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猛暑だけど夏の終わりの予感。薄紫の貝殻を耳にあてて、あの日の想いをたどる 08月10日 (水)
だいば
上の写真は「沖縄美ら海水族館」で、大水槽を内側から拭くダイバー。
この巨大な水槽を支えているのは
ガラスではなく厚さ60センチのアクリル板である。
うすい板を何枚も貼り合わせ、
かつ高い透明度を保っているからすごい。
しかし、透明度そのものでいえばガラスにはかなわないので、
しょっちゅう人力というかマンパワーで拭かねばならぬ。

さても
立秋を過ぎて残暑である。いや、「惨暑」といったほうがいかも。
涼しげな写真をならべてみようと思ったが、
アルバムをさがしても意外に少ないのでびっくり。
やはり、撮影者が暑苦しい性格なので仕方がないか。
まず、本文のみならずタイトルからして長い。
なおかつ、タイトルから内容が類推できない。最低。

そういつつ、タイトル、題は、じつはとってもたいせつである。
小説にしても、映画にしても戯曲にしても、絵画にしても。
はたまた、歌にしても、器楽曲にしても、雑誌にしても
とにかくタイトル、表題は肝腎要だ。

タイトルはキャッチコビーと同様に
特別な抽象力が必要だ。
かつて「ことばの宇宙」で物語大賞という、
ラボっ子から創作物語を募集した時期が数年間あった。
※そろそろ。またやってもいい気がする。

カレンダーの絵のようには、たくさんはこなかったが、
それでも毎年数十点の応募はあった。
そもそもはじめたきっかけは
物語をつくりたい! というレディネスは
ラボっ子のなかにぜったいあるという確信。
その企画を『大草原の小さな家』の日本語を担当していただいた
詩人・脚本家の川崎洋(1930-2004)先生にお話したら、
「わたしでよかったら、コメントしましょう」と
監修と審査を快諾してくださった。
先生は児童詩の指導や研究もされており、
子どもの発想力、ことばの力を応援していたので
お願いしてみたのだ。
先生は横須賀にお住まいで、いつも打ち合わせは京急横須賀中央駅の
喫茶店(名前おぼえてないよ)だった。
先生にとっては地元であるが、
いつも端正にジャケットにタイできちんとされており、
「先生、お飲み物は」とたずねると
常に「ぼくはオレンジジュースをいただきます」
とおっしゃられた。
マンゴー
で、上の写真はオレンジではなくマンゴージュース。
五月に沖縄にいったときに撮影したもの。
場所はサミット会場になったブセナテラスのコテージのラウンジ。
美ら海にいく前にごちそうになったが、とっても美味。

さて、タイトルの話にもどる。
前述の物語大賞には、なかなかすぐれた作品もきて、
特大号で発表した。
しかし、優秀賞や入選はでたが、とうとう大賞は該当作がなかった。
この企画は諸般の事情で数年で終わったが、
ラボっ子の物語づくりへの思いは確認できた。
もっとも、昔だって、今だって
「先生、『ワフ家の金曜日』つくってきた」とか
「『だるまちゃんのつづき』をかいたよ」
なんて話はいっぱいあったし、あるよね。

そんな物語づくりが好きなラボっ子でも
タイトルをつくるというのは、なかなかむずかしい。
さっきいったように特別な抽象力がいるからだ。

小説家はおおむね自分でタイトルをきめるが、
新人のころは、編集者がつけたタイトルのおかけで売れた!
なんてことはよくある。
経験豊富な作家でも、「タイトルはまかせるよ
いくつか案だして」という人もいるようだ。
片山恭一氏の『世界の中心で、愛をさけぶ』も
当初のタイトルは『恋するソクラテス』だったが
編集者の助言でこのストレートなタイトルにしたら
320万部の大ヒット作になった。
いうまでもなく「名は体をあらわす」だから
タイトルは絶対自分でつける、という作家は正しい。

だけど、文筆とい仕事は、自分自身もそのはしっこにいたし、
今も、のたのたへばりついているから、よくわかるのだが、
書くという仕事、売るという仕事、宣伝するという仕事、
さらに最近では「プロデュースする」というよくわからん仕事
などに、かなり分業化が進んでしまっている。
出版自体は、かなりきびしい構造的不況で
「売れなくても、だすべき本」はがんがん消滅している。
その典型例は、文庫本。
古典的な名作、たとえばショーロホフの『静かなドン』などは
文庫では読めない。
岩波書店などは、かなりがんばってはいるが
それでも、『センダックの絵本論』(脇・島 訳)なんていう名著が
なんと絶版だ。
『ロージーちゃん』を出したとき、参考図書にしたくて岩波に
リクエストしたら、「品切れ状態で、増刷計画もない」
※絶版とは口が裂けてもいわない。プライドだね。

