幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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改訂版 黒姫の 夏風にただ吹かれては 遠ざかる日々と頂きを観る 中年感傷旅団北信濃編 08月10日 (金)
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中冨雅之氏を偲ぶ。
突然ファンキーなチョイワル風なおじさまの写真に驚く人もおおいかもしれない。

不覚にも、作曲家であり、音楽クリエイターであり、
優れたピアニストであった中冨雅之氏が、
昨年11月1日に永眠されていたことを、今朝、偶然に知った。
享年63歳。肺小細胞がんによる1年あまりの闘病だったという。

昨年の11月1日といえば、ぼくは術後2年6か月の検査を受けてクリアした日だ。
ぼくは、毎日のようにお世話になった専門家の動向をチェックしており、
興味深い作品が発表されたり、個展や音楽会があれば
できるかぎりいくようにしている。
また表彰とか、亡くなったなどの重大な情報は
わかり次第、余計なお世話だがラボ本部に伝えるようにしている。

しかし、必ずしもリアルタイムでは把握できないこともある。
We Are Songbirds μの廣瀬量平先生の訃報は、
仕事にむかう途中、湘南新宿ラインのホームにむかう階段で
事務所からの携帯電話への連絡できいた。
ぼくは、一目もはばからずその場に立ってないてしまった。
中冨氏の件を今知ったのは、
残念だし、悔しいし、なにより自分のアンテナの感度の劣化に憤りをかくせない。
モテすぎるからだろうか、生涯独身を貫き、
父上とご母堂が他界されてからは、ずっとひとりぐらしだった。
氏を慕い、集う、友人や後輩は数知れなかったが、
あくまでも孤独を貫く人で、
それもまた魅力だった。
中冨氏は、ラボ・ライブラリー『西遊記』の音楽を担当、
シンセサイザーと中国の伝統楽器を融合させ、
かつビートのきいた作品は、
それまでのライブラリにはないパワーで
たちまちラボっ子を虜にした。

その後は、より実験的な「ソングバード ニューバージョン」なども制作、
ラボランドの、スプリングキャンプでライヴコンサートも行なった。
俳優の大友柳太朗氏を父にもつ端正なお顔の目は、
いつも少年の茶目っ気とアーティストの静けさが同居していた。
ただ、チェーン・スモーカーであり、
睡眠もほとんどとらず破滅的に仕事をする様に、
健康を心配する声は多かった。
12月のある午後、打ち合わせに南青山のご自宅に伺ったとき、
意外にはやく終ったので、食事をしましょうということになった。
「いい店にご案内しますよ」と中冨氏はいい、
いきつけと思われる店に「ふたりだけど今日いいかな」と電話された。
ところが、どこもパーティやら貸し切りでいっぱいである。
「おかしいなあ、どうなっているんだろう」
「そうですね」
「そんなにいつも混む店じゃないけど」
で、しばらくして気がついた。
その日は24日、クリスマスイヴだったのだ。
ふたりとも気づいていなかったのだが、
そのことがなぜかうれしかった。

