幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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はるか高空で硬石のふれあう透明な音がひびく 秋の真ん中で立ち尽くす 10月15日 ()
訃報
夕食のカサゴの煮付けをつまみつつ夕刊を開いたら演劇集団円の俳優、有川博氏の訃報が目に飛び込んできた。享年70歳。すばらしい表現者が、また天に還った。ラボ・ライブラリー『プロメテウスの火』ではプロメテウスを熱演。コーカサス山に縛られる場面では、あまりの声量にレベルメーターが振り切れるほどだった。合掌。
おおやま
秋である。
どうしようもなく秋である。
嘆きがこぼれぬように
だまったまま、うつむいて、
あるいは息をつめて心をしぼりこみ、
できうればその美しさだけを味わっていたい。

この数年では最もおだやかな秋のなかにいる。
このおだやかさが世界に満ちてほしい。

上の写真は先週の日曜日、10月9日に
神奈川県伊勢原市の成城大学のグラウンドから撮影した
大山(おおやま=1252m)だ。
ほとんど偶然だが、光のバランスがうまくいって
なかなか「いいかんじ」のグラデーションになった。
大山は丹沢大山国定公園に属し
その美しい山容ゆえに、古くから山岳信仰の対象になった。
1700年代から信仰登山がはじまり、
大山詣りは江戸時代の庶民にとっては江ノ島詣りとパックになった
お楽しみのひとつでもあった。
古典落語にも「大山詣り」という演目があり
長屋連中がその道中でドタバタをくりひろげ
最後は、女性たちが丸坊主になってしまい
「お山は晴天、みんな毛が(怪我)なくておめでたい」
というサゲでおわる。
今は、どうかわからないが、
噺家の皆さんの初詣は伊勢原の大山が習いだった。

大山に通じる道は数多くあるが、
有名なのは現在の国道246号線であろう。
この道は都心では青山通りなどとシャレた名でよばれるが
渋谷を過ぎて三軒茶屋あたりになると
もう、246(にいよんろく)であり、
大山街道である。
多摩川をこえ、神奈川に入り246はさらに西をめざすが、
ラボでいえば「たま川」地区のどまんなかをぬけて、
伊勢原をめざす。
もっとも多摩川をこえると246はバイパスだらけとなり
旧道はずたずたになっていてわかりにくい。
川崎宮前区の郷土史の研究家にきいたら
渡辺華山がこの道を歩いた日誌を書いているそうな。
首都大学1
上の写真は、ほぼ1年前、八王子の首都大学東京(旧都立大学)で。
そのころの日記にも掲載したものだ。
なんで、わざわざまた載せたかといえば
下のわずか三行の詩を紹介したいためだ。
ぼくの大好きな作品のひとつ。

カチリ
石英の音

-藤 井 壽 雄
(沼中三年)-

この鋭く、かつ透明感あふれる
シェイプアップされきった
体脂肪率ほとんどゼロの作品は
昭和の大作家井上靖氏が沼津中学三年在学時、
友人のひとりである藤井氏が書いたものだ。
この詩はいまも沼津市の妙覚寺境内の
石碑にのこっている。
井上氏はこの寺に下宿して中学に通った。
そして友人たちと海で泳ぎ、山で遊び、詩や歌をつくった。
中学三年といっても旧制であるから、17歳~18歳のころである。

青春まっただなかで柔道一直線(古!)だった井上氏は
この藤井氏の詩に、いたくはげしくインスパイアされ
文学の世界に大きく傾斜していく。
やっぱり、「ことばは未来をつくる」のである。

なんてことを思いながら
一昨日は頼まれ原稿を書きつつ
『ロミオとジュリエット』と『ありときりぎりす』を聴いていた。
そして、ふたつのことを思った。

ひとつは、『ロミオ』の第1話の舞踏会あらしにいく
ロミオ、ベンボリオ、マキューシオの場面。
ペロナの夏の夜。
おそらくは「ぬめっとした、なまめかしい」空気。
Give me a torch.
の場面である。
三人の若者の距離感、さらには青さ、
また石畳の濡れて光るさま、
舞踏会への期待とふるえ、
そんなものが、息苦しいくらいに
リアルにせまってくる。
もちろん、セリフの間とかもいい。
セリフはすべて当時のラボっ子である。
はっきりいって素人。
それもすごいのだが
ささえる音楽が鳥肌ものである。
間宮芳生おそるべし。

