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春は静かに通りすぎていく でもやっぱり物語だぜ 04月22日 (金)
ついじ
 春は今年も、だまって通り過ぎていくようだ。
春は再生の季節である。
こもれ陽に目覚める野性のように、
ゆっくりと、そして生き生きとうごきだし、
新しい命が輝くときだ。
『アリとキリギリス』のラストのように、
営みの力があふれるのが春である。
しかし、春は、そのいっぽうで
傷つき疲れた人、なにかを心配している人がいることを知っていて
特別に声をかけることもせず
静かに、だまって通り過ぎていくのだ。
 写真はタイトルとは無関係な築地松(ついじまつ)。
出雲地方の農家の主に西側と北側に植えられ、
一定の高さに美しく剪定された黒松の屋敷林を「築地松」と呼ぶ。
もともとは江戸時代に、揖斐川の洪水時に浸水のディフェンスとして
屋敷を数メートル高くつくり、屋敷まわりに土居(築地)を築き、
その土居を固めるために水に強い樹木や竹を植えたのが、
築地松のはじまりらしい。
 その後、防水よりも防風が主な役割となり、
維新後には地主層だけのステイタスから、
一般の農家にもつくられるようになった。
築地松の作成、手入れ、メンテナンスには人手と費用が
とんでもなくかかるのはいうまでもない、
だから、築地松の姿で家の格式がわかり、
縁談がもちあがったり、ぎゃくにこなかったり…、
ということもあったそうだ。
※「あんな立派な松の屋敷に嫁にいたらたいへん」なんて

 写真ではよくわからないが、瓦も石見瓦で、
金沢のように釉薬がぬられたごとなものだ。
また鬼瓦にはオオクニヌシが描かれている。さすが。
 しかし、現在ではサッシの発達で防風の意味はほとんどなく、
また松食い虫の被害がすさまじい。
昔は松の落ち葉が燃料になるというメリットもあったが、
それも今はない。
いやはや、歴史的景観をたもつのはたいへんである。
それでも、町や住民の方がたは、なんとか維持しようと
努力されているそうだ。
 それは、自分たちの住居が、長い歴史のなかで
かたちづくられてきた、出雲の季節や風景の一部であるという
凛とした自覚によるものだと思う。えらい。

 今日、母親の家で夕食をつくり、帰ろうとしたら、
「ぷうー」という脱力的音色をひびかせて
「豆腐~」という売り声を発している豆腐屋の青年にあった。
 かつては東京にも、金魚屋、石焼き芋など、
音で表現される季節があった。
 五月になれば、頭上には高層ビルではなく
鯉のぼりがひるがえった。
 消え去ったものはもどらない。
無理にもどしても、それは風にゆれるリボンのごとく
さみしいだけだ。
しかし、どこの町でも村でも、日本のみならず世界でも、
人や人の暮らしや営みがつくりだす季節感、風物詩が
今もたくさん生きている。
それは、幾多の災害、戦争、困窮などの災いをのりこえて
人びとが守り抜いてきたものだ。

 今、松島の景観をのこすか、津波被害の危険を避けて
高台に家を建てるかという難しい選択が提示されつつある。
景観保護の法律や条例があるために、
高いところにはかんたんに家を築くことはできないからだ。
 しかし、命があれば、人は解決作を見つけることができる。
命がけで守るためには命が必要なのだ。
そのためには迅速な法改正が必要だろう。
 
 出雲にいく直前の10日、日本教育会館で行なわれたフォーラムで、
ひさしぶりにテーマ活動を拝見した。
 昨年の日比谷公会堂での「国際交流のつどい」以来である。
よもつ
写真上は熊井パーティの『国生み』から。
生まれたばかりのイザナギとイザナミ。
下はヨモツヒラサカで対峙する二人。
うまれた
 とにかく、テーマ活動を見るとほっとする。
この時代、この状況(世界の日本の)で、こうした
きわめて知的で全人的で根源的な表現活動を教育プログラムとして
行なっているとことの意味を再認識できる。
また、逆に「テーマ活動を仲間とともにできる幸せ」も
いやでも自覚する。
 そして、恐ろしいほど『国生み』という物語のテーマ性は
この春の状況にオーバーラップしていた。
 発表そのものについては、日記にさらさらとかけるものではない。
しかし、その後のリポートも含めて、
いろいろと考えることができたはたしかだ。
 ともかく、この発表にむけて
さまざまな意味でハード(だったにちがいない)な道を走りぬけた
熊井パーティの諸君には喝采を。

 前述したように1年ぶりのテーマ活動だったが、
あらためて、ラボの仕事、しかもライブラリーづくりに
関わることができて、ほんとうに幸せだったし、
ありがたいことだったと思うことができた。
 制作の責任者をしていて、「もう、死んでしまいたい」
と思うことは何度もあった。
 しかし、やめたいと思うことは一度もなかった。
目を輝かせてテーマ活動する子どもたち、
一流の芸術家や冒険家とかわらないまなざしで
吹き込み選考会に来る子どもたち、
そして全力で作品づくりに
協力してくれる専門家の方がた。
 これらの人びとの期待や思いを裏切ることはできないもんなあ。

 さても、『国生み』で、よく子どもたちからきかれるのは、
ヒル子のその後である。
 ラボっ子は基本的にやさしいので,気になるのだろう。
 始祖となった神、とくに男女の二柱が、
最初の子を生むことに失敗する神話は
世界のあちこちにある。
日本だけではないのね。
※ヒルコは「古事記」にも「日本書紀」にもでてくるが、
「日本書紀」では最初に生まれた子ではない。

 さて、ヒルコが葦の舟で流されて漂着したという伝説は
日本の各地にある。
また、海から流れ着いたものを、
「えびす」として信仰する海辺の地域も多い、
そこからヒルコをえびす(恵比寿・戎)と
同一視するようになったようだ。
そこには、ヒルコへの哀れみの感情もあったろう。

 ヒルコを祭神とする西宮神社のように
蛭子とかいて、えびすと読ませる例もある。
※漫画家にもおりますな。

 こうした混同は、「古今集」注解や、
芸能などを通じて一般に広まったといわれるる。
ご存じのように、えびすは、狩猟神、農業神であり、
七福神のなかでonly Japaneseだ。
(他はインドか中国Original)。
また、海辺ではクジラなどの漂着物を「えびす」とよんで
寄神信仰の対象ともなっていた。
そして、「えみし」ともいわれるように、
外国人への畏怖の表現でもあった。
「えびす」は多様な神格・性格をもっている。
 さらにさらに、ややこみしいのは大国主の子である
事代主(コトシロヌシ)も
えびす、といわれることがある。
 と、ここまで書いて、ヒルコではなく、
えびすの話なってしまったのに気づいた。
これではこたえにならないなあ。
 これでは中身が「がらんどう」だ!
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