というニベもない返事。
岩波の著作権室には、じつにじつにお世話になったので
悪口はいいたくないのだが。
このときは、なんで! あんないい本をとガックリきた。

と、ここまで書いて、アマゾンをチェックしたら
なんと新品で2冊在庫がある!
すり直したのか岩波さん!
それは、わからないけど、
もってない人、この本は絶対買いだ! 3150円。

おおさわぎしたが、マジな話、本の未来はきびしい。
雑誌だって、付録売ってんだか、なんだか!

かつての「SWITCH」のようなぶっとんだマガジンででこいや。
実にガッツとセンスある特集をくんでいた。
バックナンバーを図書館で読む価値おおあり名古屋。
そして、この「SWITCH」のアートディレクションをされていたのが
近年のラボ・ライプラリーのテキストのデザイン担当者
坂川栄治氏である。
いつかも書いたが、日本で三本の指に入る装丁家であり、
グラフィックデザイナーだと思う。

とにかく、今はでかい本屋もランキングをコンピューター管理して
その指示で書棚や平積みを管理している。
ほとんどコンビニ状態。
才気あふれる作家と、ねばり強い編集者と、
権力にまけぬ根性のあるデスクと、
本が好きな本屋のオヤジがいれば、
いい本が売れて、そこそこご飯が食べられた時代は遠くなった。

さて、昨日の続きを書こうとしていたら、なぜか
ずいぶん前の状態にもどってしまった。
要するに昨夜、日韓戦を見ながら書き込んだ部分が
全部ぶっとんでいた。
とっても凹む。

気をとりなおしてタイトルの話にもどす。
ラボ・ライブラリーでもタイトルはたいせつ。
そして、なかなかめんどくさい。
オリジナルの場合はわりと自由に考えられる。
また、再話も実際はオリジナルに近いから、
これも自由度が高い。

タイトルのつけ方は、いろいろあるが、
基本としては、
・ことばのリズム、いわゆる語呂がよい。
・インパクトがある(個性的・刺激的・詩的)
・内容を期待させる、あるいはいい意味で裏切る。
などがあろう。
かつては9文字から12文字くらいまでが
覚えやすくてよいといわれたこともあるが、
最近では前述の「セカチュー」や「もしドラ」
(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネージメント」
を読んだら』)などのように
短縮形ができて流行語化することをねらって
わさわざ長いタイトルにすることもはやりのようだ。

ことばを短くしてしまったり、
いいやすくしたりするのはは、ある意味、日常言語では
よくおこることだから、
ある程度は仕方ないと思う。
「新しい」も本来は「あらたしい」なのだが
いいにくいので、「あたらしい」という誤用が正しくなった。
日本語のみならず、英語でも、
YesがYaになったりは序の口で
会話でもひんぱんにAbbreviationがつかわれる。
公式機関でもNASAや、CIAなどは
制覇機名称でよばれることは少ない。
そして、この略号はマス・メディアの発達とリンクしている。
なぜなら、新聞の見出しにしても、
テレビやラジオの尺にしても、
短いほうがかせげるからだ。
ちなみにNASAの悪いジョーク。
NASA=NIPPON AMATEUR SPACE ASSOCIATION

それはともかく、短縮といえば衝撃的な体験がある。
!983年、ラボ国際交流でアーカーンソーとルイジァナの
2州を担当したときのことだ。
ルイジアナ、バトンルージュ郊外で
地元の方の案内で黒人奴隷の集落を保存した
記念公園を見学にいった。
南部のStickyなモアッとする暑さのなか、
過酷な生活を強いられていた
さまざまな施設が、じっとおしだまっていた。
背の低い木製の白いフェンスは
洗濯物が干せるように先端がとがっている。
小屋とようやくよべる寝食の場には、
それで生活のにおいがあった。
Sick House すなわち病を得たときに隔離する
あかりとりのない小屋には胸がつまった。
イスが10脚、黒板らしき板があるだけの学校では、
知識への渇望、学びへの飢餓に貫かれた。
それでも、子どもたちは学ぼうとした!

