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HAPPY HOLIDAYS! 賢治とラージヒル 12月24日 (金)
しせゃんぷ おおくらやま    
 写真は札幌の大倉山にあるラージヒルのジャンプ台と、
例によってえらそうにするわし。
撮影は先日、21日午後。ここで冬季オリンピックが開催されたのは1972年。
ぼくは大学受験生で、入試二日目とラージヒル(当時は90m級といった)
ジャンプが同日だった。試験が終わったとたん、
「さあ、帰ってジャンプ見よう」とつぶやいて家路を急いだ。 
 その数日前、宮の森でのスモールヒル(70m級)では、
笠谷幸生選手の金メダルを筆頭に日本ジャンプ陣がメダルを独占。
当然、ラージヒルにも期待が集まったが、結果はざんねんながら
笠谷の7位が日本人のトップだった。
 この日は平日なので競技は行なっていなかったが、なんと
ジャンプ台の下のほうでそりやタイヤチューブすべりができる。
 スキージャンプは克服スポーツで、恐怖心との戦いにまず勝たねば
ならないが(飛ぶというより落ちるが正しい)、ある選手にきいたところ、
ラージヒルくらいになるとどんな名選手や熟練者でさえも、
飛ぶたびにこわいと感じるそうである。
 ところで、ジャンプといえば宮沢賢治のライブラリーを
制作が始まったとき、ちょうど長野オリンピックだった。
1998年2月のことである。このころは、制作スタッフを
決めているときで、すごいプレッシャーを毎日感じて
仕事をしていた記憶がある。
 賢治作品をラボ・ライブラリーにするには、スタートまでに
かなりの時間を要した。構想から12年はかかっているだろう。
 もっともラボ・ライブラリーにかぎらず構想とはそういうものだ。
賢治文学の魅力をここで書くほどあつかましくないが、
よい原作をもとにラボ・ライブラリーを制作するというのは
今やっている実写版「YAMATO」もそうだが、とってもたいへんなことだ。
 すぐれた作品ほどよい読者がいて、それぞれのイメージを
たいせつにしているからね(だから名作絵本をライブラリーにするのも
たいへん)。ある意味、完成している作品をいったん解体して、
英語・日本語そして音楽で再構築する作業は無謀といえば無謀。
でも、そこから生まれる新しい世界があることも事実。
 そのためには、作品の読み込みはいうまでもなく、
膨大な参考文献に基づく調査・研究がかかせない。
 結果的には制作に直接は影響しなかった資料探索も含めて
どれだけ枝道、回り道をするかが構想のたいせつなところだと思う。
そのことは映画も文学も基本的にはおなじだと思う。
 もちろん、プロである以上、さらにはラボという組織のお金を
つかって制作する以上、予算、時間という枠組みはプロとして
度外視することはできないが、効率と速度を直線的にもとめる
ビジネス的な視座ではどうにもならない。
 構想、すなわち準備のたいせつさは賢治作品にかぎったことではない。
しかし、それでも賢治作品は時間を必要とした。
 と、書いていくと昔を知る方がたは賢治作品と谷川雁氏の関係を
想起されるかもしれない。たしかに谷川氏はラボを離れて以降、
賢治作品のテープ(はじめは英日で、ついには日本語だけで)づくりを
重要な仕事にされていた。
 ただ誤解してはいないのは、谷川氏に遠慮して、あるいはその目を
意識してラボが賢治になかなかとりあげなかったわけではない。
その間も、東北支部からは毎年賢治作品が提案されていたし、
いつも複数の支部が賢治作品を研究していた(もちろんぼくらも続けていた)。
 ではなぜ時間をかけたかといえば、大きくはふたつの理由がある。
ひとつは、組織的な意義、社会的時代的意義。すなわち、ラボのなかで
今、この作家の作品、あるいはロシアやアジアといった世界を
とりあげる教務的、組織的な重要性と、社会に対してラボがはなつ
メッセージとしての重さだ。
 その意義については「資料集」を参照してね。
 確か村上龍氏が芥川賞を受賞されたときだと思うけど、
大江健三郎氏が総評として「今、この時代の日本、世界の状況のなかで、
なぜこのテーマで物語を書くかという時代性と社会性を小説家をめざす
人たちは意識していただきたい」いわれた。ぼくは、そのことばに
はげしく心がふるえ、青き自分を責めた。
 ラボ・ライブラリーはラボだけのものではない。というより、
ラボが次のライブラリーでなにをだすのかは、けっこう注目されている。
前々回のロシア昔話のときに書き忘れたが、小野かおる先生に、
『かぶ』の絵をお願いしにいったとき、先生は開口一番
「ラボは次にロシア無火事話やるんでしょう」といわれたという
(ぼくはそのとき同席していない)。先生は、ご迷惑と思いつつ
毎月送っていたか「ことばの宇宙」(当時は月刊)などを
ちゃんと読んでいらっしゃったのだ!
 昔の日記にも書いたが、ラボを応援してくれている人は
ぼくらが思っているよりきっと多い。
 理解してもらえずにへこむことはあるが、多くのすばらしい
専門家が期待してくれている。それはまちがいない。
ラボっ子の期待にこたえるのはもちろんだが
ラボの組織外の応援団の声援をうらぎることはできない。
今もそう信じている。
 さて、賢治の構想に時間がかかったふたつめ。
それは制作にあたる専門家のみなさんがそろうか。
つまり、英語、絵、音楽の担当者、吹き込み者、そしてアカデミックな助言者
などが、同じ時期に協力してくれるかである。
いうまでもなく、皆多忙な人びとである。
しかもギャラの多寡で動く人びとではない。
賢治作品でラボ・ライブラリーをつくることが、
いかに意義があり、かつわくわくすることかを伝えねばならない、

