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もみぢしそうでしない、微妙な晩秋、なのにあなたは京都へいくのだ! 11月19日 ()
しせん1
写真は京都詩仙堂の書院からの紅葉。
写真を貼ってから更新するまでに4日近くかかってしまった。
仕事とか作業のペースは現役時代とちがって超自己中心なので
まあ、しかたがない。
しかし、やろうと思っていたことが進展しなかったり、
なかなか終らないのもストレスになる。
ストレスレスというのは、ほんとうにむつかしい。

さて、更新が遅れていた原因のひとつは、11月20日に
調布のアミノバイタルフィールドで行なわれた
母校のフットボール最終戦の撮影とその整理に手間どったことが大きい。
関東学生三部Dブロックに所属し、相手は東京農工大学。
すでに優勝は成城大学に決まっているが
一敗どうしの「まけられない戦い」というやつだ。
とくに四年生にとっては、まさにLast Game。
リバース
紅葉の写真に続いていきなりフットボールの写真で恐縮だが、
けっこうまじめなことを書くので
御用とお急ぎのある方も、しばしおつきあいを。
で、写真は前述した農工大戦から。
攻撃している緑のユニフォームがICU Apostles。
これはReverse Playという相手の反応を逆手に取った
ランニングプレーである。
かんたんに説明すると、まず7番のクォーターバックから
画面奥、すなわち右側のサイドにむかって走る24番に
ボールが後ろパスされる。
これは、典型的な大きく外を迂回するSweepというプレイのはじまりだ。
すると優秀な守備の選手は、すぐに24番をとめようと反応する。
しかし、このReverseは画面奥から手前、
すなわち逆方向からやってくる28番の選手に
すれちがいざまにボールを渡す。
写真はその瞬間である。
そして7番のクオーターバックかリードブロッカーとなり
露払いの役をはたす。
28番は7番の背中についていくのだ。
もちろん、敵もこうしたプレイは想定に入れている場合があり
手前のサイドにContainといって、まちぶせする。
そうした選手を7番が一人は責任をもって
自らの身体を投げ出して7番のために走路をきりひらく。
それから先はボールを運ぶ28番の勝負である。

こうしたPlayはSpecial Playのひとつであり、
決まると大きく前進するが、
時間のかかるプレイで、さらに複雑な動きが全員に要求されるので
失敗すると、ボールをこぼしてしまったり、
とんでもなくロスしてタックルされたりする。

だから、どこで使うかが作戦の妙というやつだ。
このときは、相手がICUのランニングプレーを
なかなかとめられず、かなり浮き足だったときに行なわれた。
農工大は、そのため24番に全員がむかったので
見事なBig Gainになった。

で、また話題はかわる。
 11月8日、月初にうけた術後2年半検査の
精密なデータを電話できいた。

☆個人的報告なので、この日記にはなじまないかとも思ったが
土台、自己中心的文しか書いてないのと
一応、心配してくださる方への報告ということでご理解いただきたい。

しかし、主治医が外来で多忙で予定の時間につながらずドキドキ。
1日の段階では基本の血液検査と主治医の所見ではOKだったが、
この日は画像診断・病理の専門的意見の報告。
これは、病変、転移、再発はなし!

次に腫瘍マーカー。
ぼくの場合は直腸の腺癌で
CEAとCA19-9という2種類のマーカーが目安となる。
人によって、また癌の種類によってはマーカーにでない場合もあるが、
ぼくのはとってもビビッドにでるそうで、
手術の前は通常の数十倍あった。
再発や転移の場合はおなじ性質のCancerが基本なので、
このマーカーを3か月に一度チェックしている。
これまではすべてクリアしてきたが…。
結果は、CEAが3.2ng/mでクリア!
これは、癌胎児性抗原(Carcinoembryonic antigen)
というやつで胎児と癌細胞にしかない糖タンパクで基準値は5.0以下。
そして、CA19-9(carbohydrate antigen 19-9)は11.5
この基準値は37u/m以下なのでクリア!

