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やっと更新 ふたたび雨の京都で考えた。化野の風に立ち、祇王寺のこもれ陽にゆれる 05月17日 (木)
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先月の京都行きからほぼ一月。
他生の縁あって、仕事の続きでふたたび西にむかった。
そして、またしっかり1日目は雨である。
スタッフ全員に雨男と名指しで批判された。
上の写真は祇王寺の庭。
清盛と祇王、祇女ゆかりの寺だ。
苔に落ちるこもれ陽が昔をしずかに語っていた。
下は翌日、晴天の化野念仏寺の竹林。
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下もおなじく化野。モデル役は地元参加の技術スタッフさん。
テスト撮りで位置とかアングルをきめているところ。
この後、本職のモデルさんで撮影するのだが、
それは契約という大人の事情でアップできないのよ。
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でも、この寺の累々とした死者の風景は、冬や夕刻にながめると
賽の河原(それで西院という別名がある)を想起させる
はかなさと、妖しさと、せつない美しさがあるが、
この日は青空とやわらかな陽射しのなかで
石塔も石仏もおだやかによりそっていた。
化野の化(あだし)は、はかなさ、むなしさのことであり、
同時に、極楽往生と死から生への生まれかわりの「化」でもある。
吉田兼好も『徒然草』でふれているし
式子内親王も歌を詠んでいる。
どちらも、人の命のはかなさに言及しているが
ここでは、西行法師の歌を紹介しておこう。

誰とても
留まるべきかは あだし野の
草の葉毎に すがる白露

この寺に来ると
さすがにぼくのような鈍にして愚な者も
遠くなった人びと、いまなお諍いやまぬ人類を思う。

で、下の写真は13日の日曜日に開催された東京支部テーマ活動発表会から。
越智和代パーティ『ジュリアス・シーザー』
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例によって全部の写真は
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.310763618999997.69469.100001990857831&type=3&l=a67c204bb6
のFacebookアルバムで見てください。

『ジュリアス・シーザー』はシェイクスピアが
テームズ河畔のThe Globeの支配人兼、座付き作家になったとき
同劇場のこけら落としのために書いた戯曲だ。

ときに1600年、日本では非常に効率の悪い戦争をやっていた。
もっとも、戦争の効率化は比較にならないほど大量の死をもたらす。
しかも、非戦闘員もまきこんでいく。
ただ、過去も昔も戦争は人間最大の不条理である。
正義の戦争などない。
大西巨人氏が大作『神聖喜劇』のなかで
「戦争におけるすべての死は犬死にである」と書ききっているように。

『ジュリアス・シーザー』はプルタークの「英雄伝」が下敷きになっている。
絶対権力者、シーザーとその暗殺前後をめぐる物語は
すでにこの時代のロンドンではよく知られたストーリィだった。
ごぞんじ「忠臣蔵」みたいにね。
劇場のこけら落としの作品に
失敗、しょぼい観客動員はゆるされない。
誰にでもわかるタイトル、人口に膾炙している物語が求められる。
シェイクスピアは、今では大芸術家であるが
プロの作家であり、プロデューサーでもあった。
大歴史悲劇「シーザー」で満員だぜ! という計算はあったろう。

しかし、それで終らないのがシェイクスピアだ。
目立つのはなんといっても、下手人であるブルータス。
すなわちブルータスの物語になっている。
『シーザー』で客をよんで、じつはという技だ。プロだなあ。

ライブラリーでも、たとえば『ノアの箱船』は
巻タイトルを考える場合
物語の長さからいったら『ギルガメッシュ王物語』だ。
でも、それだとあまり人口に膾炙していない。
子どもたちやご父母から
「先生、こんどの新しいおはなしなんですか」きかれたとき
「『ギルガメッシュ』よ」
「?」
っていうのもこまるからね。
もちろん、オリジナルで
『こつばめチュチュ』『国生み』みたいなタイトルもありだけと…。

