幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0358274
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
Because still it is there.そこにまだ山があるからだ。ああ麗しきゴールなきリレーの勇者たちよ 07月03日 (火)
jaa
写真は上高地、梓川にかかる河童橋から観る奥穂高岳(3190m)。
ジャンダルム(gens d'armes,フランス語で憲兵。転じて前衛峰の意)
ものぞいている。
あまりにも有名な北アルプス・穂高連峰の雄姿だ。
奥穂高の右手には前穂高、明神岳、左手には西穂高がそびえる。
北穂高はこの奥のほうなので見えない。
また、意外なことだが穂高連峰は松本市内からは見ることができぬ。
おとなりの塩尻市からは可能だ。
撮影は7月3日の午前9時45分。この後、11時には小雨がふりだした。
きわめてラッキー。
7月2日から奥飛騨、上高地と一泊での弾丸取材があったのだが、
その話は後にまわそう。
arrosw
先週の土曜日、6月も終るので三澤制作所のラボ・カレンダーをめくった。
1日フライイングだが、翌日は午前はお寺の施餓鬼、
午後は打ち合わせでいそがしいので、この日に実行となった。
『太陽へとぶ矢』"Arrow to the Sun"より。
原作絵本はこの日記の読者ならご存じの
アメリカのジェラルド・マクダーモット
(Gerald McDermott、1941ー )。
彼はこの作品で1975年のコールデコット賞を受賞している。
カレンダーの絵を描いたのは中本怜恩くん(小3/いわき市・志賀P)。
名前だけでは男子か女子かわからないけど、
たぶん男の子かなあ。だれか教えてください。
※その後、HITACHIさんから情報をいただき男子と判明。
ありがとうございます。
もとになった物語はNative Americanの共同体である
Pueblo の神話。
Pueblo を共同体と書いたのは、そのなかに20越える部族があるからである。
だからPueblo People、あるいはPueblosといういい方はあっても
プエブロ族というのは大雑把すぎる。
原画はNative Americanのアートによく見られる
モザイク調のデザインをベースにした洗練されたグラフィックだ。
この絵本は、後年、Native Americanの研究者から
批判を受けた作品でもある。
そのなかで重要なのは、キバが恐ろしい場所ではないこと、
またPuebloには、「おやなし子」非嫡子という概念は存在しない
というものである。
ただ、これにも意見が別れるところがあるので、
ぼくはこれ以上言及しない。

ラボ・ライブラリーは文化人類学の研究資料ではないので、
あまり歴史的整合性や時代考証にこだわり過ぎるとへんなことになる。
ただ、エスニックなストーリィをあつかうときは、
そのオリジナルの文化に真摯なリスペクトをもつことを
忘れてはいけないと思う。
また、文化の底にあるものへのsensitivityもだいじだ。

さて、怜恩くんの色彩ダイナマイトの炸裂は
けして原画にまけていない。
タッチも含めて太陽のパワーにまっこうから勝負している。
太陽のふしぎな力で生まれた男の子が矢となって
父親をもとめて太陽へとび、試練をうける。
色彩の迫力もさることながら、
やはり描き込みの「しつこさ」がすばらしい。
矢を射ようとする(たぶん老人)人物のプロポーションなどは
はっきりいってバランスがよくないのだが、
そんなことが「まったくどうでもいい問題」になっているのは、
色彩とタッチと描き込みの力だ。
しかし、このお話を怜恩くんが選んだ理由に興味がある。
この物語は「太陽信仰」が基盤にある。
それ自体は日本も含めて世界中の先住民がもつものである。
太陽のエネルギーはあらゆれ生命にとって命のもとであるからだ。
もちろん人間文化においても、狩猟にせよ農耕にせよ、
太陽の運行はなによりたいせつなものだったのだ。

この絵にはそうした太陽を象徴とする自然への畏怖を感じる。
うがったいい方だが、震災への鎮魂と災害のない世への
祈りのようにも思えてしかたがない。
さらに、ここから先はぼくのまったく勝手な解釈なので、
場合によっては無視してほしい。

