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星のカンタータ アジアの昔話4 01月08日 ()
だいば
 写真はレインボーブリッジを台場側から撮影したもの。左端に東京タワー
も見える。この橋ができてから今年で18年になるが、首都高速道路の
混雑がかなり緩和されて、とくに羽田空港への所用時間は大幅に短縮
された。長さは約800メートル。じつは人間も歩いて渡れる。
 ぼくはこの橋が好きで、羽田に行くときやお台場に遊びにでかける
ときには、車、バス、ゆりかもめ(橋は上下になっていて下を通る)
などで必ず渡る。夜もいいが、日射しまぶしい昼もいい。
青島刑事ではないが、封鎖してはいかん。
 この橋は水面からの高さは50メートル以上ある。それは「クイーン
エリザベス?」が通過できるためだった。しかし、悲しいかな彼女は
この橋をくぐってはいない。しかも、その後は世界の豪華客船がさらに
巨大化したために、この橋をくぐって東京港に着く豪華船はない。
今は横浜が海の玄関になってしまった。
 橋は水平への世界の広がりを感じさせてくれる。
そして、隔てられていたものをつなぐという平和訴求のイメージがある。
だから美しい。
レインボーブリッジやベイブリッジものような新しい橋もいいが
猿橋や錦帯橋、渡月橋などの昔からの橋もいい。
ゴールデンゲートやバンクーバーのライオンズゲイトなどもいい。
だから、橋が封鎖されたり、破壊されたり、板門店のように
軍事境界線になってしまうことは、とてもつらい。
今日の読売夕刊の書評に住井すゑさんの『橋のない川』でてでいたが
これも、人間の差別という不条理を象徴するタイトルだ。
驚いたのは、この名作を大きくとりあげていたことだ。
ある意味、青春時代に読んでいて当然という作品が、
それだけ大きくとりあげられる背景には、根強く部落差別問題が
潜伏する病のように残存している現実と
「重い文学」に近づかなくなった日本人の傾向性への警鐘だろう。
 橋の対照にあるのが塔だろう。「バベルの塔」に象徴されるように
塔は権力、パワーの誇示の匂いがする。
 祈りのかたち、高みへの憧れともとれるが、
それもなんらかの「力」の結集が空へのベクトルだと思う。
だからといって、塔がきらいだというわけではない。
西洋の塔もアジアの塔も日本の塔も、それぞれ特徴があり、
おもしろいし、美しい。
そして、無力がゆえに傲慢になりがちな人類がいとおしくなる。
 そうして見ると、タワーブリッジなどはとってもおもしろい。

 タイトルにしたカンタータとは古い音楽用語でいうと「校声曲」だ。
基本的には、器楽伴奏がついたソロが複数の声による声楽曲で、
有名な作曲家はたいてい何曲かのこしている。
 どうしてそんなタイトルをつけたかというと、ひとつはTNPではないが
「なんとなくカッコイイ」から(遠藤憲一はいいなあ)。
もうひとつは三木卓氏の『星のカンタータ』(理論社)を紹介したいからだ。
じつは、この児童文学の大傑作は、ぼくが担当するずっと以前の
「ことばの宇宙」に連載されていた物語を単行本からされたものだ。
当時は「星雲の声」という題だったのだか、単行本になるときに
この書名になったのだ。
 三木氏はすばらしい詩人・作家であるが、こうした児童文学も
数多く書かれている。
 そのなかで『星のカンタータ』は、ぼくはいちばん好きだ。
その内容は、人間の表現、ことば、コミュニケイションをテーマに
しており、まさにラボと重なるのだよ。
感動的なストーリィ、よみやすくそして美しい文体。
ついつい派手になってしまうぼくのような駄文とは比較にならぬ
抑制のきいた表現は、ぼくもよく手本にしている。
この本は復刻されていて、アマゾンでも手に入るので
ぜひとも読んでほしい。小学生でもだいじょうぶ。

 さて、アジアの昔話のつづき。
前回は、間宮芳生先生のことを書きはじめて終わった。
先生は、SK24以前なも、『白雪姫』『こつばめチュチュ』
『ロミオとジュリエット』など、歩きはじめてまもない
ラボ・ライブラリーの音楽を担当された。
間宮先生と林光先生、このお二人がいらっしゃらなければ
今のライブラリーの基礎はできていない。

