幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0359793
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
ハヤブサの種 アジアの昔話3 01月05日 (水)
せいもん
 写真は練馬区豊玉にある母校。正門から少し入ったところから校舎を見る。
ぼくはここで中学・高校の6年間を過ごした。
 写真の右手前には当時、露場(ろじょう=百葉箱がたつ気象観測場)があり、
毎朝9時にこの露場と屋上で気象観測を行なっていた。
えっ? と思うかもしれないが、ぼくは気象部に属していたのだ。
 ぼくは幼いころから、星とか宇宙のことが好きだった。
長男に「すばる」と名付けたくらいだからね(付記しておくが
F重工の車からでもない、谷村なにがしの歌からでもない。「枕草子」
の「星はすばる」からだ)。
小学4年のころからは、毎月京王バスに乗って
渋谷の東急文化会館の五島プラネタリウム(今はない!)に通っていた。
思えば、宇宙のふしぎにも惹かれたが、それ以上に星座を
めぐる神話が好きだったようだ。
 だから、中学生になったら天文部に入りたいと思っていた。
 入学式のときに校舎の屋上を見上げると、当時としては立派な望遠鏡のドームが
ぎらりと太陽光を反射しているのが見えたので、
なかなかやるなあ、よし天文部員になるぞと意気込んだ。
しかし、いざドームにいってみると、そこに天文部はなく、
あるのは太陽観測部という妙な部だった。
驚いたことに、その望遠鏡は夜に星やら銀河やらをロマン豊かに
眺めるのではなく、真昼に太陽の黒点を観測するためのものだという。
しかも、直接太陽を目視するとたいへんなので反射版に投影するのだという。
太陽の黒点やフレアの変化は地球にも大きな影響をおよぼすが、
当時はそんなことは知らないから、ただぼうぜんとしてしまった。
あせったぼくは教師や先輩にいろいろきいてみた。
すると次のようなことがわかった。
・もともとは「地球物理部」という巨大な部であった。
・あまりに範囲が広いのと、いろいろと方向性でもめめことが多いので
・「物理部」「地学部」「気象部」「太陽観測部」にわかれた。
 ということだが、それにしてもマニアックなわかれ方だ。
 悩んだあげく、望遠鏡の魅力はあったが、ぼくは気象部を選んだ。
黒点だけを眺めるより、雲と風とか雨とか雪をしらべるほうに
まだ詩情を感じたのだ。
 かくして、ぼくは6年間、毎朝9時に気象観測を行ない、
夏休みには合宿して八ヶ岳や富士山の雲の研究をした。
 なかでも毎朝の屋上と露場の観測は重要で、日曜日も夏休みでも
二人組で必ず続けられた。気象観測は欠測、すなわちデータがとぎれ
るとその記録価値が半減する。
創部以来、欠測がないのはすごいなあと思った。
 この定時観測には部としての研究であるとともに公的任務ももっていた。
学校内にありながら、気象庁東京管区気象台中新井観測所という
気象庁所属の甲種観測所(人間が観測する)でもあったのだ。
したがって、データをとぎれさせることはできないのだ。
※気象庁から観測料が支給され、それで器材を購入しいた。
※事件があると警察が雨量などを聞きにくるこもあった。
 9時からの観測は10分程度で終わるが、次の授業にはわずかだが
遅刻する。それも学校によって認められていたくらいだ。
現在は完全にロボット化されていてリアルタイムで気象庁にデータが
送られており、人間が観測する必要はなくなったらしい。
 この夏もの猛暑で各地の気温がテレビなどで紹介するが
東京の気温は都心の気象庁と、練馬の温度が紹介される。
「東京では練馬で35度を記録しました」というニュースは
昨夏、なんどもきいたはずだ。なぜいつも練馬なのかと
思ったかもしれないが、
それがこの写真の地上1_5メートルの気温なのだ。
 ちなみに全国で気象庁観測所で気温を報告しているのは90か所で
意外と少ない。
 
 先ほどは、太陽観測部を小馬鹿にしたようなことを書いてしまったが、
かれらも営々と太陽観測を継続している。
しかも、この部からは日本がほこる逸材を輩出しているのだ。
昨年、小惑星イトカワから数々をピンチをのりこえて地球に帰還、
さいごはカプセルだけをのこして自らは燃え尽きた(あの瞬間
ウルッときた人は多いはず)「ハヤブサ」のプロジェクト・リーダーであり
イオンエンジンの開発者であるJAXAの國中均教授は、
この太陽観測部のOBだ。しかもこのプロジェクトには、國中教授のほかにも
2名の太陽観測部OBが参加している。恐れ入りました。
 こちとら、気象観測を6年やったがキャンプのときに天気を読むくらい
しか役立っていない。
というのは冗談で、ライブラリーづくりにもそうした自然科学的センスは
とってもだいじだなあと、今になって思う。

