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加賀で考えた パエトン・パラドックス 03月17日 (木)
とうろう
 遅まきながら、先週11日に発生した東日本太平洋沖地震
ならびに、この未曾有の地震にともなう津波により亡くなられた方がたに、
衷心より哀悼の意を表します。
そして、すべての被災者の皆さまにお見舞いを申しあげます。
さらに、救助、捜索、復興にむけて生命を賭して努力されている
関係者全員に最大の敬意と感謝をささげます。
               ☆☆☆
 ふだん、へらへらとした軽がるしい駄文を書き散らしている身にとっては、
「ことばの力」などとといいつつ、どうにもにもならない状況に
無力感をおぼえる。
 いや、だからこそ「ことば」が重要なのだとも思う。

 生来のへそまがりだから、日本のために祈ろう、なんて
大きな声をだされると、個人的にはひいてしまう。
もちろん、多くの義援活動がおこっているのは、すばらしいと思う。
それを批判するほど罰当たりではない。
一方、あせって買い占めをするほど恥しらずでもない。
だから
せいぜい、買い物ののおつりをマメにドネイションするくらいだ。
でもへこむ。
しかし、おちこむことはかんたんだし、
評論めいたことをいって斜めにかまえるのも楽にできる。
でも、人間は命あるかぎり
生かされているかばり、とりあえず前へいかねばならない。
それは一昨年の大手術で生死の境から帰還した身が学んだことだ。
時計を動かすのは一人ひとりである。

 悩んだが、一昨日と昨日の1泊で石川県にいってきた。
金沢での取材である。
前から約束していた仕事だったので、断ればそれはそれで多くの
人がめいわくする。
電力を過剰に消費するといった多大な負荷をかけないかぎり
粛々と仕事をすることも大事だ。
だまりこみ、すわりこむより、まずやるべきことをと
いいきかせた。
小松までの飛行は問題なく(この路線はけっこう繁盛するラインだが
往路も空席があり、帰りの東京行きANAは、50名も乗っていなかった)。
中野から羽田までも、あっけないくらいはやく着いた。

 取材の中身はラボとは関係ないので、
契約とかいうおとなの事情で書かないが、
写真はぼくに著作権があり、他には使わないものなので
少しアップしながら、日記でつぶやいていみる。
※ここまで読んで、「こんなとき、なに金沢なんて優雅なこと」
と思われる方はパスしてね。それもふつうの感覚だと思うから。

 最初の写真は日本三名園のひとつ兼六園。
あまりに有名な霞ヶ池の虹橋と二本足の徽軫灯籠(コトジトウロウ)。
橋を琴に、灯籠を琴のチューニングに用いる徽軫に見立てたものだ。
 兼六園は、延宝4年(1676年)に加賀5代藩主前田綱紀が原型を
つくった庭で当時は、金沢城の外郭城だった。
兼六園の名は、宋代の詩人・李格非が『洛陽名園記』で謳った
「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六つを兼ね備に倣い、
文政5年に松平定信によって命名された。
 「人力」は、このような災害のときにその微弱さを実感する。
でも、立ち直るのも人力である。
ゆきつり
 この写真もよく知られた「唐崎松」(カラサキノマツ)。
13代加賀藩主がオリジナルである琵琶湖畔から種をとりよせ育てた黒松。
 毎年11月1日に設置された「雪吊り」がまだのこっていた。
この方式はりんごの樹をまもる方法に似ているので「りんご吊り」という。
350年以上も毎年、雪と寒さにだまって耐えてきた松が、
やさしく、そしてきびしく、たくましく語りかけてきた。