今、人間がつくりだした「太陽」が大きな驚異となっている。
かつて原爆詩人・峠三吉は核爆弾を「呪いの太陽」と表現した。
この絵は空に輝く命の太陽への祈りとともに、
人間がつくりだした宿痾ともいえる「呪いの太陽」
への決別の宣言のようにも思えるのだ。
まあ、そんなへりくつはさておき、
この物語への思いの深さは、先月同様、
やはりなにか尋常ではないと思う。
cdcds
大正池と穂高連峰。有名な立ち枯れの木々は、
今やすべて根からくずれて水没してしまった。時の流れおそるべし。
ところで、ちょっと反則だが読者へのお得情報。
ラボ・カレンダーの絵の題材で入選をねらうなら、
冬の月にふさわしい物語、場面を描く! である。
なぜなら応募作品か少ないからだ。
また、冬の物語、場面はライブラリーのなかにはさほど多くない。
だから、ねらい目。
でも、『てぶくろ』『ぐりとぐら』は
けっこう多いので注意。
まあ、こんなのは邪道情報だけど、
『雪渡り』とか『十五少年』とか『大草原』とか『ありときりぎりす』とか
白雪姫』とか見たいなあ。
『十五少年』や『まほうの馬シフカ・ブールカ』の絵を
担当された、かみや・しん先生は
「絵を描くのは心のトレーニング」とおっしゃったが
夏というキャンプや国際交流で心に筋肉をつける季節に
カレンダーでもハートをシェイプアップしてほしい。

ラボのカレンダーの絵のサイズはかなり大きい。
3歳児、5歳児の肩幅よりも広い。
これは体力的にも精神的にも相当な脅威だ。
でも、だからこと、一年に一度は
ぶっ倒れるくらいのパワーと集中力で絵を描くなんてのも
たいせつなんだというのが、あのサイズの理由だ。
そして、物語で学べるという幸せ、
絵を描いていられるという幸せに思ってほしい。
下の写真は大正池と焼岳。
cdcds
私事で恐縮だが(いつも私事ばかりだから、いまさらか)
6月なかば、ちょっとした事件があった。
買い物を終えて三澤制作所に午後出社したら、
母の義妹(母とは仲良し)がみえていてひとしきりおしゃべりをした。
17時少し前に叔母を青梅街道のバス停まで送り、
さて今日は少し夕食が遅くなるかなと思っていたところにiPhoneがなった。
モニターを見ると「すばる」とある。
めずらしや長男からだ。
「おーっ、どうした」「報告があります」
息子はぼくとちがいむだなことはしゃべらず、必要なことだけ低い声で話す。
そして、少なくともぼくよりは勤勉で誠実である。
ぼくが入院したとき、
シリアスな病気であると最初に知らせたのは彼である。
誰に告げてもびっくりするから、どうしようと思ったが、
Dr.が息子さんがいるなら
それがいちばんいいですという助言にしたがったのだ。

「すばる」と名付けたのは、星が好きだったこともあるが、
呼びつけにされてもいい名前であることと、
ジェンダーフリーでいける名だという、なんか薄弱な理由からだ。
出典は「枕草子」(角川第239段・新潮236段、岩波 254段)に
星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。
よばひ星、すこしをかし。
尾だになからましかば、まいて。

したがってF重工の車でもなければ、T村氏の歌でもない。
なにか用事があるときはたいていお互いにメールだから、
電話というのはちょっとドキドキする。
とくにこの二、三年、主な電話でのやりとりの内容は
葬儀とか法事とか墓とか寺とかのことである。
「6月9日に入籍しました」「おーっ、それはおめでとう」
さすがにびっくり。すばるは現在30歳であり、
4年前から交際しているM美さんという女性がいることは知ってはいたが、
えらく電撃的で、まるで芸能人のようである。
まあ、時間の問題とはうすうす感じていたが、
本人に、たまに「どうなんだ」ときいても、
あまりはっきりしたこたえはなかった。
だから、ぼくもそれ以上つっこむことはなかった。
ただ、ぼくとちがって、
なにごとも慎重に考えて大胆に判断する男なので、
住居とか仕事とか、未来とか、
自分たちなりの絵を描いてからのことだろうとは予想していた。
それから、入籍を決断した経緯などをきいたが、
じつに明確な説明があったので
「いやいや、それはおつかれさま、というか、あらためておめでとう」と、
こちらが狼狽してしまった。
ともかく、今は多忙な時期で、また夏には法事もあるので、
式は秋に小さくやるという。
その前に、すばるには祖母にあたる母にあいさつに来たいという。
「おふくろ、よろこぶよ。いつでもきなさい」「わかった」
結婚は基本的に配偶関係となるふたりの問題だ。
そこにいろいろ家のハビットとか慣習とかをもちこむと複雑になる。
まあ、家を継ぐことがたいせつな職業とかもあるから、
そうかんたんなことではないが、
結婚する当人たちの意思と愛情が明確なら、
親の介入は不要だと思う。
と、せいいいっぱいの祝福をこめて思う。
すばるくん、おめでとう。ちなみに「おめでた婚」ではないそうだ。
SXac
上の写真は河童橋。

