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緊張の夏、日本の夏、ラボの夏 ふうふう更新 07月01日 (金)
プール
 昨日、あっひさしぶりに更新したな。でも途中だ。けっ」
と、思った方には申し訳ないが、
出だしから、がらっと内容がちがうので、あらためて読んでくだされ。

 文月になったばかりというのに、とんでもない暑さだ。
写真は、とくに本文とは関係ないが清涼剤がわり。
先月、宮古島にいったときの宿泊したホテルのプール。
なんか、すてきそうなのだが、
すぐそばにもっときれいなビーチがあるので、だれも泳いでいなかった。
うみ
 先週の日曜日で、日曜劇場「JIN 仁」第二部が最終回をむかえた。
テレビドラマとしては、驚異的視聴率。
裏番組は「行列のできる法律相談所」※これはどうでもいい。
いまをときめく子役と芸達者の阿部サダヲによる「マルモのおきて」。
これらを抑えてぶっちぎりの高視聴率。
視聴率はわしらに関係ないがね。

原作者である村上もとか氏の作品は
『岳人列伝』『赤いペガザス』などは読破していたので
『JIN』も全巻読んでいた。
連載の当初が自分が入院していた時期とも重なり、
医療に関する本は、それこそ漫画から専門書まで
読みとばしていたときでもあった。

結末の処理が原作とテレビ版では大きく変化していたので
ちょっと驚いたが、全体に脚本・テキストはよくできていた。
※テレビを見てから原作を読みはじめた人もいると思うので
ネタバレになるといかんので、原作とのちがいはかかぬ。
ただ、三澤制作所マネージャーの分析によると
主演のふたりはこの作品を機に交際しているので
それに配慮した終わり方にしたのではないかということである。

ともあれ、ラボ関係者でもこのドラマを見ていた人は多いと思う。
一瞬だが、近藤勇役で宮沢和史氏がでていたし、
これまたOBの佐藤隆太氏も
東修介という後半の重要な役で出演していたからね。

例によって話はとぶが、宮沢氏といえば
5月、6月と那覇空港を計4回利用したが、
そのたびに、宮沢氏の『島唄』がインストで流されていた。
文句をいうわけではないが、
沖縄にはオリジナルの島唄はもちろん、
りんけんバンド、ネーネーズ、
喜納昌吉氏、ぼくの好きな天才はじめちとせ、
などなどそうそうたる地元音楽家がいるのに、
ウチナーではない人、
古い蔑称でいえばヤマトンチュの作品を
わざわざ選曲しているは、やっぱりこの歌の知名度と
メロディのもつグローバリティかなあと思う。
ちなみに、最近ではヤマトンチュといういいかたは
ほぼなくなり、ナイチャー(内地人)というと宮古島できいた。

生物学的には人類は単一種である。
現代人は分類名「ホモ・サピエンス・サピエンス」。
すべて交配可能。
したがって、人種といういいかたはおかしい、
アングロサクソンもモンゴロイドも強いていえば「亜種」だ。
人類にはspeciesはなくraceという単語も不要である。

しかし、まったくおなじではないがゆえに、
有性繁殖によって多様性が確保されているがゆえに
微妙なずれが諍いを生む。
中東でもアフリカでも旧ユーゴスラアでも、スペインでも
「うちわもめ」は歴史上たえていない。

しかも、そのもめごとの根底に宗教がからむと
話はさらにややこしくなる。
そして、そこでは言語も重要なテーマである。

ぼくは、すべての紛争について
暴力的解決を支持しない。
正しい戦争なんかない。
もちろん、テロリズムも支持しない。
その一方で、21世紀になっても血と汗にまみれた
地球の岸辺に立ちくすだけの自分がなさけない。

ただ、これだけはいう。
戦争で失われるのは、かけがえのない多様な命だ。
それぞれ「ひとつしかない one and only」の命だ。
大西巨人氏のことばに
「戦争におけるすべての死は犬死にである」
というのがある。
戦争にヒーローなどいらない。

そして、もうひとつ紛争や侵略によって失われるものがある。
言語と物語だ。
このふたつに微力ながら、命がけで関わってきたものとして
これは、ほんとうに許されざることだ。
まさにUnforgiven.
自然遺産も文化遺産もたいせつだが
無形の芸能、物語も人類のたいせつな生きたあかし。
どんな少数民族であっても
その言語や物語は尊重されねばならない。

