幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ふときづいてみると僕たちは、やさしいことばになっていた。秋、心の地図をぬりかえて 09月12日 (月)
にほんまる
昨日は、ぐちゃぐちゃの書きかけで寝てしまった。
反省。ようやっと更新である。
写真はまたまた横浜、みなみとなみらい21。
なぜか、最近はこの近辺の仕事が多いのでしょうがない。
桜木町駅からランドマークタワーをすぎたあたりからの風景。
左かすかにパンパシフィック横浜ベイ東急とパシフィコ。
中央に横浜グランド・インターコンチネンタルホテル。
そして右はしに日本丸。
本音をいうと
元町とか馬車道とか山下公園とか
横浜美術館(いまトリエンナーレやってる)とか、
山手のほうとか外人墓地とか、
いわゆる横浜っぽいところを撮りたいのたが…。
ただ今週は、うまくすると海からの薄暮の横浜撮影できるかもしれぬ。
それを可能にする撮影技術があるかどうかだが。

かつて多くの航海練習生を育てた日本丸。
いまはメモリアルパークに展示され、もう海にでることはない。
自分のことのように、いとおしくなってしまう。

さて、前回、ライブラリーや機関誌をつくっているときに
出会った方がたからいただいた、ちょっと「いいことば」を
落ち穂拾い的に羅列したら、予想外に反響があった。
だったら、忘れないうちにまた少し書いておこうかな。

「ぼくも、ひとりのゴーシュです。音楽で学ばねばならないことは
いっぱいあります。みなさんも、物語が学ぶことは多いはず」
林光=作曲家・宮沢賢治作品の音楽録音のスタジオで。

「この絵本、ぜんぶください!」(ラボの絵本を見て)
「ウェールズまで、わたしもいっていいですか。切符とっちゃいました。
光とか風とか色とか感じて描きたいから」
永山裕子=画家・『はだかのダルシン』の絵のうちあわせの夕方、
渋谷東急プラザの喫茶室で。

「へんな話のほうがおもしろい。『ごろごろにゃーん』なんて最高ですよ。
長新太さん自身もへんな人だけど。なにこれ? くらいじゃないと」
小野かおる=画家絵本作家・ラボのお母さんたちとの取材で。

「ラボのテューターの人たちって、なんであんなに熱心で、
そして勉強家ばかりなんでしょう。子どもたちは幸せですよね」
牟岐礼=作曲家/東京芸術大学教授・講演会の後で

「乾杯の前に長いあいさつする奴は殴られてもしょうがないけど、
みなさん、ちょっときいてください。
すばらしい絵と音楽のおかけで
すてきな作品を子どもたちにとどけられます。
ラボはふつうの英会話の会社じゃありません。
芸術的な物語でことばを学ぶことをしている教育組織です。
ほくは、そのための作品をかいたこと、そしてみなさんと仕事を
できたことをほこりに思います。ありがとう」
C・W・ニコル=作家・バンクーバーの日本式居酒屋にて
『サケ、はるかな旅の詩』の音楽録音のうちあげで、
音楽家や画家やスタッフに対して。外では静かな春の雨がふっていた。

「ぼくらの絵を見て、子どもたちは『うまいなあ』と思うだろうけど
子どもたちの絵を見て、ぼくたちプロは『すげえなあ』と思う。
そういう関係です」
本多豊國=画家・「ラボ・カレンダーの絵」の選考会で。

「プロなら、きみはジュリエットのイメージじゃないけど、
ジュリエットの人生と出会う経験もだいじだからやってみるか、
なんて、いうことはできません。でも、ラボのテーマ活動は
まさにそういうことができる。だから、いろんな役に挑戦してください。
挑戦する子どもに意味があります。教育でしょうから」
出口典雄=演出家・シェイクスピアシアター主宰

「やったー! 終わった! さあ、釣りにいける」
「見えないものを見ることがたいせつですよね」
村上康成=イラストレーター・"We Are SOnbirds μ"の絵が描きあがって
国立駅前の喫茶店で

「『ロージーちゃんのひみつ』をラボで? いいじゃないですか。
ロージーちゃんて、想像力と行動力があって
ラボっ子そのものみたいでしょう!」
吉田新一=英文学者立教大名誉教授・軽井沢の自宅から電話で

