幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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Sugar and Spice and No One Lives Twice. ひきかえせない人生に降り積もれ青き思い出 12月19日 (月)
きょうむ
先週の火曜日、ひさしぶりにラボセンター本部をたずねた。
昨年の暮れから関わっていた教務局関連の仕事がひとくぎりついたので
その打ち合わせである。
最近は必ず持ち歩いているNikonのミラーレスで
木原教務局長と吉岡さんを撮影。
ただのスナップだが、味のある一枚になった。

そして今日の午後。
北の寒い国で独裁者の訃報。
今年は、なんという激しい年であったのだろう。
というか、911以降。
世界でおこるできごとの「すさまじさ」「過激性」「予測不能性」などが、
まるで膨張する宇宙の速度のように加速している気がしてならない。

さても
師走に入ってから、なかなか忙しくなった(あたりまえか)。
打ち合わせや会食などが週に複数回あるぞ。

基本的には週総労働時間を15時間としているが
夜にでかけることが増えると、そのペースがやや乱れる。

毎朝、6時には起きて7時までに朝食をすませる。
おにぎり1個程度の米かうどん。サラダと納豆とヨーグルト。
およそ400Kcal。
で、午前中は神聖な時間である。
本を読んだり、映像をみたり、音楽をきいたり、
仕事以外の友人・知人とメールのやりとりをしたり…。
そうすると、あっとうまに11:30になるので昼食だ。
ランチは三澤制作所から徒歩20秒の「四国屋」でさぬきうどんか
徒歩180秒のとこにあるパン屋さんのパンとサラダ。
そして、たいていの場合、そのまま散歩にでかけ、
通常は鍋屋横丁で夕ご飯の買い物をする。
もしくは、新宿西口まででかけ(10分ほどでつく)、
小田急ハルクのいきつけのショップ(VictorinoxとHunting World)をのぞき
店のスタッフとおしゃべりし、地下の「こだわりや」という
オーガニック食材の店で野菜などを買ってかえる。
まれには、東京駅すぐそばの丸善まで足をのばし
本と文具を見てから午後のお茶を飲む。

いずれにせよ、午後14時をめどに三澤制作所本社にもどる。
そして17時までの3時間ほどが、いわゆるお仕事の時間である。
これもある意味神聖な時間だ。
人間がほんとうに集中できるのは、そんなものだなあとつくづく思う。
だから3時間×週5日で15時間なのだ。
17時からは夕食のしたくをして、
17時30分には母親とふたりで食べる。
19時にはアトリエと称する部屋で、
また読書、音楽、映画などで栄養補給。

これが基本の生活であるが、月に一度は「旅にでる仕事」があり
週に一度は渋谷でマネージャーと打ち合わせがある。
なんとも、ふざけたくらしぶりである。
しかし、ストレスをためてはいけないそうなので
それを理由にだらだらしている。

芝居や映画は、なるべくマチネー(matinee)。
美術館はもちろん昼間。
どうでもいいことだが、マチネーは今もつかわれるが
夜の部を示す「ソワレ」(soiree)は
ほとんどつかわれないなあ。なぜか。

ともあれ、夜でかけるのは知人との会食がほとんどだ。

よく、会社をやめると「なにをしていいかわからない」といわれるが
残念ながら、やりたいこと、やらねばならぬことが多すぎる。
幸せである。

さて、偶然ではあるが今朝は『1984』を読み返していた。
村上春樹氏の『1Q84』ではない。1948年に書かれた
ジョージ・オーウェルの長編小説である。
あらすじとか書き出すとたいへんなので、
知らない人は検索してください(ヒドイ!)。
この小説は大学1年のときの夏休みのアサインメントで出て
ふうふういいながら原書で読んだのだが、
とってもおもしろかったし、
長い英語の小説を読み切ったという
マゾヒスティクな達成感にとらわれた。

この小説に登場する Big Brother(ポアンホワン家じゃないよ)と
かの北の国で、おそらくは孤独に亡くなった独裁者がだぶった。
『1984』は日本語訳ももちろん出ていて、
長いけど高校生でも読めると思う。