 季節は、人間の営み、喜び、悲しみ、ねたみ、
怒り、感動など、すべてをまったく気づかぬように
ゆうぜんと巡る。
『ありときりぎりす』のラストのように、
また春はやってくる。
 やまない雨もない。
虹の空の下、オリーブの葉をくわえた鳩は
いつか帰ってくる。
 取材のおり、管理の人(県が運営)にたずねると
年間の来園者は170万人。
桜と紅葉のときは、ものすごい人出だそうだ。
300円の入園料をとっているので維持費の5億円は
それでまかなえるらしい。
 へんな箱ものやテーマパークをつくる必要はない。
伝統をたいせつにすることで、十分になりたっている。
加賀友禅、輪島塗り、九谷焼。
さすが百万石。石川as No. 1かも。
ちゃや とおり
 写真は東茶屋街。金沢にはほかにも西、主計の茶屋街があるが
もっとも大きいのはここである。現在も八軒のお茶屋があり、
20名ほどの芸子、芸者さんが日々きびしい稽古をつんでいる。
ふだんなら平日でも写真を撮ったら人ばかりになるそうだが、
この日は閑散としていた。
観光協会にうかがうと、さすがに地震以後、ばたばたとキャンセル
がでたという。
「でも、キャンセル料はとれません」
そうだろうなあ。
 
 金沢でもテレビはほとんど地震関連の特別番組ばかりだ。
各局が専門家をスタジオによんで、津波や原発事故の解説している。
ぼくもいろいろな局の報道スタイルを比較しながら観たが、
やはり「ことば」が気になる。
これはもう、長いあいだにしみついた虎の縞みたいのものか。
気になるのは2点。
民放のキャスターの表現が、
どうしても、より危機感を煽っているように感じてしまう。
もちろん、キャスターは主観を入れてかまわないと思うし、
純客観で意見をいうことなんてできゃしない。
名キャスターと呼ばれる人、あるいは呼ばれたひとは、
多かれ少なかれ、独断や偏りがある。
それが、バランス感覚のよさや、頭の回転のはやさ
そして人柄(好感度)などで中和され、
支持されたり、されなかったりだと思う。
 そうした点をさしひいても、なにか緊張と緊迫を
自らつくりだしている印象が、民放はどの局のキャスターにもあった。
また、専門家に訪ねるときなどは、かなり誘導的な
「ひきだす」ような問いかけをしているのも…。
対して、NHKのアナウンサーは業務という感じで淡々と読む。
これは味気ないが、こういうときは正解かもしれない。

 もうひとつ気になることばは、ここ二三日のこと。
被災地や避難所にスタッフがリポートに入り、
被災者の方がたにインタヴューするときの表現だ。
「おばあちゃん、おじいちゃんはわからないの」
「ふーん、たいへんだね」
「こまることは」
 てな感じで上から目線かつ、無礼ないいまわしにしかきこえない。
と思うのはぼくだけかなあ。
 まさに死線をくぐり、肉親や、家や家財を、
なにもかもなくしたサバイバーに対して、
相手が老人だろうと子どもだろうと。
いやんなおさら、
最大のリスペクトをもった表現で遇するべきだ。
「テレビだと緊張させないように」
なんていいわれはなしだぜ。
 さすがにアナウンサーは気をつかっているが
ディレクターやスタッフと思われる人たちのインタヴューが
とくにうーむ(顔でないしね)。
 まあ、それぞれいっしょうけんめいだから、いいのかなあ。
きんぱく さわる
 写真は東茶屋街にある箔座で。
金座、銀座とならんで神社仏閣から仏壇や襖、漆器の蒔絵などに
使用される金箔をつくる箔座もまた江戸の伝統だ。
江戸幕府の統制により、箔座は江戸と京都以外では禁じられたが
加賀の箔職人はねばり強く、その技術をつないだ。
幕府の崩壊とともに江戸の箔座は消滅し、
現在では日本の金箔の99%は金沢箔である。
 地元の方の紹介で東茶屋街の箔座を訪ね、特別に築120年の
茶屋づくりの二階にあげていただいた。
 上の写真は、案内してくれたこの家のお嬢さんが
金箔を加工しているところ。手練だ。
あまった箔は横にある木箱に
「ふっ」と、軽い息をふきかけてとばし落とす。
そのさまがなんとも、優雅である。
すべてががさつな自分が恥ずかしい。
金箔の厚みは1oooo分の1ミリ。
24金にわずかに銀がまじる。
そのことで粘度があがり、箔にのばしやすくなる。
五円玉(3.75グラム)の金をたたいてのばすと
畳一畳ほどになるという。
「薄さを実感してください」といわれ手にのせてみる、
こわいほど薄い。
返そうとすると、「そのまま手にぬりこくんでください。
お肌によいそうですよ」
 写真は、そういわれて神妙にぬりこんでいる
マネージャーである。
※それ以上、詮索しないように。