「頭ごなしにしかっても子どもは萎縮する。
だけど、ほめて育てるとうことが、ぼくは必ずしもいいとは思いません。
ほめられるために努力する子、おとながこうすればよろこぶということを
察知する子になる場合もあるからです。だからむつかしい」
間宮芳生=音楽家・スタジオで

「高松次郎先生、野見山先生、中西夏之先生、元永先生!
なぜ、こんな方がた絵本を! ラボってとんでもないですね。
でも、みんな楽しんで描いてらっしゃる。
そして、子どもむけという意識がない、全力です。すごい!
こんな作品と幼いときから出会えるなんて幸せすぎる」
かみや・しん=絵本作家・埼玉県のアトリエで

「えっ、司修先生が絵をお描きになるの。まあ、よろしくお伝えくださいまし。
それじゃあ、緊張しちゃうわ」
渡辺美佐子・女優=『トム・ティット・トット』の日本語録音前に

「『寿限無』はいわば前座噺です。けして大ネタじゃありません。
でも、親ばかとはいえ、はじめてさずかった子どもへの
無償の愛があふれています。その意味では今の時代に必要だと思います」
林家三平(当時いっ平)=噺家・『寿限無』の打ち合わせで

さても
最近はFacebookで、多くの古い友人や知己、
とくにラボのOB・OG諸君とコンタクトがとれて、
なかなか充実した交流ができている。
ネット上のつきあいだけでもうれしいが、
実際にあって食事をしたりするとまた愉しい。

そのなかで、なにより驚き、かつ喜ばしいのは、
Facebookの書き込みでもメールでも、実際の会話でも、
じつに、それぞれが自分のことばで意見や考えを述べていることだ。
話題は政治・社会・経済・芸術と多岐にわたるが、
もう、わしなんか足下にもおよばぬしっかりとした知識にうらうちされた
深い洞察が感じられる。
そして、ことばもきちんと選択されている。
さらにヒューモアもある。
まあ、主に40代後半から50近くのOBたちなので
当然といえば当然なのだが(いつまでも子どもじゃないし!)、
その力のいくばくかはラボで培われたものだと確信する。

というのは、我田引水ではなく、
かれら自身がラボへの深い共感と
ラボで過ごした青春の日々を、単なる黄色くなった思い出ではなく
きっちりと総括したうえで、ほこりとしてもっていることだ。
かれらが学んだのは、まちがいなく、
「ことば」であり、「考える力」「表現する力」「想像する力」だ。
ことばは未来をつくったのだ。

また、もうひとつうれしいのは、かれらの多くが
お子さんをラボっ子にして、追体験していること。
この夏はキャンプや国際交流にわが子を参加させた親としての
感想やよろこびがFacebookに多数アップされた。

断っておくが、ぼくはFacebookのエンヴァジェリストではない。
ただ、ツィッターとちがい、文字数制限がなく
実名性と、プラペート情報をコントロールしやすいのが
いまのところ気に入っている。
人口でいえば、中国、インド、Facebookである。
ちなみにぼくのアカウントは三澤正男、もしくはMICK MISAWAである。

たわー
さて、上のちょっと小さな写真は建設用の足場である。
すわっているあやしげな若者たちは
わがICUフットポールテーィム・Apostlesのコーチ陣である。
通称タワーとよんでいるが、
フットボールは鳥瞰で見下ろさないと展開がわからないので
スタンドの上やこうした足場の上から戦略をたてる。
ここから有線や無線のインカムで下のコーチや監督に
状況をつたえるのだ。
よく見ると、そのあやしいコーチ陣のうえにまだ人がいる。
これはVTRや写真の記録をとっているのだ。
フットポールは、こうした記録や分析がたいせつ。

ところでこの足場。映画界では「イントレ」とよぶ。
無声映画の傑作「イントレランス Intolerance」がそのおこり。
これは1916年、グリフィス監督の大傑作。
四つの時代の物語、それも人間のIntolerance=不寛容をあつかった
ストーリィが同時進行するという壮大な作品だ。
このとき、グリフィスは古代バビロンの街を巨費を投じて
セットで再現し、この足場を組んで鳥瞰で撮影した。
以来、この足場はイントレとよばれる。