 たとえば、『ロミオとジュリエット』でロミオが忍び込んだ
ジュリエットの家の庭にはどんな花が咲いているのか、
さらにいえば湿っているのか、乾いているのか、といったイメージは
演出におえいても音楽においても重要だ。
 ためしに仮面舞踏会にいくロミオたちの会話

"Give me a torch."のところの音楽を聴いてみてほしい。
息ぐるしいほどに、3名の距離感、青さ、石の路面の湿感、
夜のなまめかしさが映画よりもリアルにせまってくる。
これは、いうまでもなく、音楽をつくられた間宮芳生先生の音楽性の
すごさだが。加えて先生の自然科学的な感覚の鋭敏さの現れでもある。
※間宮先生のことは後でふれる。
 また、『なよたけのかぐやひめ』の冒頭で、翁が竹をとりに
竹やぶに入る場面を思い出してほしい。
この竹やぶも、どんな竹やぶなのか、広さや深さや明るさなどのイメージが
なければテキストのよさが音に繁栄されてこない。
 翁は「よい竹育てよ、まっすぐな竹育てよ」と竹に語りかける。
名優、今福将夫さんである。
 ここで今福さんは、まず「よい竹育てよ」で、
目の前にある竹に近距離でやさしく語りかける。
そして、「まっすぐな竹育てよ」で、竹やぶ全体に語りかける。
これで、竹やぶのひろさが表現される。ぜひ聴いてみてほしい。
さらに、
「竹をとり、竹でものをつくってくらす」、つまり非農民である
が故に、さげすまれ遠ざけられてきた男の悲哀と、そんな自分を
成り立たせてくれる竹への想いが凝縮された1行でもある。
原作が『竹取物語』というタイトルであるのは、
この話が、まさに翁が不遇の身から姫を得ることで
一躍「富貴の人」になり、また一老人にかえるという
サスペンスであるからだ。
 これらはほんの一例だが、ラボ・ライブラリーにかぎらず
文学でも映画でも芝居でも絵画でも、自然科学的感性は重要だ。
というより、自然科学、人文科学、社会科学などとわけるのは
中世ヨーロッパの大学の発想だから、21世紀の今は
学問の壁をとりはらった総合人間学的発想が求められるということだろう。
その意味では、物語というのはまさにうってつけであることは
いうまでもないのね。

 さて、ようやくアジアの昔話。
前々回に、このライブラリーの制作では多くのすてきな出会いがあった
書いたので、そのことにふれねばなるまい。
ライブラリーづくりでは、作品ごとに新しい出会いがあり、
いわばラボの応援団が増えていくわけだが、
アジアの昔話SK24では、とりわけ大きな出会いと再会があった。
一人は英語担当の鈴木小百合さんである。本当は先生と書くべきなのだが
本人がいやがるので「さん」づけで書く。
最近は、海外映画スターの通訳としてテレビで見かることが多い。
彼女かラボ・ライブラリーの作品を手がけたのは、『ヒマラヤのふえ』と
『おどりトラ』が最初である。
その後、『おむすびころころ』『ききみみずきん』『鮫どんとキジムナー』
『十五少年漂流記』『寿限無』『はだかのダルシン』そして新版『ももたろう』
と多くの作品の英語を担当されているのはご存じの通り。
中部や九州、中国支部では講演もされたことがあるので
お目にかかつたテューターの方も多いだろう。
 ラボ・ライブラリーの英語テキストは、通常の翻訳とは異なる部分が
多々ある。その点については、きわめて重要なので別の機会に詳しく書くが、
ざっくりいえば、とっても無理な注文がいっぱいつく。たとえば
・書かれている日本語は全部訳出することが基本
・だけど、日本語の長さにだいたいそろえるように
※訳出する言語のほうが元文より長くなるのは当然なのだが…
・長い文は分割して録音できるように(子どもが一気にいえる)
※英語は関係節などがあると日本語にあわせて分割するのが困難。
『がらがらどん』(マーシャ・ブラウンは絵もすばらしいがテキストも平明
でかつ美しくて最高!)の出だしは、この関係節のおかけで分割できない。
ほんとは、出だしだから短くゆっくりばしめたいのだけど仕方ない。
・とかなんとかいいながら、美しく詩的で自然な英語でなければならない

 これは一部だが、とんでもない注文である。
ふつうはあきれるか怒るがどちらかだ。
こんな注文をニコル氏やサラ・アン・ニシエさんや、ロジャー・パルバース氏
などというとんでない人が受けてくれてきたのだ。
みんなすごいのだが、アジアの昔話でのサラさんののこだわりはすごく、
『スーホ』の発音の原音を知りたいと、ぼくとモンゴル大使館までいった。
そのときの書記官がバータルスフさんという人で、スーホはどちらかという
とスフで、スとフの間に小さな無声音のクが入ることを知った。
スフは斧という意味で男の子の名前にはよくつけられるそうだ)。
 話はそれるが、ラボは基本的には原音主義なので、なるべく言語に近い
表記を英語でもする。孫悟空しかり、三蔵法師しかり。
中国語は英語でも表記しやすい(映画「ラストエンペラー」で、登場人物
が皆英語をしゃべっているのは奇妙なのだが、愛新覚羅溥儀を「アイジンジェ
ロー・プーイー」と中国語風にいっていいたのは興
味深かった)が、
モンゴル語など、あまりなじみのない言語はけっこうたいへんだ。
 ノーベル平和賞を受賞したポーランドの労働組織「連帯」の指導者
レフ・ワレサ氏をおぼえていらつしゃるだろうか。
無名の彼が一躍世界の舞台に登場したとき、日本のマスコミはポーランド語に
なじみがないためワレサとしたが、原音的にいえはヴァエンサである。
まあ、しかしあまりうるさいことをいうと、今さらトルストイをタルストーイ
と原音に近く書いてもわけがわからないな。

