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Save Our Ship わたしは月には行かないだろう 01月30日 ()
あろー きいはん ろてん
 写真上=紀勢本線の特急「オーシャンアロー」。京都から新宮までを
3時間ほどで結んでいる。白浜駅で停車中だ。写真中=紀伊田辺付近の車窓。
写真下=白浜温泉の宿から紀伊水道を望む。写真左手が潮岬、枯木灘方向。
夜更けに右手にある露天風呂で夜の海を眺め、中上健次や南方熊楠に
思いをはせようともくろんだが、あまりの風呂の熱さ(うめればOK)と
頬をちぎるような寒風の温度差におどろいた。
温泉なので、しばらくつかっていればあたたまると思ったが
顔の冷たさはどうにもならず早々にあがってしまった。
 熊野詣では、この翌日である。

 ロシアでの空港爆破テロ、エジプトの反政府デモへの暴力的鎮圧など
年があけてから、世界はまたも、暗い雲に覆われている。
呑気に温泉に入っている場合ではない。
 プーチンからメドベージェフに続く10年におよぶ超強行路線、
ムバラクの30年をこえる独裁。
それぞれに複雑な政治的・歴史的背景をもつが
共通するキイワードは非寛容である。
さらに恐ろしいのはプーチンもムバラクも、
どちらも過激派制圧という大義名分を押し立ててきことだ。
それがゆえに、ヨーロッパもアメリカも、
その力の政治を「苦虫をかみつぶしつつ」見逃してきた。
まあ、オバマは「民主化してほしい」などといとてはいるが
本音はムバラクが言論弾圧をしてでもきっちり統治してくれていたほうが
中東の安定は増すと考えている節があるぜ。
※もっとも、日本の態度はさらになさけないが。
 しかし、長きにわたるPowerによる統治は、
必ずその反作用を生み出す。
歴史はそれを明確に語っているにも関わらずに、
あやまちは繰り返される。
 それが権力の怖さかもしれない。
権力という妖怪は、その下にひざまずかされる人びとを疎外する。
しかし、同時に権力の座にあるもの自身をも疎外していく。
『はだかの王様』しかり『1984』しかり『エメリヤン』しかり。
 
 暴力に対して暴力で立ち向かうことの是非は、
その状況によって大きく異なるので、一般論ではかたずかない。
たとえば、ギリシアの哲学者カルネアデスがだした
問題「カルネアデスの舟板」。
舟が嵐でばらばらになり、乗員は海に投げ出される。
一人の男が身の丈ほどの舟板につかまる。
ところが、もう一人の男もその板に気づく。
しかし、板の浮力は一名をささえるのがやっと。
そこで、はじめにつかまったていた男は、
後から来た男をしずめて水死させてしまう。
これは罪になるか、という哲ならびに倫理学の問題である。
 日本においては、こうしたケースは警報37条の緊急避難として
罪には問われないが、心の深いところで納得できるかどうかは
人によってちがうだろう。
 血で血を洗うことは、不毛かつ不条理のきわみである。
だが、「話しあい」「歩みより」は、諍っていた双方が心から
近づこうとしないかぎり成立しない。

 『エメリヤンとたいこ』のトルストイ、そして彼の影響をうけた
マハトマ・ガンジーは、「非暴力・不服従」を説いた。
アメリカでは、深いバリトンと抑揚豊かな演説で人びとに語りかけた
キング牧師が白人との融合、非暴力を主張した。
しかし、同じくアメリカで
マルコムXは、白人との融和を否定し、
独自のBlack Nationalismを主張した。
「黒人は自らの意志でメイフラワーに乗ってはいない」
「人種差別主義者は暴力的になりがちだが、知的な者も
暴力を否定することはむずかしい」
などとといった過激な演説で黒人によびかけたマルコムXは
キング師が"I have a dream."といったの対し
「彼以外のわれわれは悪夢をもっている」といいきった。

