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追悼・林光先生 孤高のゴーシュは星めぐりの旅に。いまごろは、鷲の翼あたりですか! 01月08日 ()
みらい
写真は、1月7日の午後3時、横浜の大桟橋に停泊する飛鳥?。
ロイヤルパークホテルの66階からの撮影。日本のほこる大型客船は、
17時ちょうど、ややセンチメンタルな長声一発(汽笛のロングトーン)
をのこして新年のクルーズにでた。いってみたいなよその国。
 港はいい。『ドウリトル先生』の助手スタビンズは、
先生と出会う前に毎日、港を出入りする船を眺めて、まだしらない遠い世界の
ふしぎな夜と昼にあこがれた。
 また、飛行機事故で夭折した天才的ヴォーカリスト、オーティス・レディングの"Dock of the Bay"も思い出される。ジョージアから都会に出てきて、仕事もなくさみしい黒人が港で長い足をぶらぶらさせて日々をやり過ごす様が、
ペーソスとつきはなしたようなヒューモアで唄われている名曲だ。
いま、チャーをはじめ世界のミュージシャンが街角で歌い継いでいくCMに用いられているね。

 そんな、気軽な書き出しではじめたのだが、
年明け早々に残念な知らせをうけてしまった。
すでにご存じとは拝察するが、初期のラボ・ライブラリーの音楽の多くを
近年では1998年にSK27『セロ弾きのゴーシュ』のすべての音楽を
担当された作曲家の林光先生が1月5日に逝去された。
享年80歳。
最後にお会いしたのは2007年の春だ。
青山学院のアイビーホールで開かれた
鈴木小百合氏の湯浅芳子賞(チェーホフやマルシャークの訳で知られた
湯浅先生の遺志で創設された翻訳文学に贈られる賞)の授賞式の席だ。
そのときは、シェイクスピアの翻訳で著名な小田島雄志先生もごいっしょで
それぞれごあいさつをされたが、
林先生はじつにお元気で、その9年前の録音でごいっしょしたときと
まったくかわらない「眼光炯々」ということばがびったりの
時代も人もまるごと射抜くような眼力におどろいたのだが…。

林先生は昨年の秋に自宅の前で転ばれて頭部を打ち、
その後は意識がなかったとうかがった。
寿命といえばそれまでかもしれない。
しかし、また一人、日本のみならず世界の音楽に貢献し、
さらにはラボにもそのお力を注いでくださった先生が
天によびもどされてしまった。
「かわりとなる音楽家が、なかなかでないから
いままでまってやったが、天のほうも人手が足りんのだ」
という声がきこえてきそうだ。

林先生とラボとのかかわり、とくに賢治作品については、この日記のバックNo.でも何回か書いているので、興味のある方はタイトルで探してみてほしい。
みらい2
重い話が続くので2枚風景写真を。これも同じ66階から写した横浜である。
みらい1
東京芸術大学在学時からとびぬけた才能を発揮された林先生だが
※その才能ゆえに中退されるという英断もされている。
日本語へのこだわり、劇表現への思い、そして平和への思いを
作品にも活動にも明確に表現され続けたことに
ぼくは心のずっと深い所で尊敬してやまない。

そして、ぼくが在職中、氏自身も「ぼくは一人のゴーシュ」
と著書に書かれるほどに深い造詣と関心をおもちだった
宮沢賢治作品のライブラリー制作で
ごいっしょすることができたことは、身に余る光栄であり、
やはり心の奥でたいせつにしている誇りである。
まあ、当時はとんでもなく緊張したけれど。

今日、あらためて林氏が関わったライブラリーを順に聴いてる。
先生は、同じくライブラリーの音楽を担当されている間宮先生と
外山雄三氏と「山羊の会」を結成された同志でもあるが、
それぞれ音楽の方向性は独自だ。
しかし、伝統と現代、世界の平和と個々の個性、
そしてなにより、子どもたちへのまなざし、
さらに、この時代の音楽に責任をもつという誇りと自覚という点では
通底しあっていたと思う。

今、グローバル・スタンダードがアメリカ標準、あるいはヨーロッバ標準に
ぬりかえられる危機感を、各地の心ある文化の担い手はひしひしと感じている。
それは単に政治経済のレヴェルだけでなく、
「持続可能な開発」「地球温暖化防止」「エコ」などの
皮相的にとらえれば「口あたりよく」「多数の幸福」と認識されがちな
テーマにおいてもいえることだ。

たしかに、世界の国や地域が違いをのりこえて地球や生物が
まさに持続可能な繁栄をするための世界標準は必要かもしれない。
しかし、その一方で、小さくても少数でも
独自に営まれてきたぞれそれの文化、風俗、生活感、死生観などを
いかに尊重していくかがもとめられていると思う。
多数の幸福とともに、
文化の多様性は最大限に尊重されなければならない。