 上記2点をクリアするために12年を要したといっていいだろう。

 さらに賢治作品は再話が不可能に近い。基本的には文学たがらことばは
かえられないが、古典作品や神話・昔話などはラボ・ライブラリーとして
再話し、音声化し、また音楽もつけることで新たな命を得る。
 しかし、賢治作品はそのことば自身がラボ・ライブラリーのような音声性、
音楽をもっているために、一言でも変化させると味がかわってしまう。
たとえば『注文の多い料理店』の冒頭
「二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、
ぴかぴかする鉄砲てっぽうをかついで、白熊しろくまのような犬を二疋
つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、
こんなことを云いいながら、あるいておりました」
のところの「木の葉」は、ふつう「このは」と読むが
賢治は「きのは」と読ませている。声にだしてみるとわかるが
「きのは」と「このは」ではぜんぜんきもちよさがちがう。
 こんな具合だから、再話は困難である。
となると、収録のサイズが問題になってくる。
作品選定に時間がより多くかかるというわけだ。
結果的には『セロひきのゴーシュ』だけはサイズを縮小したが、
これも監修者の天沢退二郎先生の綿密な指導により、
ことばは変化させていない。

 ここでカミングアウトすると、ぼく自身は若いときには賢治は
読んではいたがあまり好きではなかった。というより、魅力がわからなかった。
それが1995年、第2回のメキシコ交流(今やってないのが残念)
の団長をつとめたとき、賢治をもっていった。
 太陽ギラギラ、底が抜けて真っ黒に近い青空は
賢治と真反対のイメージがあったが、
じつは賢治の作品のように悲しいまでに美しかった。
そして、なんだがスポンジが水をすいこむように賢治の物語が入ってきた。
まさにみずみずしい果実(メキシコは果物がうまい!)である。