 そのどちらにも多くの支持者がいた。
しかし、ふたりとも暗殺という卑劣なかたちで命をうばわれる。

 独裁権力と暴力、それへの抵抗。テロと対テロを目的とした戦争。
自由、正義、解放、独立。
だれか、ほんとうのことをいってほしい。

 話題が重たいが、たまには力んで考えないとまずい。
次のテーのに行くのまえに大岡信氏(ラボでは『一寸法師』の日本語
を担当されている。ありがたや)の詩を引用する。

わたしは月へは行かないだろう

  わたしは月には行かないだろう
  わたしは領土をもたないだろう
  わたしは歌をもつだろう

  飛び魚になり あのひとを追いかけるだろう
  わたしは炎と洪水になり わたしの四季をつくるだろう

  わたしはわたしをぬぎ捨てるだろう
  血と汗のめぐる地球の岸に
  わたしは月には行かないだろう
 
 しかし、ムバラクもそうだが、ロシアや中国、
また、ちょっとちがうが北朝鮮の「超強気姿勢」は
こまったものだ。
 強気は弱気の裏返しであるから、もう無理してでもなんでも
弱みを見せられなくなってしまうのだろう。
※話題をかえようと思ったのだが…。
 ぼくの好きな、俳優・監督のひとりである
クリント・イーストウッドのことばをきかせたいものだ。
イーストウッドは、「ダーティ・ハリー」(どろんこハリーじゃないよ)
のころは、あんまり好きじゃなかったが、
「許されざる者"Unforgiven"」で監督・主演し、
オスカーをとったときから気になりだした。
 さいしょ、へぇーっだったのが、おーっ! となった作品は
こりまたアカデミー賞をとり、監督・主演をした
『ミリオンダラー・ベイビー』である。
これは偶然、シアトルに一人でいく機内で見た。
選択できるプログラムのなかでほかに見る映画がなかったので、
オスカー作品という理由だけで、やむなくという感じでチョイスした。
レストランではたらく20代おわりの女性(だめな母親をかかえている)が、
プロボクサーをめざすという物語だ。
イーストウッドはチャンピオンを何度も育てたジムの経営者。
しかし、選手に無理をさせすぎてパンチドランカーにしてしまった
ことをいつまでもひきずっている。
そのため、なかなかタイトルマッチをくまないので、
金がほしい才能ある選手は、その慎重さについていけずシムを去る。
そのジムにのこってトレーナーをしてるいのがモーガン・フリーマン。
彼は元選手だが、試合のためにパンチドランカーになったため
イーストウッドは責任を感じてトレーナーとして雇用している。
 で、まあ、ここから先はDVDででも見てほしいのだが、
見るまでは、ぼくは「どうせ、ロッキーの女性版かよ。わかりやすい
ハリウッド作品か。それがオスカーか」などとうそぶいていた。
しかし、それは見事にうらぎられた。
 レンタルしてぜ鑑賞していただきたい。

 イーストウッドは、この作品以降、『父親たちの星条旗』(2006年アメリカ、監督:クリント・イーストウッド、主演:ライアン・フィリップ)『硫黄島からの手紙』(2006年アメリカ、監督:クリント・イーストウッド、主演:渡辺謙)
などの話題作をつくり続けている。
 彼は今年の五月で81歳になる。
 共和党員としてカーメルの市長になるなどの政治活動でも有名だが
リベラルな考えをもっていて、大量破壊兵器がやばいという名目の
イラク戦争を「きわめて重大な過ち」と批判している。
これはんなかなか勇気ある行動だ。
 また、映画の過激な表現を規制する法案にはきびしく反対した。
 そんなイーストウッドのことば
"Real masculinity is the confidence
to not have to prove your manhood."
「ほんとうの男は、雄々しさを人に見せつけないものだ」

 さて、冒頭にSave Our Shipと書いたが、
まさに地球号は嵐のなか。
羅針盤も海図もない状態である。
つらつらと思うのだが、急にいきなり地球全体をひとつの船と
考えるのはけっこう無理がある気がする。
それよりも、大きな船、小さな船が船団を組み、
それぞれの役割を果たしつつ力をあわせて
夕凪の渚、まだ見ぬおだやかな海をめざすというのが
当面もとめられのではなかろうか。
 
 Save Our Shipは、よく緊急信号SOSの元のことばだといわれるが
モールス符号で、・・・ --- ・・・ 
すなわち、トントントン・ツーツーツー・トントントンという
短点3つと長点3つの組み合わせで打電できる利便性からである。
モールス符号の発案者であるモールスは
新聞社などにはりついて、膨大な資料から
英語の字母の使用頻度に順位をつけた。
これもすぐれたことばの感覚だ。
最もしようされる字母は e で探偵小説の暗号の基本にもなっている。
したがってモールス符号でeは、・ 、短点1つだけですむ。

 SOSが万国緊急信号となったのは1908年の国際無線会議だ。
それまではCQDが使用されていた。
CQDは、"come quick, distress"(すぐ来い、遭難した)
として記憶されていたが、より打電しやすいSOSになった。

 このSOSが最初に長距離をとんだのは
1912年のタイタニック号の遭難時である。
1909年にもSOSが使われた遭難があったが、
タイニックは無線を発明したマルコーニ社製の長距離無線をつんでいた。
 4月14日の夜、マルコーニ社のニューヨークの支局で
ひとりの若い、というより少年に近い無線技師が
その無電を傍受した。
彼は、その夜、無線機にはりつき大西洋上のすへべての船に
タイタニック遭難の情報を送り続けた。
 
 モールスが19世紀なかばにモールス符号と信号機
を発明するにいたったのは、
最愛の妻の死を、旅先で、
しかも亡くなったかなり後に知ったためだった。
その悲劇に、モールスは、
なんとかして情報を遠くまではやく伝えたいと考えた。

 タイタニックの夜、徹夜で世界にSOSを打電した
デービット・サーノフは、後にRCAとNBCという
ネットワークを設立。
 ラジオの父とよばれるようになった。

 
Re:Save Our Ship わたしは月には行かないだろう(01月30日)
carmenさん (2011年01月31日 00時23分)

硫黄島~でイーストウッド監督に大抜擢された、現宮崎・松崎Tの息子さ
んで元ラボっこのマツザキユウキさん。今年5月公開のパイレーツオブカ
リビアン4でジョニーデップやペネロペクルスと
並ぶ9人のキャスト表にお名前がありますね!
とっても楽しみです!!
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