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ラボっ子に、またまた書いてもらいました。みんな書いてね!というとちゃんと乗ってくれて、いい子たちです。(わが娘は、めんどくさいからいいや~と、留学中であることをいいことに逃げられました~)
高2の子の「ラボをやっていてよかったこと」
中学生からはじめたので、中学生からのことしかわからないけど、家族以外にも家族みたいな存在ができる!
大きくなって自分たちでお話について話し合ったり、動きを作ったりするときにたくさん意見を出しあったり、ぶつかったりするから、気が置けない仲になっていて本当に家族みたいになれるし、たぶん私は自然とラボ以外の学校とか部活とかでも自分の意見が言えるようになれたんだと思います。
周りがみんな優しいから自然とその中で、人に対する優しさを覚えられたと思います。
お話を聞いてると、学校ではあんまり習えない、日常会話とか、学校の授業で「あっ、この文章、あのお話にも出てきたな~」とかいろんな発見があって楽しいです。
なかなか普段の生活の中で、ネイティブの英語を聞く機会ってないと思うから(留学生のノーラと毎週会うことが)勉強になっています。
ラボは英語を学べるのももちろんだけれど人と人との関わりがどれだけ大切かってことを教えてくれる場所だと思います。
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今年、ある理由があり、高2に頼んで、上記のタイトルで書いてもらいました。
ラボをやっていてよかったこと
○世界が広がった!
ホームステイや外国の人との交流で視野が広がるのはもちろん、キャンプで日本全国に友達ができるから日本の中の違いとかも体感できた。
○話し合いの力がついた
テーマ活動に取り組むことは常に話し合いの連続。自分の意見も出しつつ、他の人の意見も取り入れる力が身についたと思う。学校の話し合いなんていつものラボの話し合い比べたら雲泥の差だと思う。
○ラボというかえる場所ができた
学校が気が乗らなかったり、家が厭になっても、ラボに来れば笑いがある!のがすごく助かる。
○自分の長所と短所がわかるようになった
テューターや仲間と、互いに本音で褒めあったりときには注意しあったりするから、自分にできることとできないことがわかる。
○意外と勉強にも役立った
テーマ活動でおはなしについてイメージしたり、考えることで読解力がつく。
小さい頃に覚えたナーサリーとかソングの一節が、学校で英語で習ったときにふと浮かんだりした。小さい子と触れ合うのが得意になるから、家庭科で保育実習の授業があるとものすごく有利。
○自信がついた
小さい頃は、発表会で舞台に立ったことは、人前で話すことに対しての自信になった。キャンプに行ったことも、数日間自分で身の回りのことができたという自信になった。そのような小さな自信が積み重なって、ホームステイの一ヶ月を乗り越えたりできたのだと思う。
○尊敬できるに人に出会えた
キャンプのシニアメイトや地区、パーティの高学年、とにかく尊敬できる人、目標となる人に出会えた。
○仲間ができた
住んでいる所も年齢も性別も関係なく本音でぶつかれる仲間ができる!!
○楽しい!!
★ラボなくして○○(自分)なし。今の自分がいるのはラボでいろんなことを学んだから!!学校にいるだけじゃ絶対にわからない、身につかないことがつく。
今の不思議な発想力、自分の役割を持つ意味、そして皆の意見をマゼマ-ゼして、ドーンとひとつの作品を作るっていうなんかスゲーっていう気持ち。たくさんもらったよ ラボー 39 ありが10匹ー!!
(ラボってなんか壮大 宣伝っぽいけどこれマジ)
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自分がラボをやっていてよかったと思うことを、ある理由で高2の子に書いてもらいました。
1 自分が変われた、自分の全てを出し切れる場所であり、自分を高められる場所であった。
2 良い仲間がいた 出会いがあり別れがある。これの繰り返しによって自分は成長ができたんだなぁ~と思う。
3 国際交流、違う文化や違う言葉で少し難しいところもあったけど、準備とホームステイ体験。それを経ての今。ここから学び成長したことは大きい。
4 JR、シニア、キャンプ、いろいろな行事。
最初は何もかも初めてでわからないことばかりだったけど、テューターやラボの仲間、キャンパーの力を得たことによって、成功したと思う。
5 大切な親友ができたこと。テューター、地区の大先輩たちが支えてくれたこと。自分がここまでこれたのも、越智パーティがあったからこそだと思う。知識、仲間、伝える力、これがあるのでラボはやめられない。
ラボをやっていてよかったことはまだまだあるけれど、この5つは大切。
これからいろんな道があると思うけど・・・・
小さい子たちにはラボのおもしろさ、美しさ、楽しさをもっともーーーっと死ってほしい!!
