幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0358343
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
節分に寄す。「冬の翼にふれて今は静かに息をひそめていたい。でも、流れる雲が南へ急ぐじゃないか!」 02月03日 (金)
鏡の精
三澤製作所のラボ・カレンダーも如月になった。
やはりはじめて眼にするページだ。どんな絵かなとわくわくしながらめくる、
『鏡の精』ではないか!。
ハーンのなかでもとくに美しく、そして妖しい作品だが、
ラボ・カレンダーの絵の題材になるとはめずらしいなあ。
今年の干支にびったり! なんてことより、
龍のうろこのていねいな描き分け塗り分けや
画面から飛び出しそうなパワーがいい。
バランスとか遠近感が多少ゆがんでいるのもかえってきもちいい。
文句なく物語につつこんでいる。横浜市・加藤Pの長田堯斗くん作。
原画を見てみたいぜ!
この絵が1月でもいい気がするね。

作者は中1だから、なにか思い入れがあってこの作品を選んだのだろう。
そのへんの背景には興味がつきない。
テーマ活動をやったのだろうか、それはいつ?
とにかく好きな物語だから描いたのか? それはなぜ。
ラボ・カレンダーの絵の応募者数は年齢と反比例する。
もちろん、中高生で「絵うまいぜ!」という作品も送られてはくる。
でも、なかなか入選しない。
デッサン力やデザイン力にすぐれていても
物語へのつっこみの深さと思いの強さ
そして自由さと奔放さでは3歳~8歳にはかなわないからだ。

でも、「鏡の精」はちょっと驚きだ。
さきほど゜もいったようにパース(遠近)とかパランスや背景処理などで
いわゆるケチはいくらでもつけられる。
でも、物語が伝わる。こればかりはどうしようもない。

ところで、龍はいうまでもなく想像上の動物というか神である。
しかし、そのパーツを見てみると角は鹿であるし
ヒゲはナマズ、顔や牙は猪、身体とウロコは蛇、ツメは猛禽類である。
すなわち実在する動物の寄せ集めである。
人間は、まったく未知のものを表現することは困難なのだ。
だから、夢とか怒りとか、嘆きとか恐れなどを描こうとすれば
どうしたって、いわゆる抽象になるのだろう。

ハーンといえば、松江に取材にいったのは昨年四月、はやいなあ。

このカレンダーの絵を背中において『耳なし芳一』のライブラリーを聴いた。
小泉八雲の英語は、格調高く、そしてじつはわかりやすい文である。
ぼくたちのお手本になる文のひとつだといっていいと思う。
東京帝国大学で英語を教えていたのは有名だが、
英国留学していた夏目漱石の帰国によって、
大学を去ることになったとき、
学生たちは猛反対した。
ハーンの講義は静謐にして誠実で、かつわかりやすかったという。

ハーンは、もともとは新聞記者だから、対象を描き出す力はすごい、
強烈な光わあてて、浮かび上がらせ、さらにその光がつくる陰影も描くことで
より対象がはっきりとする。
プロだなあと思う。
ハーンの作品は一時期、ドナルド・キーン氏などに
「オカルト・ジャパン」のイメージを過分に強調しているという
批判をうけたことがある。
前面否定はしないが、ハーンはプロの小説家、フィクショニストである。
それに、「日本瞥見記」などの紀行文では
瞥見というタイトルでもわかるように、
「あくまでチラ見だから、ほんとのところは奥深いよ」と
抑制をきかせている。

ともあれ、ハーンのライブラリーは
いま聴くことよろし。
観世氏、岸田氏、江守氏というゴージャスな語りもすごい。

ハーンは日本が暗い時代に突入する直前の分かれ道に
とまどうようにたちどまり、そして静かに消えた。
昨年、松山取材の日記で漱石の「坊っちゃん」が時代を打つ作品だと書いたが、
日本を独自の視点でとらえていたハーンもまた、
重要度を増してきていると思う。
ICU
昨年の日記で「冬は街かむき出しになるから、表現するものにはつごうがいい」
などと穿ったことを書いたのが、冬の王様の院裏にふれたのか
とんでもない冷え込みだ。
とくに豪雪地帯の皆様は心よりお見舞い申しあげる。
写真は、今年はじめて訪れたICU、撮影は午後16時たから
ほんとうはもう少し暗いのだが、それではよくわからないので
ちょっとばかり補正してある。
教会も武蔵野の雑木林といっしょに凍えている。
空は鈍色(にびいろ)、Mamas & Papasの「冬のカリフォルニア」の歌詞みたい。
名曲だが、知っている人は年代ばれます。

