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新しい海をみつけるのは若い水夫だ 漂流少年たちよ 01月18日 (火)
フットボール ANGELS
 今日の夕方、翻訳家・通訳の鈴木小百合さんと電話で話した。
内容は、同期の食事会をしようといったプライベートなことだが、
やっぱり忙しい(ハリウッドスター御用達だからね)のときいたら、
今週末に東京支部の総会におよばれしていて、『ももたろう』の話
をするので準備しているということだった。5月には、九州にも
行けるのとうれしそうに語った。
東京での話はぜひだれかリポートしてほしい。
 記憶では、鈴木さんには中部に『十五少年』のとき
『寿限無』で九州2か所(南九州と福岡)、40周年のときに
広島に行っていただいたと思う。
 ラボの仕事は緊張するけと、いつもやりがいがあるし
テーマ活動に演出家がいないことに感動するという。
そして、ラボ・テューターのみなさんには頭がさがるとも。
 
 鈴木小百合さんにかぎらず、ラボ・テューターは講演者には
すこぶる評価が高い。その理由はだいたい共通している。
・とにかく熱心に話を聴いてくれる。
・とにかくよく勉強している。
・子どもたちにむかうまなざしがあたたかい。
・テューターという仕事にほこりをもっている。
・熱烈歓迎してくれる。

 この全部はなかなができることじゃないと、みなさんおっしゃる。
ほんとだよ。
 写真上は、母校のフットボールティーム ICU Apostlesの試合。
下は応援にきてくれたAngelsのみなさん。以前にも書いたが、
2009年の秋から、手術後のリハビリがてらOBとして試合の写真を撮っている。
写真は本職ではないが、文句をつけるのは編集者としておてのもの。
自分の写真は自分でほめればいいので楽である。
 ぼくは大学1年の秋からフットボールをはじめた。集団スポ
ーツの経験がそれまでなかったことと、
なにか自分と縁遠いハードな運動に挑戦したいと
という思いからだ。
ほんとは、春から入りたかったが、
とってもそんな余裕はなかった。
 当時はFEP(Freshman English Program)という英語の集中教育があり
(今もあるが別名称)、毎週月曜日にテキストになる
本が発表され、それをもとにディスカッションなどの授業がある。
そして翌週の月曜日の朝、たしか8時50分だったが、試験が実施される。
問題はContentsについて50問、Vocabularyが50問。
 はじめは訳本が簡単に手に入ったり、読んだことがある文学など
がテキストなのでも、まだなんとかなった。
 はっきり覚えているが、最初のテキストは『老人と海』、続いて
『変身』『異邦人』だった。このあたりは高校時代に読んでいたので
セーフ。ただし、その後はだんだん長く難解になり、夏休みの課題には
オーウェルのやたらぶ厚い『1984』(村上春樹氏の『1Q84』のほうが長いが
退院した後に一気読みした)がでたのには仰天。
さらには、ベケットの不条理劇『ゴドを待ちながら』と進み、
3学期には、どこからもってきたんだという論文になった。
 今ふりかえっても、よく単位をとれたと思う。
 でも、鍛えられたことは事実だし、writingなどでは論文の書き方などを
学部のはやい時期にみっちり学んだことは後年役にたった。
 Writingは、ほんとに基礎からで、まずobjective writingといって
ひとつのテーマについて様々な専門家のopinion, viewを
引用し、あるいは簡潔にまとめて紹介することをした。
それで脚注の付け方や参考文献ののせ方などを練習する。
だから、I think なんて書いたりすると100年はやいと
つきかえされた。
 青息吐息でついていったが、夏休みが終わると
学校を自ら去った仲間もいておどろいた。
 やめさせられたのではない。自分に負けたのだ。
そんななかで、これは身体も心もタフにならんといかん、
という警鐘が心のなかに響いたのだ。
 それでよせはいいのにフットボールである。
痛かったが、おもしろかった。仲間もできた。
縦のつながりもでき、PE(体育科)にも出入りするようになり
野尻湖での学生キャンプにも関わるようになった。
 ただ課題だけをこなす学生から、ずいぶん変わったのは
フットボールのおかげかもしれない。
 そのキャンプの人間関係がきっかけで、ぼくはラボと出会う
ことになる。そのことは、いずれ別の機会に書くかもしれない。
 