大人になったとき、小さかったあの子が自分よりも成長してることを想像するのも嬉しい。
自分も未熟な部分もあるけれど、いろんな人から教えられたり、学ぶことができれば、まだまだ成長できる気がする。
そして、今のパーティの小さい子に、もっと憧れられる人でありたいと思います。
これから二度目のシニアの壁に挑み、また、将来はコーチの壁に挑もうと思う。
みんなへ~
大変なことも、あきらめず最後までがんばろうと思うので、今後とも仲良く、そして、楽しく、よろしくお願いします!
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先日、高校二年で留学中の娘から電話がかかってきて、一生懸命、彼女が伝えたがっていたこと。(うちの電話の調子が悪く、よく聞こえなくて残念。いつの時代か?って感じですね。)
とにかく、小学5年から参加した高学年活動(JR)。小5のときは楽しんでいっていたものの、中2で実行委員になってから、「実行委員会の話し合いが苦しい」というような発言。
でも、その話し合い、高学年活動に意味があったということを、電話で懸命に伝えてきました。
あのさ~、私、JRって、ラボのための、よりラボをがんばる能力を高めるために必要な活動って思ってたんだ。でも違うんだね。
そんな口調で。
まず、小学校の国語の授業で「音読をしてくれる人~!」といわれて、積極的にさっと手を上げたくなる自分は、他の子と違うからおかしいって、少し悩んだこともあったという。そして、今いるアメリカの高校では、クワイヤーの時間で、「○○風に歌ってくれる人!」というと、数々の手がさっとあがる。それが普通。自分の意見をいうことが普通。
「アメリカにいたら、私って普通だったんだね。」という。
その後、アメリカの高校生がいかに真剣に授業を受けるか、その内容がどんなかという話をする。
そして、昨年、高校生になってバスケ部のマネージャーをすることになり、JRも出られなくなったけれど、ラボでJR(高学年活動)をがんばることと、マネージャーとして部活で責任をもってがんばることは、同じ成長があるって思ってた。
でも、違ったという。
JR(実行委員)をやることは、話し合わなきゃいけない。そういう場所で、自分の意見をもって、そして何かつくりあげる。つくりあげたいものがあって、そのためにみんなで真剣に話し合う場。
それが大事だと気づいたという。
「自分が13年間、ラボをやってきた意味がわかった。」みたいなことをいい、訓練できるんだよね、大事なことがといってた、と思う。(電話が悪い・・・)
いろいろ語り、「ただの英語教室にならないで!!」と、その語る中で、何回も繰り返していた。きっと、日本の中で、そういうことを自分に体験させてくれたのは、そこだけだって思ったんでしょうね。
今アメリカにいて、英語漬けの中にあって、彼女が、テューターである私に一生懸命いうことって、それなんだと、感動。決して、もっと英会話の表現教えておいてとか、話す練習させてとかの種類のことではなく、「ただの英語教室にならないで。」ということだから、励まされます。
同時に、高校生になっても、まだまだラボでやっていることの本当の意味や価値って、知らないんだな。小さいころからやってるからこそ、わからなくて、他に行ってわかるんだなと思いました。
ほんと、アメリカにいく少し前の発表会で追い詰められたとき、「ラボなんて、やりたいと思ったこと一度もない!」と私に言い放ってくれたことを思い出します。(でも、そのときも、同じ地区の小さい子中心のパーティの発表をみて、「やっぱりラボが好き。」と速攻思い出してくれましたが(苦笑)。
星の王子様のセリフ、本当に大切なことは目に見えない。ラボに限らず、世の中にある本当に大切なことを見ることができる自分でいたいものです。
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オハイオ留学中の娘が、高校の数学の先生に、「日本でだれと英語で話してるの?すごいうまいよ~。」とほめられたそうです。
ラボテューターとしては、やった~と万歳したい気持ちでした。
ラボをやっている人は皆わかると思いますが、日本で、ラボの子は英会話なんてしてないんですよね。
もちろん、日本人の母である私と、英語で話すなんてこともない。
3歳のころから、英日のCD、ドリトル先生やたぬきを、朝の目覚ましがわりにかけ、あとは、普通に毎回のラボパーティに参加。
小さいときは、「ラボ以前の問題」っていうくらい、今、一緒に高2になっている子たちと、ラボ中に意地張り合ってけんかもしてたし。