ノルウェー・ブック・クラブが2002年に発表した
The top 100 books of all time「史上最高の文学100」にも
この作品はランクインしている。
http://www.guardian.co.uk/world/2002/may/08/books.booksne
また、ランダムハウスの英語で書かれた文学ベスト100にも入っている。
http://www.modernlibrary.com/top-100/100-best-vels
で、じつは、ぼくはここにランクインしている全作品の
英語による読破にチャレンジしている。
幸いなことに有名な作品がほどんどなので
かなりの部分を読んでいるのだが
訳本しか読んでない場合もあるので
そういう場合は「ずる」しないで英語で読み返すというルール。
そして、同時進行はアリ(煮詰まっちゃうときの逃げ道ね)。

こういう自己挑戦はストイックにルールを守るのがだいじ。
ゆるぎない基礎力をいまさらながらだが、
つけたいと思っているのだ。
まあ、かっこつければ「ずっと修行」ってやつね。

さすがにこのチャレンジは人には勧められぬが
どんな作品がランクされていて、自分がどのていど読んでいるとか
きいたことがあるか、なんてチェックしてはいかかが。

ちなみに二つのランクのうち、後者のランダムハウスは
「英語で書かれた小説」なので日本の作品は入っていない。
だが、ノルウェー・ブック・クラブのほうには
一編だけ日本の作品が入っている。それはなんでしょう。というのがクイズ。
こたえは文末ね。
かれんだ
ラボセンにいったら、木原氏から「ラボ・カレンダー2012」をいただいた。
新しい「ラボ・パーティ研究」は、もうしわけないから購入した。
どちらも楽しみ。

思えば、カレンダーは22年も作ってきたんだなあ。
とうとう贈呈される立場になったかと嘆息。
ラボのカレンダーは
ラボっ子の描画を応援しよう! という素朴な発想がその出発点だ。
それは、今もぶれずに続いていると思う。
「ことばの宇宙」でもラボっ子の作品を応援してきたが
「もっと、でっかく」
「1年に一度くらいは勝負! というくらいの気合いで絵を!」
というところかなあ。

描画活動は、ラボ活動のなかで、子どもの表現のひとつとして
自然に位置づけられてきた。
そこには特別な技術的な指導があったわけではなく
いうまでもなくマニュアルもない。
ただ、子どもが物語と出会い、じつにシンプルな「好き」から
物語の絵を描いてきて
「テューター、見て」「わあ、○○ちゃんすてき!」という世界だ。

ラボ・カレンダーはぼくが本部にいく前の1983年から
絵の募集が始まった。
でも、当時の責任者であった「がのさん」によれば
1年目は応募作品が少なくてカレンダーが作れなかったという。

それもそのはず、パーティの時間をつかって
カレンダーのための絵を描きましょうとは、なかなかならない。

それでも1985年には最初のラボ・カレンダーができた。
ラボっ子の絵と国際交流の写真で作るカレンダーだ。
しかし、作った以上は買っていただかねばならぬ。
当時はいまよりもカラー印刷にはコストが必要だったから
儲ける必要はないが、赤字はだめよなのだ。
そうすると、どうしても支部ごとに目標をもっていだたくことになる。
当初、これが評判よろしくなかった。
「ノルマのおしつけか」「結局、テューターが負担してくばるのよ」
などなど。

でもでも、頑強に続けた。
すると、次第に応募作品が増えてきた。
継続は力なりとはよくいったものだ。

絵の選考については、昔の日記でけっこう書いているので
興味のある人は一覧からタイトルでさがしてほしい。
でも、3000枚の絵をていねいに見ていくのは
ほんとうに体力と気力が必要。
毎年、一次選考からつきあってくださっている
画家の関本浩詞先生には、ほんとうにありがとうといいたい。

あらためていうが、ラボ・カレンダーはどこにだしても恥ずかしくない。
子どもの絵、しかも物語に深くつっんだ絵でつくるカレンダーは
そうはない。
しかも、四半世紀以上もそれを続けているのである。

『まほうの馬シフカ・ブールカ』『十五少年漂流記』の絵を担当された
かみや・しん先生は
「絵を描くことは心の運動、筋トレみたいなもの。
だから、絵の具も大きくドーンとたして全力で」
とおっしゃった。
たしかにラボ・カレンダーの応募規定サイズはとっても大きい。
未就学児童、あるいは一年生の肩幅より広い。
これは、子どもにとっては脅威であり。
かなり気合いを入れないと描けない。
ちょっとお絵描きという気分だけでは無理
だから、初期のころは、途中でやめてしまった作品も多かった。