  なんか、苦労話的自慢話のようでわれながら見苦しいが、
けして、高校時代の英語の成績がたいしたことなかった
ぼくがハードなプログラムについていけたのは、
ひとえに母語の力だと思う。
自分なりにではあるが、比較的幼いときから
本を読み、とくに思春期になってからはかなり読んだことが
母語をきたえ、ことばの力の源泉となったのだと思う。
 それから、へたくそなりに英語の歌の訳を試みたり、
詩を書いたりしたことは無意味ではなかったと思う。
 INとOUTをとくに母語においてしつこく行なうことは
ほんとうにたいせつだと思う。

 さても、フットボールは、アメリカの人気スポーツのひとつ
であることはいうまでもない。フットボール、野球、バスケット、
アイスホッケーがいわゆるメジャー・プロスポーツだ。
シーズンが微妙にずれるから、スポーツ好きのアメリカ人は
休むヒマがない。
 近年はメジャーリーグにいく日本人野球選手は多いが、
残念ながらアメリカで他のプロ・ティームスポーツに
定着した日本人選手はまだいない。
バスケットの田臥勇太選手が挑戦して一時期のこったが
すぐに解雇されてしまった。
 
 ともあれ、プロスポーツは、アメリカを見る際には、
ひとつのキイワードになる。
国際交流の参加者で、事前になにか調べるとしたら
「アメリカの歴史」などと大きなところから入るのもいいが、
スポーツや映画や遊園地などの大衆文化の視点から
近づいていくのもおねしろいと思う。
 そこから、言語や歴史などにも興味がひろがっていく
可能性が十分あるからだ。
 たとえば、ニューヨークには多くのプロスポーツティームがあるが、
野球はYankees(ヤンキーの語源は諸説ありすぎ)、Mets、
フットボールはGiantsとJets、バスケットではNicksとNets(正確には
ニュージャージー)などがある。
よく見るとMets(メトロホポリスとヘルメットがかかっている)、
Nets(バスケットのネット)、Jetsと韻をふんでいてかっこいい。
 それから、サンフランシスコのフットボールティームは
49ersである。これはいうまでもなく、1949年ごろに
カリフオルニアの金鉱に集まった山師たちの俗称。
 したがってヘルメットとパンツは金色。さらにその
はげしいディフェンスはゴールド・ラッシュとよばれる。
  
 亀井俊介先生にインタビューしたとき、その後の食事会
(居酒屋なつきあいますとおっしゃられた)で、
「大衆文化の視点から見るアメリカ」のたいせつさについてうかがった。
「マスコミも一般人も、どうしても大きな変化をに注目してしまいがちだが、
大衆文化のなかにこそ、アメリカのあまり変わらない部分がある。
経済や政治の変動だけでなく、そうした変わらない部分を見る
こともたいせつです」ということばが忘れられない。
※『アメリカン・ヒーローの系譜』はおすすめ。

 また、そのときに能登路雅子先生(東京大学大学院教授・財団理事)
をご紹介いただいたのもなつかしい。
名著『ディズニーランドという聖地』はお読みになった方も多いと思う。
 能登路先生に昔の(医大前の)ラボセンでインタビューしたとき
バイクでこられたのにはおどろいた。
 聴き手には中高生のラボっ子が10名ほど。
先生が「ディズニーランドはみんな好きですか」とお尋ねになると
ほとんどの子が「好きです」とこたえた。
でもひとりの大学生男子が「ぼくは、興味がありません。
ディズニーの映画も好きではないですし」と、まじめな顔でいった。
すると能登路先生はいきなり、
「あなた恋人いる?」
 彼がどぎまぎしていると、
「もし、恋人や好きな人がディズニーランドに行きたいといったら
どうする?」と続けられた。
 そこからラボっ子だちが話にのめりこんだ。

