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鬼はどこへいった 古道の鼓動 01月26日 (水)
もとほんぐう おうじ こどう
 タイトルからすでにくだらない駄洒落で恐縮だが、熊野本宮にいってきた。
往路は伊丹まで飛び、新大阪から紀勢本線の特急「オーシャンアロー」
で南紀白浜へ。白浜の温泉でくつろぎ、もうしわけないが新鮮な魚をいただいた。
白浜のお湯は塩分がありしょっぱい。
さらに温度が高く、あるていど水でうめないと熱くてはいれない。
翌日は熊野詣で。そして、白浜空港から空路。
羽田までは実質40分ほどのフライト。はやいはやい。
 そんなわけで、日記もほったらかしであった。
 ところで、出発前々日の日曜日の夜、翻訳家の鈴木小百合さんと、
また電話で話をした。東京支部総会で新刊をめぐって講演したが
とっても楽しかったそうである。
 「くれぐれもラボの皆さんによろしく」
と例によってさわやかすぎる声でいわれた。よかったよかった。
その前日の土曜日は「王様のブランチ」の生出演があり、けっこうタイトな
スケジュールをぬっての講演。ありがたや。

 熊野三山のひとつ熊野本宮の成立は、およそ2000年ほど前。
もともとも社地は、熊野川の中州にあったが
1889年の大洪水で社殿は流出。
現在は、その場所に平成12年に建てられた大鳥居(高さ33.2mもあり日本一)
と碑がのこされている。
現在の社殿はそこから少し離れた山のうえにある。
そこは勝手に撮影してはいかんのね。
熊野本宮は、三山のなかで西方極楽浄土であり、
新宮の速玉大社は東方浄瑠璃浄土、
那智大社は南方補陀落浄土と考えられた。
すなわち熊野全体が広大な神域であった。
本宮には熊野坐大神(くまにぬにますおおかみ)、
家都美御子大神などが祀られているのだが
熊野三山の祭神は、とってもとっても複雑で書ききれない。
さらに、権現、つまり仏教の影響で仏の化身としての神もあてられているため
もう、たいへんである。
 そのなかで、熊野坐大神は、
伝によれば大陸のほうから飛来したともいわれる。
この日に案内してくれた方は、スサノオだという。
また、熊野川の中にあったので水神だという説もあり、
さらには八咫烏をメッセンジャーとしていることから
太陽神という説もある。
鳥は空を舞うからだろうか。エジプトのホルスを連想させる。わくわく。
八咫烏は神武天皇をガイドした三本足のカラスであることはご存じの通り。
そして日本サッカー協会のシンボルマークでもある。
昨夜、アジアカップの準決勝で韓国との激しいたたかいを制した
ジャパンの選手の胸には三本目の足でボールをおさえる
八咫烏のエンブレムが輝いている。
 また、3という奇数は陰陽でいえば陽。それで太陽のイメージらしい。
さらに3は、昔話ではおなじみの「マジックNo.」でもある。
『3びきのコブタ』『三人のおろかもの』『三びきのやぎのがらがらどん』
など3のつく話は多い。
 そして、エピソードを3回くりかえすバターンもいっばいある。
※さがしてみよう。
『白雪姫』でも原作では白雪姫は3回だまされる。
ライブラリーでは長さの関係で腰紐とリンゴだけなのがちょっとざんねん。
『白雪姫』といえば7もふしぎな数ではある。
ともあれ、物語のなかの数字も
あたやおろそかにはできぬ。
けっこうだいじな意味をもっていることが多い。

で、ついでに、予定外だが『白雪姫』のことに少しふれようと思ったが
ずいぶん昔の日記で「おすすめの音楽CD 7 白雪姫の色」という
のを書いているので、そっちを見てください。一覧からいけます。
でも、めどくさいという方のために少しだけ補足。
『白雪姫』には6歳~7歳、要するに1年生くらいのときには
出会ってほしいと思う。

