幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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夜明けの旅人たちよ! 西風に白くふかれながら、孤独なキタキツネは流氷にのって海峡をわたる。 05月29日 (火)
日記の続きを書こうとしたら、訃報をきいた。
新藤兼人監督が亡くなった。享年100歳。
数多くの作品があるが、
ぼくにとっては1970年、モスクワ国際映画祭金賞の
「裸の十九歳」が最も衝撃的で、新藤作品に注目するきっかけとなった。
故永山則夫の連続殺人事件をもとにしたモノクロ作品。
当時新人だった原田大二郎の演技がすばらしかった。
この映画を観た7日後、たまたま父親の車で成城学園を通った。
美しい並木道ほ信号で停車したとき、
横のガソリンスタンドで洗車をしながら談笑する
原田大二郎氏と夏八木勲氏をみた。
成城の5月の緑のなかの二人が、とんでもなくカッコよかった。
後年、制作の仕事をはじめてからは、
いつかこのお二人と仕事をしたいなあとひそかに思っていた。

話を新藤監督にもどす。70年にわたる監督人生は、それだけですばらしい。
しかし、長く続けることはけして価値ではないとご本人は思っていただろう。
常に、前作をこえるものをめざしたからこそ可能であった継続だ。
「裸の十九歳」を観たとき、ぼくは17歳だった。
ぽつぽつと、詩のようなものや短い文章のようなものを書きながら、
70年安保だとか、ベトナム戦争だとか
部落問題だとかを小さな頭で考えはじめながら、
「ことばとコミュニケイション」に関わっていきたいと
ばくぜんと将来を描き出そうとしていた。
合掌。

5月29日は歌人与謝野晶子の命日、白桜忌である。
晶子は恋愛感情を激しく歌ったことで知られるが
本日は堺市の生家を思うこの一首を。

海恋し 潮の遠鳴り かぞへては 少女(おとめ)となりし 父母の家

tomom
例によって、またわけのわからないタイトルだ。
だが、これは春活動をけんめいに取り組まれている
ラボ・テューター、ラボっ子、そして事務局員への激励タイトルだ。
夜明けの旅人は、暗いなかでも自らのベクトルと脚力を信じて歩き出す。
その一歩の積み重ねが、後に続く旅人たちへの道しるべになる。

ぼくは、テューターという仕事は基本的に孤独だと思っている。
もちろん、全国組織があり、支部があり地区があり、仲間がいる。
そしてライブラリーという無限ともいえる水源がある。
だけど、パーティでそれぞれの子どもたちにむきあうとき、
テューターは尊厳に満ちた孤独のなかにいる。
極端な話、単にパーティの運営のみならず
場合によっては子どもたちの人生にまでふみこまざるを得ないほどの
深い愛情をもって個々の子どもたち、および集団に関わるテューターは、
誤解をおそれずに書くけど、自ら深い孤独をかかえこむ。
だから逆に、子どもたちを物語を、そして仲間をたいせつにするのだ。

なんてえらそうだけど、
今月の14日で、14時間の大手術をうけてから丸3年が経過した。
これまで転移も再発もなく生きながらえているのは
ラボの関係者のみなさんからいただいてるパワーのおかけである。
あらためて御礼申しあげる。

さて、三澤制作所のラボ・カレンダーをめくった。
ちょっとフライイング気味。
5月はまだ4日あるのに切り取ってしまったぜ。ワイルドだろう。
でも、過ぎ去った月の絵はぜんぶ綴じて保存してるぜ。
バインドだろう。
もちろん、この月の絵も今日が初見だ。
まるではじめて録音に参加する
スタジオミュージシャンのようにドキドキする。
※ライプラリーの音楽録音をする演奏家も
もちろん初見で演奏する。
その日にできたばかりのパート譜だけで演奏。
テスト1回、そして本番である。
初見がきかなければスタジオミュージシャンはできない。

まあ、たいていは子どもの絵の迫力に圧倒されて、
しばらくはぼう然と眺めているだけだ。
6月の作品は『平 知盛』。ご存じ「平家物語」に題材をもとめた大作だ。
日本語テキストは木下順二氏、語りは野村万作氏! 
そして音楽は池辺晋一郎氏。なんとも豪華。
さらにテキストの絵には赤間神宮所蔵の「源平合戦図屏風」がつかわれている。

このライブラリーのリリースは1986年。ラボ20周年の記念作品だ。
当時、ぼくは北関東支部の担当をしていたので、
この物語の制作には参加していない。
この年の秋から制作・広報にうつり、
最初の仕事が「ことばの宇宙」の知盛特集だった。
特大号で64ページもあり、へろへろになりながら編集した。
でもそのときは、そこから22年以上も
ライブラリーに関わることになるとは夢にも思わなかった。