 デイズニーランドの象徴はミッキーマウスだが、この
本来はペスト菌を媒介し、不衛生のシンボル的生物が
愛されるというふしぎな現象は、安全な冒険という
テーマパークの構造と合致する。
そして、その背景にはやはりアメリカの歴史がある。
トム・ソーヤにしても、ハックにしてもターザンにしても
けして優等生的ではない。
 端正なだけの2枚目より、ラフでタフなヒーローに人気がある。
このあたりも、ラボっ子たちが興味をもっておかしくないなあ。

 話がよれよれになったが、本来は、鈴木さんと話したこともあって
『十五少年漂流記』のことを書こうと思っていたのだ。
 すでに書いているほうも疲れたが(読み手はもっとたいへん)、
ぜんぜんふれないのもくやしいので少し続ける。
 
 今だから書くが、この物語は千葉支部をはじめいくつかの研究会から
「自然のなかで育つ少年の魂の物語」ということで
なんども推薦されていた。
しかし、再話、収録時間、そしてまるごと4話が可能か
などの諸条件から、「いつか」という作品だったと思う。
 それが。刊行への道を歩みはじめることができたのは、
当然にも、それまでの研究の積み重ねがあってのことだが、
同時に「時代が押し出す」という、ライブラリーのみならず
表現作品が内包するふしぎな力も介在していると思わざるを得ない。

 それは2003年の『ノアのはこぶね』のときにも感じた。
人類文化の源をテーマにこのシリーズはつくられたが、
奇しくも『ギルガメシュ』の音楽録音の日は、
アメリカ軍によるイラク空爆開始の日だった。
 時間丁度にスタジオに来られた間宮先生は
「いやあ、なかなか指揮棒が見つからなくて」と笑いながら
ぼくらのいる調整室に来られた。
しかし、その目き笑っていなかった。
「ぼくは、今日怒っています。ちょっと激しい録音になるかも
しれません」
 それは、単にイラク空爆のことだけを非難しているのではなく
21世紀になっても、諍い、争うことから逃れられない
人間への悲しみと怒り、そしてだからこそ子どもたちへ
希望をあたえたいという強い意志のあらわれだったと思う。
 しかも、その空爆されたイラクはギルガメシュ王の土地であり
ウルクの遺跡はだれも守る人がいなかった(後に自衛隊がPKOでいく)。

 話はもどって『十五少年』は21世紀になって最初のライブラリーである。
20世紀はまさに戦争の世紀であり、しかもそれは過去の戦とは
比較にならない残虐さと悲惨さと不条理に満ちていた。
 たが、ミレニアムの希望は9.11によって、無惨にもうちくだかれる。
ヴェルヌが『2年間の休暇』を書いたとき、世界はいわゆる列強が
覇権をきそい、きなくさい匂いが世界にたちこめていた。
 ヴェルヌは、それまでいろいろな空想の乗り物や機械を
作品に登場させ、その多くはかなりものが現実化した(CMでやってるね)。
 『十五少年』には、潜水艦もロケットもでてこない。
というより原始的なくらしが描かれる。
しかし、リアルさという点で見ると、動植物や自然描写において
実際とは異なる点が多々ある。
 ヴェルヌがめざしたのは、やはり空想小説であり、ファンタジーである。
つまり、暗い雲に覆われはじめた世界状況をうれいたヴェルヌは、
出身国の異なる少年たちが、相違をのりこえて共和国を
建設するという夢を描いたのだ。

 「資料集」にも書いたが、この物語の日本語再話は、
いろいろな作者による試作や検討を経て、
ラボ教育センターで行なった。
※この物語においては、再話のポイント、とくにキャラクターの設定が
ラボ・ライブラリーの要求にこたえられるかたちにするのは、
日本語と英語を相談しながら、つくっていくことが最適という判断だったのだ。

