幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ぼくは二十歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにもいわせまい。「わかもの」考 02月28日 (火)
ひょぅし
えらく過激なタイトルではじめてしまったが、
これは20世紀初頭のフランスの作家・哲学者
ボール・ニザン(Paul Nizan, 1905年 - 1940年)の『アデン・アラビア』の
冒頭を拝借したものだ。
ついでにもう少し引用しておく。

ぼくは二十歳だった。
それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。
恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。
世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。
ポール・ニザン(篠田浩一郎訳)「アデン・アラビア」、
『ポール・ニザン著作集1』昌文社、1966年。

ニザンはマルロー、アラゴンらとともに反戦、反ファシズムを掲げた作家だ。
この『アデン・アラビア』はニザンが26歳のときの作品である。

さても、
若さはときに峻烈で、ときに弛緩し、
ときに金属的で、ときに液体のようであり
ときに脆くて、しかしあきれるほどしなやかでもある。
ときに美しく、ときに妖しい。
さまざまなアンビバレントが若さの大きな特徴だ。

そんなおっさんのねたみごとはともかく、
26日の日曜日、世田谷区民会館に
わかものフェスティバルを見にいった。
その10日ほどまえから
「見たいなあ。券はあるのかなあ」と
わざとらしくFacebookでつぶやいたら
「ほっとくと暴れるかもしれない」と恐怖に思ったのか
ラボ教育センターのある理事から
「招待券あります」とのメールがきた。
ほとんどやくざの手口だね。こまったOBだ。

フェスティバルは朝10時30分から17時30分までの3部構成。
10支部の大学生年代の表現活動の成果が発表される。
まあ長丁場。
主催者も観客もたいへんなのよ。

まず、はじめに書いておくのだが、
フェスティバルを企画運営した実行委員諸君、
発表した10支部の表現活動メンバー、
そして観客のみなさんに
心より感謝とねぎらいのことばをおくりたい。
1200名収容の会場を朝から夕方までフルハウスにし
大きな混乱もなく、ほぼ時間通りに運営したことは
ある意味当然ではあるが、立派なことである。

また、大学や専門学校の講義、アルバイトやサークルなど
多くの時間を多様な活動に求められる年代の彼らが
日常的にラボ・パーティの会員として毎週活動するだけでなく
自分たちの陶冶と向上を求めて
表現活動に時間と経済とエネルギーと愛情を
注いでいることは驚異であり、ただただリスペクトする。

しかも、彼らの道程の後方には、幼子たちの熱視線がある。
子どもたちとつながっていることも、みのがせない。

そのうえで、あえて今日は、彼らには耳ざわりのよくないことを
書くかもしれない。
大学生年代はラボの、ある意味で先端・前衛・フオワード、
ぎゃくにいえば最後衛・フルバックである。
その彼らに対してロートルがぼやいても
たまにはいいかな。

ところで、日本人はどうしても「中高生」とか
「もう6年生」だからなどと
学年、学齢で区切る傾向がある。
大学生年代の活動も、大学生活動という名称では
専門学校生や社会人もいるからという理由で
かなり昔に、年代という尻尾がつけられた。
しかし、やはり大学生という学齢が表記される。

ぼくは、以前から学年による区分けは
「便利だけとよくないなあ」と思ってた人である。
アメリカやヨーロッパでは、むしろ実年齢で区分けされる。
under 23なんていう具合にね。

で、わかものフェスティバルは18歳~21歳くらいがメンバーだ。
そんなわけでタイトルや冒頭にニザンの文章を引用してみた。

ところで
「わかものフェスティバル」の発表団体名は
ほとんどの支部が「表現活動」ということばをつかっている。
「テーマ活動」とはいっていない。
これは大きな点だ。
また、主催はあくまで実行委員会で
ラボ教育センターは後援である。
まあ、これはたぶんに彼らの自主性をおもんぱかってのことで
なにかあったら、やっぱり責任はラボ教育センターであるが…。
しかし、まがりなりにも表現活動ということばをあえて用い、
さらに主催という一丁前の看板をだし、500円でも料金をとる以上、
それなりの責任と結果を自らに課さねばなるまい。

