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たろうはいそいでいる 憂国忌に 11月25日 (木)
ぼこう
写真は最近けっこう頻繁に訪れている母校。正門から続く800mの桜並木の終わりかけから教会を撮影。この長い直線は戦中は中島飛行機製作所の滑走路だった由。

 さて、『たろうのおでかけ』。ごぞんじ全力少年のたろうが、ガールフレンドのゆきちゃんの誕生日に、プレゼントのアイスクリームと花をもって、ペットたちとともに疾走するロードストーリィだ。この物語が交通安全指導書でないことは確かだが(昔、ほんとうにそう使用している幼稚園があって驚いたことがある)、なにかテーマ活動の本質のひとつがあるような気がしてならない。
 主題というとおおげさだが、『たろうのおでかけ』の中心にあるのは彼の「緊急性」だ。「アイスクリームがとけちゃうんだ」というのはすごいわがままだが、逆から見れば愛する人のために、今がんばらねばいつがんばるんだというガッツが伝わってくる。
 現在、28歳の長男が5歳のときの話。そのころ、彼は川崎のパーティでお世話になっていたが、ある夏の夕方、『たろうのおでかけ』を聴きながら、ぐるぐる部屋を廻っているのを目撃した。最初から最後までずっとである。ゆきちゃんちにつくころはへとへと。「いったいどうしたのだ」とたずねると「だって、アイスクリームがとけちゃうんだ」。これをテーマ活動というかは別として、なにか感じ取れる逸話である。
 さても、ぼくたちは、ついつい日常のなかで、日々の疲弊にうもれ、緊急性を失いがちだ。そんなぼくらに、たろうはいつも目をさませといってくれる。
 旧ソ連の物理学者でノーベル平和賞受賞者のアンドレイ・サハロフ博士(この人は水爆の父といわれたが、後に良心から核競争に反対し迫害をうけた。しかし、平和と民主化を提唱しつづけ、ペレストロイカの父といわれる)は、「科学者は汚染をいちはやく感じ、変化して伝えるムラサキツユクサであれ」と述べた。
 世界を知る目をもちたい。今知らないのは恥ずかしいことではない。知ろうとしないのは恥ずかしいことだ(これは福音館書店の松井先生からおききした)。
 今、警鐘をならさなければならない。そんな不公平や悲劇が世界にはまだ満ちている。たろうはいそいでいる。日はすでに高い。
 
 ところで、この物語の絵は堀内誠一先生。『ぐるんぱのようちえん』の作者でもあることはご存じの通り。先生は小1で私家版雑誌をつくり、14歳で伊勢丹に入社してデザインをしていた天才的なアーティストだが、たろうやぐるんぱのオシャレな感じはいつ見てもかっこいい。先生は54歳という若さで世を去られてしまったのが残念だ。1987年秋の「ことばの宇宙」に「さよならぐるんぱ」という小さな追悼文を泣きながら書いたのを思い出す。なお、先生がデザインした雑誌である「アンアン」や「ブルータス」などは、今も先生がつくったロゴを表紙につかっている。

 さて、ここから先は本日のできごと。ラボにあんまし関係ないので興味ない人はパスしてね。
 11月25日は憂国忌。三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自決した日だ。1970年のこと。この年は大阪で万博が開催されたり、日米安全保障条約が自動延長に入29るという、大きなできごとがたくさんあった。アメリカではリチャード・ニクソン(この人はクェーカー教徒!)が大統領に就任し、ベトナム戦争はカンボジアまで戦火が拡大していた。ぼくは高校3年生で、小さな頭で戦争や差別問題を考えなながら、三島由紀夫や梶井基次郎や漱石、ヘミングウェイなどを読みふけり、同時にガールフレンドがほしいなあという青い悩みともむきあっていた。
 アメリカが戦争でむだづかいしてくれるため、日本経済はどんどん成長。戦争はいやだといいつつ、アメリカの侵略の手伝いで繁栄を享受している自分との矛盾にも苦しんだ。そして、まだ漠然とした自分の未来を手をかざして探しながら、詩みたいのもや歌みたいなものをシコシコと書いていた。
 そんな年の、よく晴れた晩秋の日に三島は遠くへ行ってしまった。奇しくもその日は母の父の告別式で、父母の指示で妹を連れて帰宅する途中に立ち寄った定食屋のテレビが臨時ニュースを伝えていた。
 三島の作品論をここで展開するほど厚かましくはないが、彼の文章は漱石とともに、日本語のお手本のひとつだ思っている。美しいのはいうまでもないが、あいまいさがなく、緻密に組み立てられた建造物のような確かさがすごいと思う。

 1970年。週末の新宿西口地下などでは学生とサラリーマンが真剣に議論したりする風景があった。
 2010年。三島没後40年。今、警鐘をならす力を失ってはいないかと、自分に問いかける。朝鮮半島の緊張も対岸の火事ではない。
 行動することもたいせつだが、思考することもたいせつ。物語のなかに、多くのこたえがあることを思う。
 たろうはいそいでいる。日はすでに高い。ゆきちゃんの草原はまだ遠い。
 
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