幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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今、朝焼けに燃えている、あの光る山をこえて海へ 悲しいから笑うんだ 08月25日 (木)
夜景2
写真は横浜、みなとみらい21の夜景。
パンパシフィック・ベイ横浜東急ホテルの23階から撮影。
下は同じ方向を翌朝撮影。
みらい
ひさびさの更新である。
今月は遠出をしなかった。どこにいっても暑いし混んでるし…。
というより、遠くの仕事を入れなかったせいもある。
しかし、バタバタの葉月であった。

予期せぬことと、予期はしていたが、
ああついに、というできごとが重なったのだ。
どらちもBAD NEWS。
今月はじめの定期検査(血液検査)では
腫瘍マーカーや生化学などをクリアしていたし、
7月の父の三回忌と祖母の三十三回忌も無事つとめたので
後は、夏をやりすごすだけだと思っていた。

やりすごすといったのは、暑さだけではない。
夏は長年しみついた習慣から
遊びにいくことが考えられない。
ラボにいた34年間、キャンプにいるか
国際交流で海外にいるか、新刊制作でスタジオに缶詰か
そのいずれかであった。
だから、まず、東京の猛暑を体感したのは一昨年が
およそ30年ぶりである。
キャンプでは、コーディネーターも大統領も村長も
数えきれないほどつとめた。
また、いまは中断しているメキシコ交流や
第一回ニュージーラント交流の団長にもなった。
と思えば、夏のあいだじゅう、
ほとんど窓のないスダジオで山師のごとく
まだ見ぬ物語をまさぐっていた。

それらは、それぞれ意味合いはちがうが
いずれもかなりの緊張を強いられる仕事である。
それがない仕事など、創造性の放棄だから
当然のことなのだが、
あのヒリヒリとする、命のやりとりにも近い時間が
生きているという実感そのものであった。
要するに、立派な病気。
傭兵、職業軍人といっしょ。
彼らは火薬や血のにおいや、命のやりとりのない日常には
すみつくことができないという。

もう、締め切りにおわれることもないし、
誤植におびえることもないし、
みずからのことばの弱さ、想像力の貧困さに
うちのめされることもないし、
シニアやスタッフ、そしてキャンパーの怪我や病気に
心をしめつけれるこもないし、
ホストファミリィからの電話でとびおきることもない。
もう、おまえは十分やったと自分にいいきかせているのに、
ラボから離れ、自分の道を勝手に歩いているはずなのに、
この季節だけは、だめなのだ。
自分のなかにいる、恐ろしい顔をした野生の荒馬が
心の奥のほうで、はげしくいななき身をよじる。

さいしょは、なんだかわからない。
でも、夏がすすむとそのいななきは、
はっきりとした責めのことばになる。
「許せないのだ!」
馬はさけぶ。
「だれを許せないのだ」と問いかける。
「おまえだよ。ぬくぬくと、安全なところで
小さくなって惰眠をむさぼっているおまえが許せない」

この荒馬をなだめるすべは、
いまとなっては、必死に勉強かるくらいしか方法がない。
この馬が出現しはじめたのは昨年の夏くらいからだ。

夏は緊張がないとだめなのだ。

さらに、ラボの夏はまた、すばらしい出会いや感動がある。
これは、その緊張のごほうびかもしれない。
その宇宙にいない自分がどこかさみしい。
だから、夏はやり過ごすしかない。

ともあれ、前述したように7月は法事と函館取材で
なんとかのりきった。
しかし、8月をどうやり過ごすかといったときに
冒頭に書いた悪いできごとが重なった。

ひとつは、夏前から容態思わしくなかった義父が87歳で他界した。
およそ四年の闘病で本人もQOLにこだわり続け
緩和医療がうまくいって
あまり苦しむことはなかったのがせめてもだ。
義母(元ラボ・テューター)が一昨年の10月に急逝したが、
その命日まではもつかと周囲は考えていたが、
16日の朝に急変し、その日の午後亡くなった。
いつものごとく母の夕食をつくろうと
スーパーの袋をかかえたまま三澤制作所の裏口の
鍵をあけようとしたとき携帯がなったのだ
夕方に対面したが、おだやかでホッとしたお顔ですくわれた。