さて、この超ヘヴィな作品にまっこうから勝負を挑んだのが、
安東基くん(小3/横浜市・熊井P)だ。
時に元暦2年3月24日(偶然、ぼくの誕生日。ジーコもこの日)、
源氏VS.平家のファイナルバトル。壇ノ浦の合戦である。
よく知られたことだが、ここはたいへんに狭い海峡である。
しかも潮の流れは複雑。
源氏は、平家にくらべて水上戦には慣れていなかったが、
この潮流の変化を利用して反転攻勢、平家をほぼ全滅させる。
源氏を率いたのは戦闘の天才である義経。
彼が当時の戦のルールを破って
非戦闘員の漕ぎ手や船頭を弓で射殺させたことが大きな勝因といわれており、
ライブラリーでもそうなっているが、正確な史実としては不明だ。
「平家物語」の原作にも先帝(安徳天皇)が入水した後に
平家の軍船に源氏が殺到して船頭や水夫を襲撃したと記述されている。

いずれにせよ、凄惨かつ激しい戦闘場面である。
すでに、赤旗が波間に落ちているところを見ると、
もう合戦は終盤だろう。ひとつの時代が終わる直前だ。
主人公であり平家のリーダーである知盛は若干35歳(満34歳)、
彼がこの場面に描かれているかどうかは、
ぼくの眼では読み取れないが、
知盛が自分たちの世の終焉が
歴史の大きな回転力によってもたらされること、
しかもそれは人間の力ではどうにもならないことを自覚し、
自ら幕をひく決意をした瞬間だろうと思う。

安東くんには残念ながら面識はない。
だから推測の範囲でしかないが、
彼はたぶん絵を描くことはきらいではないだろう。
だけど、9歳~10歳という年齢で、この壮大な物語の最も重要な場面を、
これほどの執念で描き込むことは、
先月の絵にまけないくらい尋常なことではない。
単にこの物語が好きだけでは納得がいかない。

少し細かく見ると、絵全体のバランスがとてもいい。
大小の軍船の配置、距離感がそれぞれ絶妙。
巧まずして北欧諸国の国旗に見られるような
右によった十字になっている。
一番大きな軍船がかなり右にあるので、
やや右が重い感じもするのだが、
左の中型船がしっかり描けているのと、
波涛をこえて左に揺れながら進む軍船の
力強い方向性によってうまく中和されている。
また、左右の比率も1対√2になっていて、とてもきもちがよい。
ゴールデンアングルだね。
人物も、じつにていねいに描き込まれていて、
さらに驚かされる。たぶん安東くんの頭のなかには、
一人ひとりの物語ができあがっているのだろう。
そうでなければ、
ただ武器をもった兵士を適当に配置してお茶をにごすはずだ。
ここまでディテールを描くために
さすがに細いペンによる下書きをしているが、
彩色が大胆ではみだしを気にしていない強さがあるのでOK!
(ここローラふうに)

さらにさらに、海と波と潮が、なんといってもすんばらしい。
青の感じも軍船の色と補色になって、
とてもすがすがしい(ぜひ原画を見たい)し、
白の線がつくりだす動きも最高だ。いやあ、まいったなあ。
しかしかし、そういった技術的なこともさることながら、
いかに歴史上のできごととはいえ、
この激烈な戦いを描いた絵がかもしだす
ふしぎな、せつなさと祈りにも似たきもちはどこから来るのだろう。

海は美しい。そして命の生まれるところでもある。
しかし、戦でも冒険でも、災害でも、
海にきえた魂、波間に消えた夢や人生は
古来から、そして近年も数えきれない。
この安東くんの絵は、
海に還った人びとへのレクイエムなのだろうか。

さて、申し訳ないが、ここで少し宣伝。
興味のない方は読みとばしておくれ。
でも、突然ラボの話になるかも。
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写真は5月26日に府中の東京外国語大学で開催された
東京外国語大学PHANTOMS対国際基督教大学APOSTLESの
第二回アメリカンフットボール定期戦の試合前。
左から、小林牧人部長(生物学教授)、
日比谷潤子ICU学長(言語学)、
長谷川信彦APOSTLES監督。
学長が持っているのは両ティームで交換する
額装されたペナント。
はていは
写真上は、試合開始直前、選手たちを激励する学長。
明るく「昨年に続いて勝ちましょうね!」
といわれたので、みんなすごいプレッシャー。

この定期戦は昨年から始まった。
しかし、ただのスポーツ交流ではない。
けっこう遠大な計画達成のためのstepなのだ。

もともと、三鷹・調布・小金井・府中といった
武蔵野とよばれる地域には、たくさんの大学がある。
ICUと外大以外にも、一橋大、電通大、東京農工大、東京経済大、
亜細亜大、さらに足をのばせば中央大、首都大学東京など
多くの学府が綺羅、星の如く居並ぶ。
これらの大学どうしは各メジャーや図書館情報などでは
交流があるが、
たとえば、単位を相互にとれるとか、研究施設、会議施設などの
相互活用とか、大規模な共同研究といった、
全学レヴェルでのダイナミックな組織的交流のシステムは
構築されてはいない。
もったいない話である。
たしかに、少子化のなかで、私立大学はもちろん、
そしていまや国立大学法人として
独自の運営をせまられるている国立大学も
受験生数、学生数の確保のシリアスさは、
ある意味、企業間の競争に近い。
※少子化という点においてはラボも例外ではない。
そんななかで、学生の取り合いをしていては共倒れだ。
シャッター商店街ではないが、互いの大学が協力して
「若者が学びたくなる環境、学びやすい環境、学びたくなる未来」
をつくりだすことが肝腎だ。