 1995年1月17日(火)。
兵庫県南部地震発生。阪神・淡路大震災である。
あれから16年がたった。
 その3日後の20日、ぼくは関西にむかった。
目的はふたつ。
ひとつは、関西総局の激励と、活断層の西端である須磨のパーティに
全国からのはげましの手紙や支援品をどとけること。
そして、もうひとつは…、
この地震で命をうばわれた
小学生女子のラボっ子の担任の先生に会うことだった。

 きっかけは、京都、正確にいえば山科にあったパーティの
ラボっ子のお母さんからの連絡だった。
 それは京都新聞の記事である。
神戸新聞は地震で大きな打撃をうけたが
京都新聞の支援でなんとか発行をつつけていた。
したがって神戸新聞の記事も当然京都新聞にのる。
そのなかで、そのお母さんはこんな記事を見つけた。
「震災で亡くなった女子生徒がのこした教師との交換日誌が、
その教師をはげましている。日記には創作物語が書かれていて、
教師と同じ名前の女子小学生が主人公。
そのヒロインが弱いものいじめをしたり
いたずらしたりする男子や上級生から仲間を守って大活躍する
という痛快なストーリィ。
その学校で地震の犠牲になった生徒は、その女子ひとりであり、
その担任教師(女性)はたいへんなショックを受けていたが、
その日記に勇気をもらい、子どもたちのケアにあたっている」

 そのラボっ子のお母さんは、この記事の小学生は
もしかしてラボっ子ではないかとピンときたという。
それで、もしやと関西総局にテューター経由で連絡されたのだ。

 その日記をお貸しくださるということで、
増田テューターとともに夕刻、
浜芦屋のアーチがぐにゃりと湾曲する商店街をぬけ、
当該の小学校をたずねた。
 渡り廊下や、校舎のあちこちに「危険」の張り紙。
職員室は完全にキャンプ本部状態。
そのなかで、ジャンバーをきて、いちばん元気で大きな
声ではげましているのが校長先生だった。

 ラボっ子の担任のM先生は、生徒一人ひとりと交換日記を行なっていた。
その女子の日記を生徒から預かった日の翌日が震災だったという。
日記には、たくさんの創作物語が書かれていた。
構成や展開は似た作品が多かったが、どれも先生への愛情や
クラスメイトへの思いが強く表現されていた。
 コピーもとれる状態ではないので、だいじに持ち帰り、
すぐに東京から貴重品あつかいで送り返した。
 そのころ、ぼくは「ことばの宇宙」も担当していたが
巻末の表紙3をつかって「星のセンテンス」という企画を
毎号(このころは月刊!)行なっていた。
 これは、キャンプや国際交流や物語についての
感想文の1行から数行を選んで、それを解説という名目で
ほめまくるというものだ。
 だから、とにかくラボっ子の感想文はたくさんよんだ。
34年の事務局人生でライブラリーづくりも
うれしい仕事であることはまちがいないが、
なによりの密かな自慢は、とにかく誰にもまけないだけ
ラボっ子の感想文を読み、絵画作品を見ていることだ。
これは絶対の自身があるぞ。

 それで、この日記は「星のセンテンス・メモリアル」
という特別編集で、ほぼ全文を「ことばの宇宙」に掲載した。

 インタヴューのおわりごろ、
M先生は思い出話に目をうるませてから、
毅然として顔をあげておっしゃた。
「子どもたちは、まだおびえています。
突然昼間に嘔吐してしまったり、明け方に泣き出したり、
さまざまなストレスにおそわれています。
授業の早期再開もたいせつですが、生徒たちの心の手当てが
いまいちばんたいせつです。わたしが悲しんでいるひまはないと
彼女の物語がはげましてくれます。主人公はわたしなんですから」