最近、動向をきかないので、一度連絡してみよう、
なにか、おもしろいことができないかなと考えていた矢先だった。
サマーキャンプにも参加され、
手作り楽器を指導していただいたのもなつかしい。
その後で、二人で信州鎌の中村与平氏をたずねたとき、
中冨氏が「金槌を振り下ろす自分を見ている自分がいませんか」
とたずねると、与平さんは静かにうなずいた。
すると中冨氏は「ピアニストもそうです」と、
静かに続けたのだった。
合掌。
あは
写真は2005年、今から7年前に訪れたニコル氏の「アファンの森」で。
8月9日の撮影だと思う。
『妖精のめうし』『サケ、はるかな旅の詩』『はだかのダルシン』のうちあわせで
黒姫のニコル氏宅を訪問し、その後で、かねてからの約束で
氏が案内してくださったときのものだ。
アファンの森は氏の事務所(その奥に自宅)から車で10分ほど。
森に入れるのは研究者が最優先で、
その次にブログラムにな参加する子どもたちであるが、
その多くはDVなどで心や身体が傷つけられてしまった子どもたちだ。
また、森にあたえるインパクトを極力少なくするために、
1日に入る人数に制限を設けている。
ぼくは、森に入るまで、
「まあ、いっても整備された森だから、さほど驚くこともあるまい。
いちおう、こちらもキャンプ暦は長いからな」
などと、無礼、不遜、かつなめきったことを心で思っていた。
ただ、森にニコル氏と入った瞬間、ぼくはうちのめされる。
確かに道は土だが整備されていて広い。
だが、森の精気というかオーラというか、
自然のエネルギーが、ものすごいのだ。
この鈍感なぼくでさえ、その霊気ともいえる
生ける森の力に圧倒され、ほとんどうごけなかったのだ。
ニコル氏が、「今日はショートコースで2時間くらい。でも
案内がいないとだめ」とおっしゃられていたのんよくわかった。
「生きている森」は、あらあらしく、気高いのだ。
その体験は「ダルシン」制作の力となったことはいうまでもない。

今日は、8月12日。
27年前のこの日、JAL123便が群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落し、
520名も命が犠牲になった日である。
ぼくは、この日を鮮明に覚えている。
なぜなら、朝から『黒姫山の学校』(9日間の長期キャンプが1985年、
86年に行なわれた。旧集雲堂近くに埋没していた昔の炭焼き小屋を
掘り出しで炭焼きを行ない。最後にその隅でBBQをしたりした。
また、途中でLLを離れ、戸隠で2泊3日のテント生活もするという
けっこうハードなキャンプであった)に参加していたラボっ子を引率して
黒姫山に登っていたからである。
事故のことは、夕方、下山の途中、おそらく黒姫スキー場までおりてきたころ
他の登山客の会話を小耳にはさんだのが最初だ。
ぼくは隊長として先頭を歩いていたが、ジクザグの隊列をふりかえり、
最後尾の大学生に「どこかで飛行機がおちたらしいぞ」
と語りかけた記憶がある。
そして、ラボランドに着いてからがたいへんだった。
登山隊を解散し(ほかにキャンバーはいないから出迎えもなし)、
すぐに風呂に入りたいところだったが、
たろう丸の二台ある電話が同時になった。
一本は本部からで、もう一本は参加しているラボっ子のお父さんからだった。
というのは、日航機が消息を断った後、墜落した地点がなかなか特定できなかったのだ。
そのため救助の開始にかなり時間がかかった。
この日航機の事故は、事故調査が完了し、過去のしりもち事故が起因となった
与圧隔壁の破損による操縦不能が主因とされている。
しかし、いまなお、墜落場所の特定の遅さ、救助開始の遅れなども含めて
いくつかの疑義がのこっていることも事実である。

ぼくがたろう丸で電話をとったときの状況はこうだった。
「JAL123便は、山梨件、群馬県、長野県の県境方面、
御巣鷹山付近に墜落したもよう」
それで、なぞがとけた。
本部もご父母も心配したのは、
黒姫山の麓にも御巣鷹山という山はあり、
そこの御巣鷹林道は、当時の黒姫登山のコースの一部だったからだ。
「いま、黒姫から下山したところですが
こちらは関係がないと思います。爆発音もまったくきこえません」
と報告して電話をきるが、
受話器をおいた瞬間に、また次の電話がなるというぐあいだった。

日がおちて、炎上する機体が発見され、墜落場所が特定されてからも
電話は続いた。

翌日、黒姫駅に新聞を買いにいき(テレビは本部にあったが
きわめてうつりが悪かった)、事故の重大さがわかった。

そして、帰京して出社したとき、もっと悲しい事実をきかされた。
東京のラボっ子の姉妹が、この便に乗っていたのだ。
その悲報と追悼は、当時の「ことばの宇宙」に掲載された。