ライブラリーの音楽は足し算ではいけない
足し算では説明になってしまう。
かけ算となってふくらませなければ

そのことばがよみがえった。

いまひとつは、『ロミオ』にも『ありときりぎりす』にも
共通する(もちろん、他の作品でも数多くいえること)ことだ。
やりとり、いわゆるカラミの部分のセリフの間と英日の問題である。
ライブラリーが英日という二言語であることは
濃厚なクリームスープのような栄養満点であることの証であり、
聴くだけでも心の滋養になるのだということは
これまでも何度か書いた。

一方、テーマ活動は、ざっくりいえば
言語体験・言語実験(だからラボラトリー)
をくりかえしながら、作品とその世界に接近していくという
教育プログラムである。
そのアプローチの方法が演劇的手法、空間表現的やり方であることが
多いということだ。
この点についても、いくたびか触れた。

だからテーマ活動のいわゆる劇的・表現的完成度は、
最大の目標ではなく、その道筋、言語体験・実験を通して学ぶ
世界や言語そのものが重要なのだと思う。

ラボのテーマ活動を高く評価してくださる専門家は多い、
しかし、一方で演劇的手法で教育活動をしている方がたからは、
二言語での活動や発表にもどかしさ、
違和感を感じるという声をきくことがある。

それはまあ、当然といえば当然である。
スターキィもマキューシオも死ぬという
人生で一回しかできない行為を
英語と日本語で二度するはめになったりするからである。
You only live twice! 007じゃないし!

冗談はさておき、この劇的矛盾は
英日で活動するときの宿命的問題である。
しかし、実際はラボっ子は
かるがるとのりこえている(ようにみえる)。
もちろん、そのなかで英語と日本語を発声しているときの
感情の動きやバランスは、もっと研究してみたいテーマである。
幼い子が英日ワンセットで自然にいうのと
高校生くらいになり、十分にそれぞれを意識して発声するのでは
どのようにちがうのかも興味深い。

ただ、英日という、ある意味不自然な言語世界が
つくりだす広い宇宙が魅力であることはまちがいない。
「机」という語りと「a desk 机」ではあきらかに違う。

また、シェイクスピア作品などは
Blank verse、iambic pentameter /弱強五歩格
のような詩型をもたぬ日本語だけでは
その言語的魅力を味わうのはけだし困難だが
ライブラリーのような英日構造はひとつの興味深い方法だ。

さらにいえば、劇的表現をするときの
もどかしさこそが、テーマ活動の本質であり意味たどもいえる。
それは、二言語の二重表現の違和感のみならず、
雲や風や魔法などの身体による劇的表現が
一筋縄ではいかないことなども含めてのことである。
それらを個人やグループの身体で逐一再現することも
また、削ぎ落として表現しないことも
テーマ活動の過程でラボっ子たちは考える。

すなわち、こうしたもどかしさのなかで
煩悶することもまた活動なのだと思う。
だから「劇をしやすい作品」をしたかったら
学校演劇の台本でいい。

まあ、このことは、こんなお気楽な日記で結論できるはずもない。
書きたいのは、そんな背景をふまえての
録音するときの役者さんの苦労である。

『ありときりぎりす』を例にとる。
冬が近い「ありの城」でのAnt3とAnt1(ありの軍曹的エラソーなやつ
でも、ラストでちょっとかっこいい)のカラミ。

Ant3 Sometimes I wish I was a grasshopper.
   ときにはきりぎりすだったらなあと思いますね。
Ant1 A grasshopper! You must be crazy!
きりぎりす? おまえ気でも狂ったか!

これも何度か書いたことだが、英語と日本語は別に録音し、
あとで1行ずつ、昔はテープを切ってはり、
いまはコンビューターで英日に編集する。

ここで日本語に注目する。
演劇的リアリティからいくと、
Ant3の「ときにはきりぎりすだったらなあと思いますね」
に対してAnt1の感情は
「ときにはきりぎりす」くらいですばやく反応するはずだ。

とくにAnt1は気が短いわけだし、
その前のAnt3の「わかりました。わかりました」
という投げやり的ないいまわしに、すでにキレかかってるから
「ときにきりぎり…」くらいでキレはじめ、
「なあと思いますね」のAnt3のセリフを完全に「食う」かたちで
かぶせてたたみかけるのがリアルな演出である。
ようするに悠長にさいごまで人の話を聴かないのだ。

役者は当然そうやりたい。
しかし、それはこまる。
なぜか。
まず、セリフが重なると「聞き取れないことばがでる」
そして、これが決定的なのだが
次の英語が割ってはいれない、すなわち英日に編集できない。