キャンプにも連れて行き、はじめは、超人見知りで私から離れられなかったのが、中学生では、高大学生の知り合いまで作ってくるようになりました。
その間には、いくつもの発表にもとりくみました。
小学校5年くらいまでは、発音も、そんなにうまくならず、「ラボってやっててもこんなものかな。」という感じ。
(ただ、耳のいい子は、パーティに何人か育っているのはわかっていました。)
それが、中学生に近づくころから、なぜか発音がよくなりはじめる。
そして、発表のために暗記するのも、中学になった後は、突然早くなりました。
中1の反抗期、「いつ、ナレーションを覚えるつもり?」と業を煮やしてたずねると、あっさりと「今日。」といい、私だったら1,2週間はかかる量を、さっと全部覚えてしまったことを思い出します。
少しずつ、発表を仲間と積み重ね、留学のための素語りでは、親も驚く「鏡の精」を丸々一話、暗記。
一ヶ月ホームステイの素語りは、ぜんぜんまじめに取り組まなかった子なので、意識の変わりようにも驚きました。
途中、中1、中3でホームステイの受け入れをしたときも、中1では、私が聞き取れなかったことを、彼女のほうが聞き取れたことがあり驚きました。
(驚くぐらいだから、中1では、まだまだだったと思います。)
それが、中3の夏では、学校の友達に「英語はなせるんだ~。」と驚かれる感じにはなっていました。でも、まだ簡単な会話。
中3の夏から、はじめて英語を塾でならい、読解力がすごくつきました。あのころは、多量の英文を読んでいました。
そして、小さいころから私が職場の図書館からおみやげといって持ち帰る本を楽しみにする面があり、読解力も多少あったのか、塾で英文を読みながら、おもしろいと一人で笑ったりしていたようです。
そんなこんなで、英会話そのものを習わなくても、英語は話せるようになるというのを、わがパーティで実体験しました。
今、一緒にラボをやってくれてる仲間、そして、かわいい~と目を輝かせて関わることができる年下の子達、あちこちで出会う憧れる先輩、そういう存在があったから、英語で話す力も育ったと実感。
留学を応援して精神的に支えてくれてるのも、あちこちで彼女が出会い友達になった子達。
先輩テューターやラボっ子からは、ラボでつく英語力の報告をたくさん聞いていたので、話せるようになるとは思っていましたが、自分で目の当たりにすると嬉しいものです。
ただ、アメリカの先生や友達に、どうして英語が話せるのかと聞かれると、「母が英語の先生だ。」と答えるしかないといっていました。みんな、日本で先生と英会話してると誤解してると思います。(笑)
最近は、高校生ラボっ子になると、受け入れの子と会わせると、何かしら言語でコミュニケーションをとっているし、中学での一ヶ月ホームステイでも、相手のいっていることはわかるしで、なんだか私は、日本国民全員が、英語がわかるように錯覚してます。
でも、自然体でこんなことが出来るのは、ラボならではだと、
中学高校での学校英語しか体験してない人の話を聞く機会があり、
あらためて思いました。
ことばを育てる長い道のり、成長を信じ、楽しみながら続けられるといいと思います。
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二年前に、娘と受け入れしたカナダのノーラ。
そのときから、大学になったら一年留学で来たいといっていましたが、
それが実現。
偶然にも私の母校に9月から留学。今夜、遊びにきてくれました。
帰国後も勉強していたので、日本語がうまくなっていてびっくり。
また、来週、遊びにラボっ子がいるときにきてくれるそうです。
二年前、ラボっ子と一緒に「不思議の国のアリス」をやったことを思い出します。
娘はオハイオにいるので会えませんでしたが、ノーラいわく、
「オハイオと自分のトロントの英語は似てる。」とのこと。
二人が来年の7月に日本で再会したら、英語で話すのか、日本語で話すのか?楽しみ。
二人ともが、おもしろい報告をしてくれました。
娘は、アメリカの高校で、フィリピンの子と互いの母語ではない英語で会話して仲良くなりました。
ノーラは、日本の大学で、韓国の子と日本語で会話。
互いに、母語以外の共通言語がわかると、コミュニケーションがとれる時代になってきてるんだなと実感しました。
青少年、二人ともすごい。
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8月からはじまったアメリカの高校の英語の授業、とても役立つと、メールを送ってきた娘。
英語は話せるけれど、書けない子向けのクラスで、文章を添削してくれるのですごく勉強になるそうです。
許可を得て、のせてみます!
