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節分eve 春よこい 02月02日 (水)
とらべ ぷーる
 写真はどちらもウェールズ。上は昔の日記にのせたが、
すごい小さかったので再掲載。ウェールズの首都カーディフから
隣町のキャフェリーにいく途中の峠にあるTraveller's Innお食事どころ。
ニコル氏推薦のお店。『妖精のめ牛』の英語収録は、
キャフェリーのスタジオで行なわれたので、カーディフに滞在していた
ラボ組とニコル氏は必然的に毎日この峠を通る。
提供される食事はニコル推薦だけあって、たいへん美味。
ラムはさっぱりかつジューシィでいうことないし、
カーディフは漁港なので鱸の蒸し焼きもまるごとドン。
つけあわせの野菜、とくにジャガイモはたっぷりすぎるほど。
ウェールズ人はよく食べ、よく歌うとニコル氏。
「イングランドとはちがうよ。子どものころ
イングランドに住んだときがあるけど、
母親はよく季節の野草をつんで、おいしく食べさせてくれた。
でも、それを見たイングランドの人びとは『ニコルかとこのかみさんは
また草をひろって食べてる』とわらってた」
 ラボ関係者は英国=イングランドではないということは
もちろんご存じだろうが、スタッフのひとりがつい
「(ここ、という意味で)イングランドでは、どうですか」
といってしまったことがある。
するとニコル氏は、にやりとして
「生きてこここを出たかったら、二度とそのことばは
いっちゃだめよ」

 ともあれ、この店はおいくぼくはニコル氏と3度も行った。
ただし量はとてつもなく、日本人には多い。
同行していたW辺くんなどは、元来小食なのでとても食べきれない。
しかし、「のこしちゃ、もったいないよ」
とニコル氏にいわれるので、ほとんど苦行のようだった。
で、さらにたいへんなのは飲み物。
店に入ると、まずはカウンターで飲み物を頼む。
すると番号のついたスタンドをくれるので、
それをもって案内された席につくと、
係の人が飲み物をもって料理の注文をとりにくる。
ニコル氏はあたりまえのように「ビター」とか「ギネス」とか
ビール系(ただビールとは注文できない。
あまりにも種類が多いから。)。
「まあ、昼間だから軽くね」
 とはいえ、昼酒はきく。
「ニック、ぼくらは仕事だから飲めないよ」
「それならShandy Gaff(ただShandyともいう)にしなよ。
これはお酒しゃないから」
 とんでもない、じつはShandyはビールベースのカクテル。
ビールをジンジャーエールやジュースで割ったものだ。
これはほんとうに飲みやすい。
 しかし、まぎれもなんくお酒である。
むしろ、くいくい飲むとけっこうたいへんだ。
 この昔話にでてきそうな家のつくりもいい。
 下の写真は首都カーディフの市役所前の市民プール。
しかし、冬はごらんのとおりスケート場に変身だ。

 空は鈍色、とにかく一週間いて晴れ間は総計20分もなかった。
これは2006年のこと。あれからもう5年かあ。なんて。
ところで、ここで問題です。下はなんでしょう。
ウェールズに関係あります。※こたえは最後にあります。

Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch

 さて、今日、ひさしぶりに『ヘルガの持参金』の
トミー・デパオラ氏のHPを覗いた。
http://www.tomie.com/main.html
 この物語が刊行されたころは、日記で紹介している方が
多かったが、ひさしぶりなので再掲しておく。
 あいかわらず楽しい。
とくにカレンダーのところは、ちょっとプライベートなことも
書いてあったりして(もちろん、イラスト入り)すてき。
この人の名前の読み方だが、日本ではトミー・デ・パオラ
とのなっている。
しかし、本人はTommy dePaolaという表記にしていて
わざわざ、発音はTommy daPOWlaだと書いている。
だからいちおうデパオラと書く。
ラボは原音主義だからね。
その国になるべく近い音で表記する。
メルヘンではなくメルヒェン。
コミュニケーションではなく、二重母音をいかして
コミュニケイション。
しかし、あまりやりすぎてトルストイをタルストーイと書いたら
だれだかわからなくなってしまう。
ともあれ、ライブラリーだけでなく
「ことばの宇宙」も「テューター通信」もそうした表記にはこだわっている。
ことばの組織だけんね。
 
