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花はいつか吹雪と散りゆき 若き日の夢は遠く…なんてガラでもないぜ! なまはげに怒られるわ。 04月08日 ()
sakura2
sakura1
さすがに自分でもひどいタイトルと思うが、
もうその日の気分だけでつけたので許しちくり。
写真は、国際基督教大学正門の600メートル超の桜並木。
この日記でも紹介したが、3月31日の同窓会・桜祭りの日は
莟がややふくらんだ程度だった。
4月3日の入学式でも開花したとはいいにくいようす。
さらにその日の午後は例の爆弾低気圧で大嵐。
でも、莟が固い状態なのが幸いして、あの風にもまけなかったようだ。
そして、昨日、4月7日、ついに桜のトンネルが完成した。
厳密にいうと満開ちょい前で、今日の日曜か明日くらいが
もう、完全にストッパーがはずれたオーバードライブ満開だろう。
でも、このぐらいが見頃かもしれぬ。
さても、
今日は灌仏会、いわゆる花祭り。
ゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)、釈迦生誕の日とされている。
だからというわけではないのだが、
父の月命日(11日)も近いといこともあり
午前、母と菩提寺である宝仙寺に墓参した。
彼岸を過ぎ、卯月に入ってなお肌寒い。
墓所は寺の横から裏手にあり、入り口では六地蔵がでむかえる。

宝仙寺の参道の入口は青梅街道に面しているが、
そこから山門までは約100メートルあり(阿吽の仁王が門番、
子どものときは怖くて下をむいて通った。そのことを今でも母はいう)
山門から本堂までは50メートル。
だから墓所のあたりでは、高層ビルのてっぺんが
伽藍のむこうに巨大な卒塔婆のようにのぞいているが
車の騒音もほとんどきこえない。
※「がらんどうがあった」の「がらんどう」は伽藍堂である。
都会の墓地といっても静かなものだ。
ただ、平日だと、墓地の裏にある宝仙学園の
生徒たちのさんざめきがかしましい。
もっとも、無限の可能性をもつ若い声が届いてくるほうが
死者との対話のつらさをまぎらせてくれる。
2月に82歳になった母は膝が痛い。
まだ手術をする段階ではないが、かなり骨が摩耗している。
また右腰には人工関節が入っている。
骨盤に強化プラスティックで覆われたチタンの皿があり、
そこに大腿骨にうめこまれたチタンのボールが
ボコンと入っている。

ここで、無理矢理ラボにつなげる。
※チタン、titaniumはとっても固い金属で、かつ腐蝕しにくい。
地核のなかには鉄の次くらいにたくさんあるらしいが、
単体ではほとんど見つからず化合物として鉱石のなかにあるのがふつう。
だから、それを精製するのはとってもたいへんなので
値段が高いのである。
titaniumの綴りからもわかるように、その名の由来は
ギリシア神話で最初に世界を支配した
ティタン(タイタン)族(巨人族)である。
親玉はご存じクロノス。
クロノスは10年におよぶゼウス率いるオリュンポスの12神たちとの
戦いにやぶれ、ほろぴる。
※クロノスの遺骸はパラバラになって海を漂うが、
その身体の一部(とんてもない部分)が泡(アフロス)となり
そこから美しい神が生まれる。
それがアフロディテ(ビーナス)である。
おそろしやギリシア人。

ゼウスたちはティタン族が地獄の底のそのまた底である
タルタロスに閉じ込められていた怪物たちを
解放して味方につける。
尻尾が毒蛇で三頭の猛犬ケルベロスや、
100の頭をもつヘカトンケイルなどの、いずれもヤバイ連中だ。
なかでも最強は雷と稲妻で
ゼウスの主力武器となった。
ライブラリーにもでてくるが、
ゼウスが「雷神の王」とよばれるのもそのためだ。
人間に火をあたえてひどいめにあった
プロメテウスもティタン族に分類されるが、
その予見能力(Pro-methus)、
すなわち先を見通す力をもつがゆえに
「ゼウスは雷と稲妻をもってるから戦うのはやめたほうがいい」と
クロノスらに進言したために死罪を免れた。
でも、所詮は外様なので、ゼウスから「人間をつくれ」とか
けっこうな無茶ぶりをされて、結果はご承知の通りだ。
また、プロメテウスは「メコネの腑分け」というエピソードでも
ゼウスと対立し、このときもしてやられている。
人間の命にかぎりがあるのも、このエピソードのおかげだ。
長くなるからざっくり書くが
ゼウスが飢餓によって人類を滅ぼそうとした際、
神への供物と人間の主食をクジで決めることになった。
その際、プロメテウスは機転をきかせ、
ひとつは雄牛の不潔な胃袋に詰めた雄牛の肉、
もうひとつはきれいな脂で覆われた骨(美味しそうに見えるが中身は食べ物ではない)を差し出した。
すると、まんまとゼウスは後者を選び、
以降、人間は神に肉を供物として捧げずにすむようになった。
しかし、これもゼウスのほうが上手だった。
「骨は醜く朽ち果てる肉とは違い永遠である」のだ。
永遠の命をもつ神に、いつかは腐って消える肉は不要。
人間は一時的には旨い肉を焼いて食べることができるが、
まさに肉が象徴するように、いずれ朽ち果てる。
しかし、骨は滅びない。
人間がmotal、死すべき存在になったのはここからだと
ギリシア神話は語る。すごいね。