京都行きは15日火曜日。
朝、半年に一度、人口股関節の検査をする母を
代々木のJR病院に送り、
検査と問診に立ちあってから品川に向かった。
駅につくと雨がふりはじめたので、
京都につくころには止んでいるかと期待された。
しかし、八条口におりるとやっぱり雨。
この日に予定されていた葵祭も順延とのこと。
どうも夜まで降り続くらしい。
となると、今回のロケ地のなかでの選択肢は雨でも美しい詩仙堂へ。
しかし、この週は修学旅行ラッシュ、
とくに川崎市を中心に神奈川県の中学が大挙京都入りしているという。
詩仙堂は大型バスが近くに駐車できないし、急坂の上だから
大きな団体はあまり来ない。
でも、最近の修学旅行はワゴンタクシーをチャーターして
小グループで廻るのが主流なので詩仙堂も安心はできぬ。
そこで先発隊が先にロケハンすることになった。やれやれ。
ぼくは本隊なので、その間に老舗のお店がならぶ寺町通を取材だ。
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上は、寺町二条上ルの茶舗「一保堂」。いわずとしれたお茶の名店だ。
宇治の新茶、煎茶を一時間かけて水出しした一服を
小ぶりの白磁でいただく。
頭の先からすーっと、気持ちが落ち着く。すごい!
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詩仙堂丈山寺の山門。
石川丈山は59歳のときにこの別荘をつくりはじめた。
ぼくとタメ年ではないか!
とんでもないセンスとガッツだ。
その両方をもつのは難しい。
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詩仙堂は昨秋11月以来。雨の庭もいい。
四季の変化を想定したプロデュースなんだなあ。
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詩仙堂をでたのは15時少し前、雨は依然として降り続き、
寺社の撮影は困難ということで街場を撮ることにした。
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上は堀川通り鞍馬口上る御所田町の紫式部の墓。方墳である。
ここは、あの電車好きの、ノーベル化学賞受賞者田中氏が勤務する
島津製作所の敷地内にあるので、
とうぜんにも同製作所が管理している。
ちなみに島津製作所は京都市内にかなりの敷地をもち、
工場のみならず病院から寮までさまざまな設備かある。
田中氏専用の巨大な研究棟まで建っている。

式部は藤原為時の娘であることはわかっているが、生没年は不詳。
生まれ年は970~978年までの数説、没年も1014~1031年までとさまざまだ。
これも日本史の大きな謎のひとつだ。
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なにせ世界にほこる日本の天才作家だから、物語づくりに長く関わり
いまも駄文をなりわいとしている身としては、お参りせねばバチががあたる。
昨年4月には、出雲で中村阿国の墓を訪ねたが、
これで国内の大先輩はだいたいカバーしたと思う。

式部の本名は香子(かおりこ・たかこ・こうし)という説があるが
これも現在では、その真偽についてはあいまいなままだ。
ペンネームの式部は、父あるいは親族の官職からというのが通説で
さらに『源氏物語』のヒロイン紫の上から
紫式部よばれるようになったらしい。
式部は幼いときからとんでもない記憶力と、表現力があり、
すぐれた学者、歌人であった父の DNAをうけついでいた。
藤原宣孝とかなりの年の差婚をするが、
一女をもうけた後、夫ははやばやと他界してしまう。
その後、式部は一条天皇の中宮・彰子に家庭教師役として仕えた。
『源氏物語』は、その間の1006年から1009年に書かれたといわれる。

式部の行動範囲は、その生い立ち、立場からいってもそれほど自由ではなく
きわめてがきられていたはずだ。
だからこそ、式部は貴族や姫、女官たちの生活や思いを
じっくりと強力な洞察力で見ることができた。
そして、54帖におよぶ壮大なロマンのなかに
男女の相関、恋愛の業などをじつにリアルに描いた。
しかも、それは時をこえても変わりにくい
人間の普遍的な心のあり様でもあった。
だからこそ、この作品が世界でも高く評価されているのだ。
特定の時代の特定の階級の、しかも限られた空間が舞台でありながら
「未来に残したい世界文学100編」にただひとつ日本から選ばれたのは
「人間の普遍的真実」に根ざしているからなのだ。