なんか暑いのにうっとおしい話で恐縮。

しかし、民族内、あるいは民族どうしの
※民族ということば生物学的につかうか、人類学的につかうか
言語学的につかうかでなかなかめんどいが…、
諍いやずれは、多くの文学や映画にもとりあげられている。
そういうものから学こともたいせつかなあ。

ひとつ紹介すると
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「悲情城市」という映画。
1989年の作品で同年のヴェネチア映画祭でグランプリをとった。
彼はすでに国際的に評価の高い監督だから
すでにご覧になっている方も多いと思う。
この映画は
終戦直後の1947年にはじまった、
もともと台湾にいた人、本省人(当時はまだ日本国籍)と
大陸から移住してきた外省人との40年にわたる抗争の襞を
ある一家の歴史をとおして描いている
監督自身は広東出身の外省人であり、
作品は戒厳令が解除された直後に発表されたため話題をよんだ。
構成、演出、そしてなにより脚本・スクリプトがすばらしい。
映画をめざす人はぜひ見ておくべき一本。
ここにも「ことばの力」が映像を支えていることが証明されている。
また、音楽は日本の「センス」というグループが担当。
これもエモーショナルでよい。
レンタル屋さんでぜひ借りよう。

話は「JIN」にもどる。
大沢たかおも綾瀬はるかもよかったが、
※綾瀬はるかさんは、天然ぶりが有名だが
それが、あの自然な演技の基本になっている。
いわゆる天然は、役者の重要な資質のひとつ。

勝海舟の小日向文世氏(SK31での語りもよかったなあ)もさすが。
海舟は側室だらけのとんでもない発展家だったが
その破天荒さと策略家の両面がうまくでていた。
全体に「うまい俳優」さんでうめられていたので
安心して見ることができたと思うが、
個人的には、なにより内野聖陽演ずる坂本龍馬が抜群だった。
異論もあるだろうが、福山龍馬と比べては失礼。

内野氏は江守徹氏と同じ文学座の所属。
舞台を中心に活動し、テレビドラマはかなり選んで出演しているようだ。
彼はNHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」で一躍メジャーになった。

じつは、作品名はかかぬが、
内野氏にライブラリーのナレーションで
オファーをかけたことがある。
しかし、そのときは「舞台に集中したいので、ほかの仕事は
ご遠慮申しあげている」という男らしいこたえがもどってきた。
今思うと、さわやかな断られ方だったが、
もう少しねばってもよかったかなあ。
さらに、そのときは別の役でトヨエツさんこと
豊川悦司氏にもオファーをだしていた。
ご本人からは挑戦してみたいという返事があったのだが
どたんばで海外の仕事がはいり、
どうしてもスケジュールが
あわなくなって断念。
ついでにいえば中村勘太郎氏もスケジュールで断念したひとり。
※彼も絶対にのびる!

さて、内野氏の龍馬はアクセル全開の全力疾走の演技だった。
内野氏はもともともは抑制のきいた芝居が魅力だが
激動の時代を熱くかけぬけた龍馬を、そのまま熱く演じた。
ふつう、あんなに大きな芝居をすると
クサくなってしまうが、
大沢たかおをひきたててつつ
物語の緊張感をつくりだす力は
やっぱり演技の基礎力の確かさだなあ。

作品全体に「やりすぎ」的芝居が散見されるが
それに違和感をもたせないつくり方になっていた。
演出力と演技力とテキスト力。

くりかえすが「ことばの力」
 
ところで、この日記はサー女子ワールドカップを
テレビ観戦しながら書いている。
今日はグループリーグの第二戦、メキシコ合衆国との試合。
※メキシコ合衆国であることは意外と知られていない。
Estados Unidos Mexicanos である。

そういっていたら、あっというまにJAPANが2点とってしまった・
サッカーついでに、もうすでに二ュースで流れていたので書いてしまおう。
先月、那覇から宮古島にむかうANA機内のこと。
三澤制作所御一行は前から2列めにすわっていたのだが、
まうしろのシートにサッカー日本代表のサイドバックで
イタリアのインテルで活躍している長友選手と
そのフィアンセとおぼしき女性がすわっていた。