また、さらに危機的であるのは、
日本はすでに高学歴社会ではないということ。
別に高学歴がすべてとは思わないが、
一定以上のアカデミックな力を国の若い世代がもたなければ、
持続可能な社会も、飢えや恐怖や不公平のない世界も、
もたらすことは困難だ。
では、その力とはなにか。
下に紹介するのは東京外国語大学の亀山学長が語る
身につけたい能力だ。
1)Communication (多言語社会に貢献するコミュニケーション能力)
2)Imagination(多文化社会をみつめるリアルな人間的想像力)
3)Exploration (グローバルな地域社会にひろがる精緻なリサーチ力)
4)Cooperation (地球社会と協働する果敢な行動力)
こうした力を学部の四年間で身につけ社会に出る者、
さらに大学院に進み、より深く広く、
海のごとく学ぶ者が生まれてほしい。
事実、世界の高学歴といわれる基準はすでに大学院卒だ。
残念ながら、日本の大学進学率は高いが、
大学院への進学率は極端に低い。
これは経済社会のあり様とも関連するので
無理からぬところもある。
院卒で仕事がなかったりするからね。
ただ、若者の専門的な学びへの意欲が
増加経過にないことが問題だ。
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で、ことのおこりは2000年に
東京外国語大学が府中に移転開始したときから始まる。
偶然は必然とはよくいったもので
三鷹と府中というエリアに、言語とコミュニケイションを
その学びの柱のひとつにしている大学どうしが、
まさに軒を接する距離、自転車でいける近さにならんだ。
両校の交流にむけての話し合いは、具体的なレヴェルでは
4年ほど前からときいている。
その手始めにまずはスポーツからということになったのだ。
で、最初に話にのったのがフットボールティームである。
それというのも、外大の亀山学長、そして今春任期満了で退任された
鈴木ICU前学長が、おふたりともフットボールがお好きで、
ぜひにというお話があったのだ。
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そうした話を受けて、両校のティームどうし、
また大学どうしも計画を進め、
ついに昨年、調布のアミノバイタルフィールドという公式会場で
記念すべき第一回定期戦が行なわれたのだ。
その結果は、おどろくべし54対6という大差でICUが勝った。
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しかし、外大はその大敗に発奮したのか、秋のリーグ戦では
見事にブロック優勝し、さらには入れ替え戦にも勝利して
2部へ昇格してしまった。
わが、ICUは残念ながらブロック3位で3部のままだった。
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そして、今年の第二回は外大のホームでのゲーム。
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ハーフタイムには両校のチアリーダーたちがコラボパフォーマンス。
ちなみにICUのチアはANGELS、外大はRAMS
試合は昨年より接戦だったが19対10でICUが連勝!
Apostles=使徒が、Phantoms=幽霊・幻に負けるわけにはいかん。
上は試合後に選手を讃える学長。
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試合後は、両校の選手、OBOG、コーチ、監督が
参加しての懇親会が開かれた。
中央の日比谷学長の向かって左どなり、
べースボールキャップの方が
東京外国語大学の亀山学長である。
「両校がもつと緻密に交流し、
三鷹・府中の地を国際アカデミックゾーンとして
ブランドイメージをアップさせていきましょう」
というあいさつが新鮮だった。
ブランドということばは、誤解されるかもしれないが、
老舗であるラボにとっても重要だ。
ラボのブランドイメージは
ライブラリー、テーマ活動、ラボランド、国際交流、
そしてなにより、すてきなラボっ子と
孤独でにぎやかで、賢くてシンプルで、
髪ふりみだして、しとやかで、
強くやさしい泣き虫で、美しい
ラボ・テューターという
他に類を見ないものがすでにある。
それをどう、高め、どう広げるか、
そのことが今たいせつな仕事なのだろう。

学長の若わかしい発想と行動力は注目である。
ラボと同じくらい青春そのものだった
三鷹・府中の地に、そして母校と外大に
微力ではあるが恩返しをしていきたい。

こうした活動に関わりだしてから、すでに多くの出会いがあった。
出会う人の数が別れる人の数よりへらないですみそうだ。
Re:夜明けの旅人たちよ! 西風に白くふかれながら、孤独なキタキツネは流氷にのって海峡をわたる
わらBさん (2012年06月01日 09時45分)

ラボカレンダーも、SENCHOさんのようにじっくり見つめていくと色々な
ものが見えるのですね。絵の見方がなんとなくわかりました。
ラボルームに飾ってあるのですが、「今月はこの物語か~」で終わって
しまう私。描いたラボっこ、選んでくださった先生方に失礼ですね(-_-)
今月からしっかり眺めて味わいたいと思います。
Re:夜明けの旅人たちよ! 西風に白くふかれながら
かせだまさん (2012年06月05日 08時31分)

ワイルドですね!!

ありがとうございます。

キタキツネ テューターより
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