※もちろん、初期には『ピーター・パン』のベッカー氏や
『山やまもっこり』の佐藤允彦氏などのすばらしい音楽家も
参加している。佐藤氏は慶応大学経済学部を首席で卒業した後、
バークリーで音楽を専門的に学んだんでもない人で。
ドレミの音階を周波数でおぼえているといううわさがあった。
帰国後、ジャズピアニスト、作曲家としてデビューした年にでた
『パラジウム』はいきなりジャズディスク大賞をとってしまった。

ゼウスたちが人間に厄災をおくるべく鍛冶屋の神
ヘパイストスに命じてパンドーラをつくったとき、
他の神がみはいろいろなものをパンドーラにあたえた。
アポロンは音楽好きの心を、ヘルメスは好奇心を、
アフロディテは愛をといったぐあいだ。
 ラボ・ライブラリーも、いろいろな力をさまざまな分野の
方がたからいただいて命を得ている。
ただ、パンドーラとちがうのは、
ライブラリーは厄災ではなく豊かさを人間に運ぶ。

 前回も書いたが、SK24の音楽担当には民俗(族)音楽への造詣
が不可欠だった。
 めんどくさいので、これからは民俗音楽で統一するが、
それと現代音楽の融合が、間宮先生の大きなテーマである。
そして、変なたとえわして申しわけないが、
ライブラリーづくりは贅沢な生活のようなところがある。
というのは、いったんあげてしまうと、そこからなかなかおりられない。
本物の味といってもいい。
いい肉や魚や野菜と出会うと「もう、ほかのは食べられないね」
などとかっこつけたりするが、まさにそういうことだ。
 間宮先生も林先生も、はっきりいって当時から大御所であり
超一流である。
谷川雁氏のような迫力ある外ならともかく、
ぼくのような、はっきりいってちんぴらの制作につきあってくれたのか
今もってふしぎでならない。
 おふたりとも、だまってすわられているお姿を拝見すると
スタジオでも他の場所でもオーラはものすごく、
3メートル以内に近づくとショックとばされそうな気がする。
さらに、おふたりともご高齢であることをまったく感じさせない。
 それは、たぶん両先制と仕事をして、
とくに間宮先生からはかなりきびしくも温かい指導もいただいて
ようやく気づいたことなのだが、
間宮先生も林先生も、今の日本の音楽に対するご自身の責任を
ぎひしく自覚していらっしゃるのだ。
だから、すごい迫力とエネルギーに満ちているのだ。
時代と仕事への責任感。
どこかの政治家にきかせたいものだぜ。

 ともあれ、間宮先生にSK24の音楽を担当していただきたい。
というのは、もう電光石で決まった。
 しかし、前回書いたように、おとなの事情で
そのころのラボと先生には距離があった。
 冷静に考えると、SK24の時期には、もうこだわるべき
おとなの事情はほとんどなくなっており、どちらが声をかけるか
というタイミングだったと思う。
 昔仲ののよかった友人とちょっとしたことで疎遠になり、
なんとなく声をかけずらい、今思えばだがそんな状況。
その前年に、先生は紫綬褒章をうけておられ、
ラボからささやかなお祝いを送った(紅白のワインだった)。
 もどってきたらどうしよう、という不安もあったが、
無事にうけとっていただいた。
それは軽いサインの交換だったかもしれない。
 とにかく、後は正々堂々とプロホーズあるのみ。
そこで、ラボから企画書と手紙を送った。
その手紙はぼくが書いたのではない。
同時の制作責任者(賢明なる読者はおわかりだと思うが「
かのさん」である)が全力でしたためた。
 返事は確か「自宅に来て、くわしい話をききたい」と
いうものだったと思う。
 これも今思えば、ほぼオーケーという意味なのだが、
お宅にうかがう道すがら(3名)、「イエスといって
いただくまで帰らないぞ」などと力んだ打ち合わせをした。
 先生のお宅は世田谷の成城学園である。
ドアベルを押すと「どうぞお入りください」と奥様の声。
上がり口の壁面には高松次朗氏(『国生み』をはじめとするライブラリー
を間宮・高松という二大巨匠が手がけていること自体奇跡)の作品が
さりげなく飾られている。
 先生はグランドピアノがおかれた仕事場でイスにすわられていた。
手にはラボからの企画書がある。
「せまくもうしわけないね」
 奥様がイスをだしてくださり、先生含めて4名が円形にすわると
膝と膝がたいへん近い。これは緊張する。
 さあ、だれが口火をきるのか(ちろん、ぼくではない。室長代理
とかいう半端な立場=肩書きはどうでもいいのだが、だったからね)
という空気になったとき、いきなり
「馬頭琴はおもしろいねえ。それにモンゴルの音楽はね。
スイギット(資料集を読んでね)というすごい歌唱法があるんですよ」
と先生がにこやかに話をはじめられた。
 「えっ」と思う間もなく、先生は背後の本棚から民俗楽器の本をとり
だし、ぼくたちに示しながら馬頭琴のルーツなどをお話してくださった。
 そこからは、一気に具体的な企画と作品についてである。
企画書にはスケジュールや締め切りや、もちろん予算なども
示してある。それらへの質問は一切されない。
 それまでも、すでにいろいろな専門家の方とお会いする機会はあったが
このとき、はじめて、
「こういう機会に学ばなかったら、この仕事をする意味がない。
ラボっ子たちに申しわけがたたない」と自覚した。