 だから、鈴木小百合さんには、ほんとうにご苦労をかけた。
なんども構成をつくりなおし、その度に訳していただいた。
 しかし、鈴木さんから、「英語だったらこうしたい」という意見
がくると、リズムや自然さがくずないかぎり、日本語をなおした。
こういう作業は他の作家に依頼すればそうかんたんにはできない。
 こうした融通無碍さは、ライブラリーのやり方としては、
とくにオリジナル作品の場合、ひとつのやり方である。
再話のよい点はそこだ。
 書いて訳す、意見を交換する。また書く、直す。
そうした往復作業はたいへんだったが、やりがいのある仕事だった。
後年、鈴木さんもそういってくれた。
※今日の電話では「『ももたろう』は中村さんの日本語が美しかったので
とてもやりやすかったわ」といっていた。たぶん、総会でもそう話すだろう。
まあ、『十五少年』ではめいわくかけました。

 エピソード4(このEpisodeという章立てもズ好きさんの提案、映画好き
だからね)のラストは、10回以上書きかえた。
 じつは、終わり方は3パターンくらい考えた。資料集には書いて
いないその別ラストをひとつだけ紹介する。
 それは、
 少年たちが島を去る日、飼っていた鳥や動物たちを逃がしてやる。
少年たちは、動物たちがなごりおしそうにとどまると期待するが、
折がだしたとたんに一目散に森にむかって逃げてしまう。
 ひとりが、「あれわど世話したのに、恩知らずなやつらだなあ」
というと、もうひとりが「人生なんてそんなものさ」。
 といって終わるというもの。

 でも、これは一見しゃれているが、長い物語の終わりとしては
あまりにも感動がないので、自分で没にした。
 
 で、ご存じのように、夕映えの水平線に消えていく島を
万感の思いで見つめるという、ラストにした。
 で、ありふれ感がでないように、徹底的にことばを
磨いた。あの数行だけで鈴木さんと数回やりとりしたと思う。
 で、決めてとなったのは大学1年の夏まおわりに萩市の沖合で
見た、本当に金色に輝く夕日の海だ。
 そういう実体験、リアルな体験しだいじだなあ。
国際交流やキャンプには、みんないってほしいぞ。

 そして、テーマソングをつくったのはまさに9.11のときだった。
これも、鈴木さんにプロットというか、ほぼ今の日本語歌詞に近いものを
送り、英語にしてもらった。
 坂田晃一先生から、「いい歌になりますよ」といわれたのが
うれしかった。
 「海」「希望」「平和」そんなものがこめられていることは、いまさら
解説する必要はないだろう。
  
 とくに海には、「こんなにもぼくを呼ぶ」、遠く、まだ知らない
夜と昼へのあこがれや、戦や冒険で帰らぬ者への鎮魂、そして嵐や凪といった
多くの詩的イメージがある。そして少年の青さや気負いやあやうさもある。

 さらに、テーマ活動のとき以外にもうたってほしいと思う。
 
 じつは、このテーマ曲も(サザンクロスララバイはすぐできた)、
当初は少年団行進曲だったのをがらっとかえた。
 それもこれも911がきっかけである。

 かつてキャンプでこう話たことがある。
吉田拓郎の歌からの引用だが、
「古い水夫は、どこに浅瀬があるかとか、潮の流れなどを
よく知っている。ラボという船にも古い経験ある水夫は必要だ。
だが、コロンブスの時代から、だれもまだ知らない新しい海を
見つけるのは、新しい若い水夫だ」

 ヴエルヌの夢は、まだひとつだけかなっていない。
Re:新しい海をみつけるのは若い水夫だ 漂流少年たちよ(01月18日)
carmenさん (2011年01月19日 06時52分)

私の大学時代そのものなので、ラボでこの写真をみたら、ヒトコトいわ
せてください!
2回生の春から「応援団総部チアリーダー部」に入部しました。
アメフト強豪校でした。たまたま私の学年だけ人数が少なく、ずっとラ
ブコールをもらっていたのが
かみあった、という順番でした。
必死に同級生に追いつき、いきなり新入生の先輩になり、
そして上級生の仕事というのは、卒業間際まで、4学年を統率して現役
応援団として活動すること。
応援団としてリクエストのある部の応援には必ずいくのです。
もっとも目立つのがアメフト部の応援。
その頃は必ず甲子園ボウル(西の学生王者)まで勝ち残っていたし、4
回生の時は、ライスボウルという
東京ドームでの、社会人#1と学生#1で日本一をきめるというゲーム
まで出る機会に恵まれました。

