幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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中年感傷旅男鹿半島編 風花とともに遠い思い出が舞いかかるからもう髪をかきあげるのはよそう やっと 更新 03月27日 (火)
かんぷうざん
例によって、またわけのわからないタイトルである。
たぶん読者のみなさんも、もう突っ込みはおろか
リアクションすることもあほらしくなっていると思う。
それはともあれ、風花(かざはな)ということばは
きいたことはあるけれど、いったいどういうものかよくわからん、
という人がけっこういらっしゃるので、少し触れておく。
風花は、晴れた空から雪が風に舞うごとく降ることで
原因の多くは、遠くの山などに積もった雪が風によって飛ばされることにある。

写真は、秋田県男鹿半島の寒風山。
3月25日の朝、男鹿温泉より300ミリで撮影したもの。
高さ355メートルの成層火山だが、周囲に高い山がないので
じつに堂々と見える。
その名の通り、寒風のなかに凛として立っている。


私事で恐縮だが、この前日の24日、59歳の誕生日を迎えた。
3年前の31日、緊急入院して4日後に告知を受けたときには
今日まで命があるとは思っていなかった。
手術、そしてその後のケアをしてくださっている
東京都医療公社大久保病院の丸山祥司医師にただただ感謝する。
そして、本当に多くの方にパワーをいただいていることに
心からお礼を述べたい。
特にラボ関係者のみなさん、
母校ICUのフットボールティームApostlesの
監督、選手、マネージャーのみなさんには
格別の力を付与されていると思う。
Positiveに前進する若い命をぼくは食べている。
医学的に根拠はないが、positiveであることは
免疫力や自己治癒力に大きな影響があると主治医もいう。
そしてもちろん、この日記の読者にも
すばらしい力をいただいてることも忘れていませんぞよ。

今回の男鹿半島行きは例によって仕事のためなので
くわしくは大人の事情で書けぬが、
土曜日にがんばって作業して日曜日はオフになり
とってもなつかしい人と再会することができた。
ラボ教育センター東北支局に入社し、事務を担当、
その後、東京本部の制作・広報局(当時の名称)、
すなわち、ぼくのところで「ことばの宇宙」を担当してくれた
鎌田園子さんである。
彼女を知っている人は、「なつかしい!」でしょう。
かまたさん
とっても明晰で、人にもことばにもていねいな対応ができるので
その後、神奈川支部のデスクに異動になったときは、とっても悲しかった。

現在、彼女は郷里の秋田県井川町という八郎潟の近くの生家にいて
農業公社の種苗センターに勤務して元気にくらしている。
地元の自然、食材、農業に興味をもち
大地と人間の基礎を見つめる仕事に関わろうと思ったそうである。
しかし、そうした思いもラボで学んだ広い世界があってのことだという。
Think global and act localを実践されている。

そして、今も、というより今のほうがたくさんラボ・ライブラリーを
聴いているそうだ。
「通勤は車ですが、その往復で毎日聴きます。
お気に入りは賢治と十五少年」
というので感動して泣きそうになったが、
その場(写真の場所・撮影はわがマネージャー)は
人気のある「ゆう菜や」という農家レストラン
(無農薬野菜のてんぷらと無農薬ヤーコン麺)で、
しかも昼時で満席だったため、さすがに遠慮した。
彼女が制作にいたのは2年ほどだが、スタジオで録音に立会ったり、
テキストの校正をしたのは、今では夢のようで
「すごい世界にいたんだなあと、あらためて思います」
としずかに微笑まれた。
「わたし録音のとき、英語のまちがいひとつみつけたんですよ」
「えーっ、そうだっけ。すごい! たとえひとつでも大ファインプレー」
「それもたいせつな思い出です」

ラボで仕事した年月が、彼女にとって、
やわらかく、そして今につながる経験になっていることにホッとした。
昼食が終り外にでると、今度は風花ではなく
ほんとうの雪になった。
そんななか鎌田さんは、空港の検査場まで送ってくれた。
「彼岸過ぎの雪はよくあるんです。
でも、もうすぐ春。八郎潟の一帯では
菜の花と桜がいっぺんに咲き誇るんですよ。
そのときに来てください」
ラボにいたときとかわらない生真面目さで
気をつけするように背筋をのばしていう。
その姿は風のなかに凛と立つ寒風山のようだった。

さて、話は前後するが3月18日に
ラボ国際交流のつどいに招待していただいた。
わかものフェスティバル、中部支部・中高大生フェスティバルに続いて
ラボ行事三連発だ。

昨年は震災の影響で中止になってしまったので、
2010年以来である。
そして、ラボ国際交流センターが公益法人として認可された春という
まさにリスタートといえる「つどい」である。
※↓佐々木財団会長あいさつ @日比谷公会堂
会長
公益法人として国から認められたということは、
長年にわたる国際交流事業の実績が
評価されたものであることはいうまでもない。
ご来賓の方がたからの祝辞にも、その旨が表現されていた。
めでたいめでたい。

だが、それは同時に大きな社会的使命、責任を背負うことであり、
より緻密な安全性、より内実をもった国際交流活動の展開が求められている
ということでもある。
そして、その活動の範囲はラボっ子のみならず、
一般的な領域、公教育とのコラボ、自治体の国際交流への協力など
これまで以上にPublicに広がる活動が期待されているということである。
誇り高いが、きびしい道をえらびとったのだ。