それが、古典の強みである。
いつも書くことだが、ベートーヴェンは100年後に
聴いてもやはりベートーヴェンであるように
『源氏物語』もまた、200年たって読んでも新鮮だろう。
人間の本質がそこにあるがゆえに、過去のフィクションであっても
常に「今の現実」のように読むことができるのだ。
古典を昔の事と読んでいてはおもしろさはわからない。
今の事と思って読みたいものだ。
しかも、古典はその当時のニューウェーブだ。
かっこよかったんだろうな。
紫式部の前後には、伊勢、清少納言、和泉式部、赤染衛門など
すぐれた女性アーティストが、綺羅、星の如く居ならぶ。

※綺羅星の如くは誤り、綺羅の綺は綾織りの絹織物、羅は薄織りの絹織物で
総じて美しい着物、転じて優れた人物にもつかわれる。
綺羅星と一語で使うのはまちがいなのだが、最近はよく使われる。
いずれ定着してしまうかも。
同様に「間髪を入れず」も誤用で、「間、髪を入れず」(それほど隙間がない)が正しい。

やはり女性はすごいなあ。
ぼくはフェミニストではないが、いろいろな個人的事情から
女性は崇め奉るようにしている。ぶるぶる。

『源氏物語』「絵合わせ」のなかで、

※絵合わせは、貴族どうしが物語をきめてお抱えの画家に一場面を描かせ
どちらの作品が、より的確にあらわしているかを競う遊び。

式部は登場人物である紀貫之に「『竹取物語』は物語の出で来始めの祖(いできばしめのおや)」だと語らせている。
式部は、彼女から見てもずっと昔に書かれた『竹取物語』を
日本の物語のルーツだと登場人物をつかってメッセージしているのだ。

・漢字仮名まじり文という斬新な試み。
・宮中にいなければ書けない内容。
 =登場する男たちは、すべて天皇の子とか超身分の高い貴族。右大臣以上。
 右大臣と左大臣は、役職的にはかなりの差。そしてラストにはとうとう帝も

・はるか日本をとびだしたエキゾティックなふんいき。
 =宝探しは、もちろん想像上のフィクションだが、海外の情報をもっていなけ
ればこれほどには書けない。
・竹取の翁という、竹づくりで竹をうる非農民、すなわち身分の低い翁が
 かぐや姫を得ることで一躍、長者になり、あわよくば朝廷とつながろうと
姫と心理戦をくりかえす。しかし、姫が月にかえることですべてを失う。
 すなわち、翁のアップダウンというサスペンス。
 =翁は、竹取と蔑まれてきたこともあり、きたえられていて、なかなかしたた
かである。帝にいいよられてる姫に、「こんな年寄りの願いをきいてくれない
か」と、まずはかぐや姫が総論でイエスをいわざるをえない状況をつくり、
それから、各論というより本論の結婚にじわじわ詰め寄る。
・洒脱なことばあそび。
 =「よばいのもの」の語源は「姫を見たいと屋敷のまわりを夜に這い回るもの
たちを、よばいのものたちというようになった」という記述が原作にあるが、
これはなんちゃって、という作者の遊び。よばいは「呼ばう」すなわち、男性
が女性に正しく求婚する妻問婚の儀礼がもとになっている。また、地方によ
っては臨終の者の名を屋根の上で呼んで昇天しないようにすることも「よば
い」といった。この物語が書かれたころには、男性が女性の寝屋に侵入とい
うふとどきな行為がすでにあり、その語源はこれがもとなんだよ、なんちゃ
ってという、見え見えの嘘とわかってふざけている。プロの技だ。
 また、ラストの「不死の山=富士山」の語源エピソードも創作である。一見。
蛇足のように見える部分だが、これが救いになって話をしめている。