 もう少しこの話題を続けると、ラボならずとも
日本は、おおむね原音表記で。その国の発音にカタカナ表記をする。
韓国の人名も過去には、日本風に音読みしていたが、もうかなり前から
放送ではキム・デジュンのように韓国語に近い発音にしている。
新聞では括弧に読みを入れるくふうがされているね。
ただ、中国の人名はなぜかまだ音読みである。
もっとも中国側も日本の人名を中国語の発音で読んでいる。
これは相互主義というようだ。
 ぼくは1989年の第3回中国交流、すなわち歴史上
初の中国ホームステイが行なわれたとき(その1か月後が天安門事件)と
その後、中国語版SK3の録音で、2度中国に行ったが、
いつも三沢(サンナヅォ)先生(はずかしい!)とよばれた。
三蔵法師の三と毛沢東の沢だからすごい! といもいわれた。
なんのこっちゃ。

 ところが、英語は、というよりヨーロッパ語はどうしても
自分たちの音にひっぱってしまうようだ。
これはしかたないかも。
ピーター、ペテロ、ピョートル、ピエトロ
パウロ、ポール、パブロ
ジョン、ヨハネ、ジャン、ファン
ジョージ、ゲオルグ、ホルヘ
 
 それぞれ同じなわけだけど、日本人からすればふしぎ。
今のローマ教皇(法王とも書くが教皇が正しいと思う)は
ベネディクトゥス16世だが、その前の教皇は
ヨハネ・パウロ2世である。
 英語ではジョン・ポール・セカンドで
スペイン語ではファン・パブロ・セグンド。
 それからナイジェリアとニジェールは隣国どうしだが
どちらもニジェール川の国ということで、発音がちがうが同じ意味。
うーむ、日本語は外国語を表記するのに
あくまでも比較的だがけっこう便利だ。
 でも、英語も近年、国際語化するに連れて
その国がそれぞれ公式英語表記を発表し、
国際的にはその表記に従うのがお約束になってきた。
 たとえば北京は、かつての英語表記はPekingだったが
(「北京の55日」という超古い映画の原題は"55 Days at Peking")、
今はBeijing という中国語に近い表記になっている。

ついでといってはなんだが、西アフリカでも、
アジアでもオセアニアでも、独自の英語を話すところが拡大している。
英語は、もはや世界の共通語になりつつ、というよりなっている。
確かに英語は歴史的には侵略者の言語という側面があったが。
いまやそんな枠をこえてグローバル・コミュニケイション言語
になろうとしている。
また、かつてはアメリカン・スタンダードが世界標準になることは
個別の文化の独自性、多様性の危機であり、英語のひろがりは
その片棒をかつぐといった声もあった。
 だが、前述の西アフリカや東南アジアの英語圏を見ると、
「そんなの関係ねえ」といったパワーだ。
 鈴木忠夫先生のおっしゃるように「日本人の英語」が重要だ。

 ところで、2008年から9年の春は、
小学校英語のための教員研修をプロデュースしていた。
そのときに、「なんのために英語、あるいは外国語を学のか」
という問いを教員に考えてもらうワークショップをした。
 これは直球、しかも150キロごえだから、
思わず腰がひけるし、手がでない問いだ。
 でも、そのことを意識しないで教壇に立つのは恐ろしい。

 少なくとも「考える」ことをしなければだめよね。
指導要領にあるからではダメなのはいうまでもない。

 その回答はじつに多様であることはいうまでもないが、
そのひとつに前述のように外国の人とコミュニケイションするため、
いわゆる相互理解ということがある。
 まあ、これは当然のことんのだが、
ぼくは、とってもシンプルだが
「その国・地域の言語で考えないとわからない、あるいは
より深く理解できないことがある」
という点をあげておきたい。
たとえば、「原子力の平和利用」といういい方があるが、
みれはあたり前のことである。
英語的にいえばthe peaceful use of nuclear energy
なのだが、実際にはthe commercial use というほう多い。
そのほうが本質がはっきりする。
 もうひとつ、法務大臣は the Minister of Justice
直訳すれば正義の大臣である。ずごい重たい仕事なのだ。

 ずいぶん極端な例示だが、オリジナルの言語で
考える、日本語とは別の枠組みで思考することで見えてくる
ものがある。
 それが、相互理解につながっていく。
簡単なことではない。でも、進まねばならない。

 パオラにもどろう。
ラボに入ってすぐ、ほるぷの外国語絵本のシリーズを安く買える
機会があり、エイヤとばかり購入したのだが、
そのシリーズに入っていた『神の道化師』がえらく気に入ってしまった。
やわらかいタッチと色彩が心にしみたのだ。
ストーリィを自分で訳そうと思ったら、しっかり ゆあさ・ふみえ先生の
訳がもう出ていて、がっかりした(アホやねえ)。