しかし、だからといって萎縮する必要はない。
まずは、今年の交流活動を事前活動も含めて
きっちりとやりきることがその第一歩だ。

ラボ国際交流の特徴は、ぼくがいまさら書くまでもないが
公益法人化の春に、ぼくなりの整理をしてみたい。
日比谷公会堂にいったのは、テーマ活動を観るだけでなく、
旅たつ子どもたちからパワーをもらいつつ、
上記のことを考えてみたいと思ったからだ。

ラボ国際交流は四段階で展開する。
まずは、幼いときから積み立て、そしてパーテイ活動のなかで夢を育む。
そして、二段目は事前活動である。
ウィンター、ないしはスプリングという全国規模の交流キャンプをかわきりに
パーティ活動とは別に準備の参加のための活動を行なっていく。
これは、いうまでもなく、ラボ国際交流の最大の特徴だ。
三段目は、交流そのもの、相互ホームステイである。
この「相互」という点はとても重要だ。
受け入れがあってこそ成り立つ活動なのだ。
ラボの場合、交流開始以来、来日者数よりoutoundのほうがはるかに多い。
だからかつては、受け入れの希望をだしても、
なかなかかなわなかった。

しかし、近年は外国の友の受け入れ希望はけして多くないときいた。
住宅や家庭の事情、ライフスタイルの変化などがあることは理解するが
やや、残念ななことである。
受け入れ活動も充実させていかなければ
公益法人としては恥ずかしい。

で、ラボ国際交流の四段目。
それは、もっとも長く美しい段階だ。
ホームステイで得た経験と絆を携えて生きる
残りの人生すべててである。
ラボ国際交流は一夏の経験ではないのだ。

そして、
日比谷な公会堂のオープニング、
恒例の参加者諸君の決意表明を観ながら
いろいろと考えた。
ラボ国際交流の目的がラボっ子の能力のデモンストレーション
にあるわけではない。
また、ラボ活動で学んだ成果の確認という面を否定はしないが
それがすべてでもない。
では、いちばんたいせつなことはなんだろう。

それは、おそらく愛されることだと思う。
これはけっこうむずかしいことだ。
愛されようとして、愛されるものではない。
媚をうってもきもちわるいし、甘えればいいというものでもない。
こたえはひとつではない。
たとえば、
なにかに全力に取り組む人は愛される。
いつも笑顔の人はまわりを幸せにするから愛される。
それから、なにか人にはないものをもっている人も愛される
ともあれ
受け入れをする家にとっては
「愛される人」が来てくれれればうれしい。
周囲に自慢したくなる。

そのことで地域が再結合する。
そして、家族もまた再結合、Reunionする。
家族、そして地域が再結合していくこと。
それは世界の平和への一歩であることはたしかだ。
これは、大きな公益性につながる。
ラボの場合、比較的低年齢の交流であるから、
高度な技術や経験を要する文化交流はむずかしい。
であるからこそ、「愛されること」はたいせつだなあ。
ホストファミリィの愛情を通して世界を知る。
なんと幸せなことだろう。
その経験は、世界を、人間を、自らと異なるものを
愛することのできる力になる。
そして、その力が
世界の力学に向きあい、
不公平や、差別から目をそむけない精神の根っこになる。

中島パーティの『こつばめチュチュ』は、
子どもたちの表情がすてきだった。
写真でその発表人数がわかるだろうが
この規模でのテーマ活動は大事業である。
疲労すれば、いきちがいもおこる。
でも、そんなことを微塵も感じさせない
輝いた表情がうれしかった。
「わたしたちは、この物語が大好きです」
という気持ちが伝わってきた。
ご承知のように、
『こつばめチュチュ』は複雑な人事の相関がある物語ではない。
だが、長い間、圧倒的にラボっ子たちに支持たれてきたのは、
終始、チュチュに寄り添い励ますテキストと
それを裏打ちする江守氏の語りである。
その意味では、旅立つ若者たちをおくる
国際交流のつどいでの発表テーマとして遜色はない。
幼い子どもも、高大生も、
リードする、されるという関係ではなく
それぞれ楽しんでいたのが
さわやかだった。
ちゅちゅ2
ちゅちゅ3
ちゅちゅ4
ちゅちゅ8
ちゅちゅ6
ちゅちゅ7
ちゅちゅらす
冒頭の写真の寒風山は、3万年前に活動をはじめた。
現在は気象庁指定の活火山にはふくまれていない。
周囲に高い障害物がないので、無線やテレビの中継地点には絶好だそうだ。

最近の記録としては1810年に噴火した、
という江戸幕府に提出された文書が残存する。
だが、この文書には被害や噴火のディテールが書かれていない。
また、後の調査で噴火の堆積物も見つかっていない。
つまり、農作物の被害を水増しで幕府に申告するための証拠として、
当時の久保田藩がねつ造したものらしい。
ばれれば、お家とりつぶしだが、
そんなリスクを犯さざるを得ないほど
逼迫していた北国のくらしがあった。
冷害、日照り、年貢、
そ奪われることのみであった人びとの遠い悲しみをうけとめて
寒風山は、今も凛と立っている。
 風花ですかあ。。。
かせだまさん (2012年03月28日 09時00分)

お誕生日おめでとうございます!!

お疲れさまでした。

写真をみて 思い出しました。

昔は 北関東のテューターも東京のラボセンに

はせさんじていたもので…。。。

そうでしたか。。。

秋田は 一度、予備校時代の友人をたずねて

いったことがあります。大昔です。

田沢湖が キラキラきれいでした。

それ以来 いく機会もないですが。。。

そうですね、生きてるって すごいことですね。

明日目覚める前提で 毎晩眠ってますからね。

それどころか何年も先の国際交流の話を

生きてる前提で話してますものね。

ほんとうに 感謝です。

ありがとうございます。
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