ここで、読者が「また船長の長話だ」といやにならぬうちに
だいじな告知。
ここでは、ごく一部の写真をアップしているが
全発表の全写真はFacebookのアルバムにしてある。
Facebookをやってない方も以下のURLで閲覧できる。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.262762543800105.59780.100001990857831&type=1&aft=262767630466263&l=d0f860bdae
よろしければごらんくだされ。
※見られないときは私書箱に連絡ください。

世田谷区民会館は古いが、なかなか装置はいい会場だ。
ぼくは会場10分前に着いたがすでにたくさんの人。
いまや全国行事となった感のある「わかものフェスティバル」である。
関西からも
かんさい
もちろん地元東京も
とうきょう
北関東からも
きたかん
神奈川からも
かないち
かなに
昼食を近くの喫茶店でとっていたらそこでも神奈川軍団。
かなさん height="334" border="0">

ご父母も、それから10歳くらいの子どもたちもいる。
ぼくがこのフェスティバルを見るのは数年ぶりだが、
前回はたしか神田だったが、じつに遠くから小学生が
母親ときていて、その親子ともども感動していたのを見て
感動してしまったのを思い出した。
その子はキャンプでシニアメイトだった大学生が出るときいて
はるばる関西から親子できたという。
そのときの発表テーマは、けっこうヘヴィな作品が多かったのだが
彼は「ぜんぶもっているライブラリーだけど
今まであまり聴いたことがなかった。でも、帰ってすくに聴きたい」
とうれしそうにいった。
ありがたいことである。

で、開場になり、入り口でプログラムのようなものをいただいた。
「大学生の本気」とある。
いやなおじさんは、ここで? となる。
なぜ、なんで本気? というわけだ。
あたりまえだろう。
表現あるいは活動と名付けるものは本気、
人生を総動員してむかわなければ意味がない。
文学、音楽、絵画、演劇、映画、なんでもそうである。
ふだんは「うそん気」なのかな、なんてイヤミだなあ。

しかし、まあまあと思って席についてから
実行委員長とコーディネイターのあいさつ文に眼を通した。
きびしいことをいうが、意味がよく伝わってこなかった。
プログラムに主催者として書く言語としてはつらい。
ほんと、こんなきびしいことを書くのはめずらしいが、
せいいっぱいの愛情と思ってほしい。
すくなくとも文からは本気の意味も
彼らの本気度合いも読み取ることは困難だった。
ましてや一般の人はそうだろう。

18歳以上のラボの仲間だからこそ、
「ことば」に生きるわれわれだからこそ
テーマや、それを表現する言語とは、もっともっと格闘してほしいのだ。
特に公的に表わす場合は、徹底的に吟味し
推敲されぬばならない。
いつも書くことだが、ラボ活動のもつ社会的役割は
ラボ内部の人間が感じているよりも、はるかに大きい。
公教育が、地域社会がなし得にくい「学び合い」を
知的に、かつ美しく、さらに柔らかく実践しているラボ。
しかも、活動の水源を母語と外国語と物語という、人間存在、
人間文化の本質にもとめているラボ。
各界に、すでにすぐれた人材を輩出しているラボは
社会から期待されていることを、
ラボの大人、すなわち18歳以上は誇りをもつべきだ。
しかし、同時にまた期待されるがゆえに、厳しい目があることも
自覚しなければならない。
そのためには、傷つけあってでも高みをめざす
まさに切磋琢磨が求められるのだ。

2012年の日本で今、自分たちが、
なにを、なぜ、そしてどのように考え、表現するのか
きびしく問わぬばならない。
遊びでも、趣味のサークル活動でもないのだから。

もちろん、いわゆる大学生年代の活動は、ほぼ4年のサイクルで
山や谷がてでくる。
ぼくは、いま母校のフットボールティームに関わっているから
そうした学生の組織バイオリズムのアップダウンがわかる。
※だからといって今年が谷というわけではないよ!
今年の実行委員メンバー、発表メンバーの平均年齢や
平均ラボ歴とか個々のデータがないと
あんまり断定したことはいえないことも承知している。