 話を鈴木さんにもどす。アジアの昔話の収録作品がは決まり、担当者の
選考に入ったとき、まずは英語をどうするかだった。
 サラさんには「スーホ」と「不死身の九人きょうだい」をお願いすることは
すぐに決まったが、スケジュール的にも量的にも全4編を手がけるのは
困難だった。また、全体のバランスからいっても、異なるタッチの英語が
ほしてということになった。
 また、SK24は『九人きょうだい』以外の3編は、楽器、音楽にまつわる話
である。その点からいっても音楽的感性(オノマトペも含めて)のある英語
でつくりたかった(もちろん、ニシエさんの音楽的感性はすばらしいが)。
 しかし、前述したラボのムチャ注文を受け入れてくれて実力のある人
なんて、そうはいない。
 そのとき思いついたのが鈴木小百合さんである。
鈴木さんと出会ったのは、ぼくが大学2年になる直前くらいだと思う。
日本に帰国したしたばかりで、それはそれは可愛らしかった。
どういうわけかぼくら悪ガキのグループと仲良くしてくれて
いつしょにスキーにいったりもした。
 卒業後、それぞれに忙しいなかで友人を通して鈴木さんが
独立して戯曲の翻訳や芝居のプロデュースをはじめたということをきいた。
それを思い出したのである。
 しかし、昔のよしみを仕事とからめるのは逆にむずかしい。
友だちだからあたりまえ、とはならない。
あくまでプロどうしの話である。
 結果はご存じの通りである。鈴木さんの、リズムある英語のすばらしさ
『おどりトラ』『寿限無』などのオノマトペを聴けば明確だ。
またキャラクターにびったりした名セリフもたのしい。
ドニファンの"You don't have to remind me."「きみにいわれるまでもない」
なんか最高!
 
 ところで三年ほど前に鈴木さんが翻訳してプロデュースした
シャンリィの「ダウト、疑いをめぐる寓話」(白水社)が
吉祥寺で上演された。この戯曲はストレートドラマとして2005年のトニー賞
ならびにビュリツツァ賞戯曲部門をとった傑作だが、
日本での舞台をつとめたのが『ヒマラヤのふえ』の語りをされている
寺田路恵さんと『おやすみミミズク』のミミズク役などをされている
清水明彦さん(お二人とも文学座)だ。
 初日に鈴木さんと仲間と数人で見にいったのだが、すばらしいできだった。
鈴木さんとともに楽屋をたずねたが、寺田さんがずいぶん昔の
『ヒマラヤのふえ』の仕事を覚えていらっしゃって
清水さんともラボつながりであることがわかって
鈴木さんともども奇縁を感じたのがなつかしい。

 昨霜月、鈴木さんにあらたまって退職あいさつを送った。
すると返信に「心をこめて、でも楽しんで仕事をされていましたね」
と書かれていたのに涙してしまった。
 そして、ラボのスタッフやテューターの皆さんの情熱にはいつも感心
させられます。これからもよろしく、とあった。 
 さきほどSK24は楽器・音楽の物語が3編と書いたが、ライブラリーの
音楽をどなたにお願いするかも大きな問題だった。
 たいへん民俗(民族)音楽に深い方が第一条件であるが、
そうなると前述した間宮芳生先生が最高である。
 しかし、このころ、ラボと間宮先生は距離があった。
その数年の前まで、先生はラボから離れた谷川雁氏がプロデュースする
賢治作品の音楽を書いていらしたからだ。
 いわゆるおとなの事情である。
 その先生がラボの仕事をしてくださるには、ちょっとした物語がある。
それについては長くなるので次回にしよう。
あわせてアジアの昔話の音楽について
もう少し書く。

 この日記を書きながらSK24をずっと聴いていた。
そして、つらつらと思った。
 人間は幸福追求の名のもとに自然環境をそうした改造してきた。
近代はその想いが強調され賞賛されてきたといえる。
 そして同時に人間環境もまた、自然と同様に資源のようにとらえ
人を使い資本をたくわえるシステムを生んだ。
 しかし、そうした想いは自然への攻撃性を生み、人間への
攻撃性も育んでしまった。
 自然環境問題は、とりもなおさず人間環境問題なのだ。
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.