また、夏はさらにせつない季節になってしまった。

通夜はどしゃぶりだったが、
告別式は雨があがって涼しく、
父の葬儀のときとおなじように遠い蝉時雨が…。

そして2年ぶりに嫁いだ娘とその夫にあった。
娘は多くの弔問客のなかで緊していたようだが
「元気そうだな」とだけいうと
少しやわらかな口元になった。
ぱしふいこ2
ほーる
さて、上の二葉の写真はどこでしょう。
なつかしさや、ラ40周年のフォーラムや子ども広場が行なわれた
パシフィコ横浜である。
上がメイン展示場と会議場、下があの宮沢コンサートが行なわれた
国立大ホールだ。
ありから、もう5年。

さて、もうひとつのバタバタの要因は、
マネージャーの負傷である。
旧盆の土日、ご母堂をつれて北上に墓参にいき
帰りの新幹線に乗る前、
親戚に駅の駐車場まだ送ってもらい降りた直後のこと。
母親が軽い熱中症でたちくらみし、
マネージャーにつかまったが、
おそるべしエネルギー保存の法則。
そのいきおいで、いつしょによろけたところに側溝があった。
結果は左足の脛をベロっとすりむき、
左手首の尺骨にちょっとひびが入った。
ギブスはまぬがれたが、弾性包帯で固定。
右手はつかえるが超不便。
日曜日の夜電話があり、
「おお、おかえり」といったら。
「ボス、もうしわけない。骨にひび入りました」
「えっ」

その2日後に前述の訃報。

そりゃ、バタバタしますがな。
夜景1
なんか話が暗いので、暗いついでにインターコンチの夜景。

 さて、プライベートなことばかり書いたので
おわびがてら名言集。
これは、ぼくが出会った、いろいろなすばらしい人のことば。
なにかのネタになれば幸い。

「父にラボの仕事をするといったら、
『ラボ? あそこは老舗だぞ。お前でだいしょうぶか』
といわれました。プレッシャーですよね」
 作曲家・谷川賢作氏=『寿限無』の音楽録音前のスタジオで。
※『フレデリック』のときは、
俊太郎氏はラボのために英日対応がしやすいように
快く新しい訳をつくってくださった。

「教育の基本は模倣からはじまる。そして人から人へ手わたしするもの。
日本はある時期からそのことをやめてしまった。
だが、ラボは続けている。それがラボの音楽を書く理由のひとつです」
 作曲家・間宮芳生=自宅、夕方のやわらかな陽射しのなかで。

「ほんとうに新しいものは、ひとつしかない」
「抽象とでたらめはちがう。わけがわからなくても、
なにかが表現されていることがたいせつだ。
自由にさせてくれるラボの仕事はいいよね」
 画家・靉嘔=霞ヶ浦の光る湖面を見つめながら自宅アトリエで。

「ラボの活動はいい。映画やテレビは手間がかかるけど
テーマ活動は、ひとりでもふたりでも、今すぐにでも始められる」
 劇作家・ロジャー・パルバース=京都、金閣寺近くの路上で。

「えっ、演出家がいないの! すごい!」
 翻訳家・鈴木小百合=はじめてテーマ活動を見た後で

「子どもの歌とばかにしてはいかん。
とくに伝承歌には、西洋音楽の基本である美しい和声がはいっている。
編曲は、それをひきだせばいい。これはいい仕事だ」
「もう一回。Bの第10小節からはスタッカートで。
そのほうが、子どもたちがゲームをしやすい」
 作曲家・故広瀬量平=We Are Songbirds μの録音のとき、早稲田のスタジオで

「ラボっ子の絵ってやさいよね」
 絵本作家・おぼ・まこと(『太陽の子パエトン』の絵担当)=ラボ・カレンダーの
審査で

「ラボのカレンダーの絵を仕事場の天井にはってる。
スランプになると寝転がってそれを見る。
すると、『ちくしょう、こいつらがこんなにすごいのに』と
むらむらと闘志がわいてくるんです」 
 絵本作家・宮本忠夫=打ち合わせで