ご存じのように今年は日本海側はたいへんな豪雪だ。
雪国には知り合いも多いのでけっこう心配だ。
連日、豪雪のようすがTVやネットで紹介されているが
ほぼ毎日のように登場するのが新潟県の津南(つなん)だ。

津南は長野から十日町を結ぶ飯山線(信濃川が沿線を流れている)の街。
ここから日本海方面に山を越えたところに松之山(現在は十日町市に統合)があるが、
ここもとんでもない大雪が降るところである。
ぼくは、ここで1975年1月から1年半、
社会心理学のフィールドワークをしていた。
ここは夏はとても涼しく、おいしいお米がとれ、
さらに松之山温泉という日本三大薬湯のひとつに数えられるお湯がある。
しかし、冬場は豪雪のため多くの男性は出稼ぎに埼玉県や東京にでる。
また、どうしても産業が少ないため、地元に残る若い人が少ない。
したがって、農業や雪下ろしといったヘヴィな労働は
じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの肩や腰にかかってくる。

とにかく冬は飯山線もバス(直江津から2時間!)も止りやすく
はじめて訪れた1975年の1月も、2週間近く孤立状態になった。

ぼくは、その松之山で調査して、出稼ぎによる「父親の不在」が
母親と子どもの「依存性」にどういう影響があるか、
また、同時に過疎地でもあることから、過疎(今はさらに限界集落
ということばができている)と高校生の進路選択におよぼす影響という、
クロスオーバーというかインターメジャーといえばかっこいいが
いま思えばけっこうはずかしい舌足らずなテーマで論文を書こうとしていた。

それもきっかけは、自発的なものでなく心理学の先輩の美しい女性から
「豪雪地帯に調査にいくんだけど。雪になれている人がいないから
手伝ってほしい」と誘われたからという不純なものである。
それまでもティームで松之山には研究隊がいっていた。
夏休みには光間(ひかるま)という集落の空き農家を借りて
長期のフィールドワークほしていたのだ。
しかし、夏だけ来てもわかんねえよ。
という地元の人のなんどもいわれ、とうとう冬にいくことになったのだ。
しかし、研究メンバーは女性が多く、雪の装備も冬の野外活動の経験もない。
そこで、フットボールとキャンプばっかりやっていて
心理学の教室より体育科のほうによく出入りしているぼくに
雪上作業隊長という名誉称号があたえられることになった。

ぼくたちが松之山にはいったのは旧正月前、
現地のことばでいう小正月直前のたしか10日くらいである。
直江津では曇りだったが、バスが山間部に入ったころから雪が降りはじめ
結局、そこから24時間×7日間、まったくやまなかった。

ティームは10名ほどで、小正月の「墨塗り」や「どんど焼き」などの
行事を調査するAnthropologyとの共同隊であった。
その中身を書き出すととんでもなく長くなるのでまたにするが、
ともあれ、集落内の道幅は30センチほとで、ちょっと踏み外したら
腰まで雪の埋まってしまい、それこそ凍死の危機。
だから行動は最低三名だった。
茅葺き屋根の雪下ろしも手伝ったが、
あれはたいへんな作業である。
当時、体力自慢だったぼくは、午前中かかって半分ほどおろした。
90分ほどお昼ご飯を食べて休憩をして、また屋根にあがったら、
ほとんど元に戻るくらいに積もっていた!