このところ、週労2日が基本の三澤制作所のルールを逸脱している。マズイぞ。
さて、昨日は奥飛騨平湯に一泊し、
今朝は8時に上高地にむけて出発した。
昨日の晴天から一挙に天候がくずれる予報だったが、
朝早いスタートの甲斐あって奥穂高3190mやジャンダルム3162mを
のぞむことができた。
登山という行為、しかも初登頂というパイオニア登山を行なう理由として
「そこに山があるからだ。 Because it is there」は
登山家マロリーのことばとしてしられるが、
実際に彼が発したことばかどうかは未だに明確ではない。
ヨーロッパ最強の登山家であり、
人格者としても知られていたマロリーだが、
新聞記者のあまりにしつこい質問についに切れて、
思わず口走った一言ともいわれている。
そのマロリーはチョモランマで命を落とした。
彼が登頂したかどうかもまた、長年議論されてきた。
近年、白蝋化したマロリーの遺体が発見されてから、
その状況から判断して、
残念ながらマロリーは登頂できずに遭難したという説が有力だ。
しかし、登頂を完全否定するには不可思議な点ものこされており、
マロリーを愛する人びとは彼こそがチョモランマの初登頂者と信じている。
xsax
上は河童橋付近でさんざめく中学生諸君。
彼らはたぶん、前方に見える明神岳の麓の明神池まで行くのだろう。
さほどハードな道ではないが、ここから1時間30分9くらいかかる。

物語へのアプローチも登山に似ているところがある。
登りきったと思っても、見上げれば、
はるかに高い頂きが頭上にそびえているからだ。
そして、登る過程のなかで多くを学び、
登りきったときの達成感はすべての苦難を無化する。
さらに疑うことができないのは、
自らの手足で一歩ずつでしか
高みをめざすことはできないという事実。
ともに頂きをめざした仲間の絆は全人的だという事実。

さらにさらに、これらのことは
ラボ活動そのものにもいえるだろう。
教育活動は、成長して巣立っていくメンバーと
新しく生まれくる仲間が、常に代謝を続けている。
そこに終わりはない。
テーマ活動に完成があり得ないように、
ラボ活動にも完結、完成はきっとない。
完成といった瞬間にラボはラボであることを放棄してしまう。
そう、ゴールのないリレーをしているともいえる。
それはある意味苦しい、
でも、すでにたくさんのOBOGによって証明されているように
必ずバトンは受け継がれることもまちがいない。
下の三枚は奥飛騨平湯温泉にて。
線香花火は地元の若手スタッフが用意したもの。
なんか、もう、夏の終わりみたいなふんいきになり
変な空気になってしまった。
gsw
ok
cefeca
下は上高地帝国ホテル。ここのカマンベールチーズケーキは絶品。
もちろん、いただいた。
上高地の宿は、基本的に11月15日に冬期閉館に入る。
その前日の夜のパーティは大人気だ。
XZ
ラストは小雨に煙る国宝松本城。
戦国時代の城は荒々しい。
XXZX
チョモランマの初登頂は
現在、公式的には1953年5月のイギリス隊、
ヒラリーとテンジンによるものだ。
次に1960年に中国隊が
登頂したが、これは証拠の問題で近年まで認められていなかった。
それまでは1963年のアメリカ隊が第二登頂だったが、
このとき、いじわるなメディアが
「もう初登頂でない山に登る理由はなにか」と尋ねた。
するとアメリカ隊隊長はこたえ。
「Because it is still there. そこに、まだ、山があるからだ」

これは便利。その後もチョモランマへは多くの登山家の憧れである。
Re:Because still it is there.
かせだまさん (2012年07月10日 09時34分)

おめでとうございます!!

良かったですね~。

末永くおし合わせに★

(今日、このフレーズを友人にもメールしたばっかり、縁起がいいで
す)
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.