 『ヘルガの持参金』もゆあさ先生のお訳である。
ゆあさ先生は、じつはラボ教育センターの前進である
株式会社テックに勤務されていたことがある。
※現在の社長は、かすかに記憶があるそうです。
そのことがわかったのは、制作を開始してからだ。
ざんねんなことに、先生は2004年に亡くなられていたので
制作の許可はご子息からいただくことになった。

 ゆあさ先生の日本語は、リズムもよく平明で力強い。
そして、きちんと訳されている。
 いわゆる名作絵本の訳は、ライブラリーみたいな英日を意識してないから
けっこうぶっとんだ訳になっている場合がある。
 どうしてもあわなかったり、絵本の行数の関係で
訳してない行があったり、けっこう悶絶することがある。
 そのへんのくだりは、それぞれの資料集にくわしく書いているので
ぜひ読んでほしい。
『いたずらきかんしゃ』では、ちゅうちゅうが、ガス欠で
とまる場面で、さいごに「ぷう」とかすかな汽笛をならすのだが、
福音館版にはその行の日本語がない。
 このときは、ラボ・ライブラリーに理解のある福音館書店
のおかげで同社も著作権者もラボ版では日本語を追加すること
に了解していただいた。
 ご存じのように、ライブラリーでは、英日版の編集をするとき
子どもたちが聞きとり繰り返して発語しやすいように、
長い1文はカンマなどで分割する。
しかし、英語の関係節などは日本語の構造とは真逆なので
その分割が困難な場合がある。
 とくに物語の冒頭などは、なるべくゆったりと
そして、短い文でスタートしたい。
 「がらんどうがあった」
は、その典型ともいえる。
 ところか、『さんびきのやぎのがらがらどん』などは、
前にも書いたが、ブラウンの冒頭は関係節でてきていて
瀬田先生の名訳をどあしても分割してあわせられない。
 それで、なるべくていねいに語ってもらうって
1文で一気に読んでいる。
 この関係節というやつが、けっこう英語の急所だ。
若き日に関係代名詞や関係副詞で苦しまれた方も多いかも。
 「イチローのホームラン」は、Ichiro's home runでも
誤りではないが、ふつうはHome run by Ichiroである。
 なんのことはないが、すっとこれがでない。
『ピノッキオ』の第4話は
「かなえられた夢」でA Dream Come Trueである。
ドリカム! なんでcomes trueじゃないんですか
という質問が、現役時代に年に二、三回よせられていた。
おわかれのようにこのconeは過去分詞である。
「かなえられた」で夢を後ろから修飾している。
だから、英日編集のけっこうたいへんなのだ。

さつきも書いたが、ゆあさ先生の訳はすばらしい。
あくすことなく、しかし訳しすぎることもない。
しかし、どうしても手をつけねばならないところが
あった。looneyの訳である。
 詳細は資料集参照だが
「おつむがへん」にさせていただいた。
テレビ局に勤務した経験があり、そのあたりの事情をよくご存じの
ゆあさ先生のご子息は
「CDとして音で永久にのこるなら、それはおっしゃる通りです・
また、母も多くの子どもたちが音でも楽しめることをよろこぶでしょう」
とおっしゃってくださった。
 同様の問題は、『はなのすきなうし』でもあった。
 これも岩波に理解していただいた。
※岩波版も今は変わっている。

表現の自由と差別的表現の問題はむずかしい。
筒井康隆氏などは、そのことで断筆宣言をしたくらいだ。
自由の本来の意味は「なんでもアリ」だと思う。
しかし、社会的自由、個人の自由、表現の自由、
さらにそれぞれの自由と考えたとき、
その「なんでもアリ」に制約がついてくるのだろう。
自由の範囲は誰がきめるのだろう。

 先日のアジアカップでも、韓国代表選手による日本人を揶揄して
と思われるパフォーマンスが差別的という批判を受けた。
 世界の潮流として、差別的表現、にかでも民族、性別、身体的特徴などに
対するものへの視線は厳しさを増している。
 アメリカの子どものキャンプでも、かならず、差別的言動に対する
ワークショップの時間が必ずある。
 事実、夜にテントのなかで黒人のキャンパーについて差別的な会話をした
アメリカの中学生3人が大学生のリーダーにこんこんと
2時間、ワークショップ方式で反省させられていたのを見たことがある。
この場合は、となりのテントの子どもが聴いていて
翌朝リーダーに報告したのだ。
 告げ口であるが、違反行為を知っていて、それを告発しないのは
もっと罪が重いというのが彼らの認識だとそのとき知った。
 