 アジアの昔話の各作品の音楽については「資料集」にまかせて
小ネタ(でもないかな)を少し書く。
 アジアの音楽といえば、三拍子系である。三拍子は馬のリズム
でもあり騎馬民族の血でもあるらしい。
 そして、韓国の伝統音楽も三拍子系である。
だたし、単なる三拍子ではなく、そのなかにいろいろな要素がある。
現代の日本人は洋楽の影響大で圧倒的に4つ系あるいはその倍数、
フォービート、エイトビート、16ビートにそまっている。
ちなみ、エイトで三拍目と七拍目に強い拍があるのがロックだ。
トントンダントン トントンダントン。
だから、
三拍子というとすぐワルツを連想して、なんか古くさいと思い込みがち。
しかし、三拍子もかっこいいのよ。
『大草原の小さな家』のメインテーマを音楽CDで聴いてほしい。
ほんと、いいすっよ。
詩情豊かなメロディが目の前に大草原をつくりだす。
ドラムのフィルインのところなんかぞくっとする。
 この音楽は堀井勝美先生。
演奏もすんばらしい。なにせこの物語は
「父さん」のバイオリンがけっこうキイなので
中西俊博氏(うまい!)と彼のグループ。
そして、ベースは「カシオペア」の鳴瀬氏、そしてアコースティック
ギターは石川鷹彦氏という泣けるメンバーだ。
 堀井先生は『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』も手がけておられるが、
あの冒頭のさわやかなリコーダーも大好きだ。
あれは、ふつうのソプラノリコーダー。
小学校の縦笛のちょつといいやつだ。
演奏者と録音技術で、あんなにも輝いた音になる。

 例によって、話がアジアからそれたが、その気ままさが
日記のよいところなのでOK牧場。
 昔の日記に、絵は空間的、テキストは自由自在、
そして音楽は時間と書いたことがある。
 絵の空間性(高松先生や司先生のように音楽性も豊かな絵もあるが)
は当然として、音楽が時間をコントロールしていることは
ラボ・ライラリーの大きな特徴だろう。
映画やテレビと異なり、ビジュアルは静止画の絵本なので、
主役であるテキストの暴走を制御するのは音楽なのだ。
 ライブラリーを聴いていると、シーンの変わりめ、
たとえば一夜あけて、のようなところで5秒から7秒くらいの短い
音楽が入るときがある。
 ブリッジといわれるテクニックなのだが、わずかそれだけの
音楽でもちゃんと意図をもって作曲される。
それによって、ことばを「刈り込む」ことができ、
作品がぐっとしまってくる。
テーマ活動を1度でもしたことがあれば、そのことがよくわかるはずだ。
 なお、ライブラリーの音楽は英日版と英語版とそれぞれ別に録音される。
いわゆる編集でつくることはほとんどない。
しかし、このブリッジだけは、共通で使用することが多い。
英語版用に短くくすると、なんだが短すぎて効果がなくなるからだ。
 前述したように、ライブラリーの本質、根幹は、まずテキストありき
なのだが、音楽の果たしている役割はじつに大きい。
これも読者にはいわずもがなだろう。
 