If I could go back in time to anywhere and “anywhen”, I would go back to Aug 10, a day before leaving Japan to America. I was at home all day long that day. I made thirty lucky charm bracelets for my basketball players. I was a team manager. I took part in many farewell parties that my friends had planned for me, so I couldn’t sleep enough time for about two weeks. I wanted to write letters to my best friends and my family, but I was really tired, so I was sleeping on the sofa in the living room for many hours. My mother was also at home all day long, because we won’t be able to see each other for about a year. My mother and I are so close that we talk for hours sometimes. I am an only child, so it will be very hard for my mother that we will not be able to talk for about a year. It will also be hard for me. I knew that, but I was filled with the hope of going abroad to study, so I was forgetting to think of my loved ones around me. After all, I was sleeping most of during the day, and I had to do final packing in the evening then I couldn’t write letters and leave them anything. And I couldn’t express my thanks to my family and friends. On the next day (my departure day), many friends came to the train station to see me off, and they gave me a lot of letters. And my mother gave me a letter too.
Now, I’m in the other country alone and when I face hard things, the letters from them and a lot of happy memories with them encourage me. After leaving Japan, I noticed how important they are in my life again. So if I could go back in time to anywhere and “anywhen”, I would go back to Aug 10, a day before leaving Japan to America and say thanks and I love you to my family and friends.
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年長さんのおとまり会を決行。ひとり熱を出してこれなかったのが残念。
小一とジュニア、シニアメイトで、7人の参加。
寝相をはじめ、花火やゲームのそれぞれに、いつものパーティでは、見ることの出来ないエピソード満載でした!!
もともと、小一でくろひめに行くにあたり、(本当はもっとその先のホームステイにいくにあたり)、その前年に我が家にとまれるかな?とはじめたこと。
パーティをはじめたばかりで、幼児しかいないときから、他のパーティから高校生や大学生にシニアとして応援にきてもらっていました。本当に、それがどれだけ私、子どもたち、その上、夫にまで良い効果があったことか。
今回は、シニアメイトもジュニアメイトも自前。
年齢を超えて仲良くなった実感が幼児、高校生、互いにあったり、ホームシックに絶対なりそうだった子がとまれたり、いつもよりゆったりと過ごせる時間で、その子のいいところが益々見えてきたり、充実していました。
みんなの感想が印象的でしたが、中でも中一女子の、「こんな風に、みんなでお弁当を持ち寄ったり、とまって話をするのは初めてだったから、本当に楽しかった。」ときらきらした目でいったのが心に残りました。
ホームシックの乗り越えさせ方も、私がなれてきて、来年からはおとまり会はやりません。シニア、ジュニアがみんな忙しくて確保しづらいのもあるといったら、その中一の子が、「私が高校生になったら、おとまり会のシニアになるから!」といってくれたのが本当に嬉しかった。
いつも何事にも、超控えめな発言の子を、こんな風に積極発言にかえる、おとまり会の威力。
やめちゃだめなのかも?!だけど、体力にも限界があることだし、本質を見失わず必要十分に、気力知力を使っていこうと思う、この秋です。
その後の、午後からの国際交流面談。ジュニアメイトとして、本当に優しくテキパキと、大人顔負けの気配りで働いてくれた二人も、あらためてきて参加。
ゆっくり話したあと、3人とも、来年参加の意思表明。
「あ~。これで、この子達にも人生の宝物をプレゼントできる。」と安堵の気持ち。
みんな仲間。楽しんで、のりきっていきましょう!