さて、固い話が続いたので、今の京都にもどる。
上の写真は上京区の上七軒。室町時代、七軒だけ茶屋がつくられた。
北野天満宮と深い関係がある。
地元の方は「かみひちけん」と発音される。
現在でも10軒のお茶屋さんがあり、約25名の芸妓・舞妓さんがいらっしゃる。
歌舞練場(花柳流)もあり、3月には北野をどりが行なわれる。
雨の上七軒もいい風情だ。
かつて土方歳三がここで遊んでいたのは有名。
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上の写真は上七軒の和菓子の名店「老松」。
京都の老舗は水曜日定休が多いが、和菓子屋さんだけは、
この時期はお茶会が多いので、不眠不休のいそがしさだという。
※嵐山にもお店があり、ここのお庭もすばらしい。
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店内に飾られている菓子型。生菓子はもちかえれないので
干菓子と松風をゲットした。
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老松店内から。暖簾ごしの光。

『竹取物語』のところでことば遊びにふれたが、
言語遊戯、言語の美しさでいえば、やはりシェイクスピアだ。
『シーザー』でも随所にことば遊びやしゃれが登場する。
さすがに英語のマザーランドだ。
また、無韻詩, Blank verse(登場したのは1554年ごろ)
を完成させたのもシェイクスピアだ。
Blank verseは韻=rhymeはふまないが、meter すなわち韻律をもつ。
なかでもシェイクスピアが多様したのはIambic Pentameter
弱強五歩格とよばれるものだ。
たとえば
A horse! A horse! My kingdom for a horse!(『リチャード三世』)
ティター、ティター、ティター、ティター、ティター
という弱強五回のリズムで1行が語られる。
こういう詩型は日本にはない。
ラボライブラリーのように英語と日本語で味わう意味は
この点だけでも大きい。
小田嶋雄志先生のお訳はすばらしいが、先生自身も
ぜひ英語もともに聴いてほしいとおっしゃっている。

続いて上七軒から大覚寺へ廻ったが、すでに15時30分。
雨もやむ気配はなく、光量的にはつらくなってきたので、
1日目はこれでということになった。
するとスタッフとマネージャーがなにやらひそひそ話。
なんとなくやだなあとまっていると
スタッフ、マネージャーがユニゾンで
「明日は朝、8時45分スタートです」「ひえーっ」
宿は渡月橋そばのすばらしい旅館。ありがたや。
翌日は嵐山・嵯峨野が中心なので、これなら人が出てこないうちに
いろいろと行けると納得。
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朝一、ピーカン。
天竜寺前を過ぎて老松さんの横から竹林へ。
水曜日はトロッコ電車も定休なので人もすくないとおもったが、
すでに9時前には野々宮神社まで中学生がきていた!
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下は小倉山と右手に落柿舎(小さな鳥居)。小倉山はご存じ百人一首の選定場所。落柿舎は俳句をたしなむ方にはたまらない場所。芭蕉の弟子去来の別荘だった。芭蕉は1691年の4~5月に、ここに滞在して『嵯峨日記』を書いた。
今回はなかまで行く時間がなかったのが残念。
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光がよいうちに先をいそごうと滝口寺へ。
ここは、滝口入道と横笛の悲恋の寺。
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いつ修学旅行生が乱入するかとひやひやしつつ祇王寺へ。
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前述したが、こもれ陽にゆれる苔が美!
毎日、門徒の方などが手入れをされている。
しかし、ここでなんと40人ほどの中学生諸君と遭遇。
やり過ごすことにした。
この写真にはその生徒さんたちが少し写っている。
いつまでいるのかなと思ったら、
ものの10分で女性教員が
「はい、清盛のことを偲んだら。次にいきますよ」
「はあーい、ゴクゴク(水飲む音)」
こちらは助かったが、ちょっとひどすぎ。
まあ、10名以上でくるのがまちがいだが、
もうすごし自由にゆっくり見させないと
なあんの意味もない。
これで感想文を書きなさいといったら、
はっきりいうが「バカにするな」だ。
ともあれ、この後、静かになった庭を撮影。
でも、それも権利関係でアップできないの。
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ひっそりと山から摘んできた少し早い季節の花が一輪。
こういう心映えがすごい。
なんとも詫びた、しかも心がひろがるぜいたくではないか。
そして化野念仏寺へむかう。
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念仏寺から下におりた道は鳥居本、愛宕神社の下道でもある。
ここは、有名な鮎茶屋の平野屋さんがある。
※HONDAのCMにでてくる。
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光がますますよくなったので直指庵から嵯峨天皇陵へ。
嵯峨野を奥へとはいっていった。
下は 直指庵。ここは紅葉のときはすごい人だが、
今はたぶんだあれもこない。
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そしと
葉もみぢに命の力をもらう
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『ジュリアス・シーザー』を書いた後、シェイクスピアの作品は一変する。
それまでの『ロミオとジュリエット』や『ヴェニスの商人』のような
性善的観点から、がらりとドロドロの物語になる。
「シーザー」はその分かれ道的な戯曲だ。
前にも書いたが、はっきりいってラボの高校生や大学生が
取り組むにはかなり高いハードルである。
中世英語であるし、各セリフも長いし、さきほど紹介した詩型の問題もある。
だが、東京支部の発表会で見て感じたのは、
じつにすがすがしい青春群像ドラマだった。
もちろん、発音とか表現とか、ライブラリーの聴き込みなどには個人差があり、
それをいちいちここで述べることはしない。
ただ、「愛するが故にシーザーを暗殺する」という
ブルータスに象徴されるように
ほとんどの人物が、悩み、ゆらぎながらも,結局は
自分の人生を生ききるというこの物語のひとつの本質を
身体とことばで表現しようとしたことはまちがいない。
登場人物ははっきりいってみんなオッサンである。
しかし、高校生が挑戦してもおかしくないのは
それぞれに生ききるという若さがあるからだ。
それが、まさに青春群像劇のように感じられたのだ。
時間の関係で発表はシーザー暗殺直前までだったが、
最後まで見たかったというのは本音だ。
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さても、長くなりすぎた。
本当は『安寿と厨子王』の説教節、それからまだ書いてない
神奈川の発表のことなどにも触れたかったが、それは後日にしたい。
すみません。