 さて、賢治のライブラリー制作に関わった人びとは、
多分、日本では最高のメンバーだといいきっていいと思う。
まさに奇跡のようにスケジュールが一致したのである。
 まずは、監修者として賢治研究の第一人者である天沢退二郎先生を
おむかえできたことは最大の幸福だ。筑摩かに出ている
新校本の賢治全集は高いけどほんとうにすばらしい。
その緻密さには鳥肌がたつ。
 英語はロジャー・パルバース氏。ロシア語、ポーランド語も話し
日本語で駄洒落をいう(近年もメールの末尾に「労蛇」などと書いてくる)
ことができるほどの「ことばの天才」にとっても、賢治の英訳は難関である。
なんどもはげしい議論をし、ときには彼のプライドに土足で踏み込むほどの
やりとりをしたが、そのことで信頼関係は増した。
なれ合いからはなにも生まれない。
 そのなかで印象的だったことをひとつだけ書く。
『雪渡り』をめぐってあれこれ議論をしていると、
パルバース氏が「物語でいちばんたいせつなものは
なんだと思うか」と突っ込まれた。
 ぼくは、この作品はとくに好きだったということもあり
即座に「透明感です」とこたえた。すると氏は少年のような
四郎のようなキラキラした目で" Transparency!"といって笑った。
英語と日本語で同時に同じイメージを共有できた瞬間。
そのとき、「これでいける」と思った。
 音楽は林光氏。『一人のゴーシュとして』という著作があるほど
賢治への思いは深い。先生について書くときりがないが、
感動したエピソードを三つ。
 ひとつは「星めぐりうた」のピアノ伴奏を林先生自らが
「ぼくが弾きたい」とおっしゃったこと(CDを聴こう)。
ふたつめは『ざしきぼっこのはなし』の音楽が、僕自身が
こうなったらすてきだなと思っていた通りに
民芸調、昔話調のいわゆる和風ではなく、硬質なピアノ
(これは連弾です。CDを聴いてみてね)だったことだ。
音楽はどこに何秒、なんに対してつけるかは打ち合わせするが
編成や曲調は作曲家しか立ち入れない城だ。
※なまじ細かい注文をするとたいていだめになる。
 それゆえにイメージ通りの音がてでくるとほっとする。
さしてみっつめは、『雪渡り』の音楽が、司氏の絵を見てもいない
のに、あまりにも絵とマッチしていたこと。透明感。
 しかし、冷静に考えると同じ作品の絵と音楽だから
あたりまえなのだが、それでも感動してしまった。
 個人的には「赤い封蝋細工のほおの木の芽が、風に吹
かれてピッカリピッカリと光り、林の中の雪には藍色
の木の影がいちめん網になって落ちて日光のあたる所には銀の百合
が咲いたように見えました」
という人間業とは思えぬ美しい文にかかぶさるチェロのピチカート
のところが大好きである。

 そして絵は司修氏。氏はすでに『トム・ティット・トット』などで
ラボにご協力いただいていたが、当時はかなり大きな仕事をされて
いてたいへんな状況であることをきいていた。
 しかし、ぼくらのなかでは司修氏以外、あまり考えられなかった。
ひとつ気になったのは氏が『ゴー
シュ』の絵本を描かれていたことだ。
その絵を使用するのではなく、新しく描けというのはアリなのか。
 しかし、悩んでもすすまないので例によって企画書を
一方的に送り、無礼を承知で電話した。
 するとやはり先生は「賢治作品なので協力したいが。かなり忙しい。
今回は…」とおっしゃる。そこで
「正直いって先生以外に絵の候補者はまだいません。考えてもいません。
詩2編と歌、物語3編をすべてとはいいいません。2編だけ、いや1編だけ
でもお願いしたいです。林先生、天沢先生も協力してくださいます。
のこり作品については、先生のお眼鏡にかなう画家を紹介してください」
 とせまった。よく考えると(考えなくても!)かなりの無礼だが
ここが勝負だからしかたない。
結局、とりあえず話はおかがいましょうと先生からおっしゃってくださり、
お宅にうかがうことになった。
 先生のアトリエは東京の西部・武蔵村山市にある。立川の駅から
車で20分くらいかかる緑豊かなところだ。
 2月の寒い日である。はじめに書いたように、その日は
長野オリンピックのラージヒル団体が行なわれていた。
 立川からの車のラジオで日本は3位である。
でも、なせが仕事もジャンプも逆転がまっている気がした。
司宅に着くと、先生はいつものような深いまなざしで
ぼくらを迎えられた。
 けしてえらぶらず、しかしゆるぎない迫力。
ぼくは先生に会うたびに心を鍛えなおされる。
 結論は早かった。ぼくらがあいさつをすませた直後
「企画はわかりました。ラボの賢治であれば、他の人に描かせる
わけにはいきません。ぼくに全部描かせてください」。 
 そしてやわらかな笑顔。
 帰りの車が来て、ドアをあけた瞬間、ラジオから絶叫が聞こえた。
「日本、逆転、金メダルです。やりました団体ジャンプは金!」。
  かくして賢治の制作はスタート。ここからが仕事。
でも、ここまでも仕事といいきかせた。