去年も夏はせつない季節だとかいた。
8月11日は父親の本命日であり、
12日は、日航機事故の日でもあるからだ。
この日の体験は、とても他人ごととは思えない。

鳥が飛ばないような雨の日でも
人間は飛行機で空を行く。
飛行機は事故率からいえば、最も安全な乗り物であることもたしかだ。
しかし、ひとたび墜落ということとなると、
多数の生命が失われる。
航空業界はLCCなどの参加によりますます多様化する傾向にある。
経済性が安全生をうわまわっては、絶対にだめである。
ぼくは飛行機が好きだから、より強くそう思う。

ラボキャンプも国際交流も、この安全を最優先にしてきたがゆえに
今がある。
今年も全員の無事の帰国を祈念する。
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写真は湯田中温泉にて。まるで「千と千尋」に出てくる湯屋だ。
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いつもの旅支度。
一泊で、でかいカメラがいらないときは、基本はこれ。
Hunting Worldのバチューサーパスの肩掛けトート、
と同じくサーバスレザーのキヤリーオール。
季節感がないのははずかしいので、帽子だけはかえている。
昨年から愛用のヘリー・ハンセン。
別にブランド主義者ではないが、いいものは使いやすい。
撮影は8月8日、午前11時30分。東京駅長野新幹線ホームで。

7日から16日までが三澤制作所の夏休みである。
Facebookにもその旨を告知してある。
そうしたら、アップした瞬間に「17日の午前に打ち合わせいいですか」
とメールがきた。
「えーっ、それはしんどいなあ」というより前に
マネージャーが「はい、だいじょうぶです。ありがとうございます。
9時50分千代田線乃木坂駅、日比谷にむかって後ろの改札ですね。
かしこまりました」
と、速攻でスケジューリングしてしまった。
三澤制作所では、代表であるぼくのランキングは最下位だからしかたない。
やれやれ。でも、およびがあるのはありがたいことである。
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この日記にこれまで載せた旅はほとんどが仕事がらみであるが
今回はまったくのプライベイトトリップだ。
お盆休み前なので、列車はまだすいている。
午前なのに、すでに30度をこえているだろう。
ホームから見上げるビルの窓に積雲がちょっとせつない。
真夏は、夏の終わりを予感させる。
長野までは、ほぼ90分の移動。新幹線おそるべしだ。
かつて黒姫にいくときも、
長野まで特急で3時間半かかっていた。
ご存じの碓氷峠をこえるためである。
峠の釜飯で知られた横川で15分ほど停車をして電気機関車を増結していたのだ。

長野についたら意外に涼しい。
長野駅のあるところは標高はそう高くないし大きな街だから
東京とかわらぬくらい暑いと覚悟していたがうれしいことである。
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最初の目的地は飯綱高原。
この前日から、わがICUアメリカンフットボール部か゛
ここで夏合宿を行なっている。
差し入れをもって激励訪問というわけである。

酷暑の東京での練習で
「差し入れは、なにがいい?」ときいたら、
「夜の飯練=めしれん 用のおかず」とのこと。
要するにサイズの小さいプレイヤーは
食って体重をふやすのも任務。
夕食後、宿にご飯だけ炊いてもらうので、その友がほしいらしい。
ともかく、食べて動いて寝て、自分を追い込んで、
毎日ひとつでもいいから進歩してほしい。
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飯綱高原は標高1100メートル。この日は肌寒いくらいだ。
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練習をしばらく見て、偉そうにひとこと激励してから
豊野、信州中野から湯田中温泉へ。
ここは、ご存じ志賀高原の入口である。
1998年の長野五輪では、ハーフパイプ、回転競技の会場になった。
その、おかげで道路はとっても整備された。
湯田中温泉は、猿の入浴でしられる渋温泉や
地獄谷温泉などの多数の温泉の複合温泉郷である。
今回は、夏季休暇の旅なので、
のんびりお湯に浸かるのが目的。
夕食後、宿の女将が熱心に勧めるので、
裏口から渋温泉へと続く温泉街を、そぞろ歩いた。
地元との旅館や店舗が協力して、レトロな湯の町の夜を演出していた。
でも、それはあざとさがなく、
じつに自然だった。夕風は羽織を着ていても涼し過ぎるほど。
見あけると暗い夜空にこぼれ落ちそうな星くず。
夏はいつも駆け足だ。
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翌日、
湯田中から高速長野道で信濃町ICへ。
3年ぶりにラボランドへむかう。