ところで、あの雪下ろしは屋根の高いところから降ろさないと
たいへんなことになる。
下から降ろすと上部の雪を支えるものがなくなるために、
「ナゼがつく」つく、すなわち雪崩状態になって雪ごと落下し、
さらにその上から雪が落ちて来て大事故になる。
雪下ろし事故も連日報道されているが、ほんとうにおそろしい。

それは都会からきた生意気な大学生たちの、まあままごとみたいな研究だった。
でも、役場のみなさんも、村の人びともとても協力してくれた。

結局。ぼくはその松之山で卒論を書くことになった。
76年の6月、ぼくは論文をもって松之山を訪ね、
調査に協力してくださった学校や役場に報告した。
全部と穂でまわったのだが、
いくさきざきで、スープやおにぎりで歓迎してくれたのがうれしかった。
松之山は、今も雪が降っている。
しかし、夏はほんとうにすばらしいのでぜひ訪ねてほしい。
近年は屋外芸術の街としても知られるようになった。
観光協会(十日町市)のHPもある。
http://www.tokamachishikankou.jp/

ところで、過疎はなにが問題か。
じつは、過疎になると、集落の機能が縮小し、
過疎のなかで過密がおこってしまう。
そのことがまた、過疎化に拍車をかけてしまうのだ。
おこらないで読んでほしいのだが、
パーティでも過疎化がおこるとパーティの機能が小さくなる。
だから、会員の補強はとてもたいせつだ。
そんなこと、「きみにいわれるまでもない」だとは思うが
この寒い今から準備して遅くない。
ラボの社会的役割が大きくなってきている今だからこそ、
一定以上のメンバー数で活動の質を高めていく努力は
公的な責任であるといってもいい過ぎではないと思うようになった。
数が質を高めるのは、見落とせない点だ。

でもいいすぎかなあ。
かせだま
愛すケーキ
先月末、この日記での書き込みが発端で、
光栄にも
かせだまさんこと、忰田テューターとお友達の江上テューターを
渋谷、青山、銀座をエスコートした。
渋谷でフェネメールを見(平日なのにすごい混んでた!)
青山学院のアイビーホールでランチをいただき、
ラストは銀座のマリアージュ・フレールでお茶。
風があまりなく穏やかな午後だったが、
現役のテュータの方と久しぶりにお話すると
じつに身が引き締まる。
現場で子どもたちとむきあている迫力がすごいのだ。
このところ、いろいろラボ以外の教育関係者とあったりするが
ラボ・テューターの迫力と大きさにはかなわない。
ほんとだよ! みなさん自信をもつて!

写真は、お茶のひとこま。おふたりはタルトを。
ぼくは下の写真のアイスケーキを。


松之山で書いた卒業論文は予想以上に手間取り、
追加調査をその年(76年)の3月に実施したために
卒業を2月から6月にのばした(ICUは9月生もいるので)。

ぼくはラボにわがままををいって、4月の入社をまってもらった。
で、
卒論の閉め栗は6月12日である。
ぼくは前日の11日に学部に提出し、その足で新宿のラボセンによった。
すると、エレベーターをおりたとき、ばったりと「らくだ・こぶに」氏に会った。
「おお、三澤、大学はどうした」
「今日、卒論だしてきました」
「じゃあ、明日からこれるな」
だから、ぼくのラボ入社は1976年6月12日である。
たびたび おじゃましております
かせだまさん (2012年02月10日 12時55分)

お世話になっております!!

おすすめ新着に登録させてください。

事後承諾で ごめんなさい!
ありがとうございました★
かせだまさん (2012年02月14日 21時09分)

こんばんは~~。

皆が、SENCHOさんのページで

かせだまを「みた」というので

私も自分みたさ?にやってきました(爆笑)。

先日は、こちらこそとっても恐縮(そんな風にはみえない私)

でした。大人な空間につれていってくださり

とっても楽しかったです!!

本当に ありがとうございました。

あらためて「ラボが好き」「らぼえらぼ(かせだま作 回文)」と

思いました。

とにかく しゃべりまくりましたね~。

しかし 相変わらず銀座がわからない

迷子の迷子の かせだまです。

今日は、堂々と銀座で ガイドブックをひらいてしまいました~。

お体きをつけておすごしくださいね。
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.