さて、母の話にもどる。
膝が痛いし、腰もかばうからゆっくりとしか歩けない。
でも車椅子は絶対いやだといって、
近距離(玄関から門程度の10m)は杖、
それ以上は手押し車を使用している。
買い物も近所で軽いものなら自分ですませる。
しかし、墓参りは水とか花とか線香とか
いろいろと備品が必要だから一人では困難だ。
墓参のときは、ぼくがサポートする。
母は手押し車でゆっくり移動し、
ぼくが先回りしながらあちこちかけまわる。
花を買っていると母が追いつき、ともに青梅街道を渡る。
ぼくは線香を買い、火をつけ、水桶と柄杓をとりにいく。
そのあいだ、母はまたゆっくりと手押し車を押す。
三澤家の墓に行くには斜面をくだらねばならない。
これがなかなかの作業だ。
自分のペースで母も歩きたいだろうから、
急坂や階段のように手を携える必要がないかぎり、
真横を歩かない。
空や木々をながめながら少し前をゆく。
ときどき立ち止まって母を待つ。
今日も、そうやて母は陽だまりのなかを
ゆっくりゆっくり息子のほうに歩いてくる。
つらそうではないが、見つめているとこみあげてくる。
ひたすら仕事をしていたときは考えられない
時間が流れている。
仕事だけの人生はある意味つまらないという人もいる。
しかし、冷静に考えるとそれよりいい人生がどのくらいあるというのだ
と思って激しく仕事をしてきた。

だが、こうした暮らしも、
また意味のある生き方だと思えるようになった。
卯月の空を風がわたる。
沈黙してならぶ墓石のなかを、母がゆっくり動く。
声はかけない。あせらせたくない。
待つことがちっともストレスにはならない。
ふしぎだ。
そして、
母より先に死ねないと思う。
でも矛盾するようだが、
もしかすると母は、かなうならば
ぼくの人生を見届けたいのではないだろうか。
母親の本質はそこにあるのかもしれない。
ラボ・テューターが女性である理由も
最近、少しわかるような気がしている。
church
昨日は、さすがに土曜日ということもあって、近隣のみなさんや
卒業生などが、観桜に訪れていた。
上は教会方向。
なお、冒頭に掲載した正門の直線は
ゼロ戦をつくっていた中島飛行機の
研究所がつかっていた滑走路だといわれてきた。
ぼくらもそれを信じていて、よく滑走路を三往復! などといっていた。
しかし、どうもそれは都市伝説らしい。
たしかにICUは東京ドーム13個分という広大な敷地だが、
もともとは中島飛行機の研究施設であった。
それは事実だし、ICUのとなりには中島飛行機の技術をうけついだ
「スバル」の富士重工の工場がいまもある。