これで無事に正月をむかえられそうだ。
いつもながらに、ぼくにつながるすべての方がたに感謝。
半年とか1年の単位で命を計測していくのは
日々、全力で生きる動機となるなあ。
なお、癌は二人に一人はかかる病だが、
ぼくの場合はステージ3Aまで進んでいた。
直腸から外にすでに浸潤していたが
他臓器への転移、リンパ節転移は
病理レベルでは奇跡のようになかった。
何回か書いたが、オペは14時間というたいへんなものだったが、
腫瘍はなんとかすべて切除された。
しかし、細胞学レベルではわからないので、
退院後、UFTとユーゼルという経口の抗がん剤を
4週飲んで1週休みというクールを10回続けた。
これは比較的副作用の少ない薬で
ホリナートウラシルというわりかしクラシックな予防治療だが、
ききめは個人差があるという。
以来、3か月に一度の血液検査、半年に一度のCT検査をしている。
読者のなかに、お知り合いに同じような闘病をしている方がいらっしゃる場合、
少しでも参考になればと思い、くわしく書いてみた。

そんなわけで、現時点では元気なわけだが
腫瘍細胞は時限爆弾にように息をひそめているかもしれぬ。
そんな見えない相手をあんまり気にしても仕方ないので
とにかくPositiveかつ「嫌いなことをしないように」生きることにした。
それが、結局免疫力をたかめているのだろう。

で、いわゆる5年生存の半分まできた免疫力の背景を
もう少し考えてみると
・昨年秋から、全国のバワースポットにあちこちいっている。
例=櫛田神社 湯布院 熊野古道 熊野大社 出雲大社 大三島神社
兼六園 ブセナ岬 宮古島 函館山 大覚寺など

なんか、冗談ぽいが、これだけ行くと無関係ではない。
・ラボの子どもたち、テューター、OBの活躍
ここからもマジでパワーをもらっている。
なかなか直接見る機会は少ないが、
ここの日記やFacebook、そして年に何回かみるテーマ活動が
すごい力になっている。

 そして、母校のフットボールの若者たちからも!
今年も春から秋まで全試合の撮影をしたが、
彼らのひたむきな努力と闘争心からもらう力はすごい。
この試合の日も、ぼくの敬愛するティームドクターの
安田医師に検査をクリアした旨を報告したが
「撮影することで、まちがいないく、彼らからパワーもらってますよ。
医学的な証明はできないけど、免疫力向上に効果があると信じてます」
と激励された。
 
そして先週末、父の月命日の墓参を母とした。
墓参の後、ドトールでミラノサンドを二種たのみ、
ぼくとシェアするのが、母のささやかな楽しみである。
ドリンクはホットミルク。
「検査のお礼、ちゃんといった?」と母が静かに問う。
うん、といいながら、一昨年、ぼくの病気を持ち去るように
鉄腕アトムみたいにさよならした父のことを、
まだ少し引きずる自分がいる。
しかし、ひきずりながらも前には進んでいる。
人がひとり亡くなったのだ。それでいいのだ。

そんなわけでいよいよ京都である。
いろいろのおとなの事情はあるが
三澤制作所の仕事である。
さしつかえない範囲で、ちょっと遅れぎみで
じつは、すごく心配な京都の紅葉を撮影した。
日程は11/18-19の1泊という
例の如くのVery Short。
母親のことなどを考慮すると、なかなか2泊はたいへん。
今年は沖縄と宮古島でそれぞれ2泊をしているので
今回も1泊。ブータン国王より1日はやい上洛なり。
※予算的にも2泊たいてい無理。
で写真。
しせん2
上は、詩仙堂の「詩仙の間」から庭を。
詩仙堂は、いまさらぼくが説明するまでもないが
京都の碁盤の目の北東、左京区一乗寺に位置する。
まずは宿にした祇園をスタート、南禅寺近くを抜けて北へ。
とにかく、今年の紅葉は気温変化がうまいこといかなかったのか、
とってもとっても遅れていて、
一番の見頃の時期であるこの日が、南のほうはほとんどバツ。
洛北方面でさがすしかないという状況だった。
事前に現地のスタッフがロケハンしてくれていたので
効率よくまわることができ、なんとか撮影もこなしたが
鮮やかさでいえば今年はきびしい。
心配なのは、このまま色が深くならずに落葉してしまうことだと
地元の方がたはおっしゃる。
ちなみに、京都ではJR東海の「そうだ京都へ行こう」は
だれも知らない。
忘れないうちに書いておくけど、
今回の紅葉の写真は下のFacebookのアルバムにものせている。
だれでも見られるのでよろしければ。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.202885423121151.48336.100001990857831&type=1&l=463d7297f7
ししおどし
石川丈山は「鹿威し」の原形を考えた人だという。
詩仙堂は今、六六山丈山寺という曹洞宗のお寺になっている。
次も詩仙堂のお庭
しせん3
続いて、曼殊院に足をのばす。ここも、なかなか紅葉は進んでいた。
まんじゅ1
まんじゅ2
続いて、暗くならぬうちにと西に進路をとって
真言宗大覚寺派の本山、大覚寺へ。
だいかく
だいかく2
大覚寺を後に六道の辻のそばを通って嵯峨鳥居本へ。
六道の辻にある六道珍皇寺は、小野篁がその井戸から
冥界を行き来していたといわれる。
すなわち、京都の西の結界である。
オカルトシティ京都に興味津々で
ほとんど、よみがえりに近いぼくとしては
ぜひ立寄りたかったが、マネージャーが
「ボス、その六道なんたらは、今回の仕事とどういう関係がありますか」
とこわい顔でいうのであきらめた。
大覚寺の写真ではめずらしく笑っているが、
これはスタッフがおびえないためだといっていた。
小野篁は180cm以上もある巨漢で、文武にすぐれていた。
あまりなじみのない方には
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
という百人一首十一番の人といば、ああとなるかしら。
51歳(異説あり)で世を去ったが、
夜ごと地獄に出入りしてえんま大王の補佐官をしていたという。
また、反骨でしられる官人でもあった。

