはウソのなので、そこは、シャープつけてください」
うーむ。

 作曲家も自ら指揮する間宮先生のような方もいるし、
調整室で聴いて専門の指揮者に指示を出す先生もいる。
どちらかというと後者のほうが多い気がするが。
 
 かように演奏家はうまいのだが、とくに重要な楽器は、
はげしくうまい人が来る。作曲家のご指名によることが多い。
相性もあるし。
 結局、俳優とおなじように超一流、ワールドクラスの演奏家が
ラボの音楽に参加することになる。
 例をあげるときりがないが、ぜひ聴いてほしいのは
パーカッションは、高田みどりさん。
※彼女は世界的に活躍しているが、ライブラリーのバーカッションは
ほとんど担当している。
バイオリンは中西さん(大草原),篠崎さん(西遊記ほか)
などなど。
 ちなみに、「ダルシン」の音楽どりのとき、
間宮先生が指名したチェロの演奏家の開始前のひとことに驚いた。
「とうとうこの弓、買っちゃった」
「へぇっ、いくら」(となりのバイオリンの人)
「うーん、ベンツが買えるかな」

  びっくりして、いろいろたずねると。
バイオリンは数千万するか、名器のチェロ本体はもっと高いので
個人では無理とのこと。だから弓だけか!
※ここでクイズのこたえ。
鈴木さんが今まで通訳て、いちばん素敵で印象的だったのは
チェロのヨーヨーマだとのこと。一週間近く、ずっとアテンドしたが
んなに疲れていても、常に紳士的で優雅だったとのこと。
そして、別れ際にお礼にと自分の作品のCD(ほぼ全部)をサイン入りで
プレゼントしてくれたそうだ。

 スタジオは密室空間で長時間の作業、しかもかなり神経を
けずって作業をするからだろうか。
いろいろふしぎな話は多い。
 たくさんの電子機器やシールド(コード類)があるから、
磁場が霊をよぶなんていう人もいる。
 誰もいないスタジオでピアノがなったとか。
調整卓(コンソール)からいきなり男の上半身があらわれたとか…。
 たしかに寝てないから、脳内現象としてへんなこともおこるかなあ。
 ぼく自身はいちどだけ体験したのは
『十五少年』のナレーションどりのとき。
中村俊介氏の語りのとちゅうで、だけかが変な声が入っている
のに気づく、再生してみるとかすかに歌みたいなのが聴こえる。
幸い、ほんの数秒なので、やりなおしはわずかで
かすんだが、原因はわからない。
たまに、ほかのスタジオの音や、なにかの無線の音が
電気的な不具合でまれに混入することはあるが、
この日はお盆で(ぶるぶる)、他のスタジオは空室。
雑音ではなく、歌のようにきこえたので不気味だった。
結局、20分ほど休憩して原因調査したが不明。
その後は、なにもおこらなかったが、
中村氏が「ぼく、こういうの苦手なんすよ」といったのが
おかしくて、場がなごんだ。

 スタジオは経費がかかる(ちょっとした器材でもすぐ千万単位)ので、
維持はほんとうにたいへんだ。
 いいスタジオがなくなると、さもしいなあと思う。
赤坂のやげん坂(一時はコロムビア通り)にあったコロムビア本社
(今は虎ノ門に移動)の第一スタジオなどは、
じつにおもむきがあった。会社の事務室のなかわぬけていくのだが
ドアをあけた瞬間、会社から芸術空間に一瞬でかわるギャップがよかった。
 ここではラボの作品も多くつくられたが、
美空ひばりさんの「川の流れのように」も録音された。
名スタジオである。
今はもうない。


 バーニーの遺志により、彼の墓はない、ご両親は記念の小さな
塚をつくられた。
 そして、遺骨と灰は海に還った。

 そのわずかな一部がご遺族の好意で日本にもちかえられた。
そして、亡くなって2年後の5月。
彼が愛してやまなったラボランドに埋められた。
 鴻来坊の前庭に5メートルくらいの間隔で
対になったオオヤマザクラが植樹されているのをご存じだろうか。
 その根本に、バーニーの遺骨がおさめられいる。
 ブレートなどの、それとわかるものはない。
ただ、四季のキャンプのときには子どもたちの声に
かすかにほほえむように枝がゆれるかもしれない。
Re:Super Monday スタジオという場所(02月07日)
カトリーヌさん (2011年02月08日 00時48分)

ジャパン・タイムス、読みました。ある事情によりコピーで。ありがたいですね。
東京支部の総会でもお話を伺いましたが、とてもよかったです。
スタジオの話も興味深いです。
また、思いがけず、懐かしいバーニーの話。
私もアメリカでコーディネイターをしていたとき、バーニーとは、離れているけれども、
一緒に仕事をしている共感を持たせてもらいました。
当時、テレビの子ども番組でバーニーというぬいぐるみが大人気で、
私が会議でバーニーと話したなどというと子どもが大興奮。
バーニー本人は、「でもぼくは紫と黄色じゃないよ~」なんて言ってました。
(テレビのバーニーは紫と黄色のかいじゅう)
日本でのしのぶ会に弟さんがいらしたとき、たまたま何かの委員会のあとだったか、
お昼ににおいのある物を食べてしまったのに、急にバーニーの弟さんの通訳を頼まれ、
リチャード・ギアばりのハンサムな人を前に大いに恥ずかしかったです。
そうですね。鴻来坊のまえの桜。会いに行きたいなあ。
Re:Super Monday スタジオという場所(改)(02月07日)
SENCHOさん (2011年02月08日 09時03分)

書き込みありがとうございます。
亡くなった人を心のなかで生かしていくことが
生き残った人びとにできる唯一のことだと思います。
この日記、後半少し書き足しましたので語彙毒ください。
Re:Super Monday スタジオという場所(改)(02月07日)
まんぎょどんさん (2011年02月09日 15時58分)

新聞手に入れました!記事を読んで、感動で、感動で言葉にならないく
らいです!。たくさんの希望と元気をいただきました。とても嬉しい一
日になりました。ありがとうございます。どうぞ、よろしくお伝えくだ
さいませ。
Re:Super Monday スタジオという場所(改)(02月07日)
MICKEYさん (2011年02月14日 14時22分)

初めまして・・。
とてつもなく興味深く、飽きる事なく日記を遡って読ませていただきま
した。
が、時間が尽きてしまい、また何度かお邪魔して読ませていただこうと
思っております。
私のようなものが言う立場では全然ありませんが(変な日本語すみませ
ん)、感受性や洞察力の鋭さと視野と知識の広さが直接表現力に繋がる
方が、こんな日記を皆さんに提供できるのだな・・と尊敬しながら拝読
していました。
・・あまりに自分が薄っぺらく感じたので掲示板への書き込みを大きく
ためらったのですが、今後も読ませて頂きたいのでご挨拶まで・・・
と勇気を振り絞って書き込みました(笑)

私はRose Bowlを、Bowlの外に転げ落ちそうな末席で観たことがあります
が、実況中継のアナウンサーの興奮レベルが半端でなくこっちまで興奮
してしまい、TVで日本人アナウンサーが訳して実況するのを聞くと全然
興奮出来ずにちょっとしぼんでしまいます。
あの国民あげてのスポーツ熱、独特のものがありますね。
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