したがって、
「すみません、ここはセリフ食い気味にいきたいところなんですが
英語を編集でいれるつごう上、間をあけてください。ブレスも
かぶらないようお願いします。でも、気持ちとしては食い気味
でかぶせ気味で、きれない感じでお願いします」
という無茶苦茶な注文をすることになる。
ぼくが役者だったら、「そんなのできねえ」と
ほうりだすかもしれぬ。
しかし、みんなプロである。
ライブラリーを聴いてもらうとみなさん納得して努力してくださる。
なお、この場面では英語のやりとりは
Ant3 Sometimes I wish I was a grasshopper.
Ant1 A grasshopper! You must be crazy!
で、grasshopperということばが最後にででくるので
日本語ほど食い気味になる必要はない。
でも、やはり英語の役者も
ここは間をおかずにすぐに突っ込みたいから
やはり近くなりすぎて、プレスがかぶったりしてしまう。
そこで、おんなじ注文をするというわけだ。
いやはや、身体をつかわず声だけで
聴き手を納得させる表現をするってたいへん。

それと、もうひとつおまけ。
この部分のようにライブラリーのなかには
「いいあい」や「口げんか」「命令」「緊急事態」などの
緊迫した場面は多々ある。
しかし、そのシーンをよく聴いてみると
じつは、役者さんたちは
けっこう「ゆっくりとしっかり」セリフをいっている。
これは意識して聴くとわかる。
じつは、あせって早口で話すと感情は伝わらない。
とくに音声だけの場合は
きちんとしっかり安定したペースでセリフをいうことが
感情を伝える最善の方法だと彼らは知っているのだ。

もりのなか
さても、前回に書いたように箱根にある
彫刻の森美術館にいってきた。
超有名Hakone Open Air Museumである。
およそ70000平米(古!)の敷地に彫刻、立体オブジェ、
さらに美術館が点在する。
なんて細かく紹介を書くときりないので
興味のある人、いってみたい人は
下のURLの公式サイトをみてちょ。
http://www.hakone-oam.or.jp/index.html

今回も当然にもお仕事である。
写真もいっぱい撮ったのだが、
例によって室内作品や、いろいろ大人の事情で掲載NGが多い。
したがって、余分(おこられるなあ)な人物が写ってたりするが
そういうことなのでよろしく。
で、下の写真はエントランス近くから広めの画角で撮影したもの。
人物をいれれば個人の記念写真になるので
いやがるマネージャーにたってもらった。
そんなわけで憮然としている。
ぜんけい
とにかく、広いがアート好きなら1日楽しめる。
また90分くらいあれば、ざあっと見ることもできる。
ここには、ラボにいたときはバルバおじさんと
神奈川の長谷川パーティともに
Magical Museum Tourというバクリ的タイトルの企画で訪問したし
その後、個人としても何度もきている。
2月のクソ寒いときには、ここを見てから
熱海のMOA美術館で尾形光琳の「紅梅白梅図屏風」を見たりした。
※この作品公開は季節がきまっている。
しかし、尾形光琳はすごい! ぶっとんでる。
この時代はもちろん、トータル的に日本を代表するクリエイター
の一人だと思うぜ!
ぴかそ
ここに来ると必ず立ち寄るのは
敷地の最も奥に建つ「ピカソ館」だ。
ビカソの長女マヤ・ピカソからゆずりうけた作品が多く、
65歳以降に南フランスで制作された
陶器、デッサン、版画などが300点以上もおさめられている。
ことあるごとに、
ぼくはこの森の緑をあび、そしてピカソと対話する。
彼の陶器は、その範疇をとびこえて
絵画や彫刻のにおいもする。
自由闊達、天衣無縫、そしてゆるぎない造形のたしかさ。

ぼくはここでエネルギーをもらい
「表現」について、小さな頭で考える。
そしてそのたびに「考えるな、感じろ!」と
ピカソに恫喝されるのだ。
創造と破壊をくりかえしたビカソの前では
抽象とか具象とか、個展と前衛とか
そんな分類は意味を剥奪される。
きもちいいくらいだ。

そして、ラボの絵本をながめ。
「これでいいのだ!」とバカボンのパパのごとく叫ぶ。
鳥の鳴き声を耳にして心を洗われるとき
その声を分析しない。
創造は想像と深い関係にある。
ラボの絵本のなかで
いわゆる抽象とよばれる作品と
子どもたちがふつうに出会えることの幸運を思うのだ。
かふぇ
さても、ビカソ館のほど近くに緑陰ギャラリー(上の写真)という
小さな展示場がある。
じつは、この一階の「ギャラリー・カフェ」が超おすすめなのだ。