 この物語の色はいうまでもなく、白・赤・そして黒だ。
でも見えない色として青もあると思う。
グリム兄弟は、「子こどもと家庭のための童話」
初版では、この物語のお妃を白雪姫の実母としている。
しかし、後に「継母」に変えている。
弟のほうが、実母では残酷すぎると考えたらしいが、
継母は先妻の子をいじめるというステレオタイプはいかが
なものか。
ラボではもちろん実母だ。
ただ、さすがだなのと思うのは、
白雪姫の誕生にpregnantの生々しさをださずに
お妃の「ふしぎな力」の結果として透明に描いていることだ。
以下は過去の日記からの引用。
「この物語のテーマはいうまでもなく女性の自己愛の分裂。
自身の永遠の美しさを願う心と、自分の美しさの完全なクローン
それも若い分身をもちたいという心の根源的矛盾の物語。
だから継母ではだめなのだ」
 このライブラリーができたのは、ぼくがラボに入る以前のこ
となのでこうした話は、当時の制作者から食事や酒席できいたこを
頭のなかにメモしておいたことや、
また音楽を担当された間宮先生から後年うかがったことだ。
「資料集」のない時代の作品の資料も必要だろう。
白・赤・黒については日記を読んでください。

ところで、お妃の旦那はででこないよね。
どの程度の城主なのかな。
そんなこともおもしろい。
 でも、とにかく雪の白さに心を動かされで身ごもる
という発想はすごいなあ。
 妃が指をつき(ここも詩的)、血が三滴(ここも話し合いのポイント)。
物語のドアタマは雪が降っているけど、
一瞬、青空が見えたのかもしれない。
ほら雪国の人ならわかるでしょう。
 それでチクットと。
 この青はやはり希望の青だと、制作者はいっていた。
また、間宮先生も残酷な話には希望が用意されている。
妃の死は次の物語のはじまりではないかと、おっしゃられたのを思いだす。
 
 最後の写真は熊野本宮への参詣道、いわゆる熊野古道のひとつ
中辺路のスタート地点、滝尻王子。
 世界遺産である熊野三山、そして古道は近年人気のパワースポット。
すでにここは、本宮の胎内であり、ここからけわしい道がはじまる。
熊野古道沿いには九十九王子とよばれる神社が点在するが、
この滝尻王子は格式の高い五体王子のひとつだ。
王子は10世紀ごろにはその名が見られ、
12世紀から13世紀にかけて一気に組織化される。
その中心となったのは修験者たちである。
かれらは、貴族などが本宮に参拝するときのガイドも行なっていた。
王子は儀礼の場所であり、前述したように神域としての結界でもあった。
大きくは参詣するものを守護する役割である。

 熊野三山ならびに古道は、世界遺産に指定されてから
急速に訪れる人がふえた。
 古道沿いに住むおばあさんにきくと、
夏などはほとんど窓全開で上半身はなにもきにすで気楽に過ごしていたが
世界遺産指定以降は、夏が暑くてかなわんと笑っておっしゃった。

 今回はひさしぶり、というか20年ぶりの熊野詣で。
古道をすべて歩くのは、何年かかるかほからない。
100名山をのぼるのは、無理っぽいので、少しずつ歩いてみよう。
春には吉野にもまたいってみたい。
 吉野の桜は若き日、関西総局勤務時代に友人とくるまでてかけた。
舞いかかる桜吹雪のなかで、ぼうぜんと立ちつくしたことがなつかしい。
その度の直前に「らくだ・こぶに」氏が
「日本人の魂は、死ぬとすべて吉野に集まる気がする」
といったが、そのことが単なる比喩ではない実感として感じられた。
 今年は氏の17回忌。
あの吉野の山のひときわ大きな桜になっているのだろうか。

 先日、びーちゃんさんが、鬼について日記に書かれていた。
『ももたろう』が新刊にあるから、鬼もそろそろ話題になるだろうな。
 鬼についてはいろいろな文献があるが、
1冊紹介したい本がある。すでに参考図書などで示されていたらごめん。
馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫

 馬場氏は歌人であり、文芸評論家であり、さらに民俗学に深い造詣
をもつすごい人だ。 
 『鬼の研究』歌人のリリシズムと民俗学的な冷静な分析という
ふたつのおいしさがある本。男性的ともいえる切れ味のある文がきもちいい。
あくまでドライなタッチだが、行間からはふしぎな抒情・詩情があふれる。
 鬼という字が文献に登場するのは8世紀に編まれた『出雲国風土記』
である。それには阿用という土地に隻眼の鬼が登場する。
その概要は
 「若い男が耕作をしとていると、一つ目の鬼があらわれて
その土地をよこせいう。男が抵抗すると、鬼は男を食べてしまう。
男は食べられるときに「あよ、あよ」と悲鳴をあげた。
それで、その場所が阿用とよばれるようになった」
というものだ。
 男の年老いた両親は植え込みに隠れて惨劇の一部始終を見る。
この一つ目の鬼の正体についての馬場氏の考察がおもしろく、
さらに詩情豊かである。
息子を眼前で食べられた両親が見上げた空には、
常にうばわれる者として生きた農民の悲哀がだたよっていたことだろう。