はじめて訪れた1974年からは、
ずいぶん風景も変わったが、山と風と光は忘れようもない。
ドライバーに細かく指示すると
「お客さん、なんでそんなに北信にくわしいんですか」と驚かれる。
「まあ、虎はいくら洗っても黄色にならないし、
パンダは何回温泉に入っても真っ白にはならない。
しみついたものは落ちないんだよ」とわけのわからぬこたえをする。
柏木立の旧五叉路の手前でマウンテンバイクのグループとすれちがう。
そしてグラウンドでは芋掘りのグループの帰路をおいこす。
LL入り口の手前で「最徐行でおねがいしますね。子どもたちがいますから」
とあたりまえのようにいう自分が少しさみしい。
今日は野外活動でLL内にキャンパーは少しだけ。
めだたなくていい。
ぐるんぱ城に株式会社ラボランドの久下社長をたずね
冷酒などを差し入れる。
そして、まよったあげく用意したお菓子などをもってたろう丸へ。
うまい具合に道上大統領が本部前でたたずんでいるので
声をかけると寺嶋村長もあらわれて、
なんだか大事になりそうなのですばやく差し入れを渡して立ち去る。
ハイロープと新しい集雲堂をながめてから、久下社長としばし歓談。
ちなみに、集雲堂の名の由来は『ポアンホワンけのくもたち』。
ラストシーンである。
また、全国から集まる若い志を持った仲間を
雲に見たててもいる。

滞在時間はおよそ120分。
車を呼んでもらい、仁之蔵でそばを食べてから14時10分の
長野行きに乗ることにする。本当はもう少し写真を撮りたかったが、
画像に残すといつまでもひきずるような気がしたので数枚にした。
これまで何回か書いたが、
「もう十分やったはずだ」とは何度も自分にいいきかせた。
だが、夏のここにいない自分が2年たっても、なぜかさみしい。
それは、たぶん、
子どもたちやシニアメイトやコーチたちが瞬間的に成長する姿を見て、
じつは自分がいちばん成長させてもらっていたんだということに、
離れてみて、ようやっと気がついたからだ。

しかし、人間(じんかん)いたるところに青山あり。
どこにも骨を埋めるべき場所はあるのだとも思いはじめている。
ちなみに、青山(せいざん)、すなわち「あおやま」は墓地のことである。
東京の青山墓地をはじめ、青山とつく地名は多くが墓所か、
かつてそうであったところだ。「青山土手から」というわらべ歌で「青山土手から東を見れば、涙がポロポロでる」のは当然のことなのだ。
よく「人間(にんげん)いたるところに青山」と誤読され、
さらに青山を活躍できる場所と誤解されるが、
正しくは、人間(じんかん)、すなわち人の世の間には
どこにも「墓所=骨をうずめるべき場所」があるということだ。
まあ、結果的におんなじような意味になってるんだけど。
出典は柳井の僧。釋月性の詩『將東遊題壁』からだ。

男児志を立て郷関を出ず  
学若し成る無くんば復た還らず 
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり  

GREEN GREENだね。
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ぐるんば城からたろう丸本部を観る。
たろう丸のたろうは、いうまでもなく、
ガールフレンドの誕生日に、
プレゼントをかかえ疾走するあの全力少年の名だ。
丸は本丸、二の丸などのように建物をあらわす。
さらに、古来より、りっぱに育ってほしいものには丸をつけた。
武士の幼名になんとか丸は多いし、船や刀にも丸はつく。
ようするに「いずれは立派になるのだよ」という祈りが丸にはある。
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38年たって木々が大きくなったというのが、いちばんの印象かな。
ぐるんぱ城は、開営式のとき、最初に紹介される建物だ。
今は、どうかは知らないけど、
かつて、大統領か村長はこういった。
「大きいから、ぐるんば城です」
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スポーツ選手がよく試合後のインタヴューで
「みなさんの声援がほんとうに励みになりました」とこたえる。
なんかそれって社交辞令だろうと思っていたが、
ハイロープを体験すると、ほんとうに激励の声が勇気をくれ、
身体も心も動かすということがよくわかる。
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株式会社ラボランドの久下社長と。出会ってから38年。
ともにシニアメイトをしていた昔にフラッシュバックする。
お互い、けっこう遠くまできたけど、なんとかやってます。
ちなみに、鴻来坊は、鴻=コウノトの来る宿坊ということである。
実際にコウノトリが来るわけではない、
古来より、コウノトリは、西洋では赤ちゃんを、中国でも
遠くから幸運を運んでくる鳥といわれている。
日本でもインドでも、遠方から来る人は幸せをもってくるとされる。
すなわち、遠くから来た、外国のシャペロンや引率の先生をお泊めする
迎賓館なのだ。
ニコル氏がここにカンヅメになって『国生み』を書いたのはご存じの通り。
また、長年、ラボ国際交流に貢献し、アメリカ・カナダの交流団体からも
信頼の篤かったバーニーこと、バーナート・レーベンスピール氏の
遺骨の一部も、こここの庭にツインで植えられたオオヤマザクラの根本に
埋められている。
氏を偲ぶプレートも設置されたのでお参りした方もいらっしゃるだろう。

ラボランドには、城も丸も堂も坊もある。
建物の基本が用意されているのだ。
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黒姫駅で電車をまつ。今はキャンプはほとんどバスだから
この駅を知らないラボっ子やテューターも多いだろう。
ここでも多くの出会いの物語があった。

短い夏旅が終る。 
短いのは夏? それとも旅?

黒姫の 夏風にただ吹かれては
遠ざかる日々と頂きを観る

もう少し書くよ 更新中
Re:黒姫の 夏風にただ吹かれては 遠ざかる日々と頂きを観る 中年感傷旅団北信濃編(08月10日)
カトリーヌさん (2012年08月11日 20時56分)

私もいましたよ。ラボランドに。
あのとき、車が出て行ったのは、ミッキーだったのか。
なあんだ、久下さん、声かけてくれればよいものを。
Re:改訂版 黒姫の 夏風にただ吹かれては 遠ざかる日々と頂きを観る 中年感傷旅団北信濃編(08月10日)
カトリーヌさん (2012年08月18日 00時36分)

鴻来坊ができたときに、谷川さんがシニアメイトだった私たちを案内をしてくれました。
建物や建設についての話をされながら、隅々まで案内してくださいました。
鴻門の会の故事(項羽と劉邦の会見)をお話しされ、鴻とは、大きな鳥(コウノトリ一種
をさすのではない)転じて大いなる事、大人物と言われました。
鴻来坊は、大人物が出会うところと。
そして「谷川雁は、ちいさな鳥である。しかし君たちは大きな鳥であれ。」と言われまし
た。

太宰府や難波、平安京の鴻臚館も外交施設(商館)ですから、ラボランドから世界をみて
大人物を育てたいと思われたのでしょうか。
Re:改訂版 黒姫の 夏風にただ吹かれては
かせだまさん (2012年08月18日 09時42分)

残暑お見舞い申し上げます。

1回の日記に 情報&想い 満載ですね。

「西遊記」の音楽、躍動感があり、素晴らしいですよね。

心から感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

それと、かつてのシニアメイトのツーショット写真

すばらしいです。ありがとうございました。
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