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雨の京都で考えた。美しいものに出会うことも人生の価値なのだ。ようやく更新 04月24日 (火)
こうえつ1
写真は4月23日月曜日の朝9時、京都市北区鷹峯・光悦寺の山門手前。
前日の雨で緑があざやかに生きかえっていた。
ひさしぶりの更新なのは、このところめずらしくバタバタしていたためだ。
組織から離れてからたしかに自由度は増したが、
やはり「群れない」ということは、当然ひとりで背負うことも多くなる。
だから組織と個人、どっちがいいなんていう議論はむなしい。
都会と田舎、男と女、などの二元論的比較はほとんど無意味だぜ。

ここで報告。
4月の頭、術後三年目ということで2泊3日の入院で精密検査を行なった。
血液検査、胃カメラ、大腸内視鏡、造影剤CTである。
で、結果が17日にでた。
血液は血算、すなわち血球や血小板、へモグロピンなどの基本構造は正常。
つづいて生化学は、尿酸値、コレステロール、
中性脂肪、アルブミン、カリウム、ナトリウム、肝臓、
腎臓関連などもクリアした。
いちばん重要なTM(tumourの略語だと思う)マーカー、
CEAとCA19-9も正常値だった!
これがいちばんほっとする。この数値に一喜一憂するのががん患者だ。
前にも書いたが、マーカーはあくまでも目安で、
がんの種類や発生部位によって対応するマーカーがちがうが、
必ずしもマーカーに反映しないものもあるのでややこしい。
ただ、ぼくのはたいへんよくマーカーにあらわれる種類だそうで、
手術する前はCA19-9が3400もあった。
血液関連はこれでよしと小さくガッツポーズしていたら、
「食べ過ぎに注意しましょう」とのチェックがはいった。気をつけよ。
続いて造影剤を入れての全身CT画像診断もクリア! 
再発・転移の兆候なし。
さらに大腸内視鏡の結果もクリア。
手術でつないだところも(吻合部)きれいだし(われながらうまい! と主治医)、
ポリープもないとのこと。胃カメラもOK。
ただ。2004年に患った胃潰瘍
(忘れもしない、『ひとつしかない地球』の
オーディションの日の夜に救急搬送された。
あいさつだけして、選考会はスタッフと木島タローちゃんにまかせて
役員室でたおれてた。じつはこの日の夜、
永山裕子さんが絵を納品に来られるので、
それまではと思ってかんばっていたが、胃から出血しているために
貧血状態でふらふらだった。永山さんは、「こんな紫色の人がいる」と
どん引きしたと後日うかがった。
そして、彼女が帰った後に搬送された。)
の後が少しもりあがっているが、生検の結果問題なし。
これでオールクリアとよろこんでいたら、
主治医はニコリともせず「生検したらピロリ菌が見つかったから駆除しましょう」。
はいはいお願いします。
というわけで、除去薬セットを朝晩7日間飲むことになった。
ともあれ、死を覚悟してから三年、
たくさんのみなさんからパワーをもらって元気である。
冒頭に「群れない」などとかっこつけたが、
人間は一人では生きられない。
なにかしらにリンクし、またされて存在しているのだと思う。

さて、この日曜日と月曜日に一泊で京都にいった。
ほとんど「そうだ京都に行こう」的な突発旅行だ。
もちろん、人に会う用もあったのだか、
それは電話かメールでも足りる内容だった。
それでも、わずか1時間の話をするという理由をつけて
12時07分品川発の「のぞみ」に乗った。
こういうわがまままができるのが、一匹豚(オオカミではないので)
のいいところだ。

京都、奈良はラボに入社してから5年間、
関西総局に組織担当として勤務していたとき、
けっこうマメにあちこちでかけた。
でも、知らない寺社や庭園やお店は山ほどあるし、
一度いったところでも、重ねて味わうことで
新たな発見、感動がある。
これもまたライブラリーのごとし。

しかし、1981年に東京に戻り、
86年に制作に異動してからは、京都、奈良はおろか
プライベイトででかけた旅行はわずかしかない。
だから家族といった旅行は貴重で、ほとんど鮮明に記憶している。