でも、近年はそうした途中描き作品はほぼなくなったと思う。
これも組織体験のすごさだ。
この規定サイズについても何回か検討した。
「幼い子どもには負担ではないか」という声もあったからだ。
でも、関本先生や本多豊國先生、そして宮本忠夫先生などから
「1年にいちどだから、ぶったおれるつもりで描くことも
たまにはあったほうがいいですよ」と励まされ、
ぶれずにサイズを維持し続けた。

「描きこみすぎてぐちゃぐちゃになるくらいでいい」
とは本多先生。
「仕事場の天井に貼って、チクショー負けねえぞといってます」とは
『かにむかし』や『おむすびころころ』の宮本忠夫先生。

画家だけではない。
『ノアのはこぶね』『ジョン・ギルピン』などの音楽を担当された
牟岐礼先生は、毎年、カレンダーの絵を芸大の研究室に飾ってくださり
さらに、ていねいなお手紙をくださる。

必ず「ぼく二つね」という、子どものような専門家もいらっしゃる。

ラボっ子たちの物語で育まれたことばの力が
色とかたちになって、まるでロケットの噴射のように
見る人の心にふきこんでくるカレンダー。

たしかに子どもの絵は、偶然によってうまれた表現も少なくない。
だが、ライブラリーときちんとむきあった子どもの作品は、
やっばりちがう。ふしぎだがほんとうだ。

2012カレンダーは上の写真のように三澤制作所の壁を飾った。
だけど、まだ表紙ははずしていないし、なかも見ていない。
年内は表紙のたくさんの作品で楽しみ、
後は新年から毎月楽しみに眺めていくつもりだ。
やっと、そういう距離でカレンダーと出会えたのだから。

その意味では、今、ライブラリーも心おだやかに聴いている。
とくにこの秋から冬は、前述のように会食の機会多く
そのなかでラボ関係の方との席もけっこうあったので
そういう日の後などは、話題になったライブラリーを聴くことが多い。
先々週もあるテューターとそのお嬢さん(社会人)と
かねてから約束していた中華を食べることがあり、
そのおりも結局はライブラリーの話になった。
もんて
上の写真はラボセンに行く前日、吉祥寺のモンテ・マーレという
イタリアン居酒屋での会食。
右は以前の日記にも登場した関西ラボOBで東京農工大学准教授の中條氏。
左はこの広場の創設者でありラボ事務局OBのアスペルさんこと佐藤氏。
※秘密にすることでもないので。
佐藤氏は現在、造園家として活動仲。
「創設者がもっと更新してください」と告げておいた。

ここはアスペルさんのご自宅の近くで、リーズナブルな値段でかなりおいしい。
ラボOBの藻谷氏がいう「元気な吉祥寺」を支える店のひとつかも。

はじめは、ラボ以外の社会・文化・芸術などの話をしていたが
中條氏がぼくらにラボで仕事をすることになたいきさつを
質問したことから、結局はラボの熱い話になってしまった。

考えてみればふしぎである。三人とも、現在はラボとは
基本的に関係ないのである。
しかも、この三名が関西ラボつながりとはいっても
明確に共有した時間といえば1976年の10か月ていどなのだ。

それほど草創から10年目のラボでは濃密な時間が流れていたのかもしれぬ。
国際交流でもいえることだが
たいせつなのはともに過ごした時間の長さではない。
温度と密度。
長さではなく高さの問題なのだと確信した。

ぼくも佐藤氏も中條氏も、今の日常はラボとはきりはなれている。
しかし、過去の楽しい思い出でというレペルをこえて
まさにそれぞれの人生と生き方と信条と、そして行動に
ラボがいまも分かち難く共生していることを
それぞれが「確認させられた」夜だった。
おそるべしラボ。

さて、クイズのこたえ。
ノルウェー・ブック・クラブの選ぶ「史上最高の文学100」にランクされている
日本の作品は!

「源氏物語」 やっぱりな!

『1984』を書いたジョージ・オーウェルは、吸入式の万年筆が
すぐに書けなくなり
しょっちゅうインクを入れることや、
高い筆圧のせいでペン先がこわれてしまうことにいらついていた。
これを聞いたあるフランス人が画期的なペンを発明してオーウェルに贈った。
がんじょうで長く書ける
VIC Ballpoint Penの誕生である。
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