生物の種の多様性と同様、文化の一元化は滅亡への道だ。

間宮先生が民族音楽と現代音楽の融合をテーマにされていること、
林先生のオペラへの情熱、賢治へのこだわり、
原爆をテーマにした作品の長年にわたる演奏は、
音楽の分野においても、多様性が重要であることを感じさせてくれる。

意外と思われるかもしれないが
音楽は風のように空間のどこにでも入っていく自由な存在ではない。

むしろ社会の病理や危機が深刻化したとき、
音楽はまっさきに影響をうける。
いわゆる歌舞音曲の禁止である。
街はいつでも静まり返るのだ。
小さな声でも「歌いつづけるために」
どれほどの血が流されたのだろう。
そう思えばWe Are Songbirdsということばは
もうひとつのラボの命ともいえる
自負と責任のあることばだ。

Songbirdsの名称について林先生とお話ししたことはないが
歌というものについてうかがったときに、
上記のような話をしてくださった。

後では『ざしきぼっこのはなし』に続いて『雪渡り』が流れている。
どちらも音楽CDである。
ことばがなくても、情景がうかぶのはあたりまえかもしれない。

前者はピアノの連弾である。いかにも民話というひなびた和風の音という
安易な音づけではなく
硬質なピアノの、しかも連弾をもちいた林先生には
現場でぼくは思わず心のなかで手をあわせてしまった。

後者の四郎とかん子が森にわけいる「赤い封蝋細工の…」というくだりの
チェロのピチカートも泣けてしかたがない。
これらの美しい音を紡いだ林先生は
もういらっしゃらないのだ。

今夜は知人と外食する約束がある。
気分ではないが、帰ったら『てじなしとこねこ』を聴こう。
いちがつ
最後に、おそまきながら年があけてから
ラボ・カレンダーの1月をめくった。
それまでは表紙を楽しんでいたから初見である。
MOMOTAROが画面いっぱいにとびこんでくる。

めそめそしてんじゃない! 何度でも立ちあがれ!
といっているようだ。
作者の大西礼華さん(小4・万行P)ありがとう。

本来は今日は「文字、ライブラリーのテキストについて」
書くつもりだった。
それについては、近日中にアップする予定である。

そうそう、初見といえば
ライブラリーの音楽録音に参加する演奏家は
すべて初見で演奏している。
練習なんかさせてもらえない。
録音の日にパート譜を配られ、
テスト一回、そして本番だ。

そんな緊張感のなかで作品は生まれる。
つい5分前に宇宙間関係の仕事をしている後輩から仕事の依頼メール。
前にいかなきゃね。
林先生、 宇宙はどうですか!
Re:追悼・林光先生 孤高のゴーシュは星めぐりの旅に。いまごろは、鷲の翼あたりですか!(01月08日) ・
ばーばーじゅこんさん (2012年01月09日 12時37分)

林光さんの訃報は新聞紙上で拝見しました。 何度か谷川俊太郎さんと
のお元気なお姿をステージ上で拝見していましたし、ライブラリーでも
お馴染みの方でしたのでショックでした。私の友人のご主人でフルート
奏者 峰岸壮一さんの50周年記念演奏会で、黒尽くめの服装に赤いサ
ッシュベルトをしていらしたのがなぜか記憶に残っています。
心よりのご冥福をお祈りしたいと思います。

 でも、ラボCD宮沢賢治作品の絵をお書きになった司 修さんが 先
日『本の魔法』で、大佛次郎賞をおとりになられたとの報道は嬉しくて
おもわず購入してきました。本の装丁えおテーマにした文学的断片集で
松谷みよ子さんの項もありお勧めの一冊だと思います。
Re:追悼・林光先生 孤高のゴーシュは星めぐりの旅に。いまごろは、鷲の翼あたりですか!(01月08日)
すずももさん (2012年04月16日 22時22分)

『セロ弾きのゴーシュ』の素晴らしさに感激しました。
やっとめぐり合えたのでしょうか?
とにかく有難いことです。

質問していいですか?
英語のナレーション担当は Tom Killoughさんですか?
以前から気になっていたのですが今回聴き続けて、やはり
気になって、SENCHOさんにぜひ尋ねたい気持ちが抑えられなく
なりました。

彼は私の大学時代のOral(会話)の先生でした。必修で教わり
選択になってDramaのクラスも取りました。ESSのDramaSection
にも関わってくれていました。
ゴーシュの頃には結構な年齢になってらしたのでしょうか?
制作資料集の写真からはそんな気がしました。

昔の事がこんなに気になるとは私も年を取ったものです・
Re:Re:追悼・林光先生 孤高のゴーシュは星めぐりの旅に。いまごろは、鷲の翼あたりですか!(01月08日)
SENCHOさん (2012年04月17日 14時07分)

すずももさん
おっしゃる通り、トムさんです。
そくなご縁がやありとはびっくり。
ぼくは彼とはスタジオで会話したていどで
さほど面識はないのですが、
精悍なお顔と反対におだやかで楽しい方だったと記憶しています。
たしか『なよたけ』やギリシアかロシアのお話にもでていらした気がします。
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