slems
嵯峨、鳥居本愛宕神社一の鳥居わき、鮎茶屋平野屋付近
ここの紅葉もよく撮影されポイントだ。
そんなわけで、撮影可能なぎりぎりで最終目的地に着いた。
この鮎茶屋の平野屋さんはとっても有名。
昼は5000円、夜は15000円くらいでいただける(らしい)。
当然、たちよるひまもなく、嵐山をぬけて帰路に。
嵐山といえば、『なよたけ』刊行時に
渡月橋そばのホテルに秦恒平先生を招いてご講演いただき、
翌日は地元出身の倉藤テューターの案内で
「なよたけツアー」を行なったのがなつかしい。
もう21年前のことだ。

そのころは天竜寺の付近も静かだったが、
今はあっとおどろく原宿状態。
ぼうぜんとしてしまった。
おどろいたことには「美空ひばり館」なるものもできていて
どうもかの歌姫が別荘を付近にもっていたご縁らしいが…。

祇園の宿にもどり、高台寺のライトアップを撮るかという話もでたが゜
あまり期待できないし、雨もふってきたのであきらめた。
宿で、地元スタッフの好意よる「さくら川」(ミシュラン!)の
お料理を仕出しでいただいていたら、
なんと京都在住のOBから連絡がきた。
うれしいかぎりだ。
「ぬけだせないですか」という誘いであったが
マネージャーがとんでもない顔つきになったのでゴメン!

なお、今回の京都行きについては、
元寺嶋パーティOGの鳩島(旧制高山)直子さん、
北原テューターをはじめ、多くのラボ関係者から事前情報をいただいた。
とくに、地元の上岡裕子テューターは、
貴重なご助言をくださり、おおいに役立った。
この場をかりて御礼を申しあげたい。
タッチダ
写真はエンドゾーンにかけこむICU24番。
審判が両手をあげてTouch Downの表示をだす直前である。
息をつめて見つめるマネージャーの後ろ姿と髪が
物語をつくりだしている。
この試合で引退する彼女にとっては、Last Touch Downだ。
きゃぷてん
試合は、結局のこり13秒で3点差の逆転負けで終った。
勝てた試合をミスで失ったのが正しい分析だろう。
負けは負け。
「全力をだしたので悔いはない」とはよくいわれるが
そんなのはウソである。
全力を出してつくったから、これでゆるしてとはライブラリーでも
あり得ない。結果がすべての世界があることを
若者は学ばねばならない。
「全力をだせなかったので負けた。次はギタギタにしてやる」くらいじゃないと
選手もかわいそう。

逆にいえば、全力を本番にだせるのが実力。
※ラボっ子は本番に強い!

誰もが悔しかった。その思いは試合後の観客への礼のときに爆発した。
顔をあげられない者。うなだれる者。涙する者。
しかし、いちばん悔しいはずのキャプテン14番が
凛とした一声。
「顔をあげろ! 胸を張れ!」
この日で引退する主将は
見事に感情を押さえ込んで、その役割をまっとうした。

安田ドクターのいうパワーの源がそのときわかった。
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