1986年以降、
京都へは仕事では三度でかけた。
一回目は『なよたけのかぐやひめ』刊行の年、
秦恒平先生を招いて渡月橋そばのホテル嵐山で開催された
一泊のテューターむけ講演会。
これはなかなか好評で、午後3時ごろ集合して、
夜はたっぶりと秦先生のお話をうかがい、
翌日は嵐山から洛北の歴史探訪ツアーというゴージャス企画。
このときは現、神奈川支部の倉藤テューターのご実家に
参加者の荷物をあずかっていただいた。ありがたや。
なお、このときの講演に加筆したものが「制作資料集」に掲載されている。

二回目は『ドン・キホーテ』の英語と日本語の
すりあわせのため、当時は京都市立芸術大学教授だった
ロジャー・パルバース氏を訪ねたときだ。
このときは、以前にラボに勤めていたことのある知人の口ききで
立命館大学の立派な部屋をまる一日お借りして、
一行ずつ日本語と英語の訳対応、ニュアンス、リズムなどを
ぎりぎりと、ときにはケンカしながら、
ときには作家のプライドをずたずたにしながら話し合った。
パルバース氏も作家として、ゆずれない点はもちろんあるし、
こちとらもラボとしてこだわるところもある。
そのあたりをごまかし、衝突を回避していたら
よいものをつくれない。
というより、逃げる者は作り手になるべきではない。

しかし、そうしたはげしいやりとりがあっても着地できるのは
「子どもたちに本物をとどけたい」という
飛行高度と方位だけは一致していることである。
この点もまた重要だ。

このときは、前夜にほとんど徹夜で「テュータ通信」の
編集をしており、そのまま朝一で印刷所に入校してから新幹線に乗った。
よく京都を通りすごさなかった。
バルバース氏とのやりとりは、前述のように白熱したが、
お互いにイメージがつかみきれないと、
バルパース氏は
「じゃあ、ちょっとこの場面やってみましょう」と立ち上がる。
根っからの劇作家なのだなあと思った。

仕事で京都に行った三回目もパルバース氏がからんでいる。
宮沢賢治作品刊行の年、
バルバース氏と天沢退二郎先生の対談が御所近くのホテルで行なわれ、
その記録をとるためだ。
この日は日帰りというハードなスケジュールだったなあ。
それが1995年のことだから、
ひょんなことから仕事が生まれ、
訪れることになった昨年の秋まで、
16年も京都には行っていない。

若き日にはかなりいろいろな寺社や庭園を観た。
でも、ぼくとしては、それらはずいぶん浅い味わい方で、
血肉にはたいしてなっていない物見遊山に過ぎないと
自分できめつけていた。
しかし、ふしぎなことたが、
昨秋、そして今回と二回訪れただけなのに
いろいろな感覚や思いが、新鮮にそしてなつかしく戻ってくるのを感じた。
やはり、若いときに出会った土地に固有の色合いとか
風とか光とか香りのようなものは
心のハードディスクにけっこう堆積していて
ある程度の年齢になって再訪、再々訪すると
まるで、外国語のように蘇るのだ。

我田引水的だが、こうした土地との出会いも
ライブラリーのようにひとつの総合的な物語であり、
幼き日、青き日に、わけがわからなくても
浅かろうが深かろうが、その瑞々しい魂でふれて感じることが
なによりたいせつなのだろう。

そして、さらにいえば、
美しいものを作りだして人類に貢献することは
もちろん、人生の価値、生きた価値であるが、
美しいもの、すばらしい絵、音楽、舞台、建築、
物語、人間などに、
どれだけ出会ったかも、まちがいなく人生の価値なのだと確信する。
だから、極端にいいきれば、
ラボの物語と出会い、ラボの仲間たちと活動する、
そのことだけでも大きな人生の価値の礎になる。
いいすぎかなあ。