※ この記事は6日の出来事です。(同じ日に二つのせられないので)
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夏休みに、ホームステイした子、さまざまな行事に参加した子、気持ちはプエブロにいった子たち。
一度、自分の身近なところに物語はあるんだよ~、ということで、
この季節、雨がふったり雷がなったときに、かみなりこぞうのことを思い出してくれる子がいたら嬉しい。
空を見上げれば、高い空の雲のどこかに、へそもちを食べているかみなりこぞうがいる気がしてくる。
どのクラスも、空に向かって”Please eat these hesomochi."
と声を届けてみる。
2歳になったばかりのPRのFちゃんも、怖がらないように、Helloの歌のときから、かみなりこぞう人形を参加させて、仲良しに。
Ring a ring 'o Roses のdownも、一緒にしゃがむ。
先月は、だるまちゃんとかみなりちゃんをやったので、かみなりちゃんのお父さんが、白い雲にのってくることは、よくわかっている。
今回は、黒い雲だけれど、かみなりこぞうが乗って、空に帰っていくのには、なんの違和感もなく、自然な出来事として受け止めてくれている。
たいこもたたき、雨をふらせ、うそっこのおへそもつけ、最後は、小麦粘土で作ったおもちを、長い棒にひっかかってしまったかみなりこぞうに、たこで届けてあげる。
うそっこ火打ち石を、お母さんにうってもらったりしながら、絵本の稲妻のも眺める。
FちゃんがCDの音楽に合わせてたたく軽い太鼓の音は、とっても楽しげでした。
おうちに帰ったら、CDの笛や太鼓の音にあわせて、たたいて楽しんでくれることでしょう。
きょう、はじめて、I'm fine!とFちゃんがいえて、お母さんとびっくり。幼い子の学習能力はすごい。
いつもPRについては、「やるとやらないでは、触れると触れないでは大きな違い。」と感じます。
へそもちのお話に出会わなかったら、2歳の子が、空を見上げて、何か感じることなどなかったかもしれません。
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きょう、帰国。電話をくれました。
行くまでの準備期間に、チェックすべきところで的確なチェックが入り(合宿や事前活動、一泊相互ホームステイ)、いわゆる問題?が・・・本当に今回は気になりました。
出発直前の本人の不安
1 英語がわからない。
2 朝、目覚ましで起きられない。
3 自分が何か失敗をしでかして、ホストファミリーに大きな迷惑をかけることになったらどうしよう。
マリッジブルーならぬホームステイブルーに、出発三日前にかかったことを告白にきた彼を、(そこまでは本気では心配してないところが、また彼らしい)
私のどこにそんな力が?と思うほどの気迫で参加すべしといいくるめて、自宅に帰しました。
10年以上見ているこの子が、途中で、日本に帰国するようなことがあったら、私はテューターを続けるべきではないとひとり心に思いました。
10年の間、小さい子にとても優しいし同性の友達も多い、テーマ活動でも豊かな心を持っていることがわかる、そして人の嫌がる仕事もできる、素直、とてもいい子だと思ってきました。でも、ひとたび、社会に出そうとすると、ルーズ(これは困ります)で無表情にもみえるぼくとつさが目だつ。その二つを何度も引き比べて、迷惑をかけるだろうかと悩みつつ、やっぱり送り出していいだろうと自分の中ではしっかり決断をしてはいました。
本日、帰国直後の感想を聞くと、「仲良くなりすぎて、かえってくるのはもう少し後でいいと思った。」
つらいこともあったでしょうと、水をむけると、「つらいことは、ほとんどなかった。」と明るい大きな声で答えてくれました。
それから、外からの電話だったので聞きづらかったらしく、なんと
「今、いったこと、はっきりと聞き取れませんでした。なんていいましたか?」と聞き返してくるのに、ちょっと驚きました。
国際交流に行くと決め、事前活動をする過程で、ちょっとずつ、成長をしていきました。ルーズなとこも、少しずつ改善されました。
(もともと出来たほうが良かったことが出来ていなかったともいえる。)
事前活動をしたということだけも本当にいい経験だったと私は何度も思いました。
でも、本人もステイが出来たことで、来年はじまる受験をはじめ、いろいろなことに自信がついたのではないかと思います。
受け入れてくださった方の感想はわかりません。少なくとも子供同士は楽しかった様子。
自分のステイについての不平や文句を一言も感想として言うことのない状態で帰国できたことは、本当によかったと思います。
願わくば、彼のいいところをステイ先の皆さんもわかってくれての良い交流であったということだといいのですが。
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