 そんなことを思いながら、『スーホの白い馬』の冒頭を聴いてほしい。
もちろん全部聴いてほしいが、物語の冒頭はとくにたいせつだ。
聴いてすぐに、子どもたち、おとなたちを別世界に連れていかねば
ならないからだ。
※センダックは「すぐれた物語は入り口と出口が異なる」といった。

 タイトルはノンモン(ノン・モジュレイションからできたことば)
といって音楽でくるまずに素で語られる。
※タイトルまわりの音楽、タイトルの語りも難しいのよ。
語り手さんには、タイトルから読みはじめてもらうけど
終わってから、別にタイトルだけ何パターンか録音させてもらって
選ぶということが多い。
でも、あんまり回数やりすぎると、タイトルは短いので
わけかわからなくなってしまうので注意も必要、

 それからすぐメインのメロディ。ここが間宮先生のすごいところ。
変にもったいぶって前奏とかつけると、おいしい主メロにナレ
ががふってしまうので魅力をけしあってしまいます。
 まず、いきなり、あっあの物語とわかる音楽がたいせつ。
いい映画なんか、みんなそうでしょう。
音楽を4小節くらいかけただけで、だれでもすぐに題がわかるってやつ。

 そして、ナレーションとともにモンゴルの風景が描かれますよね。
さらに、途中から音楽はスーホのきもちへと変化していきます。
どこからかって? それは聴いてみましょう。
子どもたちと聴いて話し合うのもいいし。
口でいわずにテーマ活動、ナレや動きで表現してもいいかな。

 なんだか急に文体が常体から形体になってしまって
悪文の見本。

 まあ、とにかく、ライブラリーの音楽は主役ではないのに
時間をきっちりコントロールして物語をすすめてくれる。
足し算ではなく、かけ算(これも昔書いた)。
 
 音楽についても書き出せばきりがない。
今日はこれくらい。

 さても、『星のカンタータ』のことを書いたが、
先日、ジャック・ニコルソン主演の『カッコーの巣の上で』を
ブルーレイで見た。原作はケン・キージーの
"One Flew Over the Cuckoo's Nest"。
ミロス・フオアマン監督の傑作。オスカーの主要部門を
ほとんどかっさらった。、
 それで思うのだが、
「表現して認められないのはさみしい。しかし、その孤独を恐れて
表現をやめてしまうことはもっと孤独だ」ということ。

 パンドーラとライブラリーのことを前半に書いたが、
共通点がひとつあった。
 それはどちらも根底の「希望」があることだ。
 
Re:星のカンタータ アジアの昔話4(01月08日) ・
carmenさん (2011年01月09日 03時28分)

https://www.labo-party.jp/hiroba/top.php?
PAGE=carmen&MENU=DIARYDETAIL&DIARY_ID=58061

関西にしか住んだことがなかった私が、お初で首都圏の道路、かつ首都
高速を走ったのは、目黒入口付近から車を預かり、浦安のとある方のお
宅まで停めにいくこと。しかも夜!カーナビのない時代。たよりは手元
のマップルだけ。都内地名に地理感覚のない者にとって、環状線の表示
ほど不親切なものはない。おひざに地図だっこしながらこわごわ運転す
るなか、夜の美しいレインボーブリッジをはじめてみたときの感動は忘
れられません。運転中なのに、リアビューミラー越しにみて「わぁーき
ゃー」叫んだ覚えが。それ以来も、夜渋滞も苦痛にならない絶景です
ね。箱崎よりも浜崎橋ばかり選んでいました^^

SENCHOさんの日記を拝見して思わずにいられないのが、本物のFLAMENCO
のアレグリアスを堀越千秋氏推薦のアーティストで録音されたライブラ
リーが出てきてほしいことです!!(2010年5月の自分のHPに書いてます
のでおうちマークにリンクしました)特に該当物語があるわけではない
ので、ひとりごとにすぎないのですけれども、ライブラリーの音楽の本
物の大切さのお話を伺うとどうしても考えてしまうのです!!!
Re:星のカンタータ アジアの昔話4(01月08日)
carmenさん (2011年01月09日 04時05分)

すみません、一番書きたかったことを忘れていました。
FLAMENCOでは3拍子がなんたって一番格好いいのです。
3拍子(=12拍子)のブレリアなどは♪=200-250の世界。
代表的なアクセントは(丸囲みが強い)
⑫12③45⑥7⑧9⑩11や
⑫12③456⑦⑧9⑩11。

一度解釈できるようになると、それはそれは心地よいのです。
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