 いろいろな団体が差別的言動に神経質になるのは、
依然として、さまざまな差別が存在しているからにほかならない。

 ここで表現の自由との関係にもどれば、
「ことばそのものに差別性はない」ともいうことができる。
たが、「ことばが差別を生み出してきた」ことも事実だ。
 やむを得ないときもある。
悪口、罵詈雑言などを総称して、心理学では「マイナス待遇表現」
というが、こうした問題を論じるとき、また、差別そのものを
テーマとするときは使用せざるを得ない。
また、歴史的なのも変えにくい。
"Three Blind Mice"をまさか
"Three Optical Challenging Mice"とはできまい。

ただ、私見としては、あえて使用しないという
というSensitivityは必要だと思う。
こういう表現は不快に思われるときがあるという認識。

しかし、「おへちゃ」は名訳だ!

 まあ、むずかしい話はさておき、
『ヘルガの持参金』は、ある意味ミュージカル的要素をもって
仕立てられている。
歌が場面をつくっていて、ひとつひとつが「きめカット」
マンガでいえば大きなコマだ。
 やり方は自由だが、歌を中心にとらえてみるのもいいかな。

 冒頭のクイズのこたえは、ウェールズの地名であり駅名。
世界でいちばん長い駅名といわれている。
ウェールズ語なので英語とはちがう音だが、
むりやりカタカナでかくと
 シャンヴァイル プシュグイン  ギシュゴゲル  フェールンドロブシュ  シャンティシロ  ゴゴゴッホ

 ※次回は『バベルの塔』『ノアのはこぶね』についてふれる予定。

 ところで…、
芸術は自由? そうだろう。
芸術はその本質に反社会性も含んでいるからだ。
しかし、ライブラリーは芸術ではない。
芸術的であれとは願ってつくっていたが…。

 ある名人とうたわれた落語家が,芸術家として表彰され
ると知ったとき、辞退を表明してこういった。
「あたしゃ芸はしますが、術はつかいませんから」
Re:節分eve 春よこい(02月02日)
carmenさん (2011年02月03日 05時11分)

ヘルガの持参金は大好きなライブラリーです。過去2年ほど、個人的に非
常に苦しい状況にあって、そんな中で購入したて=出会ったばかりのこ
のお話に、どれだけクスりと笑い、勇気づけられたことかわかりませ
ん。声優さんの声もセリフも音楽も歌もストーリーも大好きです!

日本人の英語、もっと認められるべきですね。鈴木先生の国連公用語に
日本語が入るべきだ!というご意見に目からウロコでも、理由に納得で
きたところに、黒川伊保子氏の「日本語はなぜ美しいのか」を読んで愕
然としました。恐ろしく高いハードルの存在です。イギリス人と日本人
がある点で一緒だということについてです。三流のアメリカ人を大量生
産せず、防人集団があればいい、と鈴木先生がおっしゃるのも理解でき
ますが、後者を私の言葉で端的にいうなれば、アメリカ的にならなけれ
ば、このハードルをさげることが難しいという点。両者読み比べて、苦
しくなりました。どなたか両者に 目を通された方々と意見交換をぜひ
したい、と以前ひろばに書きましたが・・・・実現できていないのが悲
しいです。今一度問いかけ、考えていきたいという思いを新たにしまし
た。

「えいごとにほんごのおはなしかい」絵本をライブラリーの如く一文ず
つ英日交互に読むおはなしかいのボランティアをはじめて9カ月になりま
す。単一言語にしない、というのは時に箇所対応に難しく、生意気です
が、ライブラリー制作の方々のご苦労の断片をひとつを垣間見させてい
ただく気がしております。面白いと思ったことをこの「ひろば」の「テ
ーマ」投稿にしております。そこにも書いたのですが、「元気なマドレ
ーヌ」は「がらがらどん」の冒頭にしたほうがいい箇所があります♪
いつも興味深い内容の日記のシェアリングをありがとうございます。
Re:節分eve 春よこい(02月02日) ・
ミトメーニョさん (2011年02月23日 13時55分)

はじめまして。
私のHPへ訪問ありがとうございました。
ウェールズの写真に魅かれて、お邪魔しちゃいました。
あの家の雰囲気。大好きです。
いつか訪れてみたい場所です。
来月、卒業パーティに向け、みんなで(・・と言っても8人のパーティ
ですが)「ギルガメシュ王のものがたり」に取り組んでいます。
この春、高校とパーティを卒業する女の子の希望で決まりました。
子供たちが、どう表現するのかが楽しみです!
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