競技場とちがい、野球場での試合というのは、客席が、グランドから見
上げて、空の半分を埋め尽くしています。
その目の先から雲のあたりまでいる観客に向かって、
主役でない私たちは、主役の選手たちに、観客が熱い応援を送れるよう
に、リードするわけです。それが職務。

その時代に痛切に大事だと感じたことが、ラボの大ホール発表をみるた
びに頭にしっかりよぎりつづけています。自分の日記に続きを書きます
のでご覧いただければ幸いです。Senchoさんのメインの内容とは離れて
しまってすみません!
Re:新しい海をみつけるのは若い水夫だ 漂流少年たちよ(01月18日)
HITACHIさん (2011年01月19日 10時30分)

SENCHOさんの日記は見逃せません。度々訪問させて頂いているのに書き
込みできずに失礼しております。今回は鈴木小百合氏についての部分が
ありましたので少々お邪魔します。

この大量の内容と情報量が驚きの連続なので、沢山の思いを書き込めま
せん。いつもわくわくして読ませて頂いております。
ラボのお話に関するものなどは是非自分のファイルにしておきたいので
すが、コピーさせていただいても良いでしょうか。

鈴木氏の講演はしっかりうががって参ります。その前のこれらの情報は
とってもうれしく参考になりました。質問も出来るよう他の沢山のライ
ブラリーからもお聞きしたい事を調べてゆかねばと言う気持になってお
ります。ありがとうございました。
Re:新しい海をみつけるのは若い水夫だ 漂流少年たちよ(01月18日)
サンサンさん (2011年01月20日 10時33分)

日記、堪能しました。
これからも楽しみにしています。
そうだったのか~!
まんぎょどんさん (2011年01月24日 10時22分)

 いつも貴重な制作秘話を発信してくださいまして、ありがとうござい
ます。昨日は、鈴木小百合先生の講演があり、大変大きな勇気と元気を
いただいてまいりました。

 わがパーティでは、2006年に東京支部発表会で『十五少年漂流記』を
発表させていただきました。それ以来、必ずといっていいほど、発表会
でとりくみたいライブラリー・・・として『十五少年漂流記』が候補に
あがります。

 私の中ではとても難しく、一度発表したら違う話にしたいところなの
ですが、こどもたちは、私が考える難しい・易しいなど、考えにないよ
うに思います。おもしろいかどうか、どきどきするかどうかです。

 当時の制作の裏話をおききするにつけ、なぜ、ラボっ子がそのライブ
ラリーが好きなのかわかってきました。

 ラボ・ライブラリーは、「ラボの宝」です。資料集とはまたちがう
「制作秘話」そして、前を知らないラボ・テューターのためにもぜひ、
既刊ライブラリーのこぼれ話?実はこうだった。いろいろな試行錯誤の
上のこうなったのである云々・・・ぜひ、発信していただければうれし
いです。 
Re:新しい海をみつけるのは若い水夫だ 漂流少年たちよ(01月18日)
HITACHIさん (2011年01月25日 12時20分)

翻訳家・通訳などでご活躍の鈴木小百合先生の講演は素晴らしかったで
す!新刊の日本昔話で例を取って下さりながら、専門的な英訳の苦労話
などていねいに詳しくお話してくださいました。

ご父母の方への報告も兼ねて今まとめています。その内HPにUPできれば
よいのですが、取り急ぎSENCHOさんにご報告したい事は、講演の冒頭ラ
ボとの出会いが同期生であるSENCHOさんとのやり取りからだったと言う
事を、しっかり伝えて下さってました。ラボとの出会いが出来てとって
も幸せであると言う事を最後にも仰ってました。
私たちもSENCHOさんに感謝です。
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