 この人食い鬼は「風土記」から見て、「遠い昔」のできごとだ。
馬場氏はこの鬼を狩猟時代の荒々しい巫祝のなごりと解く。

 このほかにも馬場氏は、さまざまな鬼を歴史的に紹介しつつ
その変遷と凋落を語る。そのひとつひとつが恐ろしく美しい。
しかし、鬼は次第に姿をかくす。
平安時代、今日の闇に出没する恐怖をまとった鬼は、
やがて一寸法師や桃太郎にお約束のように退治されてしまう
こっけいなモンスターに堕落する。
荒あらしい本来の鬼は、暴力と反逆のシンボルとしての鬼は
能や舞にわずかに生き残る。
そして、江戸時代にんると鬼はまったく姿を消す。
逆にいえば江戸時代のシステムは、すでに鬼のようなアウトサイダー
の存在すら認めないような強固さをもっていた。

 日本の鬼は、じつに多彩である。
ときには、オカルティックに識別、あるいは選別された者であり
ときには目に見えないものであり、
ときには異国の者でもあった。

 そのなかで、ひとりあげれば酒呑童子だろう。
集英社から出ていた(図書館にはあるかも)野坂昭如氏の
『酒呑童子 お伽草子』もおすすめ。これは絵本仕立て。
反逆の鬼である酒呑童子にとらわれた御姫さまたちを
源頼光をリーダーとする特殊部隊が救出にむかう物語。
またもに戦ってはとても勝てない酒呑童子に
毒酒を飲ませて首をおとすという、かなり卑怯な戦法で
頼光たちは勝利する。
さらに赤鬼、青鬼、小鬼までも皆殺し。
どっちが鬼だかよくわからない。
 ちなみに頼光の家来のひとりが金太郎のニックームで有名な
坂田金時である。
 金時は足柄山で熊にブレーンバスターをくらわせてしまうような
やんちゃきわまりないネイチャーボーイだが、
じつは舞の名手である。
 酒呑童子をヨイショして毒酒を飲ませるという作戦の途中で
なんかばれそうになり、場の空気がおかしくなったとき
金時の舞でなんとかつないだ。

 『一寸法師』も『ももたろう』も、オニほやっつけるが
酒呑童子の物語のように残酷さはない。
それは、表現がおおけさかつ単純であり、具体的描写きがないからである。
これは、日本の昔話の特徴のひとつであろう。

 熊野古道には、かつて龍も鬼も出現しただろう。
人びとは道の王子で祈りをささげ、魔を封じてもらった。

現代、鬼はまったくほろびたのかだろうか。
反逆の精神は、ある意味重要である。
それでも月のない夜、
耳をすますと、高層ビルの上方から、
ともすれば安易に眠りこんでしまいがちな
われわれの魂をゆりさますような
鋭いさけびがきこえてくる

ライブラリーをつくっているとき、
「鬼になる」と自分にいいきかせていたが
なれなかった気がする。
○○の鬼といわれたら一流のあかしだ。
鬼はどこへいったか!


 
Re:鬼はどこへいった 古道の鼓動(01月26日)
カトリーヌさん (2011年01月27日 00時05分)

三足烏といえば、高句麗ですね。日本の神、特にスサノオは、半島と関係があるようですよ
ね。
熊野は、スサノオ系、また半島からの帰化人のルーツがあるようです。
日本チームのマークになったのはどういういきさつか知らないけれど、日本が三足烏を持っ
ていることに韓国チームから何もないのかなあと、常々思っていました。
大昔から関係の深い、日本と韓国。顔だちも似ているなあと思って、試合を見ていました。

鈴木早百合氏の講演、よかったですよ。質問しちゃいました。
Re:鬼はどこへいった 古道の鼓動(01月26日)
carmenさん (2011年02月05日 00時06分)

膨大に盛りだくさん書いてらっしゃるところへ1点だけについてコメント
してもいいものかと迷いもしますが、お許しください。
堀越千秋氏の絵はやはりそのようなエピソードがあるのですね。
堀越氏がフラメンコ雑誌に投稿される文章を読み慣れてる者として、あ
あ、なるほど、そうでしょう、そうでしょう!とうなづきながら読ませ
ていただきました。ありがとうございます。
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