彫刻の森美術館にはほかにもエントランス近くに
箱根飲茶楼やベラ・フォレスタなどの飲食サービスがある。
がっつり食べるなら、このフォレスタのビュッフェがいい。
窓が大きく森を見おろしながら
地産地消のメニューがリーズナブルな価格でいただける。

で、このギャラリー・カフェなのだが
コーヒーなどの飲み物は紙コップでのサービスなのだが
これがなかなかいける。
ジェラートや地元の肉をつかったおしゃれなホットドックもよし。
しかし、なんといってもここはスイーツである。
700円~1400円といいお値段なのだが
世界のバティシェが四季折々にきていて
11月中旬まではカカオのきいたチョコレートケーキと
フルーツタルトがすばらしい。
下の写真がそれ。
あまいもの
六本木のパスティッチェリアISOOの磯尾直寿氏が手掛けた
スイーツ“森の雫”。
7センチタルトには、ブルーベリーのコンフィ、
スミレ風味のホワイトチョコクリームビタミンカラーのマカロンのせ!
でもこれは11月13日ころまで。700円。
めいげん
客席のそばでは上のようなピカソのことばが
なにげに挑発してくる。
ぴんと
この日は曇っていたが、あたたかので
気分よく外に席をとった。
ボスのいいつけで走り回るはめになった
マネージャーはそろそろガソリンがきれたので
コーヒーとスイーツでごまかそうとしたが、
やはり仏頂面である。
ちなみに、これはテストがわりに撮影した一枚だが
見事に人物にビタッとピントがあい
背景の緑がうまくぼけてくれた。
それだけのことでわざわざアップしたが
まあ、背景ぼかしのお手本です。
家族
ここのコレクションを全部紹介はできぬが
ぼくのお気に入りのひとつがヘンリー・ムーア(1898- 1986)作品だ。
上の「ファミリーグループ」は1948年から1年かけてつくられた。
雲の流れや日の光を感じながら見ると
この個性的なフォルムが、彫刻は生活に密着しているのだという
彼のメッセージが伝わってくる。
ばわー
これもお気に入り。
ニキ・ド・サン・ファール(フランス、1932-2002)
「ミス・ブラック・パワー」1968年
この作品は樹脂でてきている。作者は女性だが、この力強さと
尊厳と威厳は遮光式土偶と勝負できる。
男は勝てない。
えぶじ
後藤良二(日本、1951-)
「交叉する空間構造」1978年
ダイヤモンド、すなわち炭素の原子の構造を模し
強化プラスティックと鉄などでできている。
入り口近くにあるので、すぐに見つかる。
幾何学的な人体の組み合わせが
逆に人間力を感じさせてくれるので好き!

彫刻の森には、また、有名な彫刻作品の模刻もたくさん見ることができる。
レプリカとはいえ、実物大のモーセなどはすごい迫力。
ミケランジェロは身長160センチに満たない小柄だったが、
モーセが完成したときは座しているモーセの膝に手を置き、
さあ、立って歩け! と叫んだ。
ミケランジェロの模刻は他にも「ピエタ」がある。
彼は生涯のテーマとしたが、ついに満足することなかった。
しかし、わしらから見ると、模刻でも神品だ。
下の写真はオーギュスト・ロダンの「バルザック」。
フランスの国民的作家の死後、
ロダンは肖像画から作成した。
文豪のことばのエネルギーが溢れ出ているようだ。
しかし、ボロをまとっているかのように見えたため、
批評家にも大衆にも「国を代表する作家を愚弄した」と
さんざんに酷評される。
ロダンは激怒し、この作品をしまいこんだ。
停滞していた彫刻界に衝撃与え、新風を送りこんだといわれる
「バルザック」が世に出るのは、
ロダンの死後、30年近くたってからだ。
ろだん
そうそう、彫刻の森は子どもたちが遊べたり触ったりできる作品も多い。
楽しみながらアートに近づくのはいいな。
はこね
はこね
取材がおわり宿にハィッたとたんに雨。
日頃の行ないがいいのか悪いのか。

でも、旅先で、宿に落ち着いてから
夜にふりだす雨はきらいじゃない。
ささくれていた心も
少しは
なだらかになるから。
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