だが、このマクリーン通り(建学の功労あった牧師の名から)を
滑走路でつかっていたという証拠になるものはないようだ。
実際には試作機ができると、近くの調布飛行場に陸送し
そこから飛ばしていたらしい。
たしかに
正味600メートルでは、いかにプロペラ機でも離着陸は困難だろう。
下は図書館方向を撮影。
libra
3/31 4/3 そして昨日と連続で大学にきた。
もちろん、桜のためだけでなく、それぞれご用のむきがあった。
昨日ももちろん用事があったのだが特別ゲストもいらっしゃった。
写真でおわかりだと思うが…。
なにをかくそう
以前から一度行きたいとおっしゃっていた、
というより、前回渋谷でフェルメールを観て銀座でお茶を飲んだとき
「次はお花見のころ」となんとなく勢いに押されて
約束していた「かせだま」さんがやってきたのだ!
まあ、桜が見頃で一安心。
さらに、仲良しだという井口理子さんも遅れて登場。
午前のパーティを終ってかけつけられたとのこと!
かせだま「春休みでパーティするの」
井口「新学期パーティの準備ね」
船長「心がけに差があるようですなあ」
いずれにせよ、失礼な会話である。
Upper
ksaeigu
話は大きくぶっとんで、前回の日記で載せなかった「なまはげ」。
下は男鹿の真山(しんざん)神社の境内にある「伝承館」の内部。
写真はどんどんオッケー! とあかるく管理の人がいってくれたのが楽しい。
ここは、「なまはげ発祥の地」のひとつといわれる
真山神社が管理しており、冬期は週末、それ以外の時期は毎日、
「正統なまはげ神事」を見学することができる。
それで伝承館というのだ。
この伝承館は、民家をそのまま使用しているが、
となりには近代的な「なまはげ館」があり、
さまざまな資料の展示や映像などを見学することができる。
※今回は、そこで取材をするのがひとつの目的でもあった。
伝承館1
なまはげ様がやってくる部屋。
なまはげの由来や詳細は、ぼくが書かなくても
検索すればいくらでもでてくるのでそちらにおまかせ。
ただ、起源には諸説あるということと、
「なまはげ」とよぶ大晦日の神事は秋田の男鹿だけだが、
似たような年越しの神事は県内や東北地方に
いくつか見られるという点は書いておこう。
下は、流し撮りの効果が出すぎて、怖すぎるのでどうかと迷った写真。
なまはげ様乱入のシーンである。
大晦日の夕方、午後4時くらいからスタートして
家いえをまわり、午後9時ころには終るそうだ。
そうじゃないと、なまはげ役の人が年越しの用意をできないからね。
この乱入は、とてつもない大音響をたてる。
それだけで、おとなも恐怖を感じる。
テロリストがとつぜん入って来たらこんな感じだろう。
たが、この大音響にも「魔をはらう」という意味がこめられている。
そして、突入前になまはげ様は七回、
途中で五回、帰り際に三回、という七五三の四股を踏む。
これも大地のオカルティックなクリーニング作業だ。
伝承館2
なまはげ様がひとしきりあばれ、子どもたちをじゅうぶん泣かすと
※子どもに触れることも破邪の作業だという。
家長が上座にすわらせ、年越しのお膳と酒をふるまう。
でっかい茶碗ででるので、なまはげ役にはリザープがいないと
たいへんなことになるらしい。
しかも、家から家へ走って移動するのでもうべろべろ。
問答
そして、家長となまはげが問答をするが
その内容は時代によってかわる。
現代では
「おめんとこのわらしこは、ゲームばかりやっでねえが」
とか「○○んとこの嫁は韓流ドラマにはまってんでねえが」
なんて具合だそうだ。おもしろい。
号泣
この日、大晦日でもないのに運悪く親に連れてこられていた子どもは
いうまでもなく大号泣。
なまはげ様が去ったあとは、わらくずがすごいが、
これも神聖なものなので、元旦の朝までそのままにしておき、
年があけてから焚き付けなどに使用するという。
男鹿には60ほどの集落があり、それぞれやり方もなまはげのコステュームも
微妙に異なる。
なまはげの異形の面には角がついてることが多いが
この真山地区のなまはげ様には角がない。
それは、鬼ではなく神であることの証だとうかがった。

雪深い里で、大晦日の闇のなかで行なわれる神事。
おしこめられた冬の暮らしのなかで、
新年の訪れとともにあたたかく、そして命が芽吹く春をよぼうという
せつなく、そしてひたむきなきもちが
このあらあらしい神事にこめられているにちがいない。

夜、男鹿温泉の宿の大展望風呂から外を眺めたが、
夜景はおろか、まったくなにも見えない漆黒の夜がひろがっていた。

なまはげ様役は基本は独身男性だそうだ。
案内してくれた方は、年配の方だったが
若き日にはなまはげ役を何度もやり、
飲めなかったお酒が大好きになったそうだ。
「でも面をつけて、酒を飲むと、たしかに人格がかわります。
なかにかが乗り移ったようになり、車をひっくりかえしたりしました。
こわいですよ」

世界中、祭りは、基本的に人々を異常なテンションにさせる。
ファナティックであること、
ディオニュソス的であることは
祭りのもつ本質であろう。
ラボっ子囃しのように。
狂わなければ祭りではないともいえる。
きびしい日常の対極に
ぶっとんだ祭りは存在する。
ラボでけが人がでたら困るが
テーマ活動もソングバードも祭りの狂気に通じるところがある。
それは、ことばと身体がもつ神性とも関わるのではないだろうか。
propertq
桜を見てからお二人を調布飛行場にあるプロペラカフェにご案内した。
ここは、飛行機やヘリを間近に眺めながら、かなりおいしいランチや
スイーツがお安くいただける。
しかし、残念ながら土曜日で超満員であった。
そこで記念写真のみ。


ブロメテウスのproはさっきも書いたように「前」であり
produce program propellerなど関連する語は数かぎりない。
対して弟のエピメテウスは「後から考える人」である。
Episode Epilogue なんかも同根。
エピメテウスにはゼウスたちがパンドラというやっかいものをおくりこんだ。
パンドラには、神がみが、美、好奇心、などとともに
例の箱をおみやげを持たせた。

パンドラがあけた箱のなかからは多くの厄災があふれた。
今のわれわれには、
そのときのように、「希望」がのこされているのだろうか。
ありがとうございました。
かせだまさん (2012年04月10日 21時27分)

写真、楽しく写ってますね。自分のあっけらかんとした姿に 

笑っちゃいました。

桜、きれいでしたねえ。

案内していただき、ほんとうにありがとうございました。

いやはや、広い大学でしたね。

アメリカっぽかったです。

あの日は 頭がはたらいてなくて

武蔵ちがいの駅におりたり

いろいろ やらかしてすみません。

ありがとうございました。

日本庭園も良かった。。。

かせだまパーティも、今日のフェローシップから

新学期が やっとこさ はじまりました。

明日は イースターです。

ありがとうございました。
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