「ラボの賢治だったら、他の人には描かせるわけには
いきません。全作ぼくに描かせてください」
 画家・司修=賢治作品の依頼にいったとき自宅で。
※事前の電話では、スケジュールがいっぱいなのでとても無理だが
話だけはきいて、1作くらいはできるかもというお返事だった。

「江守徹さんがおっしゃってた、『たいへんだけど、おもしろい仕事』
ってこれだったのね」
 女優・市原悦子=『フレデリック』の収録直後の調整室で。

 みんなすばらしい方がた。
一流の人ほど腰が低い。

 また、思い出したら書いてみる。

さて、この長い日記のタイトルはなんだったんだ!
まあ、ゆるしたまえ。
夏をやり過ごしながらも、
三蔵法師のように
とりあえずは前へ。

笑いながら荒野へ一歩ふみだそう。
ラボの夏が無事に終ったことを
静かによろこびながら。
Re:今、朝焼けに燃えている、あの光る山をこえて海へ 悲しいから笑うんだ(08月25日)
HITACHIさん (2011年08月25日 20時39分)

身近な方がの訃報に接してさぞお寂しい事でしょう。
お義父様は去年離れた奥様のところへ逝かれたのでしょうか。
仲良しのご夫婦だったのですね。
どうぞお力落としの無いように。お悔やみ申しあげます。

諸々のライブラリー制作時に出会ったタカラのようなことばの数々。
「落穂ひろい」の様なSENCHOさんの記録。
その様な日々から離脱してからも、自分を追い込む(?)如くの感情の
ゆれ、そこから生まれたものが数々のライブラリー。

子供達がたくさん持っているライブラリーに、いかにそれぞれの子が出
会って心に取り込めるか、これからも一緒に歩んで行こうかと改めて考
えさせられました。
ありがとうございました。
現場は夏の暑さの名残り
ひーろよりさん (2011年08月26日 15時08分)

中1、中2そして高Ⅰ、男子5名の国際交流も無事に終わり、今からは
事後活動・・・ここからの活動がまた彼らのラボ人生いいえ、彼ら自身
の人生そのものにかなりの影響が出る。
≪テーマ活動と交流をベースに国際交流まで≫と必死になった40代の
私のラボが懐かしく思い出されたSENCHOさんの日記でした。

東京にも通いました。これがまた≪別のラボの現場≫と目を見張ったも
のでした。
少し流れに変化が見え出したラボでもあります。

けれど現場は変わらない。日々Tutorとラボっ子とテーマ活動、そして彼
らの日常生活との行ったり来たり、ラボっ子ファミリーとの行き来もそ
のかなめ。必要以上の介入はならない。日々、緊張でもある。いつまで
続くこのtutor人生… Tutor一生、修行???との名言は杉浦先生だっ
たか。

そうこうしている間に次年度の国際交流参加者確認書類が入った。

楽しくもあり、忙しくもあり、時間がもっとあれば…などとつぶやく。
といっている今、ラボOGの訪問、留学したのはいつだったか。
とまぁ、こんなつぶやきもHappy な毎日。
また、書き込みます。
Re:今、朝焼けに燃えている、あの光る山をこえて海へ 悲しいから笑うんだ(08月25日) ・ ・
あっこちゃんさん (2011年08月28日 11時43分)

初めて書き込みさせて頂きます。
埼玉県鴻巣市で小さなパーティをしております。
夏が無事終わる、少ししみじみとしているときに
すてきな日記を目にし、HPの星々からの贈り物のように
励まされました。
SENCHOさんにとっては悲しいことがあった夏なのに、
それでも輝きを分けてくださってありがとうございます。
職業病 ・
なないさん (2011年09月09日 18時37分)

ギリギリの限界点に身を置く事でしか得られない、
生きているという実感。

そんな船長さんのお話を読んで、昔のマンガを思い出しました。
新谷かおるの「エリア88」です。
もしもご存じなかったら、気にしなくても良いです。

でも人並み以上の経験をしてきた人が、人並みの生活で満足するのは
難しいのでしょうね。
個人的にはそんは経験はありませんが、船長さんの気持ちはお察しします。

そして、たくさんの方々の素敵なことば。
心が温まります。
ありがとうございました。
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