そんなウンチクはどうでもいいが、
2001年の9月11日から10年がたった。
10年、decadeは、歴史を考えるための
ひとつの単位というかまとまりといえるだろう。
あの日を、そしてあの日までの世界を
さらに、あの日からの10年をどうとらえるかは、
ある意味、生き方を問われているともいえる。

MITの言語学者ノーアム・チョムスキーは
9.11の後、「小国のそれをテロといい、大国のそれを戦争という」と発言した。
この過激なことばにもアメリカ国内で議論はおきなかった。
チョムスキーはアメリカのマスコミにはほとんど黙殺されているからだ。

いうまでもないが、ぼくはテロリズムを支持しているわけではない。
しかし、テロを生みだす構造や要因を無視して
テロリズムを戦争という、より大きな暴力で根絶することはむなしい。
また、テロによって勝ち取る自由も正義もあり得ない。

ところで、昨日、残念に思ったのはニューヨークでの追悼式典を
ライブに近いかたちで放送した日本の局はBS1だけだった。
まあ、逆を考えれば、日本の平和式典をながながとアメリカで
中継はしないだろうから、しかたがない。
だが、オバマやブッシュのスピーチ、そしてアメリカ市民の
追悼と鎮魂のかたち、思いなどをライブで感じとりたかった。
もちろん、きちんと演出された式典からわかることと、
隠蔽あるいは表面には見えないことの双方があることは承知のうえでいうのだが。

過去に書いたことだが、9.11とその後については
ラボの物語とふしぎなくらいにリンクしている。
2001年の秋は『十五少年漂流記』の制作追い込みであった。
音楽の録音が近づいていて、エンディングの歌を
考えているときにのあの事件がおこった。
そして、一気に歌詞のプロットを書き、鈴木小百合さんにおくった。
あっというまに英語の歌詞ができ、
坂田晃一先生がすばらしいメロディをくださった。
それで、さらにあっとうまに日本語の歌詞もできた。
だから今も「海へ」には、特別の思い入れがある。

そして、『ギルガメシュ王ものがたり』の音楽録音の初日が
アメリカのイラク空爆開始の日だった。
たいへんけわしい顔で間宮先生がタクトをふった。

なお、あの物語に登場するウルクは、
後に自営隊がPKOで駐屯した地のすぐ近くである。

こんなことを書きながら無力な自分にいらだつのであるが、
仕事上、21世紀になってから
ぼくのなかに「ぶれずに」努力してきたことがある。
それは、ライブラリー制作において、
それぞれの作品のテーマとは別に、「未来への希望」を
常に共通するメッセージとして意識していたことである。

ぼくは、ラボっ子に「自ら思索し、自ら行動できる人」に
なってほしいと思う。
そして「行動する者には未来を信じる力がいる」
※これは畑正憲氏のことば

『十五少年』以降、『ノア』、『寿限無』、『ひとつしかない地球』
『ダルシン』『ロージー』※省略系ごめん
などには、まさに「希望」が根底にある。
希望こそが最後の生きる力だと思う。
MGR
さて、写真は試合中、サイドラインでスタンバイすマネージャーたち。
大量の荷物は水や救急用品など。タイムアウトになった瞬間、
彼女たちはこれらをもったままダッシュ。
ほるだ
上の写真はフィールドゴールをねらうとき
ボールをささえるホルダーの勇姿。めだたないが、重要な役割である。
下の写真は、そのホルダーが支えたボールがキックされる瞬間。
きつく

さいごは、めだたたないが重要な役割の写真をならべた。
テーマ活動でも、めだたなくてもたいせつな役割はある。
なんて、あたりまえか。

多くのOB・OGがお子さんをラボに入会させていらっしゃる。
こういうのを世代効果というそうだ。
そのはしわたしをライブラリーやテーマ活動がしている。
そう考えるとほかほかする。
OBたちの二世がラボの未来をつくるのはまちがいない。

横浜のしずかな入江で
日本丸は、いまはもう動かない。
しかし、1930年に進水し、1984年に引退するまで
200万キロ近くを航海し、11500名の船乗りを育てた。
新しい海を見つけるのは、
そうして育った新しい海の男(女)たちだ。
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