しかし、なによりおどろていたのは教会である。
屋根の上の十字架で判別できた。
なかには小さな説教壇と左右4列の長イス。
イスの背には落書きが無数。
ほとんどがかすれていて判読不能だが、
はっきりと読めたものがあった。

Y REKON ANY GOD IN THIS CHURCH.

YOU RECOGNIZE ということだ。
YouをYまでちぢめてしまうのは南部の黒人社会では
よき見られたと案内の方にきいた。
Cを音の通りKと書き換えるのは、そうめずらしいことではない。
いまではあたりまえにつかうOKも、
もともとはシカゴの記者連中が
All Correct =すべて正しい
という記事の確認を伝えるための略号だったという。
綴りのとおりならACだが、
それでは意味がピンとこない。
そこで音の頭をとってO K としたのだ。
そのほうが、音で聴く場合はAll Correctを連想しやすい。

このへんが英語のおもしろくも変なところ。
Schoolも音で綴ればどうしてもSkoolだもんな。

さて、短縮つづきでいえば
いまだに『ロミジュリ』とか『アリキリ』とか
いってませんか?
なんか、OBの苦みたいでいやだが、
大昔、まだラボに入社しようかどうしようか
まよっていたとき。
らくだ・こぶに氏から酒席であることをいわれた。

当時、ぼくは大学四年だったが、
週に一度テーマ活動をしに
ラボセンに通っていて、それ以外にもキャンプや行事の
企画に首をつっこんでいた。
ぼくは、その1年ほど前のキャンプで
氏が詩人谷川雁であるとしらずにかみついて、
命知らずな若者と思われていたたが、
氏がその度胸が気に入ったのか
こんな無謀な青年は手なずけとかないと、
なにをするかわからないと思ったのか、
たまに活動でがんばると、「三沢、飯いくか」
と声をかけてくれた。
そのころは、もうぼくは氏が何者かわかっていたが、
「はい、いただきます!」とホイホイついていった。
なにか学べるチャンスだと思ったからね。

酒席だから、話はとびまくる。
しかし、たしかに文について創造について
貴重な話をきくことができたことはまちがいない。
氏に直接、ぼくの文を見てもらったこと数度しかない。
最初は、詩というか歌詞だったが、
氏はひとこと「なかなかいいが、秋は近いとはいわぬ」。
それにぼくがかみついた。
次は、なんと今だからいうが、
「三沢、ラボの新入社員をそろそろとらねばならぬ。
(1975年ごろラボはほとんど新人採用をしていなかった)
しかし、ふつうの入社試験ではおもしろくない。
君が募集要項を書いてみたまえ」
例の長身から見おろすように一方的。

で、なんか変だなと思ったが書いてもっていった。
書くほうも書くほうだなあ。
すると後日、「読んだ。君は表現をあせりすぎるな」
と、それだけ。
ぼくは、カーボンの複写を何度も読み返した。
その意味は、いまだによくわかっていないので、
抑制のきかないこうして書いている。

さて、話を件の酒席にもどす。
そのときは氏とぼくともうひとりだれかいたと思うが
氏は宇宙と量子論についてひとしきり過だったあと
いつもは飲むときも背すじをのばして威厳をたもっている氏が
ふと、背中をすこしまるめて
「しかし、『ロミジュリ』とか『アリキリ』とかいう略称は
つらいなあ」
とぼくにむかっていった。
ぼくは、ドキ! というか、あたりまえのように
そうした短縮語をつかっていたからだ。
こうした語は、隠語である。
MSもある意味、隠語だ。
隠語は仲間内にしか通じない。
それはある意味、同志であるという快感だが、
組織を閉鎖していく。
業界用語とはそんなものだ。

それにしても作品名の短縮は作者にしてみればつらい。
タイトルもふくめて作品だもんな。
苦労して身支度ととのえて元服させた子どもが
「よっちゃん」とか「にこたま」とかよばわりされたら
それは、泣いてしまう。

で、タイトルの話のつづき。
ライブラリーの場合、英日だから、
・できれば意訳じゃないほうがいいが
・やっぱりわかりやすく、響きがよくないと
・あんまり長いとこまる
みたいなことでタイトルをなやむ。

個人的には『わんぱく大将トム・ソーヤ』なんかは
英語も日本語も、再話作品であることが明確であるし
子どもによりそっていて(でも媚をうっていない)
いいタイトルだなあと思う。