 外に出ると、もうすでに浅い春の一番星がふるえている。
薄暗がりのなかでM先生は、いつまでも直立不動で
ぼくたちを見送ってくださった。

 今回の地震ではテューター全員の無事が確認されたと
本部からきいた。また、日比谷公会堂の国際交流のつどいと
スプリングキャンプが中止という残念だが、
やむを得ない連絡もうけた。
 会員ならびに関係者の無事を祈るのみだ。
ふじ
 写真は小松空港からの帰りの空路、駿河湾上空から撮影した富士山。
ちょうど一昨日夜、10時32分の地震の震源地あたりである。
 やはり美しい。
 しかし自然はときとして残酷である。
その二面性も人間がかってにそうよんでいるだけで
自然、地球にとっては、地震も津波も、嵐も噴火も
すべて大地と大気の営みにすぎない。

 どうでもいいけど、「富士」は「不死」から来て
これは『竹取物語』に由来すると、先日、池上彰氏が
説明していたが、それちょっとちがう。
 『竹取物語』のなかで、「不死」と「夜ばい」という
ふたつの由来譚があるが、これは作者(おそらくは
「和名抄」を書いた源順)の「なにんちゃって」である。
 つまり、ちゃんとした由来は他にあるということを
読者も知っているという前提、
すなわち「富士」は「不二」、「夜ばい」は「呼びあい」
であることは既知だとわかっていて
そんな男たちが夜にうろうろするから
「夜ばい」というよになったんだ、なんちゃって!
 という小説のテクニックなのだ。
 最後の不死のエピソードも、なんとなく蛇足つぽく思えるが
あのエピローグが救いとなって作品をおちつかせている。
 天才・紫式部が「物語のいで来はじめの祖(おや)」
と「源氏物語」の絵合わせで、紀貫之にいわせたのもなるほどだ。

 ここまで、読んで、あれあれタイトルに関係する中身はと思った方
も多いかしら。
 
 原子力発電について、
批判をすることも推進を支持することも
ぼく自身は、そのどちらにも明確な根拠をもちえない。
 化石燃料は有限であることは明確だから、
電気にかわるエネルギーが、あるいは原子力発電にかわりえる
発電方法が開発されないかぎり、
原発は不要とはいいきれない。
 しかし、その安全性も今回の事故以前から、
ぼくは疑問をもっていた。
 核の力、E=M×Cの二乗という、優雅な式によって
導かれた協力なエネルギーは、最悪の兵器にもなるが
たいへん効率のよい発電も可能にする。
 しかし、その力ははたして人間がコントロールできる
領域の力なのだろうか。
 核と人間は共存可能なのかどうか。
ぼくは、この矛盾するテーマを
「パエトン・パラドックス」と勝手によんでいる。
『太陽の子パエトン』は、その視点から見ると
おそろしく重い物語である。
 このときは制作責任者ではなかったが、
絵を絵かがれた「おぼ・まこと」さんと、
飲み屋でその話をしたことを思い出す。
ちなみにあの絵は色エンピツをけずった粉で彩色している。

 人間はパエトンのように太陽の馬車にあこがれ
より高みをめざしたやんちゃな男の子にすぎないのだろうか。

 次第に遠ざかっていく富士をながめながら、
そんなことを考えていると、
シートベルトサインが点灯、機は羽田にむかって降下を
ばしめたようだった。
写真でほっとしました。 ・
ひーろさん (2011年03月26日 13時56分)

平常心で過ごすことの大切さ、今回とくと味わいました。
御身体、お元気そうで何より、わたくしのHP(と言っても再度UPした日が
震災)にドロップインしてくださり、ありがとうございます。

日本のなんてことない原風景、良く目にする有名な写真、新鮮に目にし
ました。大切にしなければとも。
いつもちょっと斜にものを言うわたくしですが、今回は、とても素直で
す。どうぞ今後ともよろしく!  HPはこれからです。たまにはのぞい
てくださいね。
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