なんて、ゴシップ的、パパラッチ的話題で品がないが、
たぶんそうだと思っていたら、あとでニュースで確認した次第。
フィアンセのご実家が宮古島のとなりの伊良部島だそうで
そちらにあいさつにいかれたようだ。
長友選手は、キャップをまぶかにかぶってはいたが、
鍛えあげられた身体は一流アスリートのものだった。

「見てみぬふり」は、こういうときはいいことだ。

宮古島といえば、昨日、島でお世話になった方から
マンゴーがとどいた。完熟である。
じつは、チビマンゴーとは別にふつうのマンゴーを
いただいてもちかえったのだが、
時期がはやかったらしく、なかなか食べごろにならない。
それを心配した地元の方が「これならまちがいない」
と送ってくださったのだ。ありがたや。 

冒頭にも書いたが、いよいよ7月である。
まだ梅雨はあけていないが、
風も雲も、どんと力強くなってきた。
今日は昼間、渋谷の街を歩きつつ
「黒姫の山中では、紫陽花の青が暗い林道のなかで
浮き立っているだろうなあ」
と、遠い目になってしまった。

夏は、やはり特別な季節だ。
前回の日記を「心の筋肉つけろよ」と結んだが、
心も身体もぐんとのびるときだ。
夏休みっていいひびき。
40日も休みなんだからね。
「2年間の休暇」はやりすぎかもしれんが。

タイトルに緊張の夏と書いたが、
これはもちろん、某有名蚊取り線香のCMのパロディである。
確かに今年の夏は電力不足と原発という
暑さを倍加させるストレスがまちうけている。

しかし、ラボの夏は粛々と進んでほしい。
それぞれの子どもたちにとって、5歳には5歳の
13歳には13歳の夏。
それは一度しか体験できないのだから。

「緊張の夏、ラボの夏」というコピーを見て、
クスッとした人は、そうとう昔からラボに関わっている人だ。
もちろん、いまだって、
キャンプも国際交流も安全の確保は最重要課題だが、
交流のシステムができる過程では
いろいろな緊張があった。

幸いなことに死亡事故は、キャンプも国際交流も
これまで一件もない。
これは参加者数からいえば奇跡に近い。
あたりまえのことだが、すごいことだ。
これも、子ども自身の力を信じつつ、おとなが身体をはるという
ラボの特徴がその要因のひとつだろう。

ぼくがラボランドにはじめていったのは、
1974年の正月あけのウィンターである。
今思えば、それがラボとの出会いだった。
そのころ、大田区と横浜市緑区でパーティをされていた
故・末テューター(お嬢さんの北原テューターが関西で活躍中)
が親戚づきあいをされていた河原林さんが
大学の先輩で、その方からキャンプを手伝ってほしいとたのまれたのだ。

それからのいきさつは、またの機会にしよう。
しかし、ラボという名前も活動内容も知らずに
ボランティアとして参加したキャンプから
ラボっ子たちやテューターの方がたと知り合いになり
いつのまにかテーマ活動をはじめ、
さらにはなぜかラボに就職し
※そのころは大卒ならかなり就職は選べたのに!
ついにはライブラリーに関わるとは夢にも思わなかった。

ラボにとって、夏はたいせつだ。
夏さぼると、秋しんどい。
事務局もテューターもラボっ子もおなじ

この夏も青春の日付変更線をこえ
それぞれの地平線白書をかきかえ

あたらしい自分と出会ってほしい。
そう心から思っている。
Re:緊張の夏、日本の夏、ラボの夏 ふうふう更新(07月01日)
リトルプリンスさん (2011年07月04日 15時24分)

SENCHOさんの「緊張の夏、日本の夏、ラボの夏・・」のタイトルを見
て、クスっとしてしまった一人です。(ラボ年齢はミドルエイジくらい
ですけど・・)
夏は、「夏休みしたい~」と思ってしまいますが、「夏さぼると、秋し
んどい。」という事にも納得です。

言われてみると、休みが多いと、感覚が失われてそうで、立ちあがりが
とても大変です。

また、子ども達も夏にキャンプなどで、ラボ活動のエネルギーを充電し
ている子とそうでない子は、後々の活動にも影響しそうです。

新刊ラボライブラリーのテーマが決定されてから、刊行まで、結構短い
期間なので、「できるのかなあ~」といつも心配していましたが、制作
局は、夏中頑張っておられたのですね。
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