では、自分でつけたタイトルはとふりかえると、
意外と少ない。
まあもいわゆるオリジナルは、そう多くないからね。
『十五少年漂流記』は、もう最初から日本語タイトルは
この古典的な名称にきめていた。
現代はDeux Ans de Vacances 『2年間の休暇』。
このフランス語タイトルは響きもいいし、
中身をみせない色気がぁっていい。さすがヴェルヌ。
しかし、森田思軒のモコをちゃんと
メンバーの一人と認知した「十五少年」がいい。
『2年間の休暇』はちょっとよわい。
英語のCastaway Boysは、も鈴木小百合さんが
びたっと、だしてきた。
映画に「流されて」というのがあり
その原題がCASTAWAYなんだそうだ。

THE SONG OF THE SALMONは、はじめ
THE SALMON SONGだった。
Sの頭韻をふんできもちよいが、短かすぎてすわりがわるい。
悩んでいたらニコル氏のほうから、
今のタイトルにしようと提案があった。
ぼくとしては、日本語タイトルはいらないくらいと思ったが
ライブラリーでは、そうはいかぬ。
だが「サケのうた」ではタイトルにならぬ。
悩みまくって
訳仕しこみ過ぎだが、「サケ、はるかな旅の詩(うた)」。

英語やフランス語、イタリア語などの横文字の原題は
おおむね、抑制がきき、シンプルで中身を隠したものが多い。
日本語訳タイトルのほうが派手目になる傾向がある。

古い作品ほどそうかも。
グリムの『はだかの王様』も、たいていの国のタイトルは
原題にそった「皇帝の新しい服」。
※中国語版も「皇帝的新衣」

ただ、日本は古くから年少の読者を意識して
「はだかの王様」。
うまいタイトルだが訳対応無視。
『はまなのすきなうし』も原題無視。
でも、光吉夏弥先生や石井桃子先生などの
開拓者のみなさんは
欧米のすぐれた児童文学や絵本を紹介するとき
年少の読者への配慮を十分に考えて
訳し込んだタイトルにされたのだ。

原作者のマンロー・リーフは
フェルティナンドが鼻を愛する牛であることは
すぐにわかることを承知して
タイトルでは「フェルディナンドの物語」と
固有名詞にこだわり、後は読み手の想像力にゆだねた。
「子どもの目線までおとなはのぼらねばならない。
見下ろしたり、下ってゆくのではない」と
語ったリーフの思いがわかるタイトルだ。
しかし、日本の絵本として考えれば
そのタイトルではとどかない。
だから、ラボ・ライブラリーが英日であることの意味は
タイトルにおいても多角的に作品とむきあうために
とっても重要な事項である。

タイトルの英日乖離の例の好例は映画だろう。
欧米の映画のタイトルも原題は基本的に抑制がきいている。
好きな映画ではないが
ノルマンディー上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」の
原題は The Longest Day
リチャード・ギアをスターにした
『愛と青春の旅立ち』は An Officer and a Gentleman
※たしかに映画のなかみは英語のとおりだ。
これなどは苦肉の作がヒットした好例。
おかげで、その後「愛と青春のボレロ」など
愛と青春をつけるとヒットお約束みたいな流行になったくらい。
どうでもいいけど、ハリウッドスターは軍服が似合うかどうか
というのが、けっこうイニシェイション・通過儀礼的。
軍服に対する違和感が日本のようにないし、というより
リスペクトがあるんらね。
ほへくの友人の弟が自衛官で
アメリカに会議ででかけたとき
昼休みにハンバーガー屋にならんでいたら
チーフみたいな人がでてきて
「あなたの席は別にある」と奥の個室に通されたそうだ。

なんか、今回も抑制がなく長くなった。

ぼくは、大学を1976年の6月に卒業した。
4年と1学期在籍しのだ。
どうじても3月から4月にかけて
学士論文のための再調査をしたかった。
新潟県の松之山という日本でも有数の豪雪地帯である。
そんなわけで大学にお願いして
9月に入学した海外の学生といっしょに
6月卒業にさせてくださいとたのんだらOK(でた)になった。

卒論のしめきりき6月12日である。
そこで、1日余裕をみて11日に提出。
その帰りにラボセンターによった。
昔の東京医大の前のラボセンである。
エレベーターほおりると、
ぐうぜん、らくだ・こぶに氏にばったり。
「おお、三沢か。大学どうした」
「今日、卒論提出してきました」
「そうか、じゃあ明日から来れるな」
「…卒業式はでてていいですか」
「その日はスケジュール表に『直行・卒業式』と書きなさい」

だから、ぼくがラボにはいったのは
6月12日である。
35年前の夏の直前だった。
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