さて、個人的な意見だが、できれば京都はちょっとずつ味わうのがいい。
予算や日程のつごうがあるから、地元民でもないかぎり、
一回いけば、あちこち観たくなる。
しかし、そこはがまん。
今回、日曜日の12時07分発のぞみに乗ってついたのは
天気のあやしい午後2時18分。
そこから地元の知人の車で、まずは東山泉涌寺・雲龍院にむかった。
下の写真がそう。
真言宗泉涌寺派の名刹、別格本山の名をもち
皇室と徳川幕府と双方から庇護された寺だ。
しばし庭を眺める。
障子を全開、半開、そして閉めたとき。
それぞれにテイストがちがう。
灯籠のまほりに菊紋が描かれているのは皇室との関係ゆえである。
ちなみにこの寺がてきたのは14世紀の頭。
うんりゅう1
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うんりゅう3
うんりゅう4
うんりゅう5
うんりゅう6
うんりゅう7
ここの庭は紅葉のときは大混雑。
まよい
さとり
さとり2
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上は書院の悟之間につくられた「迷いの窓」と「悟り之窓」(丸いほう)。
また、お茶もいただける。
オリジナルの薯蕷饅頭がすばらしい。
扇には菊と三葉葵。皇室と幕府から許可されたという。
お茶をたのむといただける。

下は金平糖の名店、緑寿庵清水。とってもちいさな店だけどすごい。
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御所雲月の塩昆布は絶品だ。南青山にも店があるが
御所とつけられているのはここだけ、
雲月
上賀茂神社にしだれ桜がまだ。
上賀茂
しだれ
松野醤油は地元の人が買いにいくこだわりの名店。
まつの
翌日は、光悦寺、本阿彌光悦の寺からスタート。
夜の雨で緑鮮やか。
ここは大型バスおことわりという強気が最高。
したがってすいてる。
光悦は、じつにすぐれたアートディレクター、クリエイターだ。
その才の100分の1くらいにあやかりたいとお参り。
いまさら遅い。竹の美しい格子は「光悦垣」だ。
こえつ2
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こうえつかぎ
やまも
下が光悦のお墓。
こうえつぼ
そして、利休が切腹するきっかけとなった大徳寺。
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龍月院で庭をたのしむ。
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蓬莱山と鶴島、亀島。
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あとにわ
日本でいちばん小さく、しかし底知れぬ深さのある中の石庭。
なかにわ
そろそろ修学旅行のみなさんが登場。
最近は小型のワゴンタクシーでまわるのがはやりだって。
かえり

『ドン・キホーテ』の打ち合わせが終ったのは、もう夜の8時過ぎ。
金閣寺そばの小さな座敷でパルバース氏と遅い夕食をとった。
外に出ると浅い春の星がふるえている。
別れ際、バルバース氏は
「かんばりまあす。よろしくおねがいしまあす」
と長身をかがめておじぎをし、もみ手をする
ステレオタイプ日本人サラリーマンの演技をした。
その瞬間、ぐうぜん通りかかった車のライトが
氏をピンスポットのような陰影のなかに描き出し、
一瞬の劇的空間か現出した。
「ラボの子どもたち、たのしんでくれるかな」

『ドリームタイム』で時代を切り裂くブーメランを投じた
タフでラフで繊細な劇作家は
わかれのことばを
また、戻ってきた京の闇にそっと置いた。
Re:雨の京都で考えた。美しいものに出会うことも人生の価値なのだ。(04月24日)
HITACHIさん (2012年04月25日 06時04分)

やはりSENCHOさんの写真はすばらしい!
雨の京都もすてきですね。

さて何よりも,検査結果が異常なしでほんとうに良かったですね!
これが一番うれしい事ですよね。

ライブラリーについて予告された日記も楽しみにしております。
Re:雨の京都で考えた。美しいものに出会うことも人生の価値なのだ。(04月24日)
かせだまさん (2012年04月26日 09時33分)

ほほほ。検査の結果 よかったですね。

なお、お大事になさいませ。

京都の写真は みずみずしくて

いいですねえ。

オオカミらしく マイペースで おすごしください。

ありがとうございます。
Re:雨の京都で考えた。美しいものに出会うことも人生の価値なのだ。(04月24日)
☆ショコラ☆さん (2012年04月27日 01時06分)

お久しぶりです。

京都へ行きたくなりました。

「ラボの物語と出会い、ラボの仲間たちと活動する、
そのことだけでも大きな人生の価値の礎になる。」

まったく同感です!
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