 本日はクリスマス・イブ。エリツク・カール氏から
メールがきた(ファンクラブ会員や関係者に自動送信)が
それに
HAPPY HOLIDAYS and best wishes for 2011, the year of the rabbit!
I hope you have a wonderful holiday season and a very happy new year.
とあったのがおもしろかった。
 今、アメリカでは宗教の自由性を意識してMerry Christmasではなく、
HAPPY HOLIDAYSということがofficialにはほとんどだ。
 PC(パソコンではなくpolitical correctness)は、けっこうめんどいけど
やっぱりたいせつかも。
 とくに差別的発言にはとってもとってもきびしい。学校でもキャンプでも
かなり意識している。
 ということは、けっこうそういう問題が多いということだよね。
 でも、それだけ意識するなら、もう戦争やめようぜ。
Peace to All
Re:HAPPY HOLIDAYS! 賢治とラージヒル(12月24日)
とんかつ姫さん (2011年01月02日 18時09分)

う~ん、膨大な資料集のようなページに言葉もなく「う~ん」とうなっ
て読ませて頂いているのですが、札幌の画像に思わず乱入してしまいま
したよ。

その札幌オリンピックの頃に三沢さんが受験生だったとは!

私はその地で一年前にラボを開設、オリンピックの期間は家がアリーナ
と近かったこともあり、いくつの交通規制の間を縫って、大倉山にも、
宮の森にも幼児だった長男を連れてジャンプを見に行きましたよ。

当然観客は三沢さんがたっていらっしゃる辺りから見るわけで、テレビ
のアングルと違い、アプローチやスタートの様子はアナウンスで知るだ
けで、しばらくすると、突然風を切る音とともに笠井選手などが落ちて
くるって言うのが実感でしたよ。

サービスだったのか、売ってたのか、お汁粉が出されて、その器を握っ
て暖を取った覚えがあります。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

長い前置きを「え?」と辿りながら、いずれ深い作品紹介と裏話に続く
スリルは圧巻で、これからもほとんどロムると思うけど、楽しみにして
います。
Re:HAPPY HOLIDAYS! 賢治とラージヒル(12月24日)
かつどんさん (2011年01月27日 10時36分)

SENCHOさま

さちこさんHPへのかきこみから、こちらにとんできました。
昨夜NHKでパルバースさんの語っていたことと重ねて読ませていただ
きました。
改めてラボライブラリーの質のよさを実感するとともに、これを当たり
前のように受け取っているラボっ子たちは幸せだな~なんて考えまし
た。
Re:HAPPY HOLIDAYS! 賢治とラージヒル(12月24日)
さちこさんさん (2011年01月27日 20時16分)

こんにちは!
こちらのHPに訪問、書き込みくださりありがとうございました。

賢治のライブラリーが出た頃はまだテューターではなく、
ラボママでした。
3歳の娘と一緒に飽きることなくCDを聞き続けました。
こんな贅沢なライブラリーを子どもに与えてくださって感謝です。

SENCHOさんのHP、お気に入りに登録させていただきます。

これからもよろしくお願い申し上げます。
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