上の写真は、帰りののぞみが出る直前の12時30分(列車は1317)に立ちよった
枳殻邸。ここは、東本願寺の飛び地である。
大谷家はここにお住まいになっている。
京都のどまんななかで、ビルがまわりにはあるが、
すばらしい庭である。
頼山陽も絶賛したらしい。

ぼくは、京都駅近くで少し時間がある場合は
東寺かここにいく。
ここの拝観料は最低500円という、かわったシステム。
入り口で「真宗大谷派の門徒さんですか」ときかれるが
正直に「いえ」とこたえれば500円でいい。
それで、美麗パンフレットを2種類のうちから選ぶ。
だから二人でいけば両方手に入る。
もちろん、一人で両方ほしいときは売ってくださる。

この庭をプロデュースしたのは、詩仙堂をつくった石川丈山。
やはりとんでもないクリエイターだ。
丈山は、59歳で詩仙堂を建てた後は、聖賢の教えをつとめとし、
清貧のなかにこれを楽しんだ。
隷書、漢詩の大家でもあり、煎茶道の改組でもある石川丈山は、
寛文12年、1672年5月23日、
従容として90歳の天寿をまっとうした。
人は、時代は、変化していきますね。
ひーろさん (2012年05月25日 00時59分)

三戸先生と小山Pのラボっ子をことばの宇宙でと取り上げてくださったの
が、10数年前です。あの時からすると島のサルたちの文化も少し変化し
ているのかもしれません。(矢部さんが総局長でした)
幸島までは今回は渡っておりませんが、私の知っているサルたちは、三
戸先生とその周りで遊んでいたあの光景でいいとも思います。
その時のラボっ子たちは、みないい大人になりましたよ。
私は、いまだ現場です。子どもたちの日々を見ていて、晴れ晴れとする
こともあれば、大丈夫か?と心配することもあり、世の中のおとなた地
にむっと思うこともあり(私もその構成メンバーのひとりであります)
テーマ活動に向かい、作り上げていく彼らのその一つ一つの瞬間を忘れ
ないようにしようと心がけています。そこに生きている子どもたちの姿
がありますから。
時折、私もSENCHOさんの日記見せてもらっています。お元気そうで何よ
りです。ありがとうございました。
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