で、発表そのものだか、
いろいろと考えさせてもらうことができた。
これは、ある程度以上のキャリアがあるラボ関係者のコンセンサスだろう。
冒頭に書いたように、まず「よく頑張った」と評価したうえで。
しかし、変ないい方だが、
ものすごく伸び代があると感じたことはたしかだ。
どの発表も、よい点と課題というか努力すべきポイントが
とってもとっても明確だったから。

テーマ活動はあくまで教育プログラムだから
発表については、過程をぬきに評価めいたことはできない。
でも、この年代の自立した活動なら話は別だね。
各グループに尋ねたいこと満載。

さらにいきおいで書くと
個人的には、表現活動といっているのだから
テーマ活動の一般的な枠組みを破壊するようなものが
もっとあってよかったかな。
カトリーヌさんも書かれているが、ぼくが恐怖を感じたり
混乱をおぼえるような実験的、挑戦的ものが見たいぞ!

Facebookのアルバムですべての写真を見ていただくと
よくわかるが、
いわゆる身体表現にふしぎな共通点を感じる。
写真はあくまで二次元的だが
ときに真実を写し出す。
心とことばと身体の厳しい関係を思った。
ことばが強くなければ、身体も弱い。
そして心も届かない。
ことばありき。
それは、個々の努力の領域である。

ラボの活動は他にあまり例がない個性的なものだ。
だから、お手本がない。
常にラボっ子自身がパイオニアだ。
それが強みでありアキレス腱にもなる。
自分たちの力、強さも弱さも自覚しにくい。
人間は自身の弱さを身にしみてから成長する。

大学生年代であっても、いやだからこそ、
正面から向き合う大人が必要だ。
それはテューターであり、
事務局員でもあってほしい。

また書き過ぎてしまったが、
ひさしぶりのラボ活動にふれ、
さまざまな刺激をうけたことはまちがいない。
単一言語、再話、身体表現、語りなどについて、
また、いくつかの物語については新たな発見もできた。
それらについては、次回以降の日記で少しずつ書いていこう。

そうした刺激を与えてくれた彼らに喝采を!
また、じつにくだらないが、ある意味本質的だった
東北支部のナーサリー・ライムに、
また、たったひとりでThe Song of the Salmonに挑戦した
四国支部には特別な愛を!

下2枚 神奈川支部 『ナイチンゲール』
ないちん1
ないちん2
下2枚 北関東信越支部 『十二夜』(再話)
じゅぅにや
じゅうにやに
下3枚 九州支部 『白雪姫』
しらゆき1
どくりんご
ぶとうぐつ
下2枚 東北支部 「ナーサリー・ライム メドレー」
とうほく
とうほく2
下2枚千葉支部 『人はなんで生きるか』(再話)
ちば1
ちば2
下2枚四国支部 『サケ、はるかな旅の詩』 
さけ1
さけに
下2枚中部支部 『かえると金のまり』
すえる1
かえる2
下2枚関西支部 『ピノッキオ』
びの1
ぴのに
下2枚中国支部 『国生み』
くにうみ1
くにうみに
下2枚東京支部 『ナイチンゲールとばらの花』(再話)
おすかいち
おすかに

ポール・ニザンはフランス共産党で活躍するも、
党内部のもめごとから離党、
最後はナチスの侵攻に抵抗すべく
ダンケルクの撤退作戦に参加する途中で戦死する。
平知盛と同じ、35歳の若さだった。
二十歳☆
かせだまさん (2012年03月02日 09時49分)

谷川雁さんの「白いうた青いうた」にも

二十歳っていうのがありましたね。

わかものお疲れさまでした。

写真がいきいきしていますね。

ありがとうございました。
Re:ぼくは二十歳だった。『わかもの」考(02月28日) ・
candyさん (2012年03月11日 00時53分)

特別な愛をありがとうございます。

東京まで行く余裕が無く、残念でしたが船長さんのコメントと写真に頑張った彼
の姿を想像する事が出来ました(#^.^#)
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