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さすらい人たちの歌=だんだら服の笛ふき、芳一、説教の者 01月12日 (水)
じぞう
 写真は昨秋に訪れた大分県湯布院の金鱗湖近くで。ひっそりと
祀られている地蔵菩薩。横に肥料のような袋が積まれているのが
けっこう罰当たり的だが、それでも地蔵は心なしか笑ったような…。
 地蔵菩薩は釈迦入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの56億7000万年もの
気の遠くなるような仏なき世で衆生を救う。
 地蔵はサンスクリット語のクシティ・ガルパ(大地・胎内)の訳語と
いわれ、まさに大地のような慈悲の心をもつ。
 と、ここまで書いて、よく考えてみれば
新刊に『かさじぞう』があるわけだから
賢明なる読者の皆さんは
きっと地蔵についても勉強されているにちがいない。
したがって、へたなことを書くと大恥を晒すはめになるのでやめとこう。
 
 地蔵は六道を行脚し、救済の旅を今も続けている。
旅する神仏といえばスサノオもいるなあ。
 というわけで、今回はさすらう者に思いをはせてみたい。
ウーム、ちょっと無理目の枕だなあ今回は。
 
 この日記に先日遊びに来てくださったcarmenさんが
『ハメルンの笛ふき』の発表を見たということをご自身のページに
記されていたのを読み、ふとこのタイトルを思いついた。
『ハメルンの笛ふき』の制作では、英詩のリズムと
矢川澄子さんの美しい七五調の日本語のリズムをどうあわせるか
というのがスタート時点では重たい課題だった。
 しかし、そもそも英語と日本語を微妙な間(ポーズ)で
つなけで、自然に聴こえるようにするというラボ・ライブラリー
独自の技は発想自体が無謀である。
 しかし自然に聴こえる、というか子どももおとなも
何回も聴くことがてきるのは、以下に列記したような点からだ。
1.基本的に英語も日本語もテキストが魅力的(平明で力強いが
 詩的感動がある)
※これはわかりにくいが、例をあげてみる。自分が関わった作品
だと恥ずかしいので『オオクニヌシ』の冒頭を思い出してほしい。
じつに映画的、しかもシネラマ70ミリ(懐古的)のひろびろとした
風景が見えてくる文だ。とくに、ぼくが好きなのは
冒頭部分(スタジオではアタマという。頭の部分のさらに最初のところは
ドアタマという。ちなみにおわりはケツ、ケツはドンケツ)のケツ。

「若い声がカモメのようにとびかい、海がまた光った」

ハスキー 短く刈り込まれた表現だが、みごとにアタマの場面のイメージを
まぶしいほどに、あざやかにしている。
八十神の荒あらしいエネルギーを、空をまうカモメで比喩し、
彼らの神力に呼応するように輝く背後の海。
湿気のない、リリシズム、抒情があふれている。
 ほぐが、30年間、いつも意識し、のりこえるのは無理でも
少しでも近づきたいと手本にした文のひとつだ。
2.英語も日本語も語り手がすばらしい。
※これも当たり前だが、英日を自然に聴かせるには
英語も日本語も同じくらいの語りの技術が必要ということだ。
声質は必ずしも似ている必要はない。『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』
のご存じ大山のぶよさんのドラエモン声と、ジェリー・ソーレスさん
(JRや成田空港で彼女の声はよく聴こえるぞ)の透明感のある声は
逆にマッチするからふしぎ。
 語り手の選択、とくにナレーションはたいへん。基本的な技術は当然として
なにか人間的迫力とか、人生を総動員したような存在感とか、
1行のなかで感情を変化させられるとか、いろいろなことをもとめてしまう。
 それをやってしまう役者もすごいが。そんなこともあって、
いわゆる声優さん(彼らもいい仕事をしているが)ではなく、舞台俳優
を起用することになる。声優さんは、マイクのつかい方もうまいし
滑舌やリップノイズ(たいていの音は今は消せる)が少ないが、
テーマ活動を想定すると、どうしても役者のもつ動的なリアル感が、
それも三次元の肉体的・生理的なライブ感がほしいからただ。
 ライブラリーの語り手は皆すばらしいが、とくにぼくの好みを書く。
こんなことは、現役のときにはいえんもんね。ただし順不同。
☆鈴木瑞穂氏=『国生み』『なよたけのがくやひめ』のあの声。日本語の
語りをマスターしているひとりだと思う。
☆橋爪功氏=故岸田今日子詩とおなじ演劇集団円(渡辺謙氏もいた)所属。
おすすめは『おどりトラ』。彼は3回、本番で読んだが。
まったくNGなし。読み間違えもアクセントちがいもなし。
どれをOKテイクにするかまよったほど。なにんと20分でとり終えた。
 じつはその録音の前に、『不死身の九人きょうだい』のユニット
どりがあり、円の若手俳優がさんざん演出家にダメだしされて
かなりの時間をかけて録音した。
 その後で橋爪さんの録音があったが、若手陣が、さあ
大御所がタメだしされるのわ見てやろうと休憩質から出てきたときには
もう録音が終わっていた!
☆風間杜夫氏=この人も本当にうまい。うまいだけでなく、
『ノアのはこぶね』のとき驚いたのはリップノイズの少なさだ。
というよりほとんどない。びっくり!
☆二木てるみさん=『はなのすきなうし』だけなのだが、
光吉先生のやわらかな日本語をじつに繊細に語っている。
文にはひとつもむすがしいものはない。しかしこの物語のような
シンプルな文こそ魅力的に読むのは誰にでもできるものではない。
1行のなかで感情が動いているのがわかる。ぜひ聴いてみてほしい。
☆中村俊介氏=もともとプロの語り手ではない。「メンズクラブ」のモデル
さんでスタートした人。『十五少年漂流記』はバクスターが帰還後、大学生
くらいになったとき、当時の日記から懐古して語るという設定だったので
大御所ではなく「若さ」がほしかった。でも聴きぐるしくてはこまる。
悩んでいるとき、何人かの信頼すべき専門家から彼を推薦する声があった。
そこでデモの声を聴き、ひらめくものがあったので彼が起用された。
声のなかに、前にも書いた役者として最もだいじな資質である素直さが
感じられたからだ。結果はご存じの通り。
 録音の日(真夏、お盆のころ)、えらい美人のマネージャーが付き添って
きていた。17時スタートなのでおわりは23時予定。とぃっても、
この日はラボ以外の 予定は入れてもらっていないのでデスマッチである。
彼女が「うちの俊介は、モデルとか歌はできますけど
ナレーションできますかねえ」と心配そうにいっていたのが今では笑える。
 ほかにも書きたいすばらしい語り手き多いが、先に進まないのでまた。

3.音楽の力。
 前回はかけ算と書いたが、『ハメルン』においてはその役割は
きわめて重要。坂田晃一先生の音楽でアタマから一気ら中世に飛べる。
音楽だけぜひ聴いてみてほしい。
 ともあれ、音楽が背景にあったり、なかったりすることで、
英日という異物どうしの組み合わせはずいぶんなめらかになる。

4.間の調整
 じつは、英日をつくるときにこの点が最も重要である。
セリフや語りは、それぞれ別べつに録音する。役者さんの
スケジュールにもよるが、英語あるいはその他の日本語以外の言語
が原作の場合、英語から先に録音することが多い。
 また、英語から先に演出を固めていくほうが、日本語の役者さんに
よりこまかいリクエストをしていくことができる。
もちろん、逆もありだが、聴き手である子どもたちにとっては、
日本語がキイとなるからニュアンスの差
(表現上、どうしても差異がでる部分もある)を
うめるには英語表現でイメージを固めて、
日本語をあわせていくほうが演出的にはつごうがよい。
 ともあれ、別べつに録音した英語と日本語のセリフや語りは
それぞれ独自の間をもっている。英語版は基本的には、その間を
生かしてつくる。
 しかし、英日は日本語をばらばらして1行ずつ英語につけていく。
この間、ポーズは人工的なものである。これが一番時間のかかる
作業である。こんなことをすめのはラボだけ。ふつうはスタジオ代とか
人件費とか時間を考えたら「そこまでやらない」。
 でも、このポーズ調整の作業によって、もともと異質な英語と
日本語という組み合わせを自然に、そして楽しく聴けるのだ。
この間は機会では設定できないので、まさに1行ずつ調整し、
次にパラグラフ全体を聴いて微調整し、少しずつ聴く固まりを
大きくしていってさらに調整する。
 その間に、微妙なノイズやブレスをとったり、気になる発音は
単語ごと入れ替えたり(今は子音ひとつでも可能)する。
 
 こんな、まあ手間のかかることは、子どもたちに本物をという
覚悟がなければできない。というか、はじめてラボの録音・編集に
参加した録音エンジニアはみんなびっくりする。
 ともあれ、英日、あるいは日英というのはふしぎな世界だ。
何度も書くが、もともと音的には異質なんだからね。
ちよっとずれるが、関西語(弁という表現はきらいなので)と関東語も
音韻的にはぜんぜんちがう。また、津軽語などはフランス語っぽい。
冗談のようだが、ぼくの友人で「ま」という男は
「まくはりめっせ」は関西語だと本気で思っていた。
彼は麻布十番で「おシャレな所だねえ。アザ・ブ・ジュバン」
ってフランス語だろう」と大まじめにいった。
 
 ともあれ、異質なふたつの英語・日本語を同時に聴くというのは、
濃厚なポタージュのような栄養満点。聴くだけで効能ありだ。
 A desk. とだけいうのと、A desk. 机 というのでは
空間のひろがりがちがうと思いませんか。

 なんだか、『ハメルン』に行く前にとっても長い横道というか前道
になった。これが日記のいいところ。
 
 さて、だんだら服の笛ふき男が何者だったか
また、12世紀なかばの夏にハメルンでおきた大量失踪事件の背景に
ついては、資料集にもあるし、多くの書物もでているので
そちらにまかせたい。
 ただ、思うのは「笛ふき」というパフォームと、ネズミはらいという
厄よけのオカルト能力をもった笛吹き男の心情、孤独である。
 定住することなく、街から街へ。
その特殊技能と容姿から畏怖され、敬われたりもしながら、
けして平和な家族の団らんや集団の輪のなかには近づくことを許されない。
 どこの国にも、文化圏にも、そうしたさすらうパフォーマーはいた。
イスラムにもアフリカにも、インドにもそして日本にも。
『安寿と厨子王』も、もともとは説教節とよばれる街頭パフォーマンスだ。
独特の抑揚をつけたラップのような調子で語られ、
人びとはひきつけられ涙した。
 ラボ・ライブラリーのなかで、そうしたパフォーマーをあげれば
なんといっても、日本代表「耳なし芳一」である。
芳一もまた、本来はさすらいの琵琶法師である。
芸能の人であり、平家の怨霊をエンターテインすることである。
それがひとつの寺に所属してしまう。
平家からみれば、自分たちの「いやし手」であった芳一が
本来は自分たちを拘束する寺(怨霊から人びとをまもる)という
いわば敵にとりこまれてしまった。
 「とりかえせ」というわけだ。ぶるぶる。
 この物語にも芳一という類いまれな能力をもったバフォーマー
の深い孤独が底にある。
 それは、作者であるハーンの心情とも重なって見える。
ハーンもまた、旅をし続けた人である。
彼は『怪談 KWAIDAN』(Kがつくのがみそ。「くわいだん」という
当時はあった音を妻のセツの声から聴きわけていたのだ)
のなかでも芳一をいちばん気にいっていたが、
それは、5歳で母と生き別れ、左目の光を中学のときに失い、
ずっとさまよい続けた自らの孤独と
さらには琵琶法師と小説家というエンターティナーどうしの
苦悩と高揚をハーン自身が芳一に重ね合わせていたためだろう。
 ハーンは、ついぞ日本語はあまりうまくならなかった。
それは、日本を定住の地とは考えでいなかったためといわれる。
※帰化はしているが…。
詩人のランボーは「ほんとうの旅人は、風船のように、ただ
旅立つためだけに旅にでる」といった。
 また、高見順は「帰れるから旅は楽しい」と書いた。
 
 近年、ドナルド・キーン氏などにハーンは「オカルト・ジャバン」
を強調しすぎたという批判を受けたことがある。
しかし、プロの作家であるハーンは、対象にむけて強力な光をあて、
それによって生じる影を書くことで対象をより鮮明に表現したのだ。
※最近は再評価されているようだ。
 ハーンの終焉の地(1904年没)は新宿の現在の大久保小学校がある所だ。
彼が世を去った一年後、島崎藤村が上京し、そこから1キロほどの
ところに住む。
さらにハーンが東大の講師(後に漱石が帰国しハーンはやめる)になった
1896年、東大近くの本郷菊坂にいた樋口夏子こと一葉が
奇跡としか思えぬ作品を短い間にのこし24歳という若さで他界する。
 ハーンの時代の文学をラボっ子もきちんと読んでほしいなあ。

 ハーンの死後、日本は統帥権という妖怪とともに、暗黒の時代へと
傾斜していく。表現の自由はうばわれ、文学も大きな打撃を受ける。
 ハーンは、まさに日本の別れ道の手前でたちどまり、
あたりを静かにながめて、そっと去っていったのだ。

 最後に、『ハメルン』にもどろう。
物語のラストに詩があるが、ここに注目。
「ねずみはらった笛ふきたちの」というところ。
すなわち物語に登場する笛ふきはひとりなのに
ここではPipersと複数になっている。
 こうした「笛ふき」(ハメルン市の記録では魔法使いとなっている)
はヨーロッパの各地にいたのだろう。
 この部分の日本語訳は版によってちがうが、そのあたりのくだりは
資料集を見てほしい。
 ざんねんなのは矢川先生がお亡くなりになられていて、
今、いろいろとお尋ねすることができないこと。
 凛としたすてきな先生だったが、なぜ自ら命をたたれたのか
は凡人には推測不能だ。

 『ハメルン』の絵はケイト・グリーナウエイだ。イギリスの最高絵本賞
にその名をのこす。コールデコットもイギリスの人だが
アメリカにとられてしまったた(アメリカで客死)。
 グリーナウエイの絵は繊細で独特の色彩はファンも多い。
子どもを子どもとして描いたといわれるが、彼女の師匠も指摘している
通り、躍動感や表情の豊かさなどでは同時代のコールデコットには
はっきりいっておよばない。
 ただし、この物語はグリーナウエイの画風がぴったりはまった。
あの暗さかたまらんのね。
 コールデコットもグリーナウエイも1846年3月生まれである。
グリーナウエイが5日だけおねえさんだ。
 グリーナウエイは56歳で、コールデコットは39歳で世を去った。
しかし、ふたりが後の絵本にあたえた影響は大きい。

 ハーンについては、「ローリング・ストーン」という
ロック雑誌の編集長だったジョナサン・コットの
「さまよう魂」(晶文社・真崎訳)という本が読みやすい。
また、ロジャー・パルバース氏も『旅する帽子』という
ハーンをテーマにした小説を書いている。

 もうひとつ、コットは同じ晶文社から『子ども本の8人』(鈴木晶訳)
という名著を書いている。これはセンダックやリンドグレーンなどの
絵本作家にインタビューしたものである。とくにセンダックのは
おもしろい。
 この本の英語サブタイトルは"Pepers of the Dawn"である。
Re:さすらい人たちの歌=だんだら服の笛ふき、芳一、説教の者(01月12日)
carmenさん (2011年01月13日 06時40分)

私の大好きなライブラリー制作そのものに携わった方のお話は面白すぎ
ます。もしも直接お話伺う機会があるとするならば、「あれがそのこう
でああなんですねぇ!」と驚きの面白さでワインボトルがどんどん空に
なりそうです。ネットでよかったかもです(笑)。特に私は大学受験の
為、ラボをやめた頃、最後に取り組んだのはピノキオや平清盛、TSに戻
った時はロージーちゃん発刊寸前、で、その間のライブラリーはいきな
り目の前にどかんとある状態で、追いつけてなかったり。SENCHOさんの
お話をひとつずつ読ませていただくと、その穴が埋められていくようで
面白いです!これからも楽しみに読ませていただきます♪
Re:さすらい人たちの歌=だんだら服の笛ふき、芳一、説教の者(01月12日)
carmenさん (2011年01月13日 07時50分)

コルデコットといえば、先週”Hey Diddle Diddle and Baby Bunting”
をキディクラスで紹介しました。
カトラリーファミリーの娘や、うさぎファミリーの凝視というジョーク
はキディにはまだブラック!
フェロー向けですね。
ご訪問と書き込みありがとうございます!
まんぎょどんさん (2011年01月15日 15時48分)

SENCHOさんへ
やっと更新しました日記にお書き込みくださいまして、ありがとうござ
いました。大変嬉しかったです。ラボ・ライブラリーの持っている力に
あらためて感動しているこの頃です。数々の作品の制作にあたられ本当
にこれまでのご尽力ありがとうございます。いろんな秘話をききたいで
す。どうぞ、これからも たくさん語ってくださいね